営業の達人への道

       営業マンとして身につけておかねばならないマナー・行動、考え方の基本

入門編 30.貴重な体験(2)  ある人との出会い                     

30.貴重な体験(2)
 
 今までこのことは、誰にも話していない。
今から約30年ぐらい前、季節は早春で、呉市のある会社を営業していた頃のこと。受注前か受注後か記憶が定かではないが、こういうことがあった・・・。
 その会社の社長室に入ろうと、手前の応接室を通った時、大きなソファに胡坐を組んで週刊誌を読んでいる人物がいた。会長だ。「失礼しまーす」とその横を通ろうとした時、「ちょっと来い」と呼び止められ、しばしの閑談となった。会長は、体格のがっしりした人で、その当時50歳代。見たところ、ざっくばらんで大らかな感じ。「コンピュータ屋か。ちょっと聞くが、コンピュータで人が何時死ぬかわからんのか。」というぶしつけな質問があった。当時、まだコンピュータはすごいもんで何でも出来ると思い込む人も、特に年配者に多く、「また、そんな質問して」と思いながら、頭で、さすが業界、すごい発想とも思った。何故なら、これが前もって判れば仕事の段取りの計画性が取れる。「月の満ち引きで人の誕生や死期も判るともいいますから」とか応えたと思う。この後、社長の奥さんが出てこられ、主人の会長に対して「鼻くそをほじくるのが悪い癖」とか笑いながら言ってたが、会長は聞き流していた。以降、何回かお顔は拝見したが、話をしたことは無かった。
 それから、何ヶ月か経って、この会社の業務を受注した後のこと。社長宛のお歳暮を贈ろうと自宅住所を総務部長に問ったところ、「それは言わん事にしとる」との弁。いろいろ事情があるのだろうと思ったが、この総務部長、実は、戦時中、人間魚雷の特攻の生き残りと自称し、それを聞いてほーと大いに感嘆した。この時、部長より内緒で、住所を公開しない理由や会社の歴史、会長が誰かを聞かされた。ここでは、大部分は語れないが、なんとその人物は、東映映画「仁義なき戦い」の菅原文太のモデルになった人物ではないか。当時として、小生は、この映画を見た訳でもなく、会長が、7年間の服役中に、700枚の手記を執筆し、それを元に連載した週間サンケイを読んだ訳でもなく、名前だけ知っていたくらいで、感動もいまひとつ薄かったが、後に、映画を見たり、その当時の記事を読んだりして、初めて、この出会いの凄さに感動してしまった。
 営業というもの、いろんなことが起こり、また様々な人物と出会う。今、何年もの時を経て、ああこんな人がいたなとか、その態度ありかとか、今となっては懐かしい。大事なのは、そういう出会いから、何かを掴んで自分のステップアップとする。そういう意味で、営業は、数字達成は厳しいが、人との出会いは、いろいろな発見があって大変楽しいものではある。

 なお、この時の会長さんは、平成22年(2010年)3月17日、83歳でご逝去されました。                                                    合掌



入門編 31.貴重な体験(3)

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