これからどうなる

介護保険とホーム入所者の行方

”☆☆介護保険に七言☆☆”

”もう少し生きたい”

誰がひきつけたのかbbさんが昭和20年9月17日満州から引揚げて、たどりついたのが広島駅だった。なにがおきたのか、一面焼け野原になって、まだ、あちらこちらに煙がたちこめ、しかも悪臭がただよている、火葬していたのだ。無残な光景を見た瞬間に、記憶が何もかもとだえ落ち着いたところは白い顎ヒゲをはやした老人にひきとられていた。この出来事はすべて8月6日に原爆が投下された後遺症だった。

どこで生まれたか、どこに行っていたのか、自分の名前さえわからず何をしていいか分からない、また10円、100円、1000円を区別することもできず、お金の価値観すら忘れ、路頭に迷い食事もとらずひとりボンヤリ立っている記憶喪失の若者を、いてもたってもいられない老人は、山小屋をたて若者の世話をすることにした。

しかし投下された直後なので老夫婦は他人の世話どころか夫婦が生きるのに精一杯で生活に困っていた。そこで老人はbbさんの生活保護を受けるように申請したら、「あんたが金をもらおうと思って申請するのだろう」と言われ侮辱された老人は、「お上の世話にならんでもわしが面倒みる。」と決心した。

これがbbさんの第一の不幸の原因になる。

歳月がたち老人も足腰めっきり弱くなった。bbさんの面倒が看れなくなり、幼なじみの民生委員に相談したとき、bbさんが急に倒れ、息苦しくそうにしている。心臓発作をおこしたのだ。救急車で病院に運びこまれ即、手術されペースメーカーをいれて、なんとか生命維持できるようになった。退院したときには、すでに白い髭ヒゲの老人は他界していた。民生委員は医師に「あなたがお世話をするのは無理です。どこか施設にお世話になったほうがbbさんにとっても安心です」と言われ、老人ホームにお世話になることにした。

bbさんは食事摂取、排尿また排便はひとりでできたが、相変わらずお金の価値観などすべて分からない状態でホーム生活を過ごした。あるとき中学生の訪問のとき、「同室のmmさんがワラジの作り方を教えたいので、ワラを準備して欲しい」と言われ作業場て゛ヒューヒューと呼吸しながら生き苦しくワラをたたいていた。ホームの生活にもなれ平穏無事に生活していたが、困ったことに十分なオヤツを買うこともできなかった。生活保護を受けていなかった為、年金はもらえず、もちろん身内もいないので施設からの見舞金しかなかったためだ。生活保護を受けていれば年金がもらえるのに、親切心が招いた悲劇である。ホームに入所して15年たつた。超高齢者社会が、やってくる為新しい保険制度ができた。

介護保険がスタートしたのだ。

お年よりのことを亀にたとえているが介護認定度。年寄りの背中のことを亀甲だとか亀背とか言っている人もいるが、ずうたいに似合わず小さい頭と手足だが、亀は昔からエンギがいいとされている。めでたいときは必ず話題になる亀。亀はウサギに勝った。そして、万年も生きた。浦島太郎も亀を大切にしていた。そんな亀を馬鹿にしたらバチが当たる。しかし、頭は切り捨て、手足までも切り捨てた要介護認定らしい。つまり頭とは、痴呆老人。手足をもぎとったとは、寝たっきりのこと。こんなにヨウタイが悪い人(全面介助)なのに、要介護度3(介護度の中間)に設定されている。しかも癌などで悩む人などまったく考慮されていないのだ。つまり、介護保険は治療と介助のみ考慮され、生活や精神又家庭環境等を無視した制度である。

治療と介護だけを考え、心を捨てたのが要介護度だ。

第二の不幸の原因をつくる入院

bbさんにとっていいことか悪いことか分からないが介護認定で要支援と結果がでた。今度の制度では、bbさんが心筋梗塞で1週間入院すればホームの籍が切れ3ケ月後退院許可がでてもホームに戻ることができないのだ。20年間住み慣れたホームを余儀なく半強制的に追いだされていまう。紙幣の価値観の分からないに、わけの分からない市営住宅に入居し、自立した生活をしろと言うのか。

こんなときに本当の福祉が必要と思うのたが

これにもれた人は、なんの救済制度があるのだろうか、福祉の言葉を忘れた介護保険制度、いつまでつづくだろうか。できれば自立で生きたい。しかし、思うままにならない頭や手足だから助けてほしい!”もう少し生きたい!”bbさんの最後の切実なる願いなのだ。これが福祉かね

”これでいいのかなぁ”

頭と手足・・・???なんのこと!!!!

気になる認定度はどうなる

おかしなことよのう

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