トルコ旅行記2005 3日目CAPPADOCUA

 今日はカッパドキア観光。早朝ホテルを出発。270キロを走る。途中から少しづつ窓の景色が変わり始める。左右の窓に釘付け。あれほど緑が多かった町の風景から少しづつ赤い地面が見えてくる。やがて木も草も少なくなり、一変して砂漠のような赤い土の風景が見えて来て驚く。トルコのほぼ真ん中に位置するアナトリア高原。その真ん中に位置するのがカッパドキア。無数の奇岩が見渡す限り続きまるで別世界に迷い込んだよう。長い長い年月をかけて侵食されて、きのこのような岩が出来たそうだ。私には、きのこ岩というより三角の岩がまるでベレー帽をかぶっているように見えた。さらに長い侵食で上の帽子の部分が落下、円錐形の岩だけが残ったものも多い。3人姉妹と呼ばれている3つ並んだきのこ岩や、らくだの形をした岩もあった。

 青い空に赤い岩がとてもよく映えている。神様が造ったとしか思えない何とも不思議な光景にただ眼を丸くして飽きることなくながめていた。さらに写真の名所「赤い谷」と呼ばれている絶景ポイントからは、眼下に無数の奇岩群があり、写真のフレームに入りきれないくらい。 気球で空から眺めるツアーもあるらしい。 ギョレメ谷に住んでいる人々は、大きな岩に穴を堀り洞窟ペンションとして今も快適に暮らしているらしい。

  洞窟の中は涼しく快適で窓もあり、その窓から奇岩が見えるらしい。洞窟ホテル、洞窟レストランもある。この内陸地方は、冬は大変寒くとても厳しい大自然。ちょうど私達が乗ったバスの運転手さんは、この地方の出身で、あの山の向こうに実家があると言っているとクタイさんが教えてくれた。カッパドキアはワインが有名だがその他はこれといって産業がないので、この地方の人達はバス又はトラックの運転手になる人が多いらしい。

 続いて
「カイマクル」の地下都市を見学。1964年に発見された地下8階の巨大地下都市。イスラム教徒からの迫害から逃れるためにキリスト教徒が住んでいた。常時2千人、多いときは1万人が暮らしていたらしい。食堂、図書室、集会室、教会、ワイン蔵もあったらしい。通路や通気口もある。中に入るといくつもの穴があり迷いそう。細い道を一列で進む。階段も登ったり降りたり。薄暗いので持参した懐中電灯を照らしながら進む。この洞窟の中で一生を過ごした人々がいたんだなあと不思議に思う。洞窟を出るとお土産屋が並び、カッパドキア独特の柄のポシェットを3つ買う。 家で待っている二人の娘と私の分。店の人がおまけに小銭入れと青い眼のガラス玉のお守り(ギョレメ)をつけてくれた。

 伸びるアイスクリームを売っていた。若いお兄ちゃんが片手を高く差し上げて伸ばしてパフォーマンスをしていた。客達が「わーすごい」と手をたたいていた。中に糊のようなでんぷんが入っているのかなと不思議で驚く。 洞窟レストランで昼食。中はとても広く明るくて白っぽい壁でからりとした感じ。ここでも、ヨーロッパの観光客(やはり年配の団体)がとても楽しそうに歓談していた。本当にバカンスを楽しんでいる様子。日本人の団体は私も含めて少し緊張気味。ここはトルコ、何が起こるか分からないという不安がこの時はまだ心の隅にあった。でも、それなりに楽しんではいた。テーブルは一枚の広くて平たく白っぽい石で、冷たい感触。生野菜(トマト、きゅうり、レタス)、パン、なすと牛肉を焼いたものが並ぶ。アップルティーを飲んだが、濃いりんごの味と、甘いりんごのかおりがしてこんなに美味しいアップルティーは初めて。トルコはチャイ(紅茶)が有名だがアップルティーもとても美味しいと思った。
                            

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Konya
主人に引っ張り出され一緒に街に出かけたが9時を過ぎていたのでもう人通りもほとんどなく不安になる。スポーツ用品店に立ち寄ったがすぐに引き上げてホテルに引き返す。街灯も信号もない暗い道を歩く。もう10時になる。急いでホテルに戻る途中、3〜4人のトルコの子ども達がはしゃぎながら後をついてきた。手にはティッシュペーパーの入った袋を持ち、トルコ語で「お金」という意味の言葉を言いながら後を追ってくる。ほーらやっぱりこういうことが起きる。だから夜遅く外出したくなかったのに。ここはトルコ、危ないぞ。急いでホテルに戻って一安心。危ないところだった。主人は、「自由行動をしないと面白くない。」そして私に「表情が硬くなっていた。そんなことではつまらんぞ。飛び出してみて初めて世間が見える」とぶつぶつ言っていた。
                    

現地では7ドルだったが、お土産専門店では2000円もしていた。持ち運びが重たかった・・・。
 夏と冬、昼と夜の厳しい温度差が奇妙で愛らしい地上の造形美を造る。
 中で名物のカッパドキアワインを売っていた。ここでしか買えないのでお土産に購入。帰って早速飲んで試ると辛口の赤ワインでさっぱりして飲みやすかった。カッパドキアのからりとした風土を感じた。外側のボトルは、小さい奇岩(カッパドキアの岩)でおおわれている。今も記念に置いてある。
 午後からまたバスで移動。コンヤまで230キロ。かってのシルクロードも走る。シルクロードは、一直線に伸びた道だった。それにしてもお土産屋がない。日本の観光地には、昼食のレストランには大きなお土産屋がそばにあるのだが。窓の外は広い広い地平線。ひたすら走る。少しずつ赤い岩の風景から、緑の野原、木、町の景色に変わる。長い旅も刻々と変わる景色に退屈はしない。

 午後8時頃、
コンヤに到着。11世紀から13世紀にかけてセルジュクトルコの首都だったというだけあって大都会。 バスの窓から見ると人通りも多く、とてもにぎやかで華やいでいる。主人は「早速街を散策するぞ」と張り切る。自由行動をしたかったらしい。しかし、ホテルに着いて夕食を済ませると、もう午後9時。名物のメブラーナ教(踊る宗教)の踊りの見物ツアーの客達が出かけた。