いよいよ城山です。城山から眺める岩国市は俯瞰のごとく映じます。
西山から錦川に反射する日影は、日暮れ前のお浄土を幻想します。
淡々と時間は,無常と流れ響きます。錦川を西へ西へと続く道は、
本郷村に至ります。
また、石見の国に続きます。戦前父は、学校を出て、昭和の大不況の中、
大阪のクラブ化粧品に就職しました。させていただきました。
錦町高根の三浦耕作氏のお力によるものでした。
広島高等師範の学生であった三浦耕作氏を父の家「料亭東京楼」で下宿・
私の祖母サオがお手伝いしたご縁によることで、耕作氏が母サオを
「信夫を頼む」の一筆で、当時クラブ化粧品の総務部長耕作氏が採用の
便宜を図って下さった次第です。
ちなみに、社長中山太一氏は、山口県の豊浦郡の出です。
私は、小さな田舎の公立大学「下関市立大学」に四年間お世話になりました。
山陰線で、豊浦から通学していた「窪井君」がいました。今も年賀状を
交換しています。彼は、大手都市銀行に奉職しましたが,私は、父母の
後始末をすることが長男の第一義的に為す勤めと思い、
下関市立大学を去りました。
一切後悔なしです。
ただ、ご恩の連鎖を思いしらされます。
車道から岩国城を眺める
下関市では幡生本町12−13の今井瞭先生宅(下宿先今井旅館主人)
です。
下関市田中町の安部節子さんに、お世話になりました。ご恩の数々で
す。私の父の檀那寺は「順広寺」、保育園は「知恩保育園」です。
冷たい布団に臥し一夜夢をみた懐かしい人々の思い出 ご恩の連珠
です。
残りの人生、息とまるまで、ご恩の道のりをお遍路させてください。
南無阿弥陀佛 合掌