トロイ遺跡。紀元前約2000年間に何代もの王朝がこの地で入れ替わった。発掘する度に何層もの歴史の遺跡が出土する。それらは、ただ沈黙したままで目の前に横たわる。
  トルコ旅行記2005 5日目 Troy
 今日でトルコの観光も最後だ。早朝トロイの遺跡に向けて出発。150キロを走る。ホメロスの抒情詩「トロイ戦争」の舞台として有名なところ(トルコだとは知らなかったー)。紀元前2300年頃 から紀元400年頃までの間、繁栄と衰退を繰り返してきたトロイの遺跡はシュリーマンによって発見された。想像もつかない随分昔の遺跡がよく残っていたとまたまた驚く。

 ここにも、トルコの子ども達が大勢見学に来ていた。観光用に大きな木馬があり、中は3階立てで、はしごを登り窓から顔を出して記念撮影。この中にも多くの子ども達がはしごを登り降りしてにぎやかだった。主人がまた私と13〜14才位の少女達をデジタルカメラで写してくれた。すぐに画面をその子達に見せると自分達の顔が映っているので、びっくりして感動していた。トルコの子ども達は、本当に人懐こく、団体の旅行者にも気軽に英語で声をかけたり、質問をしてくる。カメラを向けると喜んでポーズをとってくれるのでトルコ旅行がより楽しくなった。

  ●フェリー船上にて
 エーゲ海の見えるホテルでシーフードの昼食をとり、「さあ、イスタンブールに戻るぞ。」 チャナッカレの港から、30分程フェリーに乗りマルマラ海を渡る。2階ののデッキに座っているとすぐに、2〜3人のトルコ人の物売りの男性が廻って来た。香水や、黄色いバナナの形をしたお菓子かおもちゃのような物を客に声をかけて売リ歩いていた。私と主人はデッキの椅子に座り、一組の夫婦(滋賀県の夫婦で親しくなった)と話していた。「あっ、こちらに向かって香水を入れた大きなバッグをかついだ人がやって来るぞ。」目を合わせるとまづい。来た。目の前で立ち止まった。困ったな。チラッと見るとこちらを見て笑っている。試供品の香水のスプレーを私や主人達の手の甲にかけて本物のブランド香水なんだと説明しているようだ。

 主人のことを「シェフ、シェフ」と呼びかけ、英語で「家には小さい子どもが3人いる。どうか買って欲しい」と頼んでいる。私も主人も「ノーマネー」と繰り返し言い、断るが相手も必死で2本を4本にして値段の交渉をし始める。こちらも、負けずに「I have five children ・・・」と冗談で会話を進める。大笑い。いつのまにかデッキの手すりにいた人達が周りに寄ってきて見ている。主人が「とにかくお金がない」ということを言おうとして、とっさに「マネー、パーフェクト・フィニッシュ」と訳のわからぬ英会話を大きい声で言ったので皆大笑い。

 なごやかな雰囲気のなかで、英語や身振り手振りで値段を交渉し、安く香水を買う。4本20ドルだった。旅行から帰って、ネットで香水を調べてみたが、いずれも本物で1本3000〜4000円もしていた。中には、有名なフランス製のポアゾンもあったりして。今、それを時々使うたびにこの楽しいフェリーでのことと人のよいトルコオヤジのことを思い出す。
こうしているうちに、もう、船が到着。トルコのアジア側からヨーロッパ側へ渡ったのだ。またバスでイスタンブールまで300キロの移動。バスの中では、主人と船の物売りとの駆け引きを思い出し、「大変面白かった。良い思いでができたね」と話す。

トロイの木馬。観光用に作られたが遺跡は被写体になりにくいが、これはわかりやすい被写体。中では子供たちが楽しそうに遊んでいた。窓から、顔を出せる。
イスタンブールのアパート群。トルコの人々の生活を感じる瞬間。
宿泊したコンラッド・ホテル。以前にテロがあったとかで、空港と同様に持ち物検査がある。ヨーロッパ系の宿泊客が多い。イタリア人の一行は服装もハデで、猛烈に明るかった。

OSAKA
 長い長い旅、来る時と同じように、タシケントを経由して、朝8時30分に関西空港に到着。
さあ、日本に帰ってきたぞ。空港の出発ゲートには、次のトルコツアーの団体客がぞろぞろ並んでいた。私も、一週間前は不安な気持ちで出発したことを思い出した。お土産、思い出話、そしていろいろなことを考えさせられた充実した楽しい旅だった。やはり、旅行は勇気を出して飛び込んでいかんとね。主人は、この間も「うどん、うどん」とわめいているのだった。

 トルコ旅行記2005のまとめはこちら。

中央アジアのウズベキスタン共和国。首都タシケントの街。飛行機内で、チーフの肥えた女性が無愛想なステューアデスにスマイルを指導していたのが印象的。