私は昭和20年6月10日に爆心地から約2、3km離れた牛田町の寺で生まれました。生後約2ヶ月で原爆の投下に会った訳です。両親から其の当時の様子を聞いた処、「博が私達を助けてくれた」と言いました。
昭和19年頃から戦争が激しくなり、寺の前の道路は戦車が通ることは勿論、兵隊が軍歌を歌いながら行列を乱すことなく、“ザック、ザック”と足音をたて、行進していました。寺のすぐそばには練兵場があり、そこには鉄条網が張りめぐらされ、兵隊達が大勢集まり、何時も緊張した厳しい状況でした。
父は戦死した兵士の葬儀の為、毎日朝8時には広島城の大本営に行っていました。
8月6日も何時もと同じ様に出掛ける準備をしていると、遺族の方から「まだ親戚の者が集まっていないので、少し遅れて来てほしい」と連絡が入り、生後間もない私をあやしていました。母はオシメを洗い干していました。すると父がいるのにも拘らず急に泣き出してしまいました。すぐに泣きやむだろうと思い母はそのままオシメを干していましたが、突然火がついた様に泣きじゃくるので、異変を感じた母が母屋のそばに近寄った瞬間、
「ピカッ」と異常な光が走ったのです。そして其の瞬間屋根は裏の蓮池に飛んで、我が家は跡形もなく崩れました。その時、両親は爆弾が自分の母屋に落ちたのだと信じて疑わなかったそうです。光った瞬間、父は私を腹の下に抱き込み、タンスが倒れ柱が落下して、私の体を押し潰すのを全身で守ってくれました。あわやタンスの下敷きで即死する私を全身でかばってくれた父は、その時右腕を骨折しました。ガラスの破片が父母や私の全身に突刺さり、日が経って傷口から膿が出る様になると、指で押さえる度に小さなガラスの破片が出て来ました。
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神田橋付近の家屋は全部焼けてしまい、土手から下の家は破壊し,あの光を浴びた人々はその部分がひどいヤケドになっていました。ほとんどの家が破壊したのにもかゝわらず、不思議に寺の内陣だけは無事姿を残していました。
小学校4年生から6年生までは強制的に集団疎開が義務づけられ、小学校5年生の姉は高田郡船佐村の、専教寺に学童疎開をしていました。長男と次男は小学校2年と、3才でした。兄達は友人達と部屋の中で勉強していた為、光を浴びなかったのですが、吹き飛ばされた破片などで軽いケガをしました。
父は何時でも避難出来るように大八車に布団と食物、飲み水を用意していたそうですが、8月6日の朝7時頃「疎開の手伝いをするから大八車を貸して欲しい」と、近所の人が頼みに来られたので貸したそうです。そして、その人達は大八車と共に二度と帰らぬ人となりました。家の前の女学校1年生の女子学生も・・・・・・。
投下後、私達の母屋は崩れましたが、当時保育所をしていた事もあり、そこに残った鉄のブランコを柱にし、そのまわりにトタン板を張り、床は土の上に板を敷き、その上に畳を敷き、真ん中にローソクを立て、その光の中での生活がしばらくの間続きました。何もかも失いましたが、幸にも生きのびた子供達の育成に力を注いだ亡き父の精神力に満ちた姿が脳裏に浮かび上がります。
すべてを失った世界で生きる為には当たり前の事ですが、與えられた物で生活していくしかありません。そして其の中で被爆後の人達は色々な工夫をこらして生活してきました。この一つひとつの工夫が今日の広島の、驚異的に発展して来た要因ではないでしょうか。
戦争は一瞬のうちに全財産、全人類の生命を奪います。
現代社会によく見受けられる精神的圧迫も、戦争と共通していると思います。この様な惨事を忘れず、いつまでも人々は助け合い、お互いに協調し、自己主張も大切に豊かに生き抜きたいものです。
何とかせんかいのう、たちまち豪華客船を横づけして
安心して一夜過ごすようにすりゃぁええのに、
テレビでキンコンキンコンと鳴らすばかりで、対策がないようのう。 わしゃ、富士山が爆発する予言があって飛んで広島に帰ったが、何年も何も起きんかったが、 今は大変じゃ ある政治家が言っておったが、飛行場つきの町でしかも移動式でつなぎ合わせたら、 自由な長さになりこの前墜落したコンコルドなんかハエのようなもんらしい、 飲料水は海水でおぎない電気は太陽熱を利用し、平べったい箱型の 無公害特殊万能船を作りたいとヨ。 また、大金がいるのう。 今のビル建築みてみいやぁ、基礎くいに大金かけて地震がくれば倒れているじゃあないか、 地震大国の日本には通用せんよ、ぬかに釘ヨ 船の底見てみいやぁ、何もないでえ無公害特殊万能船は水深1メートルありやぁ十分じゃけなぁ この前の沖縄サミットでつかえば、何億の金も使わず交通規制もなく観光客も多かったろうにのう 今度の名古屋でつかえれば経済的じゃのう そうよ、アチコッチで利用すればええ、 火山国また島国の日本は、何隻あってもエエ、 火山噴火緊急非難また渇水また洪水また火災また地震等の自然災害目的と なんとか博またイベントまた遊園地等の娯楽目的に使えるそうな また、世界みれば利用する国はなんぼうでもあるでぇ クウェートもしかり チリもすぐにいるんじゃないか、おとなりも とりあえず伊豆諸島に派遣することよ それはどこにおいておるのかね 知らんよ、いずれできるじゃろう。 振動を防ぐのは海の上だろうから大丈夫のう、 津波がきたり台風がきて沈没するようのう 空気があるじゃろうがあ、浮力を利用するらしいヨ めぐまれた無害の自然を精一杯利用するのヨ。
ない頭の奴は黙ってみとけばええ!!!! ようするに、何億もかけて造るのなら、何回もつかえるものを造ることよ 最近はやっているリサイクル・リサイクル!!!
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