1945年8月6日広島に原子爆弾が投下され、がれき化した市街地を
ハエのウジが制覇した。そして8月15日終戦になった
当時、段原地区の配給所での、できごとである。
さて、言いたくない話だが「わしは原爆で足を負傷して歩けないから娘を捜してくれ」
親友からたのまれ急いで山口県から広島に車で向かった。
己斐に着いた。
何もない「なんじやぁこれは」あちらこちらに煙がたちこめている
いまにも転びそうな足どりで手をつないでいる老夫婦が目の前を通り過ぎようとした 「横川はどこでしょうか」と声をかけたら 後ろにふりかえったおばあさんは全身の皮膚がただれて服を着ているのかどうかも 判断ができない身なりであった その後おじいさんがふりむいた なんと乳までぶらさかった目球を左手ので支えているじやぁないかの なんて惨い信じられない。 「横川はアッチよ」と言っておばあさんの手をにぎりしめこおもり傘を杖代わりにして 老夫婦は過ぎ去った。 後ろ姿はだれの助けもいらん、あてもない町を行ったり来たり徘徊しているようだった しかし、しっかりと手をつなぎあった老夫婦の姿は愛と死と生き延びたい思いが交叉 しているように見えた。 なんと惨いじゃあないか早く目を治す方法は・・・・ 同僚の目を見詰めるだけで言葉もでなかった。 同僚はうなずくだけである
|
三篠橋にいったら欄干に血のりがべたりとついている爆風で叩きつけられたのだろう 可愛そうに何人の血のりだろうか残酷だ オイ冥福を祈ろうと言ったが 同僚はうなずくだけである
|
![]() |
相生橋についたビルは破壊したのに不思議に橋は崩れていなかった
川のほうから声がするなんと丸太にしがみつき力果てたのか
頭と足は水のなかで背中だけが見えるワラをつかむように皆死んでいる
何人いるかわからない
みんな体中が熱く体を冷やすため水をもとめて川にとびこんだらしい
なんと悲惨な光景だ、信じられない
こんなことは二度と起ってはいけない
おい大丈夫か、放心状態の同僚は手をあわせ震えている
同僚はうなずくだけである
相生橋を渡ったとたん一段と悪臭がつよくなる 何処に行っても死体は通行のじゃまになるのですみにおかれている 山積みにされた死体の中に白い包帯につつまれ目だけが露出している そのなかに目を白黒させている兵隊がいた どうしたんやぁまだ生きとるじゃあないかぁ 死を覚悟していだようすで、助けようとしたら「もうええ、わしより元気な人を助けてやれ」 と訴えているように目で合図していた そばにいる松葉杖に支えられた女の子の左足に巻かれた ホウタイの下からウジが出たり隠れたりしてウヨウヨしていた 女の子は痛みなど訴えることはなく山積みされた父親の側にずうっといたかったのだ だまって走って通りすぎるしか方法がなかった やるせない気持ちになり「なんとかならんかい」、とうとう同僚を怒る 同僚はうなずくだけである
|
常磐橋をわたり幟町の 小学校につき校庭に子供を捜しにいくと ありやぁみんな大きな腹をして死んでいる なんで大きな腹なのか・・・こんな小さな子供まで なんでこんな所に来たのか、まるで地獄の社会に来たようだ これは神様のいたずらだ、信じがたい 親は子供達を捜すうちに死んでいく 子供達は死んだことが分からず捜し続ける こんな世界があるもんかい ええい今までのことは夢であってほしい。現実は見たくない もうこの場を逃げだしたい、しかし少しの水でもさしあげたい 後ろ髪を強く引っ張られるおもいだ 同僚はうなずくだけである
|
おかしなことよのう