T E N K A I へ
〜生きる目標、そして家族の存在 (父と娘のメール)〜
3月13日
娘から父へのメール1
2006年3月13日月曜日5時45分に男児が生まれました。
3月15日
娘から父へのメール2
名前は天佑です。
4月21日
娘から父へのメール3
今朝、お母さん(名古屋に来ている)と添い寝してました。
六月十日
娘から父へのメール4
Happy Birthday
お誕生日おめでとうございます(^0^)/今年のポロシャツは流行りのピンクにしてみました。淡い色だから着やすいかなっ。クールビズでポロシャツ!
天佑は体重5700g身長60pと大きくなりました。抱っこは重たいよ!
お母さんはどうよ?
落ち着いた頃に天佑と帰省したいと思っています。よろしくお願いしますm(._.)m
父から娘へのメール1
ありがとう、歳はとりたくないものです。
とうとう次は大台の70代になりますが、ローンが終わるまでは頑張って生きなくてはなりません。いつどうなるやら分かりませんが、ボートをフルに乗りまわし、幸恵と松山まで航海したい。また仕事も後悔しないように、入所者のために頑張っていきます。今日の天佑を見て、幸代が小さい時、銀座の歩行者天国で「可愛いいから写真を撮らせてもらってもいいですか?」と外人から声をかけられ、写真を撮ったのを思いだしました。今、幸恵が「恐ろしいのに、ボートには乗らんよ」と言っています。子供は宝だから大事に育てて下さい。
父より
七月六日
父から娘へのメール2
幸恵の病状報告
恵は今日10時に市民病院に入院しました。今年退職した事務員のHさんがステージV大腸を手術して入院しているから、幸恵のことを頼もうとしたら入院受付でバッタリ会い、「今退院しました」と言って嬉しそうな顔が印象的でした。
コッチは今から入院して明日がどうなるか分からない身なのに。Hさんは2回目の手術でした。「せめてHさんのようになればいいのに」と思っています。すべての検査が終了して今後の治療方針を本人と家族と相談して決めるそうです。明日、頭の腫瘍を皮膚科で診察する予定です。結果は来週になるでしょう。
幸恵の病気は、良い病気でないことはホームページで分かっているとは思うが・・・。
今8時45分電話が幸恵からありました。頭の腫瘍は治るから皮膚科の受診はしなくてもよいとのことです。しかし足の骨に異常が見られるので抗がん剤を使用し6ヶ月間治療が必要だそうです。放射線治療は1ヶ月で、幸恵が「それで治りますか」と聞くと「100%治るとは言いきれませんが」との医師の報告があり明日午後4時に説明があるそうです。やれやれ少し安心したよ。
娘から父へのメール5
ちゃんと夕飯食べてる?今日は母が作って行ってるか。ごはんかたよらずに食べるんだよ。あんまり人のこと言えないけどね(-.-;)。天佑はお昼からずーっとひとりでお話してました。いったい誰と話しているんだろう?今日一日ご機嫌でした。これからぐずぐずちゃんになるのかなっ。
父から娘へのメール(続き)
食堂の夕飯を食べています。コロがいつも6時半に起こすから結構役に立ちます。天佑は小さいのにしっかりしとるのう。
父より。
七月七日
娘から父へのメール6
明日、広島に帰ります。お母さんうちにいるし…。天佑は病院にいけないから。で、海の日はなしということで。深川でいいよ。亀崎行くのめんどうだから。ベビーベット持ってきてもらえたら。智も帰るそうなんで、私が寝る折りたたみベットも持ってきてね。智が帰ってから運べばいいから。智は夕方ごろに着くみたいです。私はお昼ごろ着くと思います。
父から娘へのメール3
幸恵の病状報告
幸恵は動くことが嫌いになり、幸代がすべて食事の準備をすることになります。昼は深川におって夕方から亀崎に行きます。智も広島に永住したい気持ちみたいです。ばあちゃんは天佑の顔が見たいと思っているそうですが、もう遅いので電話をかけることができません。明日電話をしてみるそうです。気をつけて帰ってください。
父より
幸代・天佑広島滞在(7月8日〜10日)
七月九日
七月十日
父から娘へのメール4
幸恵の病状報告
肉ジャガを美味しくいただきキュウリの酢物もうまいです。コロは幸恵がいつも坐っている台所を見ています。巨悪な事件ばかり起きている日本になっていますが、心優しい子供に成長してくれてありがとう。これも幸恵のおかげです。これからも兄と相談しながら精神的ケアに専念していきます。リンパ腫はうまくいくと完治まではいかなくてもよくなる可能性があると聞いているので、精一杯がんばりますから安心してまかせて下さい。今、智から電話がありました。「どこに電話もしても出ないから」とのことでした。
今日病室をトイレの近くに変わったことを伝えました。すぐ電話してみるそうです。厳しいですが現実を認めながら生きていくことが大切です。今、内線で「今日来たばっかりの実習生がコンビニに行って帰ってこない」と連絡があり、学校に連絡したら「いつもあんな態度をとるので、そのままにしておいて欲しい」とのことでした。介護福祉士も、ろくでもない者がいっぱい育っています。研修が終わった段階で、「認知症でも優しい介護ができる介護士になってください」と送りだしていますが・・・残念です。
ビールを2本飲みました。いまから風呂に入ってもう1本飲んで寝ます。
娘から父へのメール7
お世話になりました。食事はちゃんと食べるんだよ。少食なんだから片寄らないように。父が弱ったらいけんけぇね。弱りそうになったらいつでも行くけー連絡下さい。天佑だけで身軽じゃけー(母乳だから)。功くんも協力してくれるので。お花は赤とかオレンジなど明るい色で。花粉が落ちない花で、花粉が飛び散るといけないから。母ははっきりした色が好きだよ。お花屋さんにそういったら選んでくれるよ。2、3千円で十分買えると…。天佑は乗ったとたん寝てます!(-.-)Zzz
父から娘へのメール(続き)
天佑は宝ですからね。功くんにも迷惑かけていますが宜しく伝えてください。
父より
七月十一日
父から娘へのメール5
今日から抗がん剤の化学療法と放射線療法の治療が始まると思ったら2分間の放射療法と水分補給の点滴が6時間ありました。右足に浮腫が見られますが比較的元気です。今日から両方の治療がはじまります。抗がん剤をうったら30分間副作用がでない薬を投与するそうです。「あまり心配しないで下さい。
」と薬剤師が言っていました。
娘から父へのメール8
今まではおもちゃ持つだけだったけど、初めて口に入りました。偶然だけどね。
今日はすぐ抱っこしてもらえるかとぐずぐず言ったけど、夕方には私だけとわかったのかあまり言わなくなりました。よくできた子だ!
父から娘へのメール(続き)
天佑はものわかりのいい子ですね将来日本を背負っていく子です。
父より
七月十二日
父から娘へのメール6
幸恵の病状報告
午前中放射線治療をし、その後今日から初めて抗がん剤と副作用防止の連続点滴開始、終了は日曜日の午前中です。3時に行ってみると鼻の腫瘍が小さくなっており横から見たら腫れがわからなくなっていました。7時に電話したら、6時40分に鼻血がでて、せっかくフジで買ったパジャマがだいなしになったそうです。「鼻血が止まっとるんならエエよ」と言って電話を切りました。8時に電話があり、その後耳鼻科に行き最初にリンパ腫と言ったO先生に受診したら「腫瘍が放射線によって穴があいたんでしょう。これも稀です。」と言われたそうです。大きな病院ですぐに耳鼻科にいって治療できたのはもうけもんでした。
娘から父へのメール9
横顔も凛々しいよね。
今日は保健所に検診に行ってきました。体重6420g身長61pと発育順調とお墨付きいただきました。抱っこ時の反り返りも異常反射じゃなく大丈夫とのことでした。SIDS(優芽の)についてもいろいろ聞いて、対応策も教わりました。まぁこれは原因不明のものだからこれっというものはないけど、統計的なものがいくつかあるみたいなので。
行きはタクシーで帰りは歩きで疲れた!今日は特に蒸し暑いよー
父から娘へのメール(続き)
すくすくと育つ天佑はエエのう、体を大切にして健康が一番よ
智にも心配しないように報告して下さい。メールがくれば同じものがおくれますが
父より
七月十三日
父から娘へのメール
幸恵の病状報告
生あれば死がある、これだけは認めなければいけません。親としての義務はツバメのように夫婦で卵を抱きそして夫婦でエサを与え、飛び立つと自分でエサを捕ることを教え、あとは自立して生きていくことを教えています。幸恵が家にいるときは日々大きくなっていく腫瘍を見ながら、「早く治療せんかい。手遅れになるじゃあないか」と心配でたまらず朝、幸恵が起きた時に顔を見るのが辛かった日々でした。また早く正確な病名を知り最善の治療をしてもらいたいと心に思いつつ過ごしてきましたが、今日見ると鼻の上の腫瘍は500円玉ぐらいの大きさで紫色のアザになっています。普通の顔になりました。点滴の仕方が変わりました。ラインの中間にポンプをつけて血管に薬剤を注入しています。自然の高さの圧力で注入できないのかと不安ですが薬剤がねばっこいから仕方がないのでしょう。昨日兄が市民病院の院長に会ったとき「幸恵のことをよく知っているので驚いた」とのことです。「会議でもしているのかのう」といっていました。これから副作用がでるので無菌室の部屋に入らなければいけんが市民病院にそんな部屋があるんかのう、大学病院に移すのかのう、まあ院長が「考えています」と言っていたからまかせることにしました。
娘から父へのメール10
医師がうつぶせにしたほうがいいと言うのでやってみました。だけどあんまり好きじゃないみたい。昨日、保健所に行ったときもう寝返りできる子いたよ。天佑と1,2週間しかかわらないのにね。でもまだ寝返りはしてほしくないなぁ…。危険が増えるしね。
なんか寝返りしそうだよね。でもこれ以上は手が口に入ったまんまなのでうつぶせになれず、あおむけに戻っちゃいます。
食べなかった冷蔵庫の中のものちゃんとすてるんだよ。カビとかはえたら不衛生で食中毒になっちゃうよ。生ゴミもちゃんと処分しないとゴキちゃんがうろうろするから。
父から娘へのメール(続き)
チャントしています。
三面鏡のある部屋を綺麗にしています。土木専門の本も捨てました。今更土木には帰れないし、年だし技術も変わり「もしかしたら高く買う人がおるかも」と幸恵に言ったら「その歳で有名になることはないと思うよ」
父より
七月十四日
父から娘へのメール8
幸恵の病状報告
行って見たらポンプをはずしていました。下着を汚した理由は、検尿のときラインにひっかかったからだそうです。「ポンプをつけたら点滴棒が重たいし、移動がスムーズにできないし、トイレは狭いし」と怒っていました。兄に聞くと予定時間内に正確に送るため使用するそうです。20分置きぐらいにトイレに通っています。「まあ利尿剤の点滴を打っているから体内の老廃物がでてエエじゃないか」「そうよネ尿の色も透明じゃし」午前中、ばあちゃんが見舞いに持ってきたバスタオルを出したり入れたり、広げてみたりたたんでみたりしていました。「なんで同じ行動しとるんか」「しとりゃせんよ。母が持ってきたバスタオルの犬が可愛いから」
「ジャガイモのまるごとの煮物に塩とバターをつけて食べたいから」と言ったら「まるごとなら皮をむいだら美味しくないけぇ、三十分間は煮ないと」と教えてくれました。生まれて初めてジャガイモを煮て塩とバターをつけてたべたら美味いです。
娘から父へのメール11
昨日までの経過報告は私からメールしときました。
天佑は相変わらず、指4本口に入れながら一生懸命フンガフンガ話してます。
いつもはあまり好きじゃない果汁(りんご)を哺乳瓶でゴクゴク飲みました。今日は暑いからのどかわいてたのかなぁ…。
父から娘へのメール(続き)
いままでどおりに智に報告して下さい。緊急のときはこちらからします。
日毎に成長する天佑は素晴らしいのう
父より
七月十五日
父から娘へのメール9
幸恵の病状報告
点滴の終了は日曜日の予定だったのが今日で終了しました。一見変わりない様子、しかし夕方吐き気をもよおしたらしく、午後4時15分嘔吐2回する。洗面台なので水を溜めていっきに流し排水のつまりをなおしていたら看護師が、「どうかされましたか」と見に来て「吐き気があるのなら吐き止めの点滴がでていますからしましょう」と点滴をし、30分間で終わりました。「あまり食欲がないのでゼリーとプリン1個ずつ買ってきて欲しい。」との訴えがあり届けて、家にコロがいるので5時半に帰りました。そして7時に電話すると夕食はギョウザがでたので食べていないとのこと。じわじわと副作用がきている様子です。しょうがない、副作用がでるのは分かっているのだから、今は日本の医療を信じて治療に専念するしかありません。昨日病院から帰ってみると職員が「マムシがでるので危険防止の柵をしたいのですが、どこからすればいいですか。」と聞いてきた、「ばかったれ、祭りがあるから柵をするとは平素はどうしとるんか、おお馬鹿たれ」と言うことで今朝5時に目がさめ幼稚園のグランドの草刈をしました。
娘から父へのメール12
今朝4時ごろから、手を口に入れたままひとりでフンガフンガお話してました。早すぎ!ねむいよ。まだ一回しか寝返りできてないけど…まぁまだできないと思うけど、うつぶせから仰向けに戻れないから泣くだろうけど、心配だから寝返り防止クッションしました。気がついたら、半分横向きになったまま寝てました。おとついから、横に向きになり寝返えろうとするけど、できなくて怒っているんだよね。仰向けにはもどれるんだけど。寝返りもうすぐできるようになるだろうね。成長早いね。
父から娘へのメール(続き)
天佑もハイハイがしたいのでしょう手は離しても目は離さないように育てて下さい。
父より
七月十六日
父から娘へのメール10
幸恵の病状報告
電話をすると「食べてない」と言うので美味しいプリンとゼリーを買って早めに行きました。ゼリーを食べて1時間して嘔吐し又嘔吐しましたが夜は胆汁みたいな酸っぱいものを吐いたそうです。吐くものがあるから苦しくないのだ、から好きなものや水を飲むようにすすめています。右目の上に黒いものが飛んでいるようで左手で追い払っています。「ガンタイをしたらどうか」「ええよ、うっとうしいから」どうやら予測していた白内障になりつつ、すすんで右目が失明する恐れがでてきました。「白内障は手術すれば治るよ」「年をとっての白内障は治るかもしれんが放射線だから駄目よ」便秘で看護師が気をもんでいますが本人は、「環境がかわり便器も汚れていたから気持ち悪くなって」と言っています。病院のトイレは狭いですね。点滴を持ち歩く時代になったのだから全部のトイレは身障者用のトイレの広さが必要です。嬉しかったことは「洗濯物に太陽の匂がする」言ったので行く前に外に干したら3分後に雨が降りだしたので慌てておさめました。太陽の匂はいいものです。
娘から父へのメール13
今日、母のバジャマ・パンツ・ゼリー(常温で長く保存可)を送りました。明日午前中に届くと思います。ニット帽も買ったんだけど入れるの忘れたから、後日送ります。ニット帽はみんなが試着してるから洗っといたのですぐに使用できます。海に行った?名古屋は昼からすごい雨です。バケツをひっくり返したような!雷も。ついでに地震も。震度2でしたが。
午前中、私は美容院に行ったから天佑は功くんにまかせて行ったんだけど、ビービー泣いてたみたいです。やっぱりママがいいのかしら!?帰ってきたときは、ご機嫌でしたが。だいぶんうつぶせが上手になりました。だいぶんうつぶせが上手くなりました。
父から娘へのメール(続き)
天佑も太陽一杯浴びてスクスク育ってすますね。家族円満が一番大切です。幸恵も一人で料理番組を見ても面白くないことがよくわかり、「ヤアヤア言われて見ていたほうがよかった」
そして「幸代に変なことを言って乳がでんようになったらどうするんね」と言っていました。
父より
七月十七日
父から娘へのメール11
幸恵の病状報告
今日の幸恵は元気そうだった。午前中便秘で浣腸をしてもらってトイレで気分が悪くなり、車椅子で病室に戻どりました。ベットに横になり少し気分がよくなったから口内炎予防のためうがいをしているとき、手に持っていた陶器のコップを落し割ってしまいました。「幸いにも怪我をしなかったからよかったものの、もし怪我でもしたら白血球が少なくなっている時だから新たな病気になったら大変だ」と言うと「大丈夫よ。破片もないし片付けてよ」平気な顔をして言っていました。体に異常を感じると血圧が下がるらしいが体の体調でなく、イメージ体調で心理的に作用されているみたいです。血の採決をするときもジートと見つめています。「後から気分が悪くなるので採決中は見るな。」と言っても「何をされるかチャント見なきゃあ」と言っていました。まあ出るもんも出たことだし、お祝いに大サービスで3,510円の盛り花を売店で買いました。駐車場のおじさんが通い続けているせいか「お帰りなさい、どちらまでですか?」と聞くので、「安佐北区ですよ」と答えた。それより駐車時間を減らして安くしてくれればエエのに。時がいろいろと環境を変えてくれますね。
娘から父へのメール14
今日は朝からぐずぐずちゃんでした。功くんもいるから、甘えてるのかなぁ。でも功くんは寝てる(-_-)zzz
父から娘へのメール(続き)
天佑も寝返りの壁にぶっかったようですね。時が解決しますよ
父より
七月十八日
父から娘へのメール12
幸恵の病状報告
今日、病院に行ってびっくりしました。「面会謝絶 院長」の表示が。おそるおそるドアをひらいたら幸恵がベットに横になっており、「どうしたんや?」「どうもせんよ、看護師が「面会謝絶の警告をだしておきますか?」と尋ねるので、とうさんがどんな態度をするか見たかっただけで」「ばあちゃんが見るとワシどころでないで」「腰を抜かすかね」ちょっと調子がよくなったらこんなことです。しかし安心はできません。合併症が今からやってくるのだから今日は放射線治療のみでした。鼻の上の腫瘍もなくなり放射線技師も「腫れが随分ひきましたね。」と驚いた様子だったそうです。幸恵がばあちゃんに最初に報告するとき「私が面倒をみなければならないのにゴメンネ」と言いました。そして医師に「治療したら治りますか?」と聞いたら「100%と治るとは言いきれませんが・・・。」と聞いたので嬉しくなってワシは、ばあちゃんのところへ電話をしました。「インターネットで絶対絶命と思っていましたがナンパーセントかもしれないが医師の言葉で希望が燃え、「なんとかせにゃ・・・・。」それには本人の意思を最優先し普段と変わりなく接触し、施設では「ワシが施設長だからしっかりせんと、入所者には迷惑かけてはいけない」と自分自身の心に言い聞かせています。「ワシがフジで買ったパジャマを着ていたら鼻血が出たり、浣腸して気分が悪くなったので持って帰れ」とのことです。実妹や、ばあちゃんや幸代に送ってもらったパジャマが気にいったのでしょう」
娘から父へのメール15
3日後ぐらいに郵便でニット帽が届くと思うので、必要になったら使って下さい。お花持って行くだけでなく、世話もするんだよ。水替えや枯れた花は取り除くとか。経過報告は母には内緒でメール下さい。やっぱりよくない症状でも毎日聞かないでいるとよけい心配なので。しょうがないよ病気になっちゃったんだから…。私も母にはわからないようにします。私はいたって元気だし、まだ若い!天佑も。功くんもいるので心配しないで下さい。
父から娘へのメール(続き)
コロの耳の毛をといだらバサッと抜けましたが、気持ちよさそうに寝て髪の毛をといでいます。 3日後ぐらいに郵便でニット帽が届くと思うので、必要になったら使って下さい。お花持って行くだけでなく、世話もするんだよ。水替えや枯れた花は取り除くとか。ニット帽はまだ早いようですが運動不足なるのでできるだけ動かすようにします。天佑の笑顔がエエのう心豊かにそだてよ
父より
七月十九日
父から娘へのメール13
幸恵の病状報告
病室の鍵がかかっているので放射線治療だと思ってエレベーターに乗り、1階に下りたらマスクをした幸恵がたっていた、すぐにとんぼかえりで病室にもどった。主治医の説明で「段々と白血球が少なくなるから気をつけて下さい」と言われたのでマスクをしたそうです。「パジャマ姿でウロウロしているものはいないだろう」「いるよ、おじいさんばっかりかな」「明日シャワーを浴びる許可がでたから」「なんでや」「さっきIVHをはずしたから」傷口からの感染症を防ぐためらしいが「バンドエイドでも貼って入れよ」と言っておきました。明日からは無菌室の状態になる環境を整えていきたいと思っています。鏡台がある部屋は今日カーテン屋がきて10日後にできるそうで、コロの小屋は移動ができるようにして掃除機がかけやすい状態になりました。掃除機をかけるとコロは喜んでいます。湿気が多いせいか洗濯物が一部乾いていないのでコタツをだして乾かせましたが、すぐに乾燥機の手配をして明日きます。
娘から父へのメール16
自分の姿を鏡見て微笑むんだよ。最近、よく乳を飲みます。動く分お腹がすくのでしょうか。うんちの回数も増えたような。男の子はよく飲むっていうから。天佑はよく飲みよく寝るから、大きくなりそうです。だけど神経質なかんじです。寝つき始めは物音ですぐ起きちゃうから。繊細なところは私に似たのかなぁっ!?
父から娘へのメール(続き)
天佑は日々成長していくのう、ワシはボケていくばっかりじゃのにのう、ボケる暇はないで智の結婚と幸恵の回復するまではのう
父より
七月二十日
父から娘へのメール14
幸恵の病状報告
久し振りに幸恵から電話がかかってきた。最初は携帯電話に2回しても出ないから自宅の電話をかけてきた。どうせ宣伝の電話だからと思って出るつもりはなかったが、「もしかして、ばあちゃんからの電話だ」と思って受話器をとったら幸恵だった「携帯電話にしてもでないから自宅にしました。シャワーを浴びたいので、もし貴方の許可なく浴びて倒れたら大変だから。何時にくるの」すぐ行くよ。2時半までには。朝血液の採決がありその後主治医の回診の時の話しでは「白血球が少なくなりはじめたので、白血球の増進の注射をしましよう。」と言われて静脈注射をしました。その後、大量の便がでて胸から腹まで気持ち悪かったのがスッキリとしたそうです。体重は3キロ痩せて42キロになりましたが今まで半分しか食べていないからそうなったのでしょう。今は食欲があるから「食べられるとき食べておかにゃ。今からシャワーを浴びるから。気分が悪くなって倒れたらいけないから、ついてきて」シャワーを浴びているあいだ廊下で待っていました。
午前中に兄と「白血球が少なくなり無菌室の部屋が欲しい」と相談した結果、「数値は医師が把握しているから任そう」と結論をだしました。今日、広島県で2番目の県立病院のガン専門医療科の開所式があり県医師会長として祝辞を述べる文章には「摘出手術と放射線でガン治療にあたっていましたが、今後抗がん剤の化学治療が主力になるでしょう」と書いていました。実績が徐々にあがってきている化学治療方法に望みたいものです。今日は枝のついた傘は忘れるし、駐車場の駐車券を落とすし、田舎のネズミが都会にきたようでした。朝10時に乾燥機がきたから早速洗い物を乾燥機にかけて持って行ったら「やっぱり乾燥機ね、フワフワしていいね」これからは、ワシは楽になります。
娘から父へのメール17
今日は朝から大変でした。トイレ詰まって。工賃高いよね。汚い仕事だからしかたないかもしれないけど。母に実況中継のようにメールしてたんだけど聞いた?だからか天佑、今日はあまりお昼寝できなかったみたいです。ぐずぐずいってたから、ずーっと抱っこしてました。癒されるでしょ?
父から娘へのメール(続き)
いい写真を撮るネ。天佑は七変化で役者じゃのう。
父より
七月二十一日
父から娘へのメール15
幸恵の病状報告
今日の幸恵は横になることもなく、体がだるいだけで熱も36度9分で水枕を使用していなかった。朝、白血球が増える注射をしただけで食欲もあったそうです。白血球が少なくなると腰の痛みや胸の痛みがくるそうで、いまのところ大丈夫、放射線治療が夕方ありました。一緒に地下2階にある放射線治療室に行ったら、病院内の位置図を把握しており患者の少ない又、面会者の少ない通路を選び感心しました。「もし私が倒れた時は誰が助けてくれるのか」と心配していたが30秒置きには医師や看護師が歩いているので心配はありません。
放射線治療の主治医の話しでは「よく腫れがひいていますね。」と言って口内炎があるかどうか口の中を調べたらしいです。「喉が乾いて仕方がありません」と訴えたら「放射線にあたると唾液の分泌物が少なくなるので十分水分を取ってください」とのこと。シャワーをあびて満足そうな1日でした。
我が家にはハネ蟻が大量に発生して、ガラスが真っ黒になったのでコロのションベンタイムがくる前に、殺虫剤を撒いて部屋に蟻がはいらないようにしました。
娘から父へのメール18
うつぶせの姿勢がだいぶん上手になりました。よだれダラダラだけどね。まだ寝返りはできないけど。功くんが風邪(昨夜は隔離されて寝てました)でお風呂に入れれなかったから、私が入れたので大変でした。洗面台だけどね。
父から娘へのメール(続き)
1日いちにちを大切して天佑の写真をみると希望あふれる日々にしたいものです。あまり無理をするなヨ
父より
七月二十二日
父から娘へのメール16
幸恵の病状報告
今日の幸恵は今までのなかで一番元気だったような気がする。行くとすぐに「時間がないからシャワーを浴びてくるから」タオルと下着を持って病室から出て行った。病院生活にもなれたのか熱もなく今日も便がでて便秘も解消された様子であるが、朝、胸が苦しくなったので看護師を呼び心電図をとったら異常がなかったとのこと。朝、採血した白血球の数値の結果がわからなく今日の治療は心電図のみであった。コロのことを言ったら「私がいなくなったからか毎日する掃除機を見て元の飼い主を思いだし、ストレスを感じたのかもしれんね」コロ事件が起きたらすぐに行動で判断せず深呼吸するなどし、時間が経って落ち着いて冷静に考えなくてはいけませんね。幸代のほうが冷静に判断して行動するから安心しました。
娘から父へのメール19
あれからコロくんはどう、大丈夫?
今日は久しぶりに天気になったからシーツとか大きいものを洗いました。たまには布団とか干すんだよ。まだ梅雨空けないから湿気が多いからダメだけどね。
天佑だったらアップでもかわいいよね。
父から娘へのメール(続き)
天佑の顔は百万ドルです。
父より
七月二十三日
父から娘へのメール17
幸恵の病状報告
今日も比較的元気でベットに横になることが少ないので、横になって休むように言った。「両足の腫れもひいたし手足の痛みもなくなったし、治ったのかしら。もしペットCTを受けてなかったら、放射線の治療で鼻の上の腫れがひいたら今頃、家におるよネ」「まあ癌になったことを知らずに死んでいく人はいっぱいおるじゃろうてえ。良かったのか悪かったのかよう分からんよ」抗がん剤の治療をはじめて尿量の検査が毎日あったのを今日知った。腎臓の働きを調べているのか?老廃物を体外にださなければいけないと聞いていたが。「尿はどんな色か?」と聞くと「他の人の尿より綺麗で濁ってないよ」それを聞いたら安心した。
娘から父へのメール20
コロくんは完全復活した?天佑は昨夜は5時半に寝て(途中で二回授乳で起きたけど)朝6時半に起き、早寝早起きです。だけどせっかくの休みだからもう少しゆっくり寝たかった…。まぁしかたないね。両手を思いっきり食べてるでしょ!
父から娘へのメール(続き)
今日もシャワーを浴びたよ。天佑は坐位を保つことができるようになったのか?あせらず天佑のペースで育てることが大切と思うが・・・。
コロは昨日まで後ろ足が悪かったが今日の夕方は前足が悪い、一過性脳溢血になったのかのう。獣医が「犬も人間と同じで家の薬で体重にあわせて飲ませればエエですよ」
父より
七月二十四日
父から娘へのメール18
幸恵の病状報告
今日もあまり変化はないが入院生活に飽きたのか「8月5日には退院するから、もう悪いところないし、自分の体は人に左右されたくないし、第二クールまで治療を受けなくては失礼かね」と言っていました。朝、採血され白血球が少なくなっているので皮下注射をしました。そして放射線治療をしています。腫れたときの顔の仮面を今でも使い続け、腫れがひいて誰が見ても顔の形が違っているのに、新しい仮面を作らず治療しているのに疑問が残ります。患部にピンポイントに放射線をあたえ他にあたらない為の仮面だったはずだのに、ええかげんなもんよ。
今日の失敗
<その1>
振りこみカードをいれるがすぐに戻り「窓口でして下さい」窓口に行くと「カードを新規にして下さい」と言う。それならエエや、と言うと行員がでてきて、「お客さま言う通りにして下さい。画面の表示の振り込みボタンを押してください次は金額を入力してください」とのことで振り込みか払い出しかを指示しないからいけなかったらしい。
<その2>
「レシートは必ず取ってください」と言って行員が去ったが忘れてレシートをとらなかったらATMがとまったらしい。
<その3>
しずくが落ちないようにと思って病院の傘立てのビニールに傘をさして抜こうとしたら取れず通行人の邪魔になった。よく見ると「故障していますので手でビニールを取って下さい」と書いてあった。
<その4>
いつも胸ポケットに入れる駐車券の回数券を他のポケットに入れていていて大騒ぎ。
<その5>
ビールを顔を上に向けて飲んだら器官に入って咳がでて止まらず、一人なので自分で背中を叩いたらどうやら出たみたいである。コロは知らん顔してそばで寝ている。
娘から父へのメール21
コロくんはよくなった?
天佑はまだまだ座位どころか寝返りもできません。膝の上に座るのが好きで、やっぱり視野が広がるからかなぁ。抱っこは歩かなきゃあいけないから、重いので大変です。まぁかわいいからやっちゃうけどね(^0^)/。この写真はちょっと悪ぶって撮ってみました。手が口に入っているのに、さらにおもちゃを口に入れたいけど、入らないから怒ってます。
父から娘へのメール(続き)
天佑も大人になったのう。同一人物が娘から婆に演じるがその通りじゃのう。
父より
七月二十五日
父から娘へのメール19
幸恵の病状報告
今日は夜、施設のビアガーデーンなので早く病院に行ったらベットに腰をかけてテレビを観ていた。白血球の皮下注射と放射線治療をした。白血球が普通の人の半分になっているらしいが皮下注射をすれば2日で正常値に戻っているらしい。感染症には十分警戒しなければ。「足や手の痛みがなくなったからもう治療をしなくてもエエのじゃないか」たしかに放射線治療と抗がん剤でよくなったと思うが、データーでは厳しい報告があるので油断も出来ず1日1日を大切していかなければならない。今晩ビアガーデーンで「酒よ」を歌って1番、2番までよかったが3番目に幸恵のことを思い出すと声が出なくなり、会場の皆が歌ってしまった。今日まで施設長だから「頑張っていかなきゃ」と思っていたのに残念でした。「頑張れ!」の声がひたすらに心にしみて、悲しくなって声がでなくなりました。愚痴ばかりになった今日でしたが、Sさんが万歳三唱のとき「皆元気に過ごしましょう」と言って、しめくったのが嬉しかったです。コロも部下が入院して、はけ口がなくなってストレスを感じているようです。
娘から父へのメール22
治療一サイクルで止めちゃうの?一回で良くなるとは思えないが…。
最近、天佑はそばにいなくなるとすぐ泣いちゃいます。隣にずーっと座っていないといけないわけじゃないけど、周りをうろうろしていて視野に入ればいいんだけどね。さびしんぼちゃんです。優芽のときはそんなことなかったんだけどね。白い服を着てるとき写真撮るとかわいいショットが撮れるんだよね。赤ちゃんは白が似合う?!
父から娘へのメール(続き)
天佑も親の行動をさっしているのでしょう。できるだけ天佑に心配かけないように努力して、普段着の母親になってください。
父より
七月二十六日
父から娘へのメール20
幸恵の病状報告
今日珍しく幸恵から携帯電話をかけてきたが、あいにく携帯電話を持っていなかったので通じなかった。電話するとビアガーデーンで二日酔いになっているのか心配でかけたらしい。今日も元気そうだった。幸恵がシャワーを浴びているうちに先生の回診があった。「奇跡は、おこりませんか?」と聞くと「奥さんの副作用は軽かったですね、3週間目に病気の評価をしたいと思っています」とのことでした。
夜間のどが乾いたり小便に行ったりするがすぐに眠りにつくらしい。朝髪の毛が少し抜けたらしいが床にも少々おちていた。2日おきに血液検査するが今日はその日で採血した。明日、白血球が少なくなっていなければエエのにのう、そうすれば予定どおりの回復にむかっているのだがのう
娘から父へのメール23
今日は暑いね。お父さんの体調はどう?慣れないことしてるからバテないように気をつけてね。
天佑は口にものや手を入れるのが大好きみたいです。へんなもの入れないように気をつけなきゃ。小さいぬいぐるみはヨダレだらけです。
父から娘へのメール(続き)
タバコの吸殻に気をつけんと智が食べたからのう。すぐに手をいれて吐き出したがその後牛乳を飲ましたが。
父より
七月二十七日
父から娘へのメール21
幸恵の病状報告
昨日、採血した結果は分からないが白血球の皮下注射がないのでもとに戻ったのかもしれない。髪の毛の抜ける量が昨日から多くなってきた。兄と話しているうちに髪の毛が抜ける話題になり「もう幸代から送ってきているから。」「準備が早いのうハッハハ」ばあちゃんにも病院から経過報告した「今日が一番悪くなる日だけど副作用も軽く今から白血球も自力で増えていくから。」「感染症が恐ろしいから、よう病院にいけんのんよ。少し安心したから治療のない土曜日にいくから」とのことでした。幸恵が幸代に報告しとるのかと聞くので「2〜3日後ぐらいに報告している」「心配かけるような報告はしないでよ。」「ワシは正直者だから正確に伝えるよ」気になったのは幸恵の顔が病人の顔に変化しているようであった。ストレスを感じさせないように話題を色々と変えて話すが、帰る時間になると寂しそうにしている。幸恵の病室からは、ワシが通る歩道は丸見えなのに見送りもせず、すぐにカーテンを閉めている。ベランダごしに手を振るのを見ることができるのは、いつのことやら。
娘から父へのメール24
そちらは梅雨明けた?名古屋は来週みたいです。
昨日から天佑は仰向けで足と手をバタバタさして、動くことを覚えました。上方向にとクルクル回れます。移動といっても数十センチだけどね。日々成長だね。
父から娘へのメール(続き)
天佑は元気なのう。手を離しても目は離すなよ。
父より
七月二十八日
父から娘へのメール22
幸恵の病状報告
朝、幸恵から9時40分ごろ電話があり「外泊の許可がでたよ」「おかしいのう来週病気の評価をすると聞いたが、誰が言ったのか。」「研修医が言ったよ。」「研修医の話しでは駄目よ」「外出だけでもいいから、血液検査の数値を持ってきたよ」「兄と相談して行ってから判断するよ」「12時頃、M先生がきて正常値だから外泊してもいいですよ副作用も軽く、薬もあって、よかったのでしょう。来週の水曜日から抗がん剤の治療を始めたいと思っています」と電話があり、それならいいだろう。それにしても少し早いと思うが抗がん剤を薄めたのかな、ばあちゃんの話しでは、「幸恵はいままで点滴などの注射を打ってないから、ききめがはやかったのだろう」そのとおりだと思う。健康診断も何年も血をみるのがいやだからと拒否してきた人物だから。家に帰ると動くなと言っても動きます。流し台に石鹸の泡が浮いています。ワシは洗剤を使うのが面倒なので使わなかったのだが、「殺菌効果があるから」「さすが主婦じゃのう」
娘から父へのメール25
お母さん帰ってきてるんだね。フジに買い物行くって言ってたけど、お父さんが買えるものはお父さんが行くんだよ。食料品売場は特に人多いし今は夏休みだから子供もいっぱいいるだろうし…。まぁ売場まで付き添ってあげんちゃいよ。病人扱いしたらイヤがるだろうけど…ね。
父から娘へのメール(続き)
天佑ばかりに夢中にならず功くんのことも少し考えなくては
父より
娘から父へのメール26
功くんのことはちゃ〜んとやってるよ(^0^)/
幸恵外泊(7月28日~30日)
七月二十九日
父から娘へのメール23
幸恵の病状報告
久し振りの我が家だが、名古屋こうちんのにわとりが愛想く挨拶したらそれに応えて幸恵も「コウコウー」と言って挨拶をした。コロは幸恵が呼びかけても相手にしないが二人が話していると幸恵を吠えている。少しやけているのだろう。今日の幸恵は亀崎で蚊にさされた傷が小さくなっているので白血球が正常値であることを確認し、安心して洗濯をした。白血球が半分になったときは虫さされの跡が一センチ近くの大きさになるので自分の体で数値を把握できるらしい。しかし髪の毛は徐々に抜けている。姉が夕方コロの散歩のとき見舞いをしたいと言うので自宅に行くように話しをする。家にきて腫れがひいて眼がパッチリしているのでびっくりしていた。放射線医師もびっくりしているのだからかなりの効果があったのだろう。来週からの第二クールの治療が楽しみになってきた。
娘から父へのメール27
やっぱり家に母がいるといいよね。コロくんも喜んでいるんじゃない。今日の天佑はひとり遊び(自分の手をおもちゃ代わりにして)をしていていい子です。功くんは天佑より手がかかるような気がします。朝も天佑はカーテンを開けると朝日とともに起きるし、功くんはなかなか(^_^;)・・・天佑って呼んだらハーイって返事するし…。
父から娘へのメール(続き)
家族仲良くしているのが一番じゃけえのう。
父より
七月三十日
父から娘へのメール24
幸恵の病状報告
流し台まわりがピカピカになっていた。物干しには自分のフトンを干している。ワシが幼稚園の遊具や仮設園舎の設置で幼稚園に行っている間に、幸恵は頭を洗ったら髪の毛が抜けたらしく、頭の芋虫ぐらいの大きさになった腫瘍が飛び出す程になっていた。夕方7時頃病室にもどり、紙袋から醤油など取り出して冷蔵庫に入れていた、イソジンの嗽薬まではよかったが洗面台の排水管を掃除する薬剤を取り出すにはびっくりした。頭が気になったのか帽子やネッカチーフをとりだして頭にかぶせている姿はまだ女性なのだろう。「抗がん剤をやめたらまた生えてくるから」毛が抜けることには全く悲観していない様子だ。廊下にでると、看護師が走ってきて「家ではどんな様子でしたか、体のだるさの訴えはなかったですか?」と聞くので「いや普通に生活していたがシャンプーしたら髪の毛が3分の一ぐらいぬけました」と言ったらこの時期には抜けるんですヨ。幸恵の体に負担ならないように床に落ちていく髪の毛の採集の仕方を明日の昼まで考えなくては・・・・・・・・・
娘から父へのメール28
今日は花火がベランダから見えて天佑と見ました。最初はよく見えてなかったみたいだけどフィナーレのたくさん上がったのはわかったみたいです。最近は外景色に興味津々です。動物園とか水族館連れて行くと喜ぶのかなぁ…。まだこの年齢だとわからないかと思ってたけど、最近は今からいろいろ見せてあげないといけないと思う今日このごろです。
父から娘へのメール(続き)
母乳で育つ天佑は母親の心を全部みぬいており、母親の生き方を真似をして育っていくようですね。躾はしなくてもエエ、親がしっかりしていれば。
父より
七月三十一日
父から娘へのメール25
幸恵の病状報告
今朝、幸恵からの携帯電話があったらしいが気がつかなかった。暑いし、耳の遠いい運転手のSさんとわけのKさんとで、幼稚園の棚の引越しをしていて気がつかなかったのだろう。病院に行ってみるといつものようにテレビを観ていた。「すぐにシャワーを浴びてくるから」と言うので「放射線治療がすんでしたらどうか。」「いつになるか分かりもせんのに、すぐに出てくるよ。」しばらくして、ナースから誘いのコールがあった。ワシの言うこときかずに行動を起すから人に迷惑かけて「すぐ行くよ」といいながら顔になんかつけたり髪をといたりしていたら、ナースから「受診は又連絡します」「ほれみいやシャワーを浴びたりしていたら30分かかるけぇ」急いで支度していた。幸恵は自分の見える範囲は抜けた髪の毛をとっていたが、気がつかない背中には髪の毛がいっぱい落ちている。「明日、ガムテープをもってきてとるか、エプロンを持ってこんと洗濯のとき困まるじゃろうてい」と言うことで今後の治療方針が決まりました。外面的には良い結果であるが内面的にはわからないので木曜日はCTを撮って、今後の治療方針を決めるそうだ。予定では原爆投下された翌日の月曜日ごろから抗がん剤の治療を再開始するらしいから、もっとも危険な時期は盆あたりだろう。これをクリアできれば素晴らしい人生を迎えることができるだろう。今週は白血球ものぼり調子でよくなっているから、金曜日に外泊させて土曜日に釣りにいってアジの焼き魚の料理を味わって、日曜日にはメバルの煮魚を食べて活力つけて幸恵とともに治療に挑戦するいきごみでいます。
一人相撲で悩んできたが、幸恵もコロも正常になっているし、天佑がスクスクと育っているから心配ないし、智の両親とのお茶飲み会も盆明けにはできそうで、天佑が広島に来る時期になるかもしれませんがきっとよくなるよ。
娘から父へのメール29
お父さんはちゃんとごはん食べてる?
天佑はだいぶん、背中がしっかりしてきました。今度広島に帰るときは抱っこも楽かもね。寝返りはまだやらず、天佑の発達は教科書(5,6ヵ月)どおりかもね。首が座ったのも4ヵ月だし。早くなくてなによりです。優芽は何をするのも早かったから…。ゆっくりのんびりが1番!!!
父から娘へのメール(続き)
あいかわらず指をしゃぶっているのう。あせらず育てよ。
父より
八月一日
父から娘へのメール26
幸恵の病状報告
食堂の料理を1ヶ月も食べると飽きがきた。何を食べても同じ味だった。なにもかも一緒にして煮こむので、形が変わっただけで味は一緒、まるで缶詰を毎食食べているような気がしました。幸恵は「年よりの料理で食べやすいように歯に優しく胃や腸に負担かからないようにし、できるだけ生物料理をさけ食中毒にならないようにしなければいけないから、仕方がないのじやないか。」と言っていたが、魚は魚の味、肉は肉の味、野菜は野菜の味がしなくては。今日買ってきたチシャがうまかった。1ヶ月してようやく人と話しができる心境になったので、1ヶ月振りに電話をして友人Wに幸恵の状態を言って、土曜日には絶対釣って帰らなけばいけんけえ、一緒に釣りにいくように頼みました。
兄が「もう駄目だろう」と言われたガン患者で漢方薬を飲んだらよくなったから、「幸恵さんも飲んだらどうか」と言うことでN病院で薬をもらって持っていった。主治医に相談して使用するかどうか判断することになるが、併用しても治療には弊害はないようである。薬の特徴は体内の老廃物を外にだすらしい。今日の幸恵はベットに一度も横になることなく対応した。体のだるさもなく、熱もなく調子が良かったんだろう。髪の毛が3分の1になりました。
娘から父へのメール30
今日はなんか機嫌ななめです。なんかずーっと相手してあげないとダメみたい。今日はあまり相手をせず、他ごとしてたからかなぁ。いつも二人生活だったからそれが当たり前になったのかも。お昼から少し散歩に出かけたけど、散歩中のときだけご機嫌でした。やれやれε=( ̄。 ̄ )
父から娘へのメール(続き)
天佑はしっかりした顔でエエのう。歩き出したら色々なところに注文をつけ新しい日本を築くのう。
父より
八月二日
父から娘へのメール27
幸恵の病状報告
いつも民間の駐車場を利用していたが、今日病院の駐車場の前を通ると路上に待機している車が少ないので病院の駐車場を利用することにしたら待つこと10分で駐車できた。割引にするため駐車券を守衛のところに行くと、ワシのことをよく知っているのか「いつもお兄さんにお世話になっています。ハイ無料駐車券です」と言ってもらった。これでいいのか、まあもらったのだからいいや。
今日の採血の結果白血球が2,600にさがっていても自力で回復するらしく皮下注射をしなかった。昨日持っていた漢方薬を主治医のN先生に「主人がもってきたのですが、飲んでもいいですか」「あまりお薦めできませんが。」そのうらには、自分の治療方針に自信があるように聞こえたらしいが「主人の兄に勧められた薬です」と言えばエエのにのう。しょうがない明日CTの検査の結果をみて判断することにした。明日のCT結果が恐ろしいが、幸恵の病気が吹っ飛んだような雷が夜8時に猛烈に30分間鳴り続けた。不思議にコロもいつも残しているエサもきれいに食べた。不思議ないいことが沢山続いたから明日の結果もでるよ。
娘から父へのメール31
今日はずーっと天佑の相手していたので機嫌がいいです。眠たいときはぐずぐずいうけど、こういうときはあまりかまわずに少し離れて見てたほうが寝れるみたいです。夜は隣にいないとダメだけどね。写真はぐずぐずちゃんのときのです。
夕飯同じようなもの飽きちゃうよね。料理してみたら?けっこうお父さんの年になって始める人多いのでは。だけど材料費がかかりすぎたり、台所汚したらお母さん怒るかもね。簡単で安く早くできるのが1番!これは私にも言えるが(^_^;)
父から娘へのメール(続き)
天佑も情けない顔をするときもあるのじゃのう喜怒哀楽があってエエよ。
父より
八月三日
父から娘へのメール28
幸恵の病状報告
「CT結果、ガン細胞がなくなっているかのう」「なくなることはないが現状維持か増えているかどちらかだろう」兄との会話。午後の回診はありませんでしたから今日はCTの結果がわかりませんでした。明日結果がわかるでしょう。朝の回診のとき土曜日と日曜日は外泊許可がでたそうです。「1ヶ月あまり新鮮な魚を食べていないので土曜日に釣りに行ってもエエか」「釣りに行くん、お好み焼きを食べるんじゃないの」「メバルの煮つけが食べたいのう」
「味付けはするがメバルのとげがあるからさばいてくれにゃあ」「当然ワシがさばくよ。せっかく深川に帰ってきたんじゃけ」
美味い魚を食べて第二クールの治療に頑張ってもらいたいものだが。「もう治ったけ、8月いっぱいしか入院をせんよ。」「その時点で決めればエエよ」熱はないが髪の毛が大部分なくなり幸代が送ってくる帽子を待っています。
娘から父へのメール32
検査はどうでしたか?まだ1クールしかやってないんだから、もしすごくよくなってなくても気を落とさないように。今、お母さんが苦しくなく痛くないようならよしとして。
天佑は“いないいないばぁ”で声を出して笑うようになりました。でもウフッと、しょうがないから笑っとくかぁみたいな笑いで、4ヵ月の子に気を使ってもらっているみたい!
父から娘へのメール(続き)
天佑はワシら、じいさん、ばあさんの心を癒してくれる「うちでの小槌じゃのう」「あまり、ふりすぎてよくばりじいさんにならなきゃエエがのう」
父より
八月四日
父から娘へのメール29
幸恵の病状報告
午前中に電話がかかってきて「外泊の許可がでました」「CTの結果は、現状維持だと思うが来週の火曜日から抗がん剤の治療をはじめます」とのこと「もう治っているからしなくてもいいんだが、失礼になるからもう一回してやめて退院するから」「ガン治療の決まりがあるから今年いっぱいするんじゃないか」「せんよ、手足の痛みも治ったし」午後から放射線治療にいって、部長の診療があって、「表面は見てのとおり奥の腫れもなくなりました。顔の表面の黒くなっているのもすぐに消えるでしょう」と言われた。「やれやれ回復したよ」安心して病院に迎えに行き深川に帰って「トクガワの法面の草を刈ってきてもエエか。」「べつにどうこうないし、いいよ」久し振りに暑い中、草を刈っておもいっきり汗をかき脱水状態になりながらも、満足して家に帰ったら、さすが幸恵よ、座布団のカバーが破れていたが綺麗なカバーにかえていた。ビールを飲みながら、ちびちびつまみを食べるのは2ヶ月ぶりで生きかえったような気がする。
娘から父へのメール33
昨日、帽子と写真を郵便で送ったので、土曜日あたりに届くと思います。帽子は二つあるので好きなほうを使って下さい。天佑は今日も口の中にてを入れてしゃべってました。ふと見ると笑えるよね。明日は魚釣れるといいね。
父から娘へのメール(続き)
今、智に電話しているがうれしそうなので安心した。天佑もよくばりで両手をほうばっているが目つきはしっかりしとるのう。
父より
幸恵外泊(8月4日〜6日)
八月五日
娘から父へのメール34
魚は釣れた?岩手のお父さんとお母さんは天佑がかわいくてかわいくてって感じです。外に人がいると連れ出して見せて回ってます。おばあちゃん(92才)もずーっと天佑とお話してました。帽子は届いたかなぁ?
今日は6時間近く移動で疲れました。
父から娘へのメール30
久し振りの釣りだったが入れ食いだけど小さいメバルしか釣れなかった。メバルのさばきを友人Wの奥さんしてもらい煮付けは幸恵がして今ビールを飲みながら食べている。やっぱり幸恵の料理が一番美味いよ。今日もいつものペースで飲んで少しずつ食べられるので嬉しいよ。Wから可愛い天佑のお祝いをもらったが、幸恵が報告するでしょう。天佑はどこにいっても愛想がいいから好かれるでしょう。天佑が幼いながら「笑顔が一番大切」だと、日本人に教えているのでしょう。
父より
八月六日
父から娘へのメール31
今日は人類史上初の原爆投下から61年。原爆の日を迎えた。兄も全国版のテレビで「血の通った原爆認定審査員でないと駄目だ」と訴えた。
ワシも年を忘れることもない。間違っていても、8月6日になると自然に年が新聞に載るから。深川に1日中いました。時々家に帰ってみると、さすが幸恵で、いたりつくせりでブドウも5粒、スイカもホークで食べやすくし、昼飯のときはチャンと味噌汁を作っている。ワシが癒されて、幸恵は体力的には疲れただろうが心は癒されただろう。幸代から送ってきた帽子を洗濯したら少し小さくなり頭にピッタリして、ゆるくもなく、きつくもなくガラも気に入ったようで「幸代はどうしてこんなのが作れるのかね」「スキーの帽子などをヒントに作ったんじゃろうてい」「昔から色々な工夫するから子だから」「発想豊かなのはワシに似たんじゃろうてい」「明日病院に来るときこの袋を持ってきて。」「今持っていけばエエが」「貴方の明日の仕事がなくなるから」と言ってコロに挨拶したらコロは無視して知らぬ顔し、チョロッと目だけ動かし寝ていました。コロも家族の中で2番にエライと思って幸恵は3番目の人だと認識しています。「3週間したら帰るから」と言って病院に行きました。
娘から父へのメール35
お母さんは病院に行った?天佑はみんなにかわいがれてます。かわいいアイドルがやってきたって感じです。疲れてかよく寝てます。昨夜も夜7時から11時間ぶっ通しで朝6時まで寝てました。だけどお昼寝のときは、眠たいときもかまうから、なかなか寝付けないみたいでぐずぐずいってます。
父から娘へのメール(続き)
天佑も色々な経験してエラクなっていくよ「今度広島に帰ってきたとき、天佑は゛顔みしり時期だから゛父さんが抱っこしても泣くかもしれんよ」
父より
八月七日
父から娘へのメール32
幸恵の病状報告
午後2時半病室のドアを開けると太ももにIVHをしていた。していたのは研修医だった。看護師がきて、しばらくお待ちくださいと言うのですぐに終わるだろうと思って廊下の掲示板や案内版を見ていたが終わらないので1階の売店で花を買い戻ってきてもまだ終わっていない。IVHなら20分もあればできるのに「これはただごとではないぞ、術中に血が止まらなくなったのか、血圧が下がって意識不明になったのか、研修医の失敗か」心が動揺した。幸恵から携帯電話がきた。時計をみると4時だった。病室にいくと首筋にIVHをしていた。「時間がかかったのう。」「後で説明するから1階にレントゲンを撮りにいくから。」「研修医が2回もくだをいれることができず、主治医が首筋にしたのよ。今からチューブが血管にチャント入っているかどうかレントゲンを撮るのよ」
やれやれへたくその研修医のため余分な2時間を費やしたよ、馬鹿らしい。少し休むと言って横になったがベットから起きようとしたら首筋が痛くて坐位ができなくなった。電動式ベットだったので「頭を上げる」のボタンを押して上半身を起したらベットから降りることができた。麻酔がきれたのか異物が血管にはいているから痛いのだろう。明日から点滴開始するらしいが2回目は白血球も副作用もひどくなるらしい。
娘から父へのメール36
やっと名古屋です。新幹線乗り継ぎで6時間は疲れるね。東北は遠いよ。まぁすごく喜んでもらったのでよかったです。天佑は少し人見知りしだしたのか、気に入らなかったのかぐずぐず君でした。また明日から寂しく親子三人の生活に戻ります。家族は多いほうが楽しいね。まぁ姑嫁だとなにかと大変かな。
岩手のお土産(ゆべし、なんぶせんべい)明日送るから2,3日中に届くと思います。病院に持って行って二人で食べてください。
父から娘へのメール(続き)
天佑は首も背中も完全にすわったのかのう、幸恵は坐っていたからすわっていると言っていたが
父より
八月八日
父から娘へのメール33
幸恵の病状報告
今日で最後の20回目の放射線治療が終わった。最後に不細工なことで、治療台で起きあがることが出来ないので、看護師に起してもらったそうだ。明日から地下の放射線治療がないので寂しい思いになっている。今日から第二クールの抗がん剤の治療開始になった。病室に入ったら看護師が血圧を測っている。2本目の抗がん剤を打ったら胸がキューと締め付けられ、顔が真っ赤になったらしい。その後平常になったらしい。肌着に血がついてるので「どうしたのか?」「点滴の入れ替えの時、点滴と血が混じって逆流してシーツも汚れたのよ」聞かなければ言わないので困るよ。看護師が「破壊された細胞」というので「どういうことですか。」ガンの腫瘍の一部が破壊され、それが腎臓に溜まり尿とともに排泄されるらしい。幸恵の場合は尿量が多くでているからよいそうだ。熱もなく一人で起きあがることができないだけで(補助具が必要)元気だった。
娘から父へのメール37
今日は午前中に母に電話して、まだ注射してないから気分いいかなぁと思って。なんか元気ないような気がしました。
今日の天佑はよくお昼寝してます。静かだからか、まぁ赤ちゃんなりに気疲れしたのかな。写真のように、初めて両足を両手で持てるようになりました。左しか持たなかったのにね。
台風はこっちの方に向かっているけど、雨はあまり降ってません。このまま通り過ぎちゃうのかなぁ…。
父から娘へのメール(続き)
天佑も一日1日成長しているのう。たくましいのう。コロは寝てばかりでワシがいなくなるとワシのザブトンに坐っているよ。
父より
八月九日
父から娘へのメール34
幸恵の病状報告
朝、電話すると元気な声だった。採血してから2度目の抗がん剤治療がはじまった。2回目の抗がん剤のとき、昨日と同じように胸の苦しさを訴えたらしい。高額医療費について相談窓口に行っている間にM先生が採血の結果で、肝臓の数値が少し悪いので明日、採血して抗がん剤の量を調整するらしい。そう考えてみると足の裏が黄色っぽいような気がしたが全体をみると赤みおびているので、心配ないと思う。疲れたのか面会に来てから初めて少しの時間だが眠っていた。首のIVHが人に見られたくないので友人Wが見舞いにくれた襟付きパジャマを着て首筋をかくしている。まわりには、そんな病人ばかりいるのに、病院の認識が薄いようである。看護師たちに対する態度は、主になったのか常連のように振舞っている、起きあがりも上手になってきた。クルミの入ったモチを「幸代はわたしの好きな食べ物をよく知っているから」と美味そうに食べていた時院長の回診があり、慌てて片付けているときは首の痛みなどは見うけられなかった。智の件は今週の土曜日には結論がでます。いまのところ26日が有力です。
娘から父へのメール38
ところで智はどうなった?
天佑は両足がもてるようになって、その格好がお気に入りみたいで、ひとりで遊んでます。もう少ししたら足をおしゃぶりするようになるかもね。するようになったら手と足でたいへんだ!
父から娘へのメール(続き)
天佑はいつみても元気がエエのう。
父より
八月十日
父から娘へのメール35
幸恵の病状報告
朝、電話すると今日も元気な声だった。肝臓の数値が悪いので再度採血して結果をみてから抗がん剤治療をはじめるらしい。朝、「看護師に顔がむくんでいますね」と言われたが1時間ぐらいしたらむくみがとれ、治療は午後からと聞いたのでシヤワーをあびたそうだ。顔のむくみは熟睡したからだろうがガン治療中にシャワーを浴びるのは幸恵ぐらいだろう。午後2時から第二クールの最後の抗がん剤治療がはじまったが肝臓の影響を考えて抗がん剤は半分に減らしたそうだ。起きあがりは補助具なしで出来るようになっていたが体がだるいのか、ほとんどベットに横たわっていた。「悪いところがないから家に帰るよ」「入院する前は鼻の腫瘍が大きくて苦しかったろうが、よくなったことを忘れて」「そりゃあそうじゃがもう入院は飽きたけえ、救急車やパトカーの音がうるさいけど街中の病院でよかった」舟入に住んでいたころを思い出したのだろう。
娘から父へのメール39
ユベシ食べれてよかった。まだ食欲はありそうだね。まぁ母とはいつも話ししてるから好き嫌いはわかるかな。
おばあちゃんは病院に来てるの?
天佑は疲れがとれたのか、今日はあまり寝ないで、遊んでます。何かあるとじーっとみてウーウー言って訴えてます。言葉しゃべってくれるともっとわかるのにね。
父から娘へのメール(続き)
「よう似とるのう功くんに、そっくりじゃ、あせらずおっとり育てよ」
・・・・・土曜日は治療がないので、ばあちゃんは面会に来たいらしいが「熱中症になったらいけんけえキンサンナ」と言って断っているよ。まあ自分の母親だから幸恵が思うように対応すればエエと思っている。父より
八月十一日
父から娘へのメール36
幸恵の病状報告
朝、電話すると少しずつ利尿剤の点滴を朝6時までしたらしく、今日はあまり元気そうな声でなかった。点滴治療もなくなり昼から眼科受診なので首をぬらさないようにシャワーを浴びたらしい。病室に行くと鍵がかかっており、外来眼科に行こうと思って廊下を歩いていたらエレベーターから主治医のN先生が降りてきたので幸恵の容体を聞いた。「肝臓の数値も上がっていたが下り坂になってきたので再度明日血液検査したいと思います」と聞いた、とたん眼科受診を終えた幸恵がエレベーターから降りてきたので、聞きたいことはやめた。眼科受診で目薬と塗り薬をもらい「目やにはアレルギーからきているかもしれない」と言われた。午前中のM先生の回診のとき「IVHは次が始まるまで、はずしません」と言われたらしい。48時間後にはガーゼ交換が必要で外泊は2日間が限度になった。胸から胃にむけてなにか圧迫して気持ちが悪いと訴え、しばしばベットに横になっていた。「どうしても2度目の副作用はひどいから」と聞いてショックを感じている様子だが、「いらないことを言わんでもエエのに。馬鹿たれが」堕落した今の日本は情報社会と言っているが「知らぬは仏」と言うことわざがあるのにのう、みんな忘れているよ。まあ、微熱があるものの食欲もあるし嘔吐の気配もないし「明日、施設になったスイカを持ってくるよ」と言ったら喜んでいたよ。
娘から父へのメール40
毎日暑いね。夏ばてしてない?世間は明日から盆休みだね。うちは盆は関係なく仕事みたいてます。今週、岩手帰るのに休んだしね。母も盆関係なく入院中になっちゃったね。ばあちゃん母の顔みたいんじゃない?まぁ母としては心配かけるから見せたくないかも知れないけど、親はいつまでもどんな状態だろうと子供のことは心配だと。もし、私が入院してたら絶対母は来ると思うよ。だからたまには顔見せてあげれるようにしてあげんちゃい。でも母は言うこときかないか…(-.-;)
天佑は部屋で適温の中、快適に過ごしてます。暑いとすぐ、ぐずぐず君になっちゃうから、クーラーはかかせません。名古屋はとくに蒸し暑いしにね。でも寝ると寝返りできないから背中汗びっしょりになるんだよね。
父から娘へのメール(続き)
天佑はまだ寝返りもできないのか、顔はしっかりしているのに不思議なのう。体は不自由だが頭脳はしっかりしているのだろう。生意気に要求ははっきり主張しているからエエのう、すべて3歳までにきまると言われているからのう。
父より
八月十二日
父から娘へのメール37
幸恵の病状報告
朝、電話すると体調の変化は昨日と変わりなく採血をしたらしい。病室に行くと高校野球を見ていた「如水館が負けたね」野球に興味がない幸恵だがテレビもくだらない番組ばかりなので広島が気になって観たのだろう。「売店で買ってきて」ゼリー(もも、ぶどう、りんご)・コーヒー牛乳2個・ヨーグルト2個と書いた紙切れを初めて見せた。あまり食欲がないのだろう。施設でとれたスイカを食べながら「あまり美味しくないね」と言ったので味覚はあるみたいだ。採血の結果をM先生が肝臓の数値は元に戻り、「白血球も少し下がっているが気にすることはない。」と、言われたらしい。入院する前は「足腰の骨が痛かったが、今はなんともないから治ったよ、八月で退院するよ。トイレ付きの個室に変わりたい」と言っているから第三クールの治療もするつもりだ。そのむねを看護師にたのんだ。相変わらずベットに横たわっているのでワシも寝たらしく「おとうさん、いびきをかいて寝ているから疲れたんじゃない?」の声で目がさめた。今日の治療はなかったがチョット動くとしんどいらしい。
娘から父へのメール41
今年の盆も優芽のとこに行けないな(>_<)。月末に帰ったとき寺にお参りに行きたいと思ってます。その時、お墓参りも、天佑誕生のご報告も。何かよくないことがおこると、お墓参りするといいらしいよ。ていうか定期的にするのが当たり前なんだけど。おろそかにするといけないんだって。まぁこれは信仰で信じる、信じないがあるだろうけど…。
3月からうちの前で道路工事(国道と高速道路建設)で毎日うるさいんだけど、今日から盆休みみたいで静かです。高速は地下にできるから穴掘っててすごく騒音なんだよね。たまにキーンって音で天佑寝てても目が覚めるぐらい嫌な音がするんです。3日ぐらい休みだと思うから、つかの間の休息かな。だからか天佑もゆっくり昼寝してるかんじです。今年の盆も優芽のとこに行けないな(>_<)。月末に帰ったとき寺にお参りに行きたいと思ってます。
父から娘へのメール(続き)
一足先にお参りしておくよ。幸恵が25日に帰ってくると思うから一緒に線香をあげればエエ。昨日、智から電話があった。皆から「やめるな」とひき止められているらしいので、東京におったほうがエエ、広島にはいつでも帰ることは出来るから「ワシらのことは心配せんでもエエ。自分の生き方を大切にして、世のため人のため生きるのが大切だ」と言った。今NHK番組で宇宙船館ヤマトをうたっている。智が幼稚園のとき踊った曲だ。年をとったのう今度広島に来た時、天佑はなんか喋るかのう。
父より
八月十三日
父から娘へのメール38
幸恵の病状報告
朝、電話するといつもと変わりなしの返事だった。盆入りで市内の車の台数がかなり少なくなり民間の駐車場も盆休みで市民病院の駐車場に止め病室に行くと嗽をして、すぐにベットに横になった。トイレに行ったらしく、動くとしんどいらしい。しばらくすると落ち着いて話ができる容体になり、昨日顔のむくみがひいたが今日も引き続きむくみがなかった。普段着を着たら病人でないようである。シャワーを浴びて病室に戻り髪をといたら髪の毛が抜けた。頭にできている2ヶ所の腫瘍が目だった。一つの腫瘍はあまり目立たないがもう一つのは目玉焼きのキミのようで今にも裂けそうだ、M先生に言って皮膚科に受診するようにすすめるが「抗がん剤治療が終わって、白血球が正常値になってからと言われているから」「後、一週間経てば副作用も底から上向きの状態になるから、その時治療すればエエ。そろそろ帽子かカツラがいるのう。」「このままの姿では顔合わせもできないからカツラがいるが幸代が早く帰ってくればエエのに、それにしても天佑がおるから自由になれんね」「ばあちゃんやワシが一緒におればなんとかなるよ」「頭のサイズに合わせてもらわんと。」「うちの職員は忘年会でかぶっとるよ」「そりゃあおかしいけえ、そごうでも店があるけぇ」
娘から父へのメール42
今日は海行ったの?盆だから殺生はダメかぁ。天佑は休みだろうが関係なく、早起きです。生活のリズムができたかな。太陽と共に寝て起きてでいいリズムができたと。よく寝て早起きの子は頭もよくなるって言うし…。最近は声を出して笑うし、怒ります。
父から娘へのメール(続き)
自分の要求がかなわない時、ちびのくせに生意気なのう怒るとは、母親とレベルが対等な位置に存在したのかのう。まあ好き嫌いないように上手に育てよ。
嘘は絶対つかんようにして。
父より
八月十四日
父から娘へのメール39
幸恵の病状報告
今朝の電話はいつもと変わりなかったが採血されたらしい。「冷蔵庫にモモのゼリーがあるから持って来て」とのことで病室に持って行くとテレビを見ていた。「主治医のN先生から白血球が2,000を切っているので皮下注射をしますそして肝臓の方はほぼ正常値になっていますから」と言われ「先生25日から26日に外泊したいのですが。」「そのころ体力も回復していますからいいでしょう」とのこと。「リンゴジュースが飲みたい」と言うので、ワシもカロリー不足を補うためイチゴジュースを買ってきたら「イチゴジュースが飲みたい。」と言うので「リンゴと言っただろう」ワシはゆずらずイチゴジュースを飲んだ。牛乳混じりのジュースが飲みたいのは、栄養面や便秘によいとわかったらしいが牛乳が一番の栄養剤だったことを58年間も知らんかったことは人生大損したと言うことよ。「第一回目抗がん剤治療の時と同じように胸までつかえたものが胃まで下がり気分が楽になったとき白血球が少なくなったからまだ2〜3日下がるよ」感染症に注意しなければ。今が精神的には絶好調なのだろう、今日はベットに横たわることがなく「携帯電話のカメラで写真を撮る。」と言ったらポーズを意識していた。残念ながらパソコンにつなげないので送ることができないが「鼻の腫瘍は子供達知っているかしら?」「この前帰った時に見とるよ」幸代からの連絡でカツラの話しをしたら「カツラは既製品でエエから幸代が早く帰ってこんかね、ばあちゃんに抱っこしてもらえばいいが天佑はまだ背中がすわっていないよね」「まあワシがおるけえ大丈夫だろうよ」
娘から父へのメール43
全かつらって高いね。オーダーメイドは20万前後みたいです。医療用だと2割引みたい(診断書提出)。既製かつらは2,3万ぐらいみたいです。だけど素肌に近い状態での装着だからフィットするのがいいみたいです。母の場合はそれを着けて外にでるわけじゃないし、病院や家では帽子で十分だと思うけどね。まぁこれは個人の価値観だからなんとも言えないけど。まぁちゃんと作るんだったら、医療用かつらがいいと。外に出られない場合は病院にも訪問してサイズ測ってくれるそうです。
天佑は最近ベビーバスの中で足をバタバタさせたり、声をだして笑ったりとにぎやかです。功くんが入れてるからどんな状態か見てないからよくわかんないけど、声を聞くかぎりでは楽しそうに入ってます。キャーあーと高い大声でしゃべってくれます。
これはメリーでジャングルジムなんだけどこの中で蹴ったり叩いたりして大暴れです!
父から娘へのメール(続き)
天佑は元気がええのう。今急成長しているような気がするが、喜怒哀楽が芽生えてきているのう。
父より
八月十五日
父から娘へのメール40
幸恵の病状報告
いつものように8時半に電話するが出てこなかった。すぐに携帯にかかってきて「別に昨日と変化がない」とのこと。終戦記念日で市内の車が少なく駐車場にもすぐに入れた。病室に行くとベットに坐ってテレビを見ていたが2時ごろ37度7分熱があり氷マクラを使用していたらしいが2時半には平熱に下がった。「氷がもったいない」と言ってベットに横になることが半分以上だった。首のIVHが気になって右手で隠しているので「ネッカチーフで隠すようにしたら」「暑い」と訴えるので明日ガーゼをもっていくことにした。今日の治療は白血球の皮下注射のみでした。そうそう、トイレ付きの部屋に変わりたいと幸恵が2〜3日前看護師に言ったら「5,000円から10,000円までありますが。」「空いたらどの部屋でもいいです」ふつうなら、「値段も値段だから主人に相談してみます」が常識じゃろうにのう、あえて何も言わなかったヨ。治療費は5,000,000円の準備が必要だと思っていたから。ちなみに7月分の請求は400,000万円でした。心配してもらわんでもエエ、高額医療費とガン保険でチャントできますから。今智から電話があり26日の晩に亀崎で夕食をとり幸代と天佑は1階に泊まり智関係者は2階に泊まりワシらは深川に帰ることにしましたが白木にお嫁さんの親戚があるのでお嫁さんの両親は白木に泊まる可能性もあります。もう一つの案はリーガーロヤルで晩餐会をし、宮島でお嫁さんの関係者が泊まることも検討しています。
娘から父へのメール44
宅配便は届いた?おいしそうなゼリー見つけたので、写真のついでに送りました。天佑は今朝、体重測ったら7000gになりました。日に日に重くなるから、腕に筋肉ついたよ。天佑も足腰力がついてきたみたいです。抱っこも頭支えなくてよくなったから楽だよ。でも、急に反ったりするから怖いけどね。
父から娘へのメール(続き)
天佑は日ましに成長するのう。手は離しても目は離すなよ。当たり前の話しだが声も見逃さないように注意しなければ。
父より
八月十六日
父から娘へのメール41
幸恵の病状報告
いつものように8時半に電話するといつもと変わりない様子、採血したらしい。最後の盆休みで市内の混雑はさけられないと思っていたが道路はスムーズに走れたが病院の駐車場は待ち車が多いので民間の駐車場に止めた。病室に行くと幸代と携帯電話で話しをしていた。朝、Nさんにもらったスカーフの帽子とゾオリを渡したらゾオリを履いて「チョット小さいネ」スカーフの帽子をかぶっては鏡を見て嬉しそうだった。首のIVHにはスカーフをまいていたが、ワシが持って行ったガーゼをすぐに首にまいて「白で清潔そうでいいネ」と満足そうだった。「24日には、ばあちゃんと幸代でカツラを買って貰う」と喜んでいたよ。主治医のN先生から「白血球は元にもどり肝臓も正常値になりつつある」とのこと。昔はもとに戻らないことが多かったが、最近の白血球治療は皮下注射ですぐに正常値になるらしい。これも医学の進歩だろう。ガン治療もこうであって欲しいが。23日の午後2時には病院にいくから、寿司を買って待っているから昼飯は亀崎で食べよう。24日はそごうでカツラを買って病院に寄って幸恵と一緒に亀崎に帰り、25日に亀崎でリーガーロイヤルのメニューで食事会をする予定です。
娘から父へのメール45
今朝、功くんが入浴中呼ぶから何かと思ったら、ベビーバスが小さくなってちょうどぴったりサイズになった天佑がいました。身長も伸びたんだね。毎日見てるからよくわかんないんだよね。いつも足曲げてるから測りずらいし。
リビングで寝てたと思ったら泣くから何かと見ると、仰向けの状態で足で蹴って上に移動して机の下に入り込んでました。笑えたけど、とうとう目が離せなくなっちゃいました。
父から娘へのメール(続き)
病院でメールの写真を見て「幸代に似ればエエのに大きくなるにつれて功くんにそっくりよ、どうしてかね。天佑はしっかりした顔で誰にもみせても恥ずかしくないネ。」「輪郭は功くんだろうが心はワシにそっくりよ。」
父より
八月十七日
父から娘へのメール42
幸恵の病状報告
今朝の電話の幸恵は元気がなかった。「今日の治療は何もありません」と言われたらしく看護師の出入りもなく医師の回診もなかった。病室に行くとベットに横たわっていた。Nさんに切り口を縫ってもらったガーゼを持っていったら「やることが早いネ」早速、首にまき鏡を見て満足そうにしていたが、すぐにベットに横になった。「白血球が少なくなったらしんどくなるのかネ」といいながら「ヨーグルトと2個と九月号の料理教室の本を買ってきて欲しい」とメモを渡すので売店に行き、ひまわりの花があったので買って帰ったら天佑の写真にもひまわりが二つ咲いていた。明日、採血する予定で白血球が下がっていても第1クールと同じだから心配ないと思う。
娘から父へのメール46
23日は12時ごろ亀崎に着くように行くね。お母さんにメールで頼んだんだけど、ベビー布団干しといて下さい。よろしくお願いします。
昨夜天佑は夜中に起きて(功くんが帰って来て目が覚めたんだけど)、2時間ぐらい寝ないでベットの中で動き回ってました。だから私も起きてないと…いつ寝返るかわからないから見てないといけないし、まぁ機嫌はよかったから抱っこはしなくてよかったから楽だけどね。いつもは夜中に目が覚めても功くんにニコッと挨拶してすぐ寝るんだけどね。「ベビー布団干しといて下さい」
父から娘へのメール(続き)
明日は台風が接近しているから無理だろうからまた幸恵が指示すると言っていた。今日亀崎に行ったら庭の植木の手入れは終わっていた。家の中のランの花は火曜日に調達することにしている。23日は直接亀崎に行ってください。天佑の動きが活発になってきたので危険をともな
うものはさけなくては、例えば熱湯、タバコの吸殻などもっと大きくなると転んでベット、柵に頭をぶっけケガをするからのう。
父より
八月十八日
父から娘へのメール43
幸恵の病状報告
今朝電話したら「8時半過ぎて電話して、テレビ見ているから採血は7時にしたよ。」入院したときから言えばエエのにのう。病室に行くと今日はテレビを見ていなかった。5切の梨を持っていたら「美味しい」と言って全部食べた。採血の結果、研修医の先生が「白血球が1,600しかないから」と言われたらしい。昨日、体がだるくベットに横たわっていたのも白血球が下がっていたせいだったのだろう、しかし、今日は一度もベットに横になることがなかった。皮下注射をしたからだろう。夕方、M先生が検査結果「肝臓が少し悪いから今日から治療します」と夕食後に3分間の点滴しました。智の食事会に飾るランの花を買うため五日市のみすず団地に行った、花屋さんがいい人で「これも持っていけ」「見舞いの花が欲しい」と言ったら又いっぱいくれた。買った花は亀崎に置いていますから飾ってください。智から電話があり26日、お嫁さんの両親と亀崎で夕食をとり、泊まりは亀崎の2階にしてもらう予定にしました。
娘から父へのメール47
台風はどう?今年は台風よく来るよね、当たり年かなぁ?
天佑足でベットのサクを蹴ってクルクル回って遊んでます。あっという間に180度回ってるよ。それに歌を歌ってあげると声を出して喜んでくれます。対話してるように思うのかなぁ?
父から娘へのメール(続き)
天佑も全部の言葉が分からなくても身振り手振りで分かるようになったらしいな。英会話も単語を並べるだけで通じるらしい。単語を喋るだけでお互いに理解しょうとするらしいから、便所はトイレと言うように身近な単語を気にして覚えていけば英会話ができるらしい。それを証明しているのが、天佑で英会話の教師です。
父より
八月十九日
父から娘へのメール44
幸恵の病状報告
今朝の電話は、まあまあの返事だった。昼頃ばあちゃんがカツラのパンフレットと弁当を持って見舞いに来て一緒に食事をする。その後、白血球と肝臓の点滴治療をし、シャワーを浴びて病室に帰ったときに行った。髪をといていたが大分髪の毛が少なくなり頭の腫瘍が丸くはじけそうな感じであった。皮膚科の受診を勧めるが「この治療が終わってから」と言ってM先生に聞こうとしないので困ったもんよ。ガンとは関係ないと言われているからまあ、ええか。リンゴの皮をむいで持って行ったら「アクがでて美味しくない昨日のナシのほうが美味しかった」と言ったが、ワシは半分に切った残りを食べたが甘くなく美味しくなかったのにのう。病院に行って皮をむいで食べさせたほうがよかったのう。「カツラは30,000円程度で髪の形などばあちゃんに言っているから幸代と2人がきめたらいい」と言っていました。
娘から父へのメール48
26日の夜みんなでお食事会なんだよね。25日は三人とチビで亀崎に泊まるの?だったら亀崎掃除しなきゃね。亀崎の1階は母が帰ってくる前にして、深川もしなきゃね。どーせ汚いんでしょ。やらないと母がまた何かと動くだろうから。晴れたら布団とかも干しせるしね。 母が帰って来て、間に合うところは天佑をあやしてもらってたら、その間に掃除できるから。
父から娘へのメール(続き)
深川は見違えるほど綺麗になっています。亀崎は掃除していないので雑巾を使った掃除がありますが庭の植木は手入れをしています。食事会の料理で悩んでいます。天佑の空中オモチャを用意せんといけんのう。
父より
八月二十日
父から娘へのメール45
幸恵の病状報告
今朝の電話の声は「別に昨日と変わりがないから、ええんじゃないの」と言って調子がエエらしい。午前中は気分がすぐれなので昼間行くことにし、昼飯を買って病院に行った。初めて病院の料理を見たが施設のどんぶり茶碗と違って家庭の茶わんで副食もごちゃまぜでなくナスビの形があり食べやすい料理だった。参考にせんと。
食欲もあるのだろう全部食べた。今日の治療は肝臓の点滴だけだったが、「蚊に食われた後」と言っていた腕の炎症が大きくなっていたのが気がかりだった。月曜日の血液検査の結果がよかったら2時間ぐらい貯金を下ろしに外出するらしいよ。ワシは通帳や印鑑が何処においているか知らんけぇのう。
娘から父へのメール49
天佑のメリー(空中クルクル回るおもちゃ)は母が買ってくれたのが家にあり、優芽が使ってて、今使ってないのがあるからそれを今度荷物と一緒に送るね。新しく用意することないよ。もう少ししたらクルマとかがいいなぁ。縫いぐるみばっかりなんだよね。支えなしで少しの間ですが座れました!
父から娘へのメール(続き)
おお天佑が坐れるようになったか、頭が重いから気を付けにゃのう。
父より
八月二十一日
父から娘へのメール46
幸恵の病状報告
今朝、採血したらしい結果は昼頃になるだろう。今日は行事があって、3時半頃に病室についた。「4時で風呂が使えなくなるのでシャワーを浴びてくるから」「心配してきているのに採血の結果を話していけばエエのに」先約がおり入浴できず帰ってきた。M先生がきて「白血球と肝臓は少し悪いが治療する必要がないので注射はしません。」今大きな音がするので外をみるとオムツカバーやオムツなど物干し竿にぶら下がっていた。2階の認知症が投げたらしい。ミカンの皮や菓子を投げるのはいたがのう。「第三Vクールの抗がん剤の治療が終わったら、通院で経過をみるように考えています」とのことでした。幸恵が「後、5年は生きるからね。それ以上は生きるつもりはないけれど入院した時は家に帰れないと思ったが、私はいままで注射など打ったこともないし薬の効果が人より効くんじゃないか、母もそう言っているし、看護師さんもこんなに副作用がない人は見たことがありませんと言っているし、もう完全に治っているよ」確かに想像以上に元気で、一回目のとき洗面所で吐いているときは、副作用が始まってこれから大変だと思っていたが2〜3日で落ち着いたからビックリした。2回目も1回目よりも軽い状態だし、2ヶ月近く入院したらうつ病になってもおかしくないのにのう。これも今まで健康な体でいたからだろう。鉄人幸恵になってもらいたいよ。
娘から父へのメール50
手をついてのお座りができるようになったけど、頭が重いから左右、前に倒れます。四等身だもんね。天佑は、乳飲んだらすぐ寝てたのが最近寝なくなりました。少し成長したかな。でも抱っこしながらや、添い寝しなきゃいけなくなりました。だけど、抱っこしてるとすぐ寝てくれるから楽です。優芽はなかなか寝れなくてずーっとぐずぐずいってたな。やっぱり十人十色なんだね。
父から娘へのメール(続き)
天佑はすずしい顔をしてるのう。はよう喋れるとエエがのう。あせって教育すると、ろくな子供に育たんからのう。話しはチャント聞いてやればエエ子に育つよ。ハトも狭い小屋にいるときは権力が発揮できるが空に飛ばすと、ついてくるものが一羽もいなく一人で飛んでいるよ。可哀相にのう。狭い箱の中に居る時は叩かれても服従するが、広い空間に飛ぶと自由の身になったと喜び仲間と一緒に飛んでいる。一緒に飛んでみたいが、これがかなうと億万長者になれるよ。
父より
八月二十二日
父から娘へのメール47
幸恵の病状報告
今朝電話したら「いつもと変わりがないが」と言ったとたん「なんか電話が掛かっているみたい」突然電話が切れた。電話を掛け直すと智からで「お嫁さんのお父さんは牛肉を食べるとアレルギーがでるから」の情報だった。病室にいくと相変わらずテレビを観ていたが、着くやいなや鏡をみてはハンカチーフで隠した頭から少し髪の毛をだしたり入れたりして「こうして見ると髪の毛がチャント生えているよネ」と言いながら何回も鏡を見ていたらIVHしている管の付近から出血してガーゼに血がにじんでいたのでガーゼ交換してもらった。今日の治療は朝のガーゼ交換と今回のガーゼ交換のみでした。
娘から父へのメール51
荷物2つ送りました。明日午前中に届きます。亀崎に持ってといて下さい。段ボールでないほうはメリー(空中クルクル回る)なので開けてセッティングしといてくれるとありがたいな。単3電池2ついるから用意してね。広島駅に10時51分に着くから寺には11時15分ごろには着くと思います。
父から娘へのメール(続き)
明日は深川に泊まります。天佑のベットは購入することにして、ワシが病院に行っているあいだに幸代が亀崎におり、フジで買い物をしたり、天佑を風呂に入れたり、掃除したりしていれば病院から帰ってくるので深川で洗濯して乾燥機で乾かしいつものリズムで生活し夕食はそのつど考えます。
父より
八月二十三日
父から娘へのメール48
幸恵の病状報告
今朝電話したらいつもと変わりがない様子だった。Nさんが朝、IVHようの服を持ってきてくれた。幸代が名古屋から帰ってきて優芽の法要を11時半から寺ですませ、昼ご飯を寺でご馳走になった。天佑が合ったとたん「にっこ」と笑ってワシを迎えてくれた。たった一つの笑顔が心の癒しになるとはのう。弟夫婦と病室に行くと看護師が部屋の消毒をしていた。夫婦の見舞いの後、幸恵は幸代の送ってきた服を着たり、Nさんからもらった服を着たりして喜んでいたが「体がだるい」と言ってベットに横になっていた。研修医の先生が採血していないので驚いた様子であったがN先生が来週第Vクールを始めて副作用がなかったら通院治療にしたいと考えているそうで、外泊しても1日1回IVHの管を予防するように指示があったそうな。今日の治療は何もありませんでした。
それにしても金欠病になったので、なんとかしてもらわにゃ。
幸代・天佑、広島滞在(23〜29日)
八月二十四日
幸恵の病状報告
朝電話すると昨日と変わりなし。10時に幸代を駅前の福屋に連れていく。11時45分福屋に迎えに行きばあちゃんと幸代と天佑を病院に連れて行き、天佑は病室には行かずワシが抱っこして2人がカツラを持って見舞いにいく。4階のベランダから天佑を呼んでいるが天佑は気がつかなかった。
病室に行くとベットに坐っていた。M先生の回診で「肝臓と白血球は正常であれば、来週には第Vクールの抗がん剤治療をし週末には退院し、通院治療に切り替える予定で抗がん剤治療は4〜6回予定しています。」との報告を受ける。
八月二十五日
幸恵の病状報告
電話では異常なしで採血されたらしい。ビデオの件で兄に会いその時も幸代も同席する。昼はお好み焼きを食べる。昨日軽トラックのガソリンが抜き取られたので防犯照明を取りつける。幸恵から電話があり肝臓、白血球の結果がよいので1時に外泊許可がでる。幸恵を病院に迎えに行く。夕食は幸代の料理でキシメンを食べて深川に泊まる。
幸恵外泊(8月25日〜27日)
八月二十六日
幸恵の病状報告
朝、豊岡よりブドウが届く。幸恵がIVH治療の為病院に行き深川に帰り亀崎に行く準備をし亀崎で昼食をとる。4時半にTさんがくる。お嫁さんの両親と智とお嫁さんが5時30分に亀崎に着く。居間で桜茶を飲みながら、初対面の挨拶をかわす。
リーガロイヤルの和食で6時に会食に入り、8時30分に今後の予定の打ち合わせにはいり来年の節分の日に結婚式をすることにし、会食が終わり11時に飲酒止める。
八月二十七日
幸恵の病状報告
ご両親と智とお嫁さんがタクシーにて9時30分に帰る。昼、山に行くとKさんが草をとっていた。昼はお好み焼きを亀崎で食べ、深川に帰り夕食をとり幸恵を6時半に病院に送る。帰ると幸代が夕食をせずに待っていた。
八月二十八日
幸恵の病状報告
朝電話すると特にないが昨日の疲れがあったのかよく眠れたたのこと。幼稚園の地鎮祭があり姉と一緒に見舞いにいく。病院に行くと11時50分にM先生の回診があり採血の結果よいので水、木,金で抗がん剤治療し週末に退院を考えていますとのこと。夕方、幸代とナフコにいきベットの購入をする。
八月二十九日
幸恵の病状報告
朝、電話するがいつもと変わりないとのこと。Mさんとナフコにベットをとりに行く。幸代と電子レンジと掃除機をデオデオに買いに行く。今日は会議がありいつもと時間が遅れた。病院に行くとベットに寝ていた。昨日午後7時30分にN先生の回診があり、今日は3時30分にM先生から「明日の採血の結果水、木,金で抗がん剤治療し週末に退院を考えています」とのこと。頭の腫瘍については、話しをしていないらしいが緊張がないのか頭のネッカチーフを開いていた。夕方、幸代が名古屋に帰って行った。
娘から父へのメール52
お世話になりました。タクシーの中でぐずぐず、新幹線の中は立たないと怒り、と楽には乗せてもらえませんでした。天佑はじいちゃんっ子になって帰ってきたようです?!名古屋では親子二人だから寂しいかもね。新幹線はトンネルが多いから携帯電話はつながりにくくて…すぐ圏外になっちゃうね。ではコロくんによろしく!
八月三十日
父から娘へのメール49
幸恵の病状報告
朝、電話すると「昨日と変化はない」とのこと、しかし、採血の前から、「看護師から11時に抗がん剤治療を始めるらしい」と言われたらしい。採血の結果、白血球は下がっているが治療に影響がない程度なので方針通り11時からはじめた。病室に行くと嗽をしていた。通じはないが熱はなく尿量は多く出ていて調子がエエらしい。珍しく抗がん剤確認の立会いで、M先生に会うことが出来たので、お嫁さんの家族と、うちの家族が写っている写真をみせたら「カツラの使用は全くわからないね。みんなリラックスしているのにお嫁さんが緊張していますね」とコメントでした。幸恵が「副作用がないのは神経が敏感でなく他の人より単純なのかね。」思ったより元気なのでびっくりしているが、精一杯精神的な負担をさせないように心がけているがのう。
娘から父へのメール53
昨夜は寝たり起きたりで、最終的に寝たのは12時でした。だから今日はお昼寝もしっかり寝てます。功くんは一週間会ってなっくって、天佑の顔が変わったって言ってました。日々成長してるんだね。毎日見てるからわからないや。写真みるとぜんぜん違うけど…。
ベットの配置はどうなった?お父さんがビール飲んでてもお母さんが寝ながらでも話しできる向きが楽かもね。
父から娘へのメール(続き)
看護師にも言われたよ。ベットの写真と違っているので。ワシらも同じことヨ。
父より
八月三十一日
父から娘へのメール50
幸恵の病状報告
朝、電話すると昨日の午後11時頃点滴が終了したらしい。起きて鏡を見ると右側の顔が腫れていたが、ゴソゴソしていたら腫れがひいたらしい。予定どおり第3クールの2日目の抗がん剤治療を午前中からするらしい。午後3時に病室に行くとベットに坐っていた。顔を見ると朝言っていた通り腫れていた。寝起きだったからだろう。看護師に「気分が悪くなかったら坐ってください」と言われていた。洗濯したバスタオルを敷布団にかけたり、パジャマを着替えたり、冷蔵庫に麦茶を入れたりして体を動かしていたら少し顔の腫れがひいた。微熱があるらしくベットに横たわっているので、上半身を起すため電動ベットを15度起したら顔と首の腫れがひいてきた。第二クールのとき起きあがるときには、いちいちベットをあげて起きあがっていたから上半身の動きがあり顔の腫れがなかったのだろう。尿量は十分出ているが便秘を気にしていた。食欲はあるらしく「少し残すが美味しい。」と言っていた。明日、無事に3日目の治療が終わってくれればエエがのう。
娘から父へのメール54
昨夜は5時半から6時半まで寝てました。11時間だよ!途中で何回か乳飲むのに起きたけど。日中はなんかぐずぐず言ってます。家にずーっといるのがおもしろくないのかも。広島ではあちこち行ってたから…。それに私しかかまう人いないしね。
おもちゃを自分の意思で取れるようになりました。今までは握れなかったり、離せなかったのに。おもちゃや携帯電話、リモコンなど私が持っているものに興味をもってじーっとみてるよ。
父から娘へのメール(続き)
ええ顔しとるのう。このパソコンで印画紙の印刷ができるようになり、ざら紙でないので綺麗に印刷できるので、明日幸恵に持って言って見せるよ。
父より
九月一日
父から娘へのメール51
幸恵の病状報告
朝、電話すると受話器に出なかったので市民病院の電話にかけても通じなかった。しばらくして携帯に掛かってきた。トイレに行っていたらしいが、「毎朝8時半に電話するのに待っとればエエのにのう」朝採血したらしく、その結果で治療を開始するらしいが「幸恵は正直だからのう、採血の前に菓子でも食べておればエエのに」顔の腫れはあるが動けばひくらしい。兄に話すと「低蛋白になっているので明日持ってくる薬を飲めばいい。博も一緒に飲めばいい」と言っていた。
病院に行くと機嫌が悪そうな顔をしていた。ワシの顔を見ようとしなかった。後でわかったことだが抗がん剤の治療で肝臓が悪くなっている為、半分の点滴に変更したらしい。「と言うことはこれからは治療ができないことになるでしょう」「抗がん剤の点滴は全部で7本だけど6本も点滴したから、7分の6で今までの治療とあまりかわりはないよ」「月曜日の採血の結果で退院を決めるそうよ」退院は来週になると思っていたが、抗がん剤治療をしなかったからショックを感じているのよ。「第三クールを始めるのが一週間早かったのう」寝れば顔に浮腫ができ起きれば腫れがひく状態でした。熱もなく尿量も普通で便通もあり食べやすいものがでるので食欲はまあまあらしいが、残った毛が伸びていた。
娘から父へのメール55
ぶーってよだれダラダラです。今日はぜんぜんお昼寝しません。寝たなっと思って離れるとすぐ起きて泣いてます。困ったちゃんだ。電子レンジはどう?サランラップは軽くかぶせないと破れたり破裂したりするよ。[あたため]ボタンひとつ押すだけでできるんだけど、温めすぎることがあるから(今回みたいに)。
見てて、サランラップが縮んだり、内容物が沸騰したりしたら、途中でもドアをあけてストップする、または[ストップ]ボタン押したほうがいいよ。火傷に気をつけてね。
父から娘へのメール(続き)
心配せんでもエエ。今まで睡眠不足で死んだ人はいなかったそうな。「あまり寝ていると脳みそが腐り、今まで覚えていたことを全部忘れるそうな。」今度出版する兄の本に書いているよ、楽しみに。
父より
九月二日
父から娘へのメール52
幸恵の病状報告
朝、電話すると採血されたと言う。「なんでや。昨日より悪くなっているじゃろうに」「知らんよ、昨日12時に排尿促進の点滴終わり今日は顔の腫れはないよ」と言って電話を切る。病院のドアを開けると鏡の前に立っていた。こっちにむけた顔は病人の顔をしていないじゃないか。「どうしたんか」「IVHを取り外したら病人の気持ちにならなくて、普通の体になったのよ。「血液検査の結果、肝臓の数値は昨日と同じで悪くなないが、月曜日に再度採血してその結果で火曜日に退院できます」とM先生に言われました。結果が良かったので顔も生き返ったのだろう。{病は気から}とはこのことだろう。まずは安心したよ。
ベットに寝ることなく坐っている時間が長かった。「今度入院したらこの部屋に入れるだろうか。隣の重病人の名札がなくなったが退院したのだろうか」としきりに言っていた。まあ人のことはどうでもエエが2ヶ月も入院していたから隣近所が気になるのだろう。
娘から父へのメール56
今日は功くんがお財布を忘れて仕事に行ったので、天佑と届けに行きました。乗り継ぎ待ち時間入れたら片道1時間ぐらいかかったよ。広島でいうと八丁堀的なかんじかな。だからデパートで買い物しようと思ったけど、授乳とかあるからトンボ返りしました。こういうときはミルクが便利だね。もう少したら離乳食始めるから遊びにいけるかな?母の誕生日のプレゼントを送りました。4日(月)ごろに届きます。一週間早いけど、部屋着なので家に帰ってきたとき渡して下さい。
父から娘へのメール(続き)
女の子は乳児時期は病気に強いが男の子は3歳まで気をつけと言っていたが、本当かどうか知らんが母乳は病気にならんと聞いていたがよう調べてみんさい。明日から台所に出窓をつける工事をします。今度は皿洗いが楽になります。
父より
九月三日
父から娘へのメール53
幸恵の病状報告
朝、電話すると腫れはないが、吐き気がして食べられないと言う「梨かリンゴが食べられるかもしれんが、ヨーグルトは売店で買えばいいから味のないミネラルウオーターが欲しい」と言うので今日は早めに病院に行こうと思って乾燥機を開けたら、洗濯ものがなく洗濯機にあった。朝一番に乾燥させればいいと思っていたが、流し台のところに出窓をつくるので鍋や1升瓶を片付けしていたら忘れたらしい。病院に3時半に着いたら、着替えをしていた。シヤワーを浴びたぐらいなので、たいしたことないと思ったら洗面台に向かって吐いて、すぐにベットに横たわった。夕食の献立はシュウマイと言ったら「シュウマイは大嫌いだからウドンが食べたい」と言うのでコンビニで「ぶっかけウドン」を買って病院の電子レンジの使い方を看護師に教えてもらい、温かいウドンを食べるようにすすめたが、三切れ食べて「美味しくない」と言ってすぐにベットに横になる。今日の治療は肝臓の注射とIVHの後のバンソウコウ貼りだった。この調子だったら火曜日の退院は無理かもしれんのう。コロがいるので2ヶ所の部屋に空気洗浄機をつけることにした。昨日食べる予定で買った賞味期限が切れたギョウザを電子レンヂで温めて食べています。
娘から父へのメール57
母の誕生日プレゼントが届いたらあとよろしくね。Wさんにお祝いのお礼のハガキを出しときました。すごいことになってるね。深川の家!電子レンジ使いこなしてる?タマゴとかは破裂するから気をつけてね。女の子に比べて、男の子は小さい頃は病気をよくするって昔からいうから、本当なんだろうね。だけど母乳の子は免疫を母親からもらえるからいいとも…。だから母乳がんばりまーす。
(^o^)v
父から娘へのメール(続き)
足で遊ぶようになったらそろそろ寝返りして、行きたい所に行こうと思ってハイハイするようになるのう。そのうち伝い歩きになり二本足で歩くようになるが年寄りはその逆じゃけえのう。現実をみつめながら将来リーガーロイヤルホテルみたいな建物を建てたいと思いながら病院に通っているが、天佑はかなってくれるような顔しとるけエエのう。あせらずゆっくり天佑ペースで育てにゃのう。
父より
九月四日
父から娘へのメール54
幸恵の病状報告
朝、電話したら初めて積極的に出てきた。「昨日の午後8時頃嘔吐して吐き出すものがなくなって後は血がでそうな気がして、これでもう死ぬのかと思ってお父さんに電話しようか、電話しても酔っているからと思っているうちに看護師がきて、吐き止めの注射を打ってもらったら午後11時頃目がさめて吐き気がなくなって、朝のお粥も食べられたし、今は吐き気もありません」「採血の結果で退院ができるかどうかはっきりします」有り難いもんよのぅ。ワシを頼りにしているとは、「人という文字は一人で生きることができないので支えがあって成り立つので」と聞いていたがそれはおかしいのう。お互いに信頼しきったものが支えられることで片一方の意思がなかったら支えることができないがのう。ワシらはお互いの意思が共通しているから人という文字が成り立つのだが、まあ屁理屈はエエとして、朝11時頃電話はあり「血液検査の結果、明日退院できるとM先生に言われ、何時に退院するか教えて下さい」嬉そうな声だった。自分が決めればエエのにのぅ。遠慮しとるのじゃろう。「病院に行って決めるよ」と言って病室につくと起きていて「2〜3個まとめた小荷物を今日持って帰ってくれ」「今日はよその駐車場に止めとるからそんな重たい物はもてんよ。5時頃になると駐車場が空くからそのときに持って帰ろう」と言っているうちにベットに横になった。殆ど食べていないのだろう体がだるいらしい。今日の治療は採血のみでした。
娘から父へのメール58
深夜3時ごろ泣いてて、乳はさっき飲んだばっかりだし、夜泣きかぁ!と思ったら抱っこしたらすぐ泣き止みました。最近、左向きで寝るようになりました。頭が右ペッチャンで左はちゃんと丸くなっているから、いまいち左は向きにくいみたいなんだけど。これで右側がまーるくなるかな。でも寝ている間はうつぶせにならないように気をつけないと。お母さん明日退院できるんだね。よかったね。だけど安静で外出禁止みたいで。お父さん家事頑張ってね。動き過ぎると、退院許可がおりず、また数ヵ月入院になっちゃうよ。
父から娘へのメール(続き)
いつみても天佑の顔はエエのう。ようテレビで「元気」をもらったと言っているが「本当じゃのう」天佑の顔をみると元気が生まれるよ。幸恵に「ワシの写真と天佑の写真を一緒にしたらどうや」と言うと「天佑だけでエエ」と言うが寂しいもんよ。まあ照れくさいのじゃろう。片付けているとワシの若い時の写真を見るとワシもエエ顔しとるよ。
父より
9月5日
父から娘へのメール55
幸恵の病状報告
朝電話するとすぐに出てきて「体調は昨日と変わりなく午後2時に退院だから1時半までにきてよ」と元気なときの声にもどっていた。約束の時間に行けないので携帯電話に何回掛けても出てこなかった。「なんでや」「携帯電話も一緒に片付け紙袋に入っているよ」普通の人ならすぐ取り出せるポケットに入れているのにのう。初めて2時に電話がかかってきた。「今どこにおるんねえ」「エレベーターの前で1階におるよ」病室についたら退院手続きや薬など終え左手につけているバンコードだけで退院はすぐにできた。婦長が「よく我慢されましたね」と言われた。昨日夕食後に病室にN先生の回診で、「外来で検査結果をみて今後の方針を決めます」とのこと。引き続き第4クールの治療計画ではないらしい。一応治療が完治し初心に戻り、初回にした色々な検査をして、悪ければ今回と同じような治療計画するのかよくわからないのう。
まあ無事に退院して深川は出窓の工事中なので亀崎で待機する。深川に戻ったときあまり喜ばず文句を言っていたが人の気持ちも、ちいたぁ考えにゃのう。今日の治療はありませんでした。
娘から父へのメール59
お母さんの環境は整った?お母さんびっくりしたんじゃない?ベットは同じ場所にしたの?今日からまた新たに…。頑張りすぎないように。お父さんも体に気をつけてね。
父から娘へのメール(続き)
明日から経過報告は小休止になりますが永久中止になればエエがのう。まあチョコチョコ幸恵が電話するじゃろうてい。天佑にはしっかり母乳を飲まして心豊かに育っておるけえエエのう。
父より
幸恵退院(9月5日~26日)
九月六日
父から娘へのメール56
幸恵の病状報告
久し振りの深川で一夜過ごし、朝食は幸恵が準備した。昨日買ってきた菓子パンと牛乳だった。コップにいれた牛乳を1分間チーンといわしただけだがちょうど飲みごころの温かさだった。電子レンジの有り難さが身にしみた。これで鍋を洗うこともないし沸騰してこぼれることもないしのう。今、洗濯機のところを冬の寒さ対策で床はり工事をしているので、智の部屋で時々横になっていた。3時頃胸が苦しいと言っていたがすぐに良くなる。残った工事は昨日取りつけた出窓の雨漏りと換気扇と2ヶ所の空気洗浄機の取り付けと冷蔵庫の買い替えで、冷蔵庫は今週の土曜日に入荷する予定です。今週一杯で深川の自宅は綺麗になります。今週の金曜日に血液検査をしたら白血球の数値が下がっていると思われるので2〜3日通院治療になると思います。
娘から父へのメール60
まだ寝てません。うとうとするんだけど、泣きながら起きるんだよね。
父から娘へのメール(続き)
天佑も日増しにしっかりするのう。今日、親王さまがうまれたが天佑はそれ以上凄いぞ。同じ年に誕生しても天佑が先に生まれているから絶対に親王さまに負けるわけがないけえ。同じような教育方針でやればエエがのう。そうしたら個性がなくなるかもしれんけえ、参考にしてもエエがやっぱり夫婦の生活方針がえかろうてい。
追伸
メールは幸恵が退院したから少し休みますが、変化があったらすぐに隠れて送ります。
父より
九月七日
父から娘へのメール57
洗濯場の増築で亀崎に避難した。
娘から父へのメール61
かわいく撮れました!
九月八日
父から娘へのメール58
幸恵の病状報告
幸恵が朝食の準備をしたが、焼いていないしバターが塗ってないブドウパンと牛乳だった。幸恵一人で8時半タクシーにて病院に行く。採血の結果白血球が2,100らしく皮下注射をして明日、明後日も通院することになった。月曜日にはまた採血するらしい。時々横になって休んでいるが他人が見ると病人でないようである。
昨日は洗濯場の増築で亀崎に非難していた。
天佑は目鼻がしっかりしているのう。
父より
九月九日
父から娘へのメール59
幸恵の病状報告
朝、幸恵の顔が少し腫れているような気がするが、その顔のたるみはじいちゃんにそっくりだった。朝冷蔵庫と空気清浄機が入るので亀崎に避難する。今日の昼で深川の部屋は完璧になりました。
昼食は食堂の食事をとり市民病院の通院で白血球の皮下注射をする。午前中は体がだるかったのかベットに横になっていたらしいが注射後はゴソゴソしていた。明日は釣りに行きたいが雨が降るので行けそうもないので残念だ。薬でも入力しながら時間をつぶすしかなかろうてい。
メールの件はメールを送った後で「サバーの故障かなんらかな理由で処理ができません。」と警告があり、パソコンのスイッチをきってやり変えても同じ内容のメッセージがでるのでしょうがない、サーバーが壊れているのなら明日の朝にすることにした結果でした。
娘から父へのメール62
お家はきれいになった?最近、このカミカミするのが好きでいつもカミカミしてます。これもってると静かだよ!
父から娘へのメール(続き)
天佑はスクスク育ちエエのう。タバコの吸殻を食べささないように注意して下さい。
父より
九月十日
父から娘へのメール60
幸恵の病状報告
今日は朝十時に病院に行き白血球増殖の皮下注射をした。午後からワシは船を見に行って、その間幸恵はベットに横になったりしていたらしい。帰ってみると病人の顔をしていなく元気そうだ。今日は幸恵の誕生日だからチョコレートケーキを買ってきて三本のローソクをたて火をつけたまではよかったが、火を消すため幸恵が吹いたらケーキ上のチョコレートの粉がテーブル一杯に吹き飛んだ。慣れないものを買うから、こんなことになるのだろうがケーキはうまかった。
明日、通院するためタクシーの予約をしていた。明日は採血し、いつものとおり血液検査をするのだろう。
娘から父へのメー63
宅配便送りました。あさっての午前中に届きます。
お寺で約束してた「オムツ」とCちゃんに少し早いけどお祝いに「肌着」、お母さんに「帽子」と「写真立て」、あとレトルト食品もあるのでふたりで食べてください。オムツとお祝いはお寺に持って行くか、Sくんに預けて、おばさんに渡してもらって下さい。10月に島に荷物送るって言ってたから。よろしくお願いいたします(^人^)。
父から娘へのメール(続き)
今日の天佑は功君にようにとるのう。荷物はチャントするよ。
父より
九月十一日
父から娘へのメール61
幸恵の病状報告
大工が釘を叩く音で、朝8時半に目がさめたが幸恵はベットの上で眠っている。二人ともよく眠ったらしい。ワシは大急ぎで牛乳を電子レンジで温めているうちに、幸恵が起きてきて自分だけの朝食を食べた後、9時半に予約したタクシーに乗って市民病院に受診に行く。
待ち合わせの場所の確認で幸恵から携帯電話がかかったとき元気な声だった。その原因は、採血され1時間後にN先生の診療があり、下がっているはずの白血球が9,000もあったので幸恵がびっくりしたら「注射のせいでしょう」と言われたらしいが過去、2回の皮下注射でよかったのに3日続けて皮下注射したことがないので、おかしいと思っていたが。「9月15日に中電病院でペットCTで体内検査して22日に結果がでるから、その後の治療方針を決めていきたい」とのN先生の報告であった。自分の体は自分が一番よく知っているので、幸恵の体も不調もないし、医師も血液検査の結果をみて内臓には炎症もないし触診で腫瘍もないし、「いい結果がでる」と思って元気な声になったんだろう。これを信じて天命を待つしかなかろうて。幸恵が副作用にも負けず頑張って食べ体調を維持したからだろう。
娘から父へのメール64
昨日から離乳食を始めました。だけど、ペッと出すほうが多いです。なかなかすんなりとはいきませんなぁ(-.-;)。
父から娘へのメール(続き)
二重のおめでたじゃのう。天佑もおいしげに食べておるのう。
父より
九月十二日
娘から父へのメール65
今朝起きたら、天佑の左目が腫れぼったくむくんでいました。左下にして横向きに寝てたからかなぁと思ってたけど、起きて3時間たっても治らないから、病院受診しました。先生が診たころは腫れが少しひいていたけど、一応尿検査することにしました。ひとりでおしっこできたらすぐに検査にだせるけど、オムツだからとるのに面倒です。尿パックをつけて出るのを待つのです(夜寝てる間に)。赤ちゃんは代謝がいいからむくむことはないと思ってたけど…。赤ちゃんだからこそ未熟な機能があるのかなぁ?(写真は病院に行く前)今はほとんど左右いっしょだけどね。
現在の天佑。もう大丈夫?
九月十三日
娘から父へのメール66
母乳は免疫があるからいいけど、母の栄養状態がダイレクトにでるから気をつけなきゃね。
九月十四日
娘から父へのメール67
天佑、昨夜はなかなか寝なくて0時ごろ寝ました。夕方5〜7じごろ中途半端に寝たからかなぁ…。明日尿検査結果聞きに病院へ行ってきます。母も検査だよね。
九月十五日
父から娘へのメール62
幸恵の病状報告
最近、朝8時まで寝ている。安心しているのか、体がだるいのかわからないが今日ペットCTを受けるため中電病院に11時半にいく。2時過ぎに迎えにいくが車の中では口数が少なかったが深川に帰って「キットよくなっているよ。入院する前には足、手の骨の中まで痛たかったし鼻の腫れの痛みはないが鼻が詰まって苦しかったが、今は全く痛みがないし鼻も完全に治っている」とは言っても少し不安げな様子でした。今日はベットに横たわることなくテレビを観ているよ。元気になったヨ。
娘から父へのメール68
昨夜、お寺から電話ありました。届けてもらってありがとうございました
m(._.)m。天佑は膀胱炎が見つかり少し心配です。これは薬服用でよくなるそうです。膀胱炎とむくみは関係ないみたいなので、血液検査を今日しました。結果は火曜日です。何もないといいけど。6ヵ月すぎると病気になりやすいというけど本当だね。だけど、病気にかかって免疫力をつけながら大きく育っていかなくちゃいけないので仕方ないけど、大病にならないように気をつけなきゃね。
父から娘へのメール(続き)
天佑も大変じゃのう。慌てず少し時間をおいて考えるようにせにやあ。幸代も好き嫌いが激しいからお母さんが美味しく食べるのをみて天佑がものまねをして、食べていくのだからできるだけ美味しく食べる姿を見せにゃのう」
父より
9月16日
娘から父へのメール69
今朝はあまりむくみも気にならず、元気です。
薬は甘いから吐き出さずにちゃんと飲みます。離乳食もちゃんと食べていい子です。今日はカボチャ入りパン粥でぺろりと食べました。だいぶん慣れたかな!
九月二十一日
娘から父へのメール70
またまた今朝、むくみがでてきました。大丈夫かな?
この頃、いろんなものに興味があって、手を伸ばして取ろうとします。
九月二十二日
父から娘へのメール63
幸恵の病状報告
ここ2〜3日、朝食の準備をせず、ワシが食べたあとNHKの8時15分のテレビドラマを見るために起きている。今日もそうだった。タクシーに乗って病院に行った。待合室で真剣な顔をして待っていたが、幸恵が座っている椅子から2〜3メートル前横にワシが立っているのに全く気がつかない。受診番号を確認しているのか何回も見ては、テレビ案内の番号を確認していたが、やっと看護師が名前を呼ぶ声がしたので「順番が来たぞ」と体を叩くと急いで行った。予約のせいか、前の患者を追い越しての受診だ。待つこと15分診察室から幸恵が出てきたとたん「ペットCTの結果、病巣が見つからなかった」と一言言って「隣の皮膚科にいかにゃあ」と急いで受付に行った。
今日の採血の結果は白血球が2,900で少し低く、肝臓もよくなっているとのことで日常生活には支障ないとのこと。皮膚科受診の結果は脂肪の塊で体には影響ないし「化学治療が完全に終わって、気になったら取りましょう」との回答でした。来週再入院して一週間の抗がん剤の化学治療を行うとのこと。もう入院はしたくないらしいが、覚悟の上か、智の部屋にチャント入院の荷物を用意しているよ。まあ、ひとまず安心よ。幸恵が中電病院のペットCTのCDMをもらったが英語で書いているので画像しか分からず見ても素人なので何が写っているのか分かりませんでした。
娘から父へのメール71
顔のむくみ、検査には異常はみられないから、あまり気にしないでいいと言われました。まぁ続くようだったら、大きい病院にいって診てもらわなきゃあいけないかなぁと思っていますが…。
天佑は最近、寝返りするようになりました。といっても、偶然転がったかんじで自らうつぶせになりたくてなることはまだできないみたいですが…。
10月末、功くんがまた出張でいないので広島に帰ろうと思いまーす。
父から娘へのメール(続き)
天佑も元気になってよかったのう。好奇心が芽生えたようだが拒否をせずのびのび育てよ。
父より
九月二十五日
娘から父へのメール72
天佑はたまに何か取りたいときに寝返りするようになりました。基本的にはうつぶせは嫌いみたいです。私が持っているもの(特に電話とリモコン)が欲しいみたいです。
明日から母が入院だそうで…また寂しい生活が始まってしまうね。でも忙しくなっちゃうかな?朝晩寒いから、風邪引かないようにね。あと、よそでもらってこないように、手洗いとうがいは習慣づけるといいよ。母のために!
九月二十六日
父から娘へのメール64
幸恵の病状報告
今日は、家の中を綺麗に片付けて病院に向かった。病院の駐車場がいっぱいなので民間の駐車場に停め、偶然に病院の廊下でN先生にあい、「よろしくお願いします」といったら「ペットCTの結果がよかったのでこのまま治療方針を続け点滴のときは入院して後は通院治療を考えています」とのことでした。幸恵と入院受けつけ前で会った。
トイレ付きの部屋を希望していたが、あかないので幸恵が治療優先に考え前回と同じ南病棟の452号室に入院した。すぐに1階に降りて心電図をとり、肺のレントゲンをとって病室に帰って採血した。会議があったので帰ったが、電話をかけるとM先生の説明も「ペットCTの結果が良かったそうですね。明日、今度は腕に抗がん剤の注射をしますが、注射液の漏れがあるかもしれないので注意してください。週末には退院を考えています」とのこと。
採血の結果はわかりませんでした。
幸恵のいない間、風呂とトイレと玄関の出窓の工事を考えていますが、工事屋から連絡がありませんでした。
天佑も足を掴んだりして元気そうで、よかったのう。智もやっと1人前になったのう。
父より
九月二十七日
父から娘へのメール65
幸恵の病状報告
朝、電話すると「前の病室より本通りに近くなったため救急車の音やパトカーの音がうるさかった。後は別に変わりない」とのこと。会議があったため3時半頃についたら駐車場があいていた。病室につくと腕に抗がん剤2本目の点滴を受けていたが比較的元気だった。テラスのドアが開いていたので音がうるさく又朝冷えたのも窓が開いていたせいだろう。
娘から父へのメール73
天佑は両足で拍手するみたいにパンパンとよくします。昔のおさるのおもちゃみたい。手はまだできないんだよね。カミカミするおもちゃを買ってきたらお気に入りです。
父から娘へのメール(続き)
だんだんおおきくなって楽しみがふえるのう。病室にいるとき2回メールがきて、写真も見ましたが幸恵は遊んでいる写真が気にいったようでした。
父より
九月二十八日
娘から父へのメール74
おもちゃ箱が取りたくて、寝返りました。そしてひっくり返して大さばきさ。
寝起きの顔のむくみはあいかわらず続きます。どーしたもんだろ?
九月二十九日
父から娘へのメール66
幸恵の病状報告
朝、電話すると昨日と変化はないとのこと。12時30分に病室についたら昼飯を食べている最中だった。ワシは売店で買ってきた弁当を食べ、一緒に食べることは珍しいことである。採血の結果、肝臓がよくないので昨日と同じように抗がん剤は一本であった。IVHの位置が右の上腕にしていたので「どうしたのか」と聞くと「一日置きに位置をかえるのだろうヨ、点滴と同じ考えじゃあないの」朝熱はなかったが昼食後には37度5分あって氷嚢を要求していた。
第1クールは計7本の抗がん剤の点滴治療であったが第4クールは計4本だから体力が弱っているのだろう。日曜日に採血して結果がよかったら月曜日に退院して通院治療になるらしい。
娘から父へのメール75
今朝、天佑は離乳食食べて1時間後ぐらいに嘔吐して…。何回か吐いたから病院に行きました。昨日、うんちしてなかったから浣腸してうんちだしても、病院で吐いて。それに火がついたように泣いてたから、お腹が痛いのかもと、レントゲン撮りました。そうしたら気になるガスの陰があると。でも少し落ち着いて泣き止んだから、様子観察ということになりました。何回も吐いたり泣いたりしたら、大学病院の小児外科受診になるみたいです。とりあえず、今のところ元気かな。また明日病院受診です。
父から娘へのメール(続き)
今日の天佑は優しい顔しているのう。離乳食になれるまで時間がかかろうてのう。「男の子は小学校いくまで弱い。」とオフクロから聞いていたが当たっているのう。兄も弱かったらしいが今腹は出ているが元気なもんよ。
父より
九月三十日
幼稚園の運動会のため病院に行けず。
娘から父へのメール76
病院受診してきて、機嫌がいいからよしということになりました。けっきょく原因は不明です。昨日のレントゲンはただのガス(おなら)だろうと。まぁ一安心です。ほんとに男児は病院によく行くわ。
十月一日
父から娘へのメール67
幸恵の病状報告
昨日、昼間は運動会で夕方は反省会、夜はN夫婦とS夫婦と一緒に仕掛けの打ち上げをしたため病院に行くことができなかったが幸恵の状態は朝、起きてみると顔が腫れているが昼頃には腫れがひくらしい。肝臓の回復の注射しただけだったのこと。
朝、電話すると「チョット体がだるいが別に変わったことがない」とのこと。今日は釣りに行く気であったが雨が降るので中止にして病院に行ったら昼飯が終わったところだった。胸のあたりが詰まったような感じで食欲がないとのこと。食べていた量をみるとワシの食べる量とかわらない量だった。ワシが、ほかほか弁当で買ってきた弁当を食べているとき3ヶ月ちかく陽に当たってないせいか病人らしい顔になって眉毛もなくなり誰も見るものもいないのに眉毛を描いていたよ。朝、採血した結果看護師の話しでは肝臓の数値もよく白血球が下がっているが「N先生は明日でも退院していい」と言っていたらしい。明日午前中には退院するだろう。
娘から父へのメール77
携帯電話取ろう手の伸ばしてます。最近、寝返りや手を伸ばしたり、蹴ったりで動きが盛んです。ぐずぐず言っててもカメラを向けると笑います!
父から娘へのメール(続き)
天佑はどの角度から見ても人の心を癒してくれるエエ顔しているのう。病院通いもしょうがないじゃろうて幼稚園に入園するといつも病気をもらって帰るけえのう。そうして丈夫な子供に育つのよ。
父より
十月二日
父から娘へのメール68
幸恵の病状報告
朝、電話すると元気そうな声だった。医師からは退院許可はでていないのでチョット心配していたが、どの看護師からも今日、退院できる情報を得たからだろう。九時過ぎ頃携帯にかかって「今、M先生から退院許可がでて10時半に退院できるから」とのこと。病室にいくとベットに横たわってテレビを観ていたがすぐに退院できる状態であった。婦長がきて「まだ点滴治療があるそうですね」と言われて次の治療も覚悟した様子であったが「今年中に終わるかしら」と言っていた。副作用は食欲がないだけであるが2〜3日すると白血球が少なくなるだろう。受診は6日に採血して今後の方針を決めるらしい。
娘から父へのメール78
お母さんよかったね。退院!
チャドクガ(蛾)が今年大発生してるそうです。幼虫(毛虫)に刺されたり、直接幼虫に触れなくても大気中に舞い上がった毛に触れても症状がでるそうです。また、毛の付いた洗濯物を介してもかぶれるそうです。成虫になった抜け殻にも毛が残っているみたいです。ツバキ、サザンカ、茶などの葉につく。幼虫がさなぎになる10月上旬までは要注意!ナイロン製の服などが予防策です。と新聞に書いてありました。お父さん茶畑とか行くから気をつけてね。
お惣菜とか買いに行くと思うけど、母が好きなのは、煮しめ(レンコンやごぼうなど入った煮物)、ひじきの煮物、キンピラごぼう、切り干し大根の煮物などの野菜だよ。フジなら、食料品売り場の中のお惣菜がおいしいみたいです。幸代に聞いたことは内緒にして買ってみて!
父から娘へのメール(続き)
天佑はたくましいのう、足が動きだしたのうサッカー選手になりそうなのう。幸恵の好きなものはワシの好きなものと一緒じゃのう。
父より
幸恵退院(2日〜31日)
十月三日
娘から父へのメール79
またまた嘔吐しました。9月に入ってから毎週病院に行ってます。大人だったら顔がむくんだり、少し嘔吐したぐらいでは病院行かないんだろうけど、赤ちゃんはしゃべれないし、なんかあったらすぐに病院行くよね。まぁたいしたことないみたいだからいいけど…(-.-;)
十月六日
父から娘へのメール69
幸恵の病状報告
今日は受診日でタクシーで病院にむかった。11時に終わる予定だったので、夏に天佑と一緒に待っていたところで待っていたが、帰ってこないのでCTでも撮っているのかと思っていたら電話がかかってきた。声は元気そうだった。M先生が10月30日に入院予定ですと言われたので「後何回するのですか?」と聞くと抗がん剤治療はあと2回しますと言われたらしい。5回目までは覚悟していたらしいが6回目は驚いた様子だ「もう治っているのにせんでもエエのに」「入院はしたくない」と訴えていたが最後まで治療を続けさせなければ、「N先生は副作用に真剣に取り組みガン治療をしているから。」とN先生の慎重さを褒めたりして幸恵の気持ちを穏やかになるようにつとめています。採血の結果は肝臓はうわむきで良く白血球は2,800で少し悪く今日と明日治療をします。
娘から父へのメール80
昨夜、功くんが帰って来たとき天佑、目が覚めてというか音で起こされて、大泣きでした。功くんが抱っこしてすぐ泣き止んだけど、めちゃ怒った目付きでじーっと見てました。いつもは夜遅くてもニコッと笑うんだけど、昨夜は虫の居所が悪かったのか寝るまで一回も笑いませんでした。見てるとおもしろかったよ。
父から娘へのメール(続き)
今日の天佑は怒っているのう3日の天佑は可愛いがのう。幸恵が言うのにはワシが酔っ払って帰ったとき幸代を起して、「もう寝るわー」と言って寝ていたらしいのう。
父より
十月七日
父から娘へのメール70
幸恵の病状報告
今日は診察の日だが、風呂も入らず朝までよく眠っていた。昼間はフトンを干したりしてゴソゴソしていたがのう。昼食をして市民病院に行った。車の中で手の色を見て「黄色になっているのかしら」と問い掛けてきた、黄疸を気にしていたのだろうがたいした色でなかった。今日の治療は白血球の注射のみでした。
娘から父へのメール81
離乳食は相変わらず、3口ぐらい食べたらもう口を一文字にして開けません。乳のときは大きい口開けて待ってるのにね。困ったもんだ(+_+)
父から娘へのメール(続き)
美味いものから、まずいものに変化するときは、しょうがないのう。天佑の態度があたりまえだろうてい、しかし自立するためには動物や鳥たちも、心を鬼にして育っているけえのう。まあ天佑の場合は優しく育てればエエよ。
父より
十月八日
娘から父へのメール82
今日は一日半袖だと寒かったです。だから天佑は今日から長袖です。寝るときは前から長袖だったんだけど。布団掛けても蹴るから風邪引かないか心配だよ。腹巻きして寝かせてるんだけど…。
10月10日
娘から父へのメール83
25日水曜日の午前中に広島に帰る予定です。新幹線の切符はとったので。よろしく!
十月十六日
娘から父へのメール84
天佑は好き嫌いがはっきりしてるから大変だよ。離乳食は一歩進んで半歩下がるってかんじです。とりあえず、今食べるのはりんごだけ(>_<)。あとは何が好きなんだろう?甘いのが好きかと思って、さつまいもとバナナはいまいちの反応だし。そういえば、夏広島でスイカは好んで果汁飲んでたね。
十月三十一日
父から娘へのメール71
幸恵の病状報告
もう11月だというのに暖かい日々が続いているが予定より1日遅い入院日だ。
目覚し時計が7時半に鳴って幸恵が起きてきた。急がしそうに入院の準備をしているかと思ったら、ソワソワしているだけでなにもしていない。予約していたタクシーに9時10分に乗って市民病院に向かった。午前中は採血のみだったのか、チャッカリとシャワーを浴びていた。ワシは12時に病室についたが弁当がないので売店で弁当と花を買って帰ったら、幸恵は昼食をワシを待たずに食べていた。医師の指示がないのでSさんの見舞いに行って帰るとまだ医師の回診がなかったので今日の抗がん剤の治療はないと思って帰った。その後電話をすると、「採血の結果、肝臓はいいので予定どおり明日から治療を始め明後日採血して今後の治療を決めます」とのこと。まあ、明日から治療を始めることができてよかったよ。家にいるときは数値が悪いので「これ以上治療を続けるわけにはいけません」と言われたら、どうしょうかと思っていたがのう。
十一月一日
父から娘へのメール
幸恵の病状報告
朝電話すると、「いつもと変わりない」とのこと。病室についたらベットに横になり、いままでになかった元気な様子だった。院長の回診でワシに向かって「今度の入院は週末には退院できる予定です」と言った。どの医師も言ったから幸恵の心に「週末には絶対帰れる」と信じたのだろう。抗がん剤を3本打っても体調には変化がない様子だが油断は禁物で明日の血液検査が心配だ。同じ病院に入院しているSさんのところに行った。ガン患者の家族を持つ先輩であるワシだからワシの言うことに耳を傾け悲しんだり喜んだりしていた。「前立ガンで、うちの運転手が先週切ったが四日ほどして退院して今運転しているよ。」と言ったら「そんならたいしたことはないのう」と笑顔に変わった。これは真実の話しだが「絶望のときには嘘でもいいから癒しの言葉が必要」と感じたよ。
明日血液検査をして抗がん剤の量を決めるらしい。
父より
十一月二日
父から娘へのメール72
幸恵の病状報告
昼、電話すると血液検査の結果、肝臓の数値は少し悪いけど「普通の治療をします」とのこと。明日は採血しないからおそらく抗がん剤は合計7本になるだろう。副作用が心配だがあたりまえの治療ができるのだからヨイとしなければ。
審査が終わって病室に行ったのは午後3時だった。ベットに横たわっていたがすぐに起きてきた。
今まではすぐに横になっていたが元気そうに色々な注文をしたり「天佑は元気か。」等言った。明日は文化の日なのに当然見舞いに来るかのように「今日は血をとられたから野菜ジュース2つと麦茶2本持って来て」とのことづけでした。バッテリーがあがらないように船のエンジンをかけに行きます。
父より
十一月三日
父から娘へのメール73
幸恵の病状報告
朝、電話すると採血なしで治療をすると思ったら血液検査をしたそうな。
N先生は副作用を気にする先生だからだろう。気になるので昼電話したら結果は昨日よりも肝臓の数値がいいから予定どおり抗がん剤2本しますとのこと。
やれやれ、よくなるはずがないのに正常値に近づくとは驚きだ。不安を感じながら病院に行ったら幸恵は起きていた。顔は浮腫んでいたが昨日と同じように元気だった「明日の血液検査結果がよかったら退院してもいいと、M先生に言われたから」嬉しそうな顔して言っていた。後は通院治療に専念することになるだろう。
話しは変わるが基本的に現在の医学では「ガンは治らない」ことになっているが進行を防ぐ治療は進んでいるように思う。奇跡が起こればエエがのう。
娘から父へのメール85
朝からゴロゴロ転がってます。11時30分から2時30分ごろまでお昼寝してました。昨夜は寝るの遅かったし疲れてたかな?3時間もお昼寝することはないんだけどね。
父から娘へのメール(続き)
天佑は疲れたかのう
父より
十一月四日
父から娘へのメール74
幸恵の病状報告
朝、電話すると採血して結果がよければ退院できるらしい。結果がでるのが2時間後の10時頃になるとのこと。予定の時間になっても電話がかかって来ない、11時になってもかかって来ないので、「結果が悪くてようかけてこないのじゃろう」と思ってから、こちらから電話しょうとしたら掛かってきた「肝臓の数値がよいので退院してもええとN先生に言われたから」声がはずんでいた。いつも掛けてこないのに、2時になったら携帯に電話がかかって「今どこにいるの、荷物も整理していつでも帰れる状態だから」よっぽど嬉かったんだろう。家についてもいらん仕事をして、いまだにベットに横になっていないから、明日しわよせが来なければエエがのう。
娘から父へのメール86
うちのリビングはこんなかんじだからかあまり転がりません。1回転はするけどね。母の早い退院よかったね。育児書をみると小児癌は大人とは違い薬がよく効くからあまり悲観的にならないで。また、今の医学ではよい薬ができているから。と書いてあります。母はこのパターンかもね。
父から娘へのメール(続き)
天佑は驚くほどに成長するのう。望遠鏡で土星に焦点をあわして「幸恵、見てみいや」「何も見えんじゃ」一瞬のうちに望遠鏡の土星が消えていたが肉眼ではおえても望遠鏡でみたら焦点をあわすのがむつかしいのう。
頭の硬いじじ、ばばは、経験は語れるが天佑の成長の早さを察知するのは両親だけじゃけのう。ようみたれえよ。
父より
幸恵退院(11月4日~27日)
十一月十日
父から娘へのメール75
幸恵の病状報告
抗がん剤治療が終わって退院してから一週間になるが料理も作り、顔の腫れもなくなり元気そのものだ。昨日からベットに横たわる時間が増えてきたので予測の通り谷底に近づいているのだろう。Iクリニックでノロウイルスが発病したが、感染症にならなければエエがのう。施設もすぐに感染予防対策に専念しているが、面会者が一番危ないけぇのう。今日は受診日なので風邪をひかないように厚着をしてタクシーで病院に行った。採血の結果白血球が1,900しかないので今日から3日間注射をすることになり、今月の27日に入院して最終回の化学療法をすることに決まりました。幸恵は「少し時期が早すぎるのではないか、いや今月一杯で治療が終わればエエのに」と言っていたが、まあどちらでもエエのだろう。たいぎいときはベットに横になっているから大丈夫だろう。
天佑は凄いスピードで成長しているからケガをさせるなよ。
父より
十一月十一日
父から娘へのメール76
幸恵の病状報告
幸代が送ったメール受信の小さな音で2人が目を覚ました。朝礼まで7分しかない時間にうるさいワシも何も言われず、慌てて歯を磨き黙って朝礼に行った。ワシの車で市民病院に行った。駐車場はすいていたが路上で待っていたら白血球の注射をおえた幸恵が30分して戻ってきた。白血球が下がっていると言うことは免疫がないことだから感染症に注意しなければのう。今日は特に異常なし。
父より
十一月十二日
父から娘へのメール77
幸恵の病状報告
白血球の注射を受けるため市民病院に行ったが幸恵の容態は昨日と変わりなく、往復ワシの車で無事に家についた。たいぎい様子もないので昼から船の様子を見にいきチョット釣りにいったがアジが一匹しか釣れず晩御飯のオカズにならず。
父より
十一月二十七日
父から娘へのメール78
幸恵の病状報告
最近よく眠るようになった。“たいぎい”のかどうか分からないが今日は入院日なので朝起きてパンを焼いて牛乳を出してくれた。予約したタクシーに乗って市民病院に行った。
病室は広く外の景色も広島城が見え掘りを囲んでいる紅葉が綺麗で満足した声だった。12時に病室に行ったら、ばあちゃんが見舞いにきていた。「最後だからいい部屋にしてもらったのじゃろう。もう入院しんさんな」と言っていた。
「採血の結果よかったから明日から治療を始めるそうです」看護師が幸恵に言っていた。帰って今夜のオカズのことを聞こうと思って電話したら「シャワーを浴びたとき初めて治療したときの注射の位置(右足のつけね)に、ふくらんだものができているのでM先生に言ったらリンパなら抗がん剤で小さくなるでしょう、そうでなかったら脂肪かもしれません。治療が終わった段階で考えます」とのこと。
「いつから出来たのか、痛いのか?」と聞くと2〜3日前から気になっていたそうだ。まあ明日から3日間抗がん剤治療を始めるが今週の土曜日には退院するじゃろうてい。副作用が軽かったらエエのにのう。
娘から父へのメール87
なんかいい部屋みたいだね。お城が見えるとか。
12月26日に一足早くふたりで広島に帰ります。功くんは30日かな。天佑はハイハイもどきがうまく、移動範囲が広くいろんなことに興味をもつようになりました。見たらびっくりするよ。成長するの早いねぇ。
父から娘へのメール(続き)
天佑は元気じゃのう。ニュースで放送していたが「赤ちゃんからのサイン」があれば子育てが楽しくなるらしい、例えば赤ちゃんの目線の高さに木の茂みの奥に草花があったら「花のサインをだすらしい」当然親の目線では見えないがそれをサインで知らせることは素晴らしいことじゃのう。
父より
十一月二十八日
父から娘へのメール79
幸恵の病状報告
昨日、寒くて体が冷えていたのでコタツの中にもぐっていたら、珍しく幸恵から電話がかかってきた。「いつもかかってくる時間なのに、かかってこないから」と言っていたが元気そうな声だった。病院に行ったら右手に注射針を刺していたが、いままでになく元気そうだった。気になった右足の浮腫を聞くと「19日にベットの足につまずいて足の指が痛くてたまらなかったから、そのせいだろう」と言って、けろっとしていたが、みんなが心配しているのは十分知っているようだ。今日は体調がいいので予定どおりのガン治療をおこなった。あと2日頑張りゃあええがのう。
天佑の目の高さで環境を整理せんとのう
父より
十一月二十九日
父から娘へのメール80
幸恵の病状報告
昨日の夕方、N先生の回診のとき「12月の下旬にペットCTを撮って、その結果を見て治療方針を決めます」とのこと。
今日、血液検査の結果、M先生が「肝臓の数値が高いけれど予定通り抗がん剤の点滴をして、明日は抗がん剤の量を減らし今日から3日間肝臓の注射をします」とのことだから退院はどうも土曜日になるのう。ちなみに肝臓の注射は30秒で終わるそうな。
ワシが2時間病室にいたが最初の入院時と違ってベットに横になることが少なくなっているので「どうしたんか」と聞くと「全身に病気があったからたいぎかったが今は右足のシコリだけだから」と言っていた。家にいるときはよく寝ていたが抗がん剤がきいたのかな、副作用がなくなったら美味いものでも食べにいく習慣をつけにゃのう。
娘から父へのメール88
なんかハイハイができそうな…。腰が上がるようになりました。まだ足は前にでないけどね。本格的にハイハイができるようになったら移動が速くなるよね。
父から娘へのメール(続き)
天佑の顔もそうだが髪の毛もしっかりしたのう。将来日本の救世主になろうてえ。
父より
十一月三十日
父から娘へのメール81
幸恵の病状報告
今日の治療は抗がん剤を2本のところを1本に減らして午後8時頃終わる予定です。これで最初にたてた治療計画が終わりました。
明日、肝臓の注射をして明日の血液検査の結果がよかったら退院する予定です。
「心配かけたのう、ワシが不便さを感じたところは改造して掃除・洗濯・食器洗い・スーパーの買い物はできるようになったが料理はできんかったのう。そのせいか食べることはできんかったが、幸恵が退院したら食べるようになろうてえ」
娘から父へのメール89
最近はペットボトルがお気に入りです。円柱状のものは転がるからおもしろいみたいです。智が12月の日曜日に一回帰るって言ってたけど…?(年末年始とは別に)
父から娘へのメール(続き)
天佑も好き嫌いにならんようにせんといけんのうSおばさんは小さく刻んだニンジンを取り出していたが、その子どもも同じ行動を取っていたから親を真似たんじゃろうてえ。智は結婚式の衣裳で帰るのよ。
父より
十二月一日
娘から父へのメール90
うつぶせから横座りができるようになりました。偶然できたんだろうけど。
幸恵退院(12月1日~1月5日)
十二月七日
父から娘へのメール82
幸恵の病状報告
タクシーが部屋の前で待っていた。市民病院に行くのがわかるのだろうか。
9時、幸恵が病院に向った。採血の結果肝臓は回復しているが白血球は1,800で3日間通院して注射することになった。「M先生がマスクしていると目がきれいだけどマスクをはずすとそうでもないネ」と。先生から「足のつけねのグリは小さくなったような気がする」と言われたそうな。白血球は1,800だが予想とおりで幸恵も心の余裕ができたのだろう。11時過ぎに家に向かった。
昼食は食堂のソバを食べたが美味くなかった。
父より
十二月八日
父から娘へのメール83
幸恵の病状報告
10時半にワシと一緒に病院に向ったが幸恵の様子は別に変わったことはなかった。一週間前に入院していたのに、なぜかズート一緒に生活しているような気がしてならない。報告書では12月1日に退院しているのにのう。まあ、幸恵が元気だからだろう。
父より
十二月九日
父から娘へのメール84
幸恵の病状報告
今日は土曜日だから昼から市民病院に向った。車中で幸恵が非常に喜んで「天佑が2、3歩ハイハイができるようになったよ」携帯の画面を見せた時、前の車が車線変更をして危なかった。幸恵は「必死になって病気と戦っているのに交通事故でまだ死にたくないよ、病気の場合は仕方ないが、お父さん気をつけてよ」と言っていた。体調はいいようだ。これでしばらく点滴もなくなり中電病院のペットCTを受け25日の結果を待つだけだ。
父より
十二月十九日
父から娘へのメール85
幸恵の病状報告
朝、幸恵が静かに起きてきた。病気の認識しているようだった。車中で色々な話しをしても、もの静かにしていた。中電病院には30分前に着いた。ワシと幸恵の気分転換に、弟の発想を参考に亀崎の庭を昨日から模様替えしているが、あまり興味をみせなかった。智の結婚式のことや天佑のメールが幸恵の心を唯一癒している。ペットCTの結果は25日にわかるが、いい結果がでればいいがのう。足のつけねのグリが気になっているらしいが入院する前よりも体調はいいからよい結果がでるだろうよ。
父より
十二月二十五日
父から娘へのメール86
幸恵の病状報告
昨晩の話しで「今年入院はせいとは言わないだろう、が来年の1月に入院せいと言われるかねえ。」今日の結果が悪いと本人はすでに認識していたようだ。初めて弱気をだし診察についてきてくれとたのむので一緒にいき、N先生のCTの結果を聞いたが「第3回目の抗がん剤治療が終わった段階でペットCTの結果が良かったので自信があったけど今回の結果が悪くて残念です。以前話しましたが、もし結果が良くなかったら大学病院のスマイル化学療法をお薦めしていましたが副作用がひどく現在は治療中止となっていますから抗がん剤を変えて治療をはじめます。今年はゆっくりして、来年の初めには内臓にも兆候が見られるので一ヶ月間の入院治療をしなければならないでしょう」とのこと。帰って右足のつけねの腫瘍をみると大きくなっているのでびっくりした。幸恵に「なんで、はよう言わんのかい」「見せても治してくれるわけでもないし」昼からワシは亀崎の物干し場を確保するため倉庫を片付け明日乾燥機を注文する予定です。
娘から父へのメール91
明日広島に帰ります。10時30分ごろに広島駅に着きます。だから深川には11時すぎには着くと思います。
天佑は気に入ったもののためなら、つたい歩きやはいはいで物を乗り越えて行くから。よろしくお願い(^人^)します。
父から娘へのメール(続き)
天佑が動きはじめたらしいのう。頭が重いからバランスくずすことが多いから注意せんとのう。
父より
幸代・天佑広島滞在(26日~1月2日)
一月五日
父から娘へのメール87
幸恵の病状報告
朝、2人が8時に目がさめた。10時には病院に着いていなければならないのに、幸恵はゆっくりしているもんだ。
電話がかかり今度の病室はキッチンもついているので、ヤカンや急須が欲しいとのこと。
病院の駐車場は待機車が多いので、民間の駐車場にとめ病室に11時に着いたが,鍵が掛かっていたので外で40分も待った。採血や心電図やエコーをとり終わって幸恵が帰ってきた。
病室に入ると最初に入院していた部屋の4倍あり、机は勿論応接セットもあったがチョット古いが旧館だから仕方がなかろうてい。
1時頃研修生のT先生がきて3時にN先生と今後の治療方針を決めますのでご主人も一緒に聞いて下さいとのこと。2時頃、タバコを吸いにでるためエレベーターを待っていると偶然にN先生が降りてきて「前にも言ったと思いますが、ガンの進行は骨髄まで進んでいますから今回の治療はきびしい副作用がありますが化学療法はしないより、したほうがいいと思います」とのこと「N先生にお任せいたしますので、よろしくお願いいたします」とワシは言った。
3時にN先生とT先生が病室に訪れた。二人の前で「9日に首の静脈にIVHをして11日、12日、13日は抗がん剤治療をして15日も違う抗がん剤の治療して少しあけて19日、20日、21日、22日も抗がん剤治療をしますが、それぞれ違う抗がん剤なので前回とちがって輸血が必要になったり腎臓や膵臓が悪くなる可能性があります。勿論、副作用がひどい場合は抗がん剤の量を減らしたりしておこないます」とのこと。治療を止めるかどうかとは言わなかった。「何か聞きたいことがありますか。」とN先生が言ったら、幸恵が「2月3日に外出できますか?」と質問したら「肺炎とか感染症がなければいいですが、患者さんが何を注意していればいいかは、何もできないので血液検査しながら万全をつくしますが100%の保障はできません」とのこと。二人で「よろしくお願い致します」と言ったよ。
さっき幸恵から電話があり「輸血や化学療法の治療の同意書を3日間考えて印鑑を押してくださいとT先生が書類をもってきたから印鑑を持ってきてくれ」とのこと。以前、緩和ケアについてワシが話していたからだろう。
娘から父へのメール92
何か台があるとすぐ立ち上がります。でも座れないんだよね。だからいつまでも立ってるけど、座りたいときは泣いてます。か、こけてます。
父から娘へのメール(続き)
天佑はすくすく成長するけえエエのう。自然の法則には負けるよ、しかしエジプトの古代の人間は太陽が東から出て西に沈む。また次の日には東からでてきて又西に沈む。太陽が沈んでいるときは真っ暗闇だが次の日には新しい光が訪れることを信じて疑わず、常に前向きに考えているのが素晴らしいのう。手摺を縦につけて、お座りができるようにしたらどうかのう。
父より
一月六日
父から娘へのメール88
幸恵の病状報告
朝、電話すると「なにもしていないので、なんともないよ」とのこと。昼、電話すると、今まで聞いたことのない声で「今母がきているの」幸恵の声が生きていた。病院にいくと、まだばあちゃんがおりワシが持っていた花をすぐに花瓶にいけてくれた。ところで朝、9時頃N先生がきて幸恵が喉の痛みを訴えたら「異常がないから嗽をしなさい」と言われたらしい。看護師の話しでは、「この病室は暖房がきいて乾燥するんですよ」「昨日ワシが加湿機を持って来ると言ったのにエエよと、言うけえ。まあ、明日もってくるよ」昨日の幸恵は「9日に入院すればエエのに」と、ぶつぶつ言っていたが今日は環境になれたのか元気だったよ。
娘から父へのメール93
けっこう重たい植木鉢なんだけど、とってを引っ張って動かしちゃいます。
父から娘へのメール(続き)
天佑は右利きかのう、右足はしっかりふんばっているが左足の足首が弱いように思うが気のせいかのう。まだ一才にもなってないからかのう。そのうちしっかりするじゃろうてい。
父より
一月七日
父から娘へのメール89
幸恵の病状報告
朝、起きてみると雪が10センチ積もっていたが道路は2〜3センチぐらいでワシの車は四輪駆動でしかも、ラジヤルタイヤをはいているので病院に行くのは支障がないが気になって幸恵に電話すると「道路は雪がないよ、背中が黒くて腹が白い鳥がとんでいるが何の鳥だろうか」「そりゃあゴイサギよ」まあ普通の声だった。病院には昼までについて一緒に飯を食べたら久し振りにコンビニの弁当を全部食べた。2時半頃実妹が見舞いにきた。姉妹で話しがしたいだろうと思ってワシは予定より早く帰った。先生の回診はなかった。
娘から父へのメール94
今日は仲人を頼まれた人とお店で食事したけど、天佑はとってもいい子でした。外ずらいいかも!
私の結婚式のビデオを送って欲しいのですが。お母さんに場所を聞いて名古屋に送って下さい。よろしくお願いいたします
(^人^)。
父から娘へのメール(続き)
天佑は可愛い顔をしとるのう。明日ビデオを送るよ。
父より
一月八日
父から娘へのメール90
幸恵の病状報告
朝、起きると8時半、もう朝礼には間に合わないので内線で朝礼には出られないことを告げた、今まで一度もなかったのに。幸恵に電話したら「今日は祭日だからいいんじゃないの。成人式だから護国神社を見ているが誰も晴れ着姿の子がいないね、近頃の若者は神社にお参りするものはいないのかネ」「昔は成人式1月15日に決まっていたのに政治家の馬鹿が旅行会社などに頼まれてすべての祭日を連休にしたため、若者達が耐える心が失われて暴走するようになったのよ。ワシが子どもの頃は、遠足のとき明日雨が降りそうになったらテルテル坊主を軒下に吊るして晴れるようにお願いしたもんよ」
今日も昼飯を一緒に食べようと思って、ほかほか亭の弁当を持っていた。右足の足首の浮腫はひいていた、入院の効果があったのだろうが右足のつけねのグリは卵ぐらいの大きさになり血管がういてきたそうな。今日から尿量のチエックをしている。研修医の先生が朝きたらしい。幸恵が入院してからビールが飛んでこんよ。
娘から父へのメール95
ビデオありがとう。仲人の参考にするみたいです。まぁただ一緒に高砂に座っているだけみたいですが。
父から娘へのメール(続き)
天佑がもうすぐ「じいちゃん、あまり飲みんさんなよ」との声が聞こえそうな気がするが、天佑は幸代の目を盗んでビールを持ってきてくれるじゃろうてい。
父より
一月九日
父から娘へのメール91
幸恵の病状報告
毎日朝8時半に電話をかけていたが、寒くてコタツに入っていたら掛ける時間がなくなり9時すぎに電話したら丁度その時間に採血していたから電話にでることができなかったらしい。病院に2時に行ったら首にIVHをしていた。11時にM先生がきて、したらしい。気分なおしに二人で新館の10階のレストランに行ってみた。持ち帰り用のカレーライス・うどんやラーメンがありこれなら食べられると思った。今日はコーヒーを注文したがあまり美味くなかった。病室に戻ったらN先生がきて「治療に対して質問はありませんか」「薬が違うので副作用が心配です」「十分配慮して行います」とのこと。施設の新年宴会があり、二番目の兄が痩せているので「どうしたんか」と聞くと糖尿でご飯を食べずカロリーを抑えているらしい。どうやら兄弟全員が頂上を超えたらしいのう。子供たちの時代に変わったよ。
娘から父へのメール96
今日は宝くじの当選発表の日だよ。明日の朝刊見てみてね。
天佑は、真似するようになりました。「ねー」と言って首を傾げるのは完璧にできます。あとは気が向いたら、「ハロー」と手を上げるのをやります。
父から娘へのメール(続き)
天佑は日々に成長するのう。反対にそのぶんだけワシらは老けていっているんだろうよ。毎日カメさんのようにコツコツと前進せんと、うさぎさんに負けるけえのう。
父より
一月十日
父から娘へのメール92
幸恵の病状報告
朝、小さいインスタントラーメンを食べ、幸恵に電話すると元気な声だった。8時頃研修生のT先生が明日の報告に来たらしい。昨日報告する予定が今日になったので慌ててきたらしいよ。明日からの抗がん治療の予定を喋ったらしいがのう、一週間前から入院しているから何度も同じことを聞かなくてもエエのにのう。一週間前に入院させられたのは心の準備じゃろうてい。審査が終わり3時頃病院に行くと駐車場の待機車が15台いるので民間の駐車場に止めた。なんでこの時間帯に多いのだろうか、病院内も私服をきた人が多かった。病室にいきドアをあけても幸恵は眠っていた。「よう寝ていたわ」と起きた。窓をあけ空気の入れ替えをして、ワシが来週の審査会の資料を吟味しているあいだ幸恵はワシが持って行った花をいけたり、宝くじの番号をみて「1,800円当たったよ」「幸代はどうかの?」と聞くと「多くて600円よ」「電話が掛かってこんけえそうじゃろうてのう」
今日の治療は問診のみでありませんでした。
娘から父へのメール97
ビデオは結婚式のときでいいよ。急がしてごめん。
今日は、三種混合予防接種をやりました。何回やっても注射は大泣きです。病院の行きはベビーカーだけど帰りは抱っこ紐の中です。あまちゃんだよ。
父から娘へのメール(続き)
天佑も可哀相なのう。これも現代医学で予防が優先されているのじゃろていのう。泣いたあと母親が心を守ってやるのが一番よ。ワシらが小さい頃ツベルクリンが陽性か陰性か忘れたが右上腕にBCGの注射を打ったら、そこからウミがでて治るまで大変で傷後も酷く残ったが、今はハンコウを押しただけの傷しか残らず医学の進歩も、たいしたもんよのう。幼いころから歩けなかった画家の「はらみちを」が、お母さんの背中のぬくもりを今でも言っているけえ、お母さんの背中で育ったのじゃろうてい、年は70歳すぎておるがのう、たいしたもんよ。
父より
一月十一日
父から娘へのメール93
幸恵の病状報告
朝、8時半に電話するとT先生がきていたらしく、電話が鳴ると医局に帰ったらしい。どうも時間帯が南病棟と違うので明日から9時にすることにした。病院の駐車場に12時45分に着いたが5台ぐらいなので待つことにした。車中で審査ができるので待ち時間は気にはならなかった。売店で弁当と紅茶を買って病室に行った。幸恵はシーツ交換が終わったときなので抗がん剤の点滴を打ちながら立っていた。ワシは胃が小さくなったらいけないし、幸恵もしっかり食べてもらわないと思って初めて弁当を全部食べた。「がんは治らないし再発するじゃろうね。肝臓や胃や肺癌などはどうしようもないが、私のは全身だから腫瘍ができるだけで命にはべつに関係しないよね。副作用で感染したら治らないかも・・・。」「そうよ、食べて体力つけにゃ」「体力と気力だけしっかりもたにゃ」「おい、見てみいや全部食べたぜ」「好きなもんばっかりじゃなかったん」「好きな弁当しか買ってこんよ」今日から癌治療が始まった。午前10時から抗がん剤の点滴がはじまり、午後12時に終わる予定らしいが今日の調子なら気力で耐えて治るじゃろうてえ。
娘から父へのメール98
ねぇーと頭を傾げてるとこです。これはねぇーと頭を傾げるとマネしてやります。今、ハローと言って片手上げる練習してます。気が向くとやってくれるよ。
父から娘へのメール(続き)
天佑の目線で育てにゃのう。そういやぁ、囲い柵の話しがないのう明日、電話をかけてみるわ。
父より
一月十二日
父から娘へのメール94
幸恵の病状報告
電話したら7時頃採血して10時ごろから昨日と同じ量の抗がん剤の点滴を始めるらしい。病院に午後2時前についた。今日も点滴は午後12時頃に終わる予定らしい。花瓶の花が疲れ切っているようなので、「買ってこようか?」と言うと「明日でエエよ、喉が乾くのでみずやの飴をもってきて」と言って洗濯物を入れ替えてベットに横になったので、審査をしていると幸恵のいびきが聞こえてきたが看護師がくるとすぐに目をさました。尿の量が基準にたっしているので尿の促進薬は、しなくていいそうだ。食事も3分の2食べたからいいそうだ「私は副作用がないから薬がきいてないのかしら」「個人差があると先生が言ってただろう」足首の腫れはひいているが、右足のつけねのグリはまだ腫れているらしい。耳の側の髪の毛が伸びているので「帽子をとってみい」と言うと「いやよ」と言うので頭の毛の状態や癌に関係ない腫瘍はどうなっているか、わからんがのう。
娘から父へのメール99
昨年から左手のホクロが隆起してから、除去の手術を悩んでましたが、今日行いました。ずーっと大泣きでしたが、医師いわく、麻酔してるから痛くないそうで、押さえられるのと私がいないので泣いてたみたいです。もう痛くならないそうで、ひと安心です。家に帰ってからはいつもとかわらず悪さしほうだいです。手の包帯のネットを取ったけどね。
父から娘へのメール(続き)
天佑をあまり泣かすなよ。天佑の防護柵は発注したばかりでいつできるか分からんよ。大工に頼むかのう。
父より
一月十三日
父から娘へのメール95
幸恵の病状報告
朝、電話したら昨日気分がわるく吐くまでいかなったけれど夕食はとれなかったらしい。そろそろ副作用がでてきたのだろう。今日も予定どおり9時半から午後12時まで抗がん剤をするらしい。
今日、珍しい東京時代の友人がきて年賀状を見てきました。もらって嬉しかったです。「今、自己破産してなにも脅えなくて生活できて家族円満です」「なんで自己破産したんや」「銀行と親友に騙されたのよ」「負債額はなんぼうや」「17億円よ」「なんでワシに相談せんかったんか」「ビルを売ればチャラになると思っていたが個人資産を先に処分させ、最後に会社を処分させたのよ」個人ビルは家賃がはいてくるのに。女房と二人で測量会社をしているが、女房もいま一番幸せと言っているし子供も学校にいかせにゃ」「エエ女房をもったのう」ほいじゃが事業は三代で潰れるとよく言ったもんよ。
病院に午後2時についた。チュウリップの花を生けたらなんとみるみるうちに花びらが開くではないか、「おい凄いぞ、見てみいや」「ほんとだ、暖房機の下だからよけい開いたのよ」ワシは「長持ちがするように」とつぼみのを選んで買ったにのう。「夜になるとしぼむんよ」幸恵がいった。自然は正直じゃのう、温度差と照明差で開いたり、しぼんだりして。砂漠地帯では夜露を集めて飲料水にしているらしいが、自然をもっと利用すれば地球温暖にならなかったし、少子高齢化社会にもならなかったのにのう。今の大臣を見れば日本の自業自得よ。ワシも毎晩ビールを飲んだり、タバコを吸っているから自業自得になるじゃろうてい。空気入れ替えのため窓をあけたらビュービューと笛の音が聞こえてきだした。「なんの音」ワシはすぐにわかった、入いてくる空気の量と出ていく空気の面積が少なくなると笛と同じ現象になることを。今日は後援会事務所のプレハブを建てたから、早めに帰った。今までの治療効果はまだみられませんでした。
娘から父へのメール100
天佑は今日は消毒して、来週金曜日に抜糸です。それまでは病院に行かなくていいそうです。傷口が痛々しかったよ。
父から娘へのメール(続き)
天佑が風呂からでたとき消毒するなりして破傷風にならんように気をつけよ。
父より
一月十四日
父から娘へのメール96
幸恵の病状報告
朝、電話すると昨日の夕方とうとう吐いたらしい。食べないのにお腹が一杯で果物しかたべられないらしい。午後2時に病院の駐車場について空きを待っていたら図々しくワシの前に止め入ろうとするので、急いで降りて「割りこみはいけない。」と言ったら逃げた。病室にいったら点滴をしていないのでびっくりした。午前中で終わって明日違う抗がん剤をうつらしいが「果物類とマヨネーズは食べないように」それに研修生の先生に「少し腫れがひいたようですね」と言われたが「私も歩くのが楽になり右肘も痛みがなくなったから」「そりゃあよかった、幸代が送ってくれた帽子をかぶってみいや」洗面所に行き帽子をかぶってきたのでよく耳のところを見ると髪の毛が伸びているので「帽子をとって見せてみいや」頭の左側の半分を見せてくれた。おー髪の毛が生えているじゃあないかワシはびっくりした。「又抜けにゃあエエがね」薬が徐々にきいてきたみたいだ。「今晩はトンドでSさんから電話がかかってくるね。今日は元気だからいいが」地区の行事があれば必ずSさんと下のKさんとTさんが飲みに誘ってくるから、メールを早くおくるよ。
幸恵がメールをみせてくれたよ。天佑も自分一人であれこれ想像して遊ぶようになったのう。
父より
一月十五日
父から娘へのメール97
幸恵の病状報告
朝、電話すると昨日の夕食は3分の1食べたそうな。お茶よりミネラルウオターがエエと言うがワシはフレスタで麦茶を12本買ったのに。昨日は、Yさん、下のKさん、上のKさん、MTさん、Sさん、Tさん、ワシとで7人で飲んだ。両Kさんは歌が美味いのう。みんなそれぞれの生き方をしとるが、自分が一番歌が美味いと思っているのでヤレンかったよ。今日の治療は採血し白血球もたいして下がっていないので午前10時半から明日の午前10時半まで点滴する予定です。
娘から父へのメール101
仏壇の雰囲気はこんな感じです。
おもちゃは散らかしほうだいです。ペットボトルや昨年のカレンダーなど日常品も好きみたいです。もちろんおもちゃは大好き!でも人が持っているものが1番気になるようです。
父から娘へのメール(続き)
天佑は表情豊かなのう。顔がしっかりしているから喜怒哀楽がはっきりわかるのじゃろうてい。しわくしゃもぐれの顔の人は表情がよみとりにくけえのう。だんだんと躾のときがきたが褒めて躾をせいよ。
父より
一月十六日
父から娘へのメール98
幸恵の病状報告
朝、電話すると昨日から連続で今日も休みなしの点滴するが、抗がん剤は入っていない解毒作用の点滴でも食欲不振で何も欲しくないが副食は3分の1食べたそうな。いつもの通り午後2時に病室に着いた。しばらくして看護師がきて血圧を測りますと言ったら幸恵が横になろうとしたら坐ったままでいいです。うでに布のような物をまき測ったら、なんと、「下が40で上が60しかない」と言うではないか「こりゃあ、大変じゃ心臓が弱って心不全になるぞ」と思ったら、「立ったとき立ちくらみしませんか」「いいえいままでゴソゴソしていましたがなんともありません」もう一度測ってみましょう。横になって下さい。はかりなおしたら正常値だった。情けないのう、うちのデイサービスにある自動血圧計のほうがよっぽどましよ。研修医の先生が「つけねのグリ「腫れ」の長さが8pあったのが5cmに小さくなったから抗がん剤がきいているのでしょう」右手の肘も痛みがなくなったらしいからいい方向に進んでいるのだろう。明日も採血して点滴を続けるらしいよ。
娘から父へのメール102
延長コードを箱などの後ろに隠したりしても見つけ出して、おもちゃにしてしまいます。どう隠すが智恵比べだよね。
父から娘へのメール(続き)
天佑はなんでもおもちゃに変えて、脳が今一番のびて言葉も覚えているのじゃろうていのう。電話で、ああ、うう、なんでもええけえ受話器に向かって、喋れるようになれば幸恵も喜ぶじゃろうがのう。
父より
一月十七日
父から娘へのメール99
幸恵の病状報告
朝、電話をすると「別に昨日と変わりないよ、食欲はないがネ」と言っていた。病院の駐車場についた。いつも通り最後の待機車の後ろに車をつけたら、何かクラクションがなるので、「おかしいのう何もないのに」と思っていたら若い姉ちゃんが「待っているのに割りこまないで」「割りこんでないよ、運転手がいない車を見てその前につけただけよ」「その後ろの車で私は待っていたのよ」「知らんよ運転手がいない車が悪いのよまあ分かったから、あいたらワシの車の前にいけばエエ」「それですむと思うの」と言って自分の車に戻った。よく考えると生意気なことを言いやがって、ワシは車を降りて娘の車のところに行って「ワシは先に進まないから、あいたら先に行けばいいから」「なによ、あやまる気持ちがないの」と言ったので、めったに怒らないワシだが「馬鹿タレが」と言ってやったが、小さな子供が乗っていたので「大きな声してごめんね」と子供に謝った。今日は点滴を一時中断して幸恵が久し振りにシャワーを浴びた。気持ちよさそうに風呂からでてきた。帽子を脱いだら髪の毛が生えている「よう生えているじゃないか」と言ったら早速鏡の前に行き「男の人なら普通よね、でも治療が終わったら3週間後に抜けるよ」と言っていたが、かなり満足していた様子だった。血液検査の結果、白血球が下がっているので今日と明日注射するらしい。皮下注射なので時間は一瞬だが痛いらしい。感染症に気をつけんとのう。
娘から父へのメール103
夕飯はほうれん草入お粥、カボチャみそ汁、豆腐、ヨーグルトとたくさん食べました。こりゃ太るか?
父から娘へのメール(続き)
天佑はえらいのう。ワシの前の料理は豆腐は手をつけずキュウリのなますも残っているし。ヤットあけた野菜サラダも残っておるし。天佑に負けんように食べにゃのう。
父より
一月十八日
父から娘へのメール100
幸恵の病状報告
朝、電話すると「気分も大分よくなったのに、しかし、よくなったと思ったら明日から抗がん剤治療が始まるからこの先どうなることやら」と言っていた。今日は40分も待って病院の駐車場に入った。昨日の女性が来ているか見たけど駐車していなかった。病室についたら白血球の注射をうち尿検査はなくなったが尿量の検査は続けるらしい。体が酸性でなくなり中和されたらしいし昼の採血の結果も中和しており果物も食べていいらしく、「リンゴジュースが飲みたい」と言うので売店に買いに行った。美味しそうに飲んでいた。今日の点滴は午前9時半から始まり午後10時半に終わる予定らしい。帰りにあの女性の車が駐車していた。毎日きて長時間駐車しているので、身内の者が入院しているのじゃろうてい、病人をかかえていたら人の気持ちがわかるじゃろうにのう。大和撫子じゃないとのう。そんな魂をもった者が最近少なくなったよ。『人の振り見て我がふりなおせ』ようばあちゃんが言いよった。
明日から4日間抗がん治療がはじまり副作用がなければ27日に退院できるじゃろう、この調子ならいい結果がでるよ。
娘から父へのメール104
昼間はひとり遊びやお昼寝もひとりでできるんだけど、夜寝るのは添い寝もしくは抱っこ寝でないと寝ません。夜は不安なのかなぁ?今日もよく食べ、よく乳飲みます!おやつのボーロもね。
父から娘へのメール(続き)
天佑も人の子で暗くなると寂しいのじゃろうてい。最近、コロが朝、時間になると起してくれていたのに起さなくなったし、そばに行かなければ起きなくなったし、歯も抜けてきているし、年じゃろうてい。コロは時間になると吠えてうるさかったが人には愛嬌をふるまっていたし日本犬のように人に噛みつくことがなかったのう。天佑はいまから人生の出発点だから心豊かに育てよ。そうすれば誰からも好かれ信頼される人物になるけえ。
父より
一月十九日
父から娘へのメール101
幸恵の病状報告
朝、電話すると点滴をするところなので、すぐに電話を切った。午後2時前に病院の駐車場に入った。病室にいくと抗がん剤の薬が終わり解毒作用の薬に切りかえるときだった。
今度の薬は膵臓に副作用がおきるため血糖値を採血した血からと指先からの血で確認して、悪ければインシュリンを打つそうだが幸恵の場合内臓の悪いところがないから、どの注射を使用してもよさそうな感じがした。
食欲もすすんできて元気そうだった。Tくんから携帯に電話があり癌に効果があるコケの一種の薬があるので紹介したいとのこと。誰からの電話かと聞くので「Tくんからよ」「Tの両親が癌で亡くなったから心配してくれているのね」Tくんが保険に加入して欲しいと頼みにきたとき、幸恵はいままで入るとは言わなかったのに、みずから進んではいった。そのことを幸恵が、ばあちゃんに言ったら「あんたが保険に入ったから病気になったのよ」と言われたらしい。今日から休みなしの24時間連続で4日間抗がん剤治療を開始したが抗がん剤は1日、2本であとは副作用防止や解毒作用の点滴らしいが今日は抗がん剤一本だった。Nさんに幸代の結婚式のビデオをうち中心に編集してもらったDVDの表紙や智の結婚式の案内状をみて嬉そうにしていた。ワシが審査をはじめると、いびきをかいて寝ていた。足のつけねのぐりグリはほとんどわからなくなったし左手の腫れも少しひいたみたいだったし右手の肘も痛みがなくなったらしい。4日間耐えてくれればエエがのう。
介護保険の開始の時介護保険の認定審査員をたのまれたとき、介護について何も知らなかったワシは、雲をつかむようで人には聞けず幸恵と二人で幸代のところにいき専門用語を教えてもらいに名古屋に日帰りしたりして苦労したが今年の3月で審査員を辞めることにしたよ。
ボケ防止にはよかったが特記事項を読むと「夫が死んで一人ぐらしで生活ができない等」暗い話しなど読みたくないし、幸恵のこともあるし趣味をいかした自分の心にも豊かにしたいので決心したよ。
審査会の中で痴呆性老人の介護の手間が第一時判定には含まれていないなど広島県では一番早く指摘したのはワシじゃろうてい。そして文章を表に表したのもワシじゃろうてい、そして調査員の結果と医師の意見書の整合性のなさの指摘もワシじゃろうてい。審査員の人も市の職員も不服申立てがあってもワシがいるから安心だと言っていたしのう。今年こそはタイを釣らなきゃのう。
娘から父へのメール105
今日、抜糸しました。三針縫った痕が。時間が経てば目立たなくなるかな。
父から娘へのメール(続き)
天佑も痛い目にあうのう。傷など治るので心配せんでもエエよ。少しは喋れるようになったか、
父より
一月二十日
父から娘へのメール102
幸恵の病状報告
朝、電話すると元気そうだった。昼飯は病院で食べようと思って早めにでたが病室についたときは、午後1時12分だった。丁度抗がん剤の点滴が終わったらしく解毒作用の点滴だったのでもう一本抗がん剤があるのではないかと聞くと、看護師の間違えで抗がん剤は一本で連続の点滴は一日だけで後の3日間は12時間の点滴で済むそうな。勘違いで済まされるものではないよ。これがバーコードで看視しなければならない世の中になったのだろう。情けないのう。今朝採血した結果、N先生から「白血球や赤血球の数値は思ったよりよかったです、血糖値もよかったです」とのこと、やれやれ輸血もしなければならないかも知れませんと言われたときは観念したがのう。
兄の奥さんが知っている医師から聞き「幸恵さんが気力で頑張っているそうで、博さんも体に気を付けてね。結婚式の服は準備しているの」と電話がかかって気を使ってもらって兄弟は有り難いもんよ。しかし、「しょせんワシも六十過ぎとるけえのう。いつまでも兄貴は兄貴で弟はいつまでも弟と言うことよ。それがあたりまえのことよ」まあ、幸恵の山はすぎたと言うことだろう。
娘から父へのメール106
27日に広島帰ろうと思うんだけどいい?早過ぎる?ちなみに27日から功くんは大阪に勉強会です。天佑はよくおしゃべりします。でも私には理解できないけど何か話してるんだと思う。毎朝、功くんが“パパ”と言うように練習してます。練習のかいあって“パパ”って言うようになったかな?!。
電話口ではまだ無理で、電話に興味があり話すどころではありません(手がでてきます)。だけど私が電話しててそばにいるときは天佑が何か話しているのが聞こえるかな。けっこうおしゃべりかも。
“ぱちぱち”と口頭で言う(人まねでなく)と手をたたき、“ねぇー”と言うと首を傾げます。ちゃんとことばを理解しているみたいです。天才?
父から娘へのメール(続き)
天佑には笑顔でこたえてやれよ。天才とはまだいえないが、親馬鹿とは言えるかもしれんのう。功くんがエエと言えばいつでもエエんじゃないか。
父より
一月二十一日
父から娘へのメール103
幸恵の病状報告
朝、電話すると今日も採血したらしい、幸恵の血液がなくなるがのう。今日はひろしま男子駅伝があるので交通規制があるから午後3時頃病室に着くだろう。
思った通りひっかかった。幸恵は病室から兵庫県1位のランナーを見たらしいがワシも車のなかから見た。病室についた時、起きてウロウロしていた。「今日は朝から胸がムカムカして吐いたらスッとした。19日からあまり食べていないので、うどんを買ってきて欲しい」と言うのでコンビニに買いに行き電子レンジで温めてやったら、全部食べた。腹が減ってたのかのう。「明日で第一クールが終わるが3週間経ったらまた同じことをするからいやだね」「経験したから様子が分かっているから安心じゃあないか」それにしても第四クールもあるから気力しかないのう。
娘から父へのメール107
買い物から帰ると、すぐさまスーパーの袋をあさりに行きます。よくわかってるよ。以前は、抱っこからおろすから泣いてたのにね。
父から娘へのメール(続き)
天佑もコロの知恵に追いついたようなのう。コロは三才時だから天佑は2歳進んでいるのう。
一月二十二日
父から娘へのメール104
幸恵の病状報告
朝、電話すると比較的元気な声だった、今日で抗がん剤治療が終わりあまり副作用もなくよかったと思って受話器を切った。Tくんが北海道の苔の飲料水を持ってきたがワシが飲んだほうがエエみたいな飲料水だった。
病院の駐車場は満車なので民間の駐車場にとめた。花を買ってきて欲しいと言うのでコンビニに行ったがなかったので病院の売店で買って持って行ったときは、もう少しで抗がん剤の点滴を終わりそうだった。幸恵が「白血球が1,100に下がって今日注射したの」を聞いて今抵抗力が一番ないときだから、すぐに帰ろうとしたが、まあ最後の抗がん剤の点滴だから済んだら帰ろうと思いなおしたらN先生の回診があった。
明日からは様子観察で結果がよかったら現在の治療を続けます。長期間の治療になります。「2月3日は外泊できますか?」とワシが聞くと「危なくないと思いますがスレスレですネ」ワシはがっかりしたよ。今月の27日には退院できると思っていたのに。今日の点滴が終わったらシャワーを浴びたいと看護師に言っているので洗濯物を持って帰るため待つことにした。幸恵は入院生活が続くことはなかば諦めているようで「体のアッチコッチに腫瘍がでてきたらいけんけえ」と言っていたが何も言えんかったよ。
娘から父へのメール108
どうも鼻に指入れちゃいます。
土曜日に広島に帰ります。お母さんも帰れるといいね。
父から娘へのメール(続き)
天佑は鼻がかいいんじゃないか。鼻くそでもあるんじゃないか。深川におることになるが亀崎から持って帰る物はないか。
父より
一月二十三日
父から娘へのメール105
幸恵の病状報告
朝、電話すると採血もなく白血球の注射のみらしい。今日は施設で仏教講座があったので病室についたのは3時半頃だった。食欲がないが好きな物がでてきたら少し食べるらしいが喋る相手がいないので会話を忘れそうになりそうならしい。メールもエエがやっぱり生の声が一番エエみたいじゃのう。副作用が今からでるから感染症に気をつけにやぁ、咳をする職員がいたのでワシは病室では始めてマスクしたよ。
娘から父へのメール109
今日は10ヵ月検診に行ってきました。体重8.4s身長70pと平均より小さめです。だけど「大きいねぇ」ってよく言われる。私が抱くからだよね。功くんが抱くと小さく見えるもんね。
父から娘へのメール(続き)
天佑はやっぱりエエ顔しとるのう。心豊かな赤ちゃんに育てればエエよ。
父より
一月二十四日
父から娘へのメール106
幸恵の病状報告
携帯電話が、なかなか幸恵とつながらなかったがヤット繋がったら「今N先生がきて白血球が1,000以下になっているので無菌室状態にするためビニールで囲み清浄機をつけ感染症予防に重視します。あなたが来てびっくりしたらいけないので電話したのよ」本当にびっくりしたよ。病院に行ってみたらベットの半分をビニールで囲んでいたが集中治療室をイメージしていたワシは少し安心した。昨日は食事もあまりしていなかったと言うし、心配かけないように嘘をついていたのだろう。「今日は昨日より食べた」と言っていたが本当かどうか分からないがゴミ箱を片付けるときリンゴジュスの殻がかならず1個あるから、なんとか体力を保っているのだろうよ。いつものように窓を開けて空気の入れ替えをしていたら看護師がきて「部屋の中は清浄しているので窓を開けないで下さい」「情けないないのう、室内の空気より外部の空気がよっぽど新鮮なのに」と言ったら「深川は山があって空気はきれいだけど、このへんは排気ガスや公害できたないからよ」「なーに、10分間走ったら山にぶっかる地形じゃけえ関係ないよ」医師は副作用の結果が分かって治療しているのだろうがワシは幸恵の言うとおりにするよ。夕食は茶碗蒸がでたそうで全部食べたがサバの煮付けがあったが食べなかったらしい。ワシが釣ってきた魚は新鮮でほかの魚は食べられないらしい。生物は一切食べてはいけないらしい。今日の治療は朝採血して白血球の注射しただけで点滴などはなかった。
娘から父へのメール110
お母さん早くよくなるよ。
天佑は携帯電話を充電して置いていたら、ちゃんと外して、充電器はほっぽり投げる。そして携帯電話とって開くんだよ。前は開けなかったら悪さできなかったけど、今はできるからロックかけとかないと、電話をかけてしまう。やれやれ(笑)
父から娘へのメール(続き)
天佑はワシらが呆けたときの様子を教えてくれているのじゃないかのう。天佑さん頼むぜ。
父より
一月二十五日
父から娘へのメール107
幸恵の病状報告
朝7時半にコロがなくので「うるさいのう、まだ早いのに」と思ってベットの上の黄色のチャンコを取るため起きあがったとたん後ろにひっくりかえり、カーテンを止めるフックに右手の腕を強く打ちつけて傷口は小さいが中が深く中も縫ってこまめに縫ったから7針縫ったらしい。筋肉や筋は痛めておらず皮膚剥離でたいしたことはないらしい。10日あれば完治するらしいが幸恵が、「すぐに立ち上がらずに起きあがるようにして、少し時間をかけ立ちあがり手摺をつけたらどう?」と言っていたよ。
病室のドアに「ストップ入室するには手を石鹸で洗って下さい」と書いてあるので、ナースステーションに行き「どこで手を洗えばいいんですか?」と聞くと「廊下においてある消毒液だけでもいいですよ」と返事をした。エエかげんなもんよのう。責任逃れで紙切れを貼っておるのじゃろうよ。中に入ると「今朝、N先生がきて不自由だと思いますが白血球が正常なるまでビニールカーテンの中に入っていて下さい」とのこと。ビニールカーテンはベットの半分ぐらいの大きさで頭の後ろと両サイドと頭上の四方向しかカーテンはなので、あまり緊迫感はなかったよ。食欲がないらしいがリンゴジュースとプリンを食べていたよ。明日「紅茶が飲みたい」と言っているので明日持って行く予定ですが忘れるかも。今日の治療は白血球の注射のみでした。
娘から父へのメール111
切傷は大丈夫?ちゃんと食べんと治らんよ。
1回は必ずやられるティッシュボックス中身散乱やられました。
父から娘へのメール(続き)
天佑もやるのう。花咲かじいさんのようなのう。躾もせんといけんし、あれも駄目これも駄目じゃあいけんしのう、
教育も大変じゃのう。
父より
一月二十六日
父から娘へのメール108
幸恵の病状報告
今朝採血したらしいその結果白血球が1,200まで上がって「今からは上がっていくばかりだからもう少しクーリンルームに居て下さい」トイレは行ってもよいとのこと。28日から始める選挙資料の中に去年の資料があるのに気がつき3,000通の封筒のやりかえだ。古い資料と新しい資料を一緒においていたからこのような事件になった。追加がいるから要求した資料が前に送ってきた内容が違うのに気がついて配る前でよかったよ。会議があり病室についたのは3時50分頃だった。ベットに坐っていた「腰が痛いがトイレにいったりゴソゴソしていたらなおるけれど寝とるからかね」「腰をのばして寝ているからじゃろうてい」今日の治療は採血と白血球の注射のみでした。明日からよくなるばっかりだから゛良い゛とせんとのう。
娘から父へのメール112
今朝、気付いたらコタツの上に上がって、悪さしてました。びっくりしたよ。で、下ろしてダメと言ったら、その後は私のほうチラチラ見ながら上がろうとしてたけど、私がじーっと見てたから上がりませんでした。午後からもコタツにあがろうと片足乗せたところに、ダメでしょって言ったら下ろしました。怒られてるのわかっているかも。
父から娘へのメール(続き)
天佑も人の言うことが分かるようになったのかのう。だっこしてくれと泣いたときだっこしなかったらオオ泣きするが、だっこしたら泣き止むけえのう。殴らずに育てや。
父より
一月二十七日
幸恵の病状報告
今日の治療は白血球の注射とエアクリーンの中で過ごした。紅茶とほうじ茶を買っていく。食欲なし。昨日の晩に湿布を貼ってもらったら痛みがとれたそうな。
幸代・天佑広島滞在(1月27日~2月4日)
一月二十八日
幸恵の病状報告
今日の治療は採血して白血球の注射をした。採血の結果1,900あったそうな。エアクリーンの電源はきられていた。食欲なし。
一月二十九日
幸恵の病状報告
今日の治療はなくエアクリーンの装置は撤去されてN先生の話しで明日CTをとって今後の治療方針をきめ来週から開始するそうな。食欲なし。
一月三十日
幸恵の病状報告
電話があり特別室を工事するから「四人部屋に替わって下さい」とのこと。すぐ後に又電話があり「個室になりました」とのこと。幸代と天佑で見舞いにいく。今日の治療は採血とCTでした。T研修医の話しでは採血の結果肝臓も白血球も1,700でよいとのこと。悪いときの白血球は700なかったらしい。ばあちゃんが持ってきたいなり寿司が美味かったそうな。去年の8月にとったCTと今日のCTの結果を比べて今後の治療方針を決めるそうな。足のCTを撮っていなかったので追加でCTを撮ったりして市民病院らしくないのう。
一月三十一日
幸恵の病状報告
今朝、N先生がきてCTの結果、「癌細胞が小さくなっているのでこの治療方針で来週からはじめます。結婚式の参加は現状維持なら大丈夫でしょう」と言われたらしい。その報告を兄に言うと、「油断はできんけえ、食欲のないときは好きな物を食べればエエ」食欲のない幸恵は、つわりと同じようでスッパイものが食べたいそうな。しかし3分の1ぐらいは食べるらしい。
今日の治療はありませんでした。明日、採血してその結果で外泊を決め二日外泊してもエエそうな、しかし一日一回IVHの消毒をしなければならないので、一日だけ泊まることにして土曜日に帰ることにした。
二月一日
幸恵の病状報告
朝採血した結果「N先生から問題ないから外泊してもいいです。」と言われたと喜んで電話が掛かってきた。いつもの通り病院の駐車空き待ちの時間、車中で審査をした。病室に着くと起きていた。「T先生がきたので血液検査の数値を聞くと白血球は4,500ですべて正常値です」とのこと。病室の改装がすんだら、またもとの部屋に戻れると婦長が言ったそうな。幸恵の為に改装するようなもんよ。
二月二日
幸恵の病状報告
今日帰るか明日帰るか悩んだけれど明日にしたが10時に部屋替えになり狭い部屋なので帰ろうと思ったが明日にしたらしい。ベットの位置や物置台の位置を動かして動きやすい状態にした。今日の治療はありませんでした。
二月三日
幸恵の病状報告
「早く帰りたい」との電話があり、タクシーにするか迎えに行くか悩んだけれど迎えに行くから待つように言う。真っ直ぐ深川に帰り結婚式の衣裳を着て、かつらをかぶり待機する。無事に寺の式が終わり兄の家にお客がきているので記念撮影だけすませ節分の豆まきは食事会の席ですることにした。後はビデオの通りです。深川に泊まり幸代夫婦は亀崎に泊まる。
幸恵外泊(2月3日~4日)
二月四日
幸恵の病状報告
朝、10時過ぎに幸代や智が深川にくる。家族がそろい足の踏み場もない部屋で立ち話をするが、寝ている暇もない心境になったのだろう。幸恵は起きてワシ等の話しを聞いてゴソゴソしていたから右足が膨れてきたような気がする。つけねのグリはあたれば痛いらしいし体がだるいらしい。白血球が下がっていなければエエがのう。「病院には行きたくない」と愚痴をこぼし、「キュウリの煮付けがでたり、自分の好きな量だけかけたいのにソースをたっぷりかけているので食事が美味しくないよ。お父さんの気持ちがよくわかったよ」と言いながら午後7時前に病室に着く。微熱があり続くようだったら処置をするそうな。
娘から父へのメール113
長い間お世話になりました。いい結婚式でした。
仏壇の囲い、火曜日に友達がうちにくるからできたらそれまでに届くとうれしいな。急すぎるかな。
二月五日
父から娘へのメール109
幸恵の病状報告
朝採血したらしい。今日から南側病棟を壊すため駐車場の位置が変わったが前より小さくなって時間待ちが長くなったので民間の駐車場に止めた。病室に着いたら、ばあちゃんと電話をしていた。検査結果白血球が3,500に下がっていたそうだが普通人の範囲ないので問題はなかろう。帰った時電話があり治療は9日からするそうだから外泊してもエエそうな。それはないだろう治療に延期はないよ、明日がどうなるかわからない不安をかかえている患者にたいして、「労働時間が過ぎたから、有給休暇を消化しなければ」と言っているが、わからんでもないが食事の提供は一日も休むことなく続けているのに介護・医療は自己都合が尊重され、まだカヤの外に存在されているのだろう。Y大臣がやめないのが象徴されている日本だからのう。だから平気で11、12日が連休だから血液検査ができないから、明日外泊してもエエらしい。最初から言えばエエのに、おお馬鹿タレが患者の心の痛みがわからずして医者にならんでもエエ、しかし世間はすぐに医者を訴える風習になり、どっちもどっちよのう。
今日の治療は採血のみでした。
娘から父へのメール114
ありがとう。大切に使います。天佑は病院で傷痕診てもらいました。一年ぐらいで完全に治り目立たなくなるそうです。まぁ若いから!
父から娘へのメール(続き)
天佑は元気なのう。2〜3日かかるそうだが電話をかけて配達するようにして玄関まで運んでもらうようにしています。
父より
二月六日
父から娘へのメール110
幸恵の病状報告
朝、電話すると「いつでも帰る準備ができているから」との返事だった。10時に病院に着いた。やっぱり家のほうがエエらしい。看護師が「8日に帰ってもいいですよ。N先生の許可が出ていますから」と言ったらしいから、明日も深川に泊まるらしい。幸恵の好きそうな惣菜をいっぱい買ったが今日限りの正味期限で怒っているよ。
天佑は寂しくなって、がっかりしていないかのう。これが人生よ。
父より
二月七日
父から娘へのメール111
幸恵の病状報告
昼食は、幸恵が料理したカキの炊込みご飯を食べたら美味かった。明日入院すればエエのに、午後六時半に病院にむかった。車中で「病院の食事が美味くないのはダシの作り方が違うからよ。イリコなどでだすから全部魚臭くなっている。私のはコブなどでダシをだしているから美味しいのよ」と言っていた。7時過ぎに病室についた後、帽子をとったら髪の毛がコロの毛の長さにまでになりフサフサにのびていた。「前から見せてみいや」と言ったが見せなかった。今日の治療は3秒のチューブの消毒だけでした。
娘から父へのメール115
今日一日どこへも行かず、来客もなく、ゆっくりしました。といっても天佑は私の後追いし、やっていることよくみてて…。ふすま開けて、開けないようにするの大変だよ。うっかりこたつの上に置き忘れたマグカップはひっくり返されてカフェオレはこぼれるし。
父から娘へのメール(続き)
天佑は親の背中を見て育っているからのう。
父より
二月八日
父から娘へのメール112
幸恵の病状報告
朝、電話すると「治療もしていないし先生もこないし別に変わったことはないよ」病室についたら「明日からシャワーを浴びることが出来なくなるから」と言って浴室に行った。帰ってきて「鼻の腫瘍のときは危機感があったが今回は全くないよ」と言っていた。今、痛みがないからかのう。白血球が減少しても注射すればすぐに回復するいい薬ができたからじゃろうよ。今日の治療はチューブの消毒のみでした。
娘から父へのメール116
天佑はたまごボーロをお皿に入れてあげるのですが、口に入れず遊んでばかりで…。なかなか自分でたべないねぇ。
父から娘へのメール(続き)
天佑は親の躾を守るから心許して親と一緒に食べにやあ駄目じゃろうてい。
父より
二月九日
父から娘へのメール113
幸恵の病状報告
朝、電話すると看護師が「今日から抗がん剤の治療をはじめます」と言ったらしい。いつもの時間に行くと抗がん剤の点滴をしていたが元気そうだった。昨夜、顔のまわりに蚊がブーンブン飛んでいたのでたたいたら、朝起きて見ると一匹死んでいたらしい。手を刺されたらしくかいていた。ワシは室内の電気をつけて壁、天井に蚊がいないか捜したら2匹いたので叩いて殺してやった。看護師にそのむねを言ったら蚊取線香を持ってきた。それにしても部屋を替わるたんびに必ず虫に刺されるよのう。深川でもひどく刺されたしのう。ゴミを捨てて病室に帰るときN先生に会い「どうでしょうか?」と尋ねると病気が病気なので出来るだけ腫瘍を抑えますが最初に言ったとおり、完全には治りません。ワシは「2月3日の智の結婚式に元気よく参加でき有難う御座いました。今度5月には智の子供が誕生しますのでよろしくお願いします」と言ったら「次から次の目標をたてるのがよいと思います」とのこと。今日の治療は点滴。終了時間は夜中になるそうな。
娘から父へのメール117
ありがとうございました。すごいね。仏壇の周りがすっきりしました。天佑は思ったほど興味がないみたいで、最初だけでした。やはりつついてはいけないのが分かるのでしょうか?
父から娘へのメール(続き)
柵がころばんようにせにゃ駄目で、人間は囲いの中は恐怖を感じるのかもしれんのう。攻撃に対して身を守る為無意識に壁に背をむけて立っているけえのう。
父より
二月十日
父から娘へのメール114
幸恵の病状報告
朝7時過ぎに採血したらしい。今日は会議があったので午後3時前に病室についた。ベットに横たわってテレビを見ていたがワシが休む暇もなく、すぐに「コヒー牛乳とトマトジュースを買ってきて」と言うので「しばらく休んでいくから」と言ったら、黙って点滴棒をひっぱって洗濯物が入っている袋を取りに来て、バスタオルの交換をしていた。採血の結果は聞かなかったらしいが、抗がん剤治療の点滴をしていた。蚊に刺された腕が赤く腫れていた。今日の治療は採血と抗がん剤でした。
娘から父へのメール118
こたつ布団に隠してたのに…。携帯電話の充電器。
仏壇の囲いは倒れないように少し手を加えます。強くひっぱると倒れそうだし…。でも功くんは忙しいからいつになるやら。
父から娘へのメール(続き)
天佑と鬼ごっこじゃのう。仏壇の囲いは壁にビス一本で縫いつければエエよ。
父より
二月十一日
父から娘へのメール115
幸恵の病状報告
今朝は後援会加入の挨拶まわりの打ち合わせで、いつもの時間に電話が出来ず10時に電話したら元気そうな声だった。昨日の点滴は夜12時に終わったそうな。「今日は早くから始めたからもう少し終わるのが早くなるだろう」と言っていた。午後3時半に病室についたが「明日も点滴があり便所にいくのが面度くさいし、点滴は解毒作用の薬じゃし」今日はぺらぺら喋った。食欲はいつもの半分程度でワシと同じぐらいの量だから大丈夫らしい。メールを送ろうとしたら、年寄りが車椅子の座椅子とフットレスとの間に足がはいり抜けなく困ったと内線があり、5年ぶりぐらいに夜2階に白い制服を着てあがった。ネジをドライバーではずそうとしたが見えなくてS職員にしてもらった。無事救出できた。
娘から父へのメール119
最近、天佑はいい子です。「いただきます」「ごちそうさま」「ハミガキ」ができます。私が言わなくても、食事の前後にちゃんと手を合わせるんだよね。
父から娘へのメール(続き)
はーあ、天佑はえろうなったのう。できたら褒めてやれよ。叱って育てるより褒めて育てと言うけえのう。ご褒美はママと功くんの笑顔じゃろうてい。
父より
二月十二日
父から娘へのメール116
幸恵の病状報告
今日も後援会の段取りでいつもの時間に電話することが出来なかった。その旨は前もって言っているのだが、電話したときは元気な声で「食欲はないがコヒー牛乳なら飲めるから買ってきて欲しい」と言っていた。病室についたら幸恵は「今日は午後7時頃終わるらしいが、体全身がなにか詰まっているようでスッキリしないのよ」「便秘でも、しているのじゃないか」明日は抗がん剤の治療をするらしい。
娘から父へのメール120
天佑が「いただきます」「ごちそうさま」ができるって言ったけど…。ちゃんとやるんだけど、椅子に座らせてごはんを乗せたお盆を見ると手を合わせ、お盆を下げると手を合わせる。なんか犬のエサやりの条件反射みたいだよね(心理学で習った)。(笑)こんなんでいいのかなぁ?
父から娘へのメール(続き)
天佑は正しい方向に生きているし好奇心を潰さないようにしなければ。
父より
二月十三日
父から娘へのメール117
幸恵の病状報告
午後2時過ぎに病室についた。病室は締め切った部屋に太陽の光りがあたるので、まるで温室と同じ環境になり、夏を思い出すような温度だ。どの看護師も暑いと言うらしい。窓を開けるように言うと「網戸がないから蚊が入ってくるから開けない。せっかくカユミが治ったのに」手をさすりながら言うので、指示に従ったがまあ明日から冬らしい気候になるし今改装中の部屋に替わるので丁度エエかもしれんのう。今日から明日の昼まで抗がん剤治療と解毒の点滴をするらしい。朝はパンだから臭いがないが夕食は臭いがして食欲がなくなるらしい。白血球は1,600に落ちている。第一回目の治療のときはこのような状態にならなかったのに。飯もくわず体力が落ちているのだろう。2日間、果物やマヨネーズなど食べたらいけんらしい。
娘から父へのメール121
今朝は仏壇に手を合わせていたら、天佑もとなりで合わせいました。えらい!
智の部屋の押し入れの上段に紺色の小さい紙袋があります。開けてみて。
父から娘へのメール(続き)
天佑はエライのう。幸代が言っていたように、仏壇に手を合わせたのう。
父より
二月十四日
父から娘へのメール118
幸恵の病状報告
今日は審査会があり午後3時に病院についたが駐車場が満車で民間の駐車場にとめた。幸恵はベットに布団をかけて横になっていたが「特別室の改修工事が4日ほどのびたらしいよ」と言ってワシが来たのに起きる様子はなかった。一番体調が悪いときは特別室におりたかったらしい。今日の治療は解毒の点滴を24時間するらしい。
娘から父へのメール122
ベランダの竹がゆらゆら揺れているのがおもしろいみたいで、見てます。写真は届いた?
父から娘へのメール(続き)
今日は春一番の風が吹き、これでいつ船に乗っても大丈夫な時期になった。チョコレートも写真も手紙も着いているよ。手紙を持っていくのを忘れたので明日持っていくよ。
父より
二月十五日
父から娘へのメール119
幸恵の病状報告
病院に行くため洗濯物を乾燥機から出したらスイッチを入れてなくて乾燥していなかった。この件はもう5回ぐらいあったけえ、呆けてきたのじゃろうてい。
病室に着いたら起きていた。昨日は雨が降っていたから布団をかけていたのは寒かったのじゃろう。今日は日差しがベットまで差していたけえ。元気そうな声であった「顔色もエエのう」と言うと鏡を見ていたよ。今日の治療は解毒作用の点滴のみでした。明日から抗がん剤の治療開始です。今度のは膵臓に副作用があるそうです。
娘から父へのメール123
階段を2段ひとりで上っちゃいました。今度からは洗濯物干すときはどうにか上れないようにしないとね。3段目上るときは横に落ちそう(板がない横に足出してた)になっていたから。
父から娘へのメール(続き)
天佑は凄いスピードで成長しているのう。階段の上りかたを教えにゃあいけんしのう、コロは亀崎の階段を上がったが降りるときころんで二度と上がらず下で吠えているけえ。困ったものよ。小さい滑り台を買おうか。
父より
二月十六日
父から娘へのメール120
幸恵の病状報告
明日ある幼稚園の発表会の道具の積め込みで病院に着いたときは午後5時過ぎだった。比較的元気そうだった。夕食の時間になるのでお膳を下げようと思って帰るのをやめた。夕食の料理を見たらまずそうな豚肉でワシでも食べたくなかった。お粥と芋のから揚げを食べていたが、まずそうなのでゴマ塩を買いに行って帰ったらインスタントコーンスープを食べていた。今回の治療は嘔吐があるから食欲もなくなるのじゃろうてえ。朝食と昼ご飯は食べたらしいがこれじゃあ副作用に耐えることができまぁてえ。好きな食べ物をもっていかんとのう。今日の治療は解毒作用の点滴のみで明日から抗がん剤治療になるらしい。「つまらんのう、チャント計画を見て情報を流せばいいのに、エエかげんなもんよ」
娘から父へのメール124
本をよく開くようになりました。音の出し方もわかっているようなわかっていないような…?
父から娘へのメール(続き)
天佑は歩けるようになったのか、立位は完全のようじゃのう。
父より
二月十七日
父から娘へのメール121
幸恵の病状報告
朝、電話すると元気そうな声であった。幼稚園の発表会の道具を会場に下ろして病院にいった。有料駐車場にとめようとしたら車の高さがひっかかり駐車できず病院の駐車場が開くまでまった。高さ制限に気がつかなかったが中途半端に駐車場をつくらすもんではないよ。病室についたら、起きていた。
採血した結果、別に異常はなかったので抗がん剤の治療が始まった。4日間するらしい。昼食は食べるらしいが夕方になると気分が悪くなり食欲がなくなるらしい。
娘から父へのメール125
まだ歩くことはできませんが、立ち上がりから立位保持が何もなくても(つかまらなくても)できそうです。今日は一回できました。歩くのはまだまだかなぁ。まだ1歳まで1カ月あるし…、1歳半ごろまでに歩けば大丈夫。天佑は首が座る、寝返りは遅かったしね。 今度、広島に帰る時ぐらいに歩くかもね(笑)。
父から娘へのメール(続き)
人間は死ぬまで脳を使い続けなければならないらしいのう。天佑のように経験でもう分かったじゃなくて、色々なことに安全保障もないのに初挑戦するのは、自立するためだろう無謀に階段をあがったりしたり、雑音に聞こえる親の言葉を態度や顔色をみて少しづつ自分のものにして会話ができるようになるのじゃろうのう。情報を参考にしてもエエが、天佑ペースで育てよ。
父より
二月十八日
父から娘へのメール122
幸恵の病状報告
朝、「天候が曇りなので船を見に行く」と言うと、悪い返事でないので久し振りにNさんとMさん3人で大黒に行くことにした。五十日ぶりなのでエンジンが掛かるかどうか心配したが一発でかかった。ディゼルエンジンによかった。釣り場には午後十二時につき午後二時にはやめて帰った。釣果はメバルが二十匹だった。ワシは一匹持ってかえりグリルで焼いたが、メバルが口を大きく開けたので出口でひかかった。これじゃタイは焼けないと思ったら網を反対にセットしていた。失敗は“味をしっかり噛みしみて”身につけにゃあのう、この年になって、又一歩成長したよ。いつも失敗している卵料理が成功したよ。フライパンを上げたり下げたりしたら、とうとう卵のかきたま半熟に成功したよ。しかも幸恵のアドバイスで醤油をおおいめにいれたらうまかった。ネギをいれたらまだ美味いらしいがのう。
病院に着いたのは四時半だった。この点滴が終わったら開放されるらしいので看護師にシャワーを浴びたいと訴えていたが六時頃までかかるらしい。今日の治療は抗がん剤と解毒作用の点滴でした。相変わらず吐き気がして食事ができないのでエンシアリキットを飲むことになったが半分しか飲んでないそうな。
後、二日間頑張ればエエがのう。
娘から父へのメール126
ボーロを口に入れようとするんだけど、なめるだけ。食べないねぇ。だけど、口に持っていくだけでも一歩前進だね!
二月十九日
父から娘へのメール123
幸恵の病状報告
朝、採血結果を幸恵から電話が掛かってきた。「白血球が700に下がっているからクリーンルームにするそうで、白血球が上がる薬をいままでの倍にするらしいから巻き寿司は食べられないから、かく寿司を持ってきてくれ」とのこと。フジに、かく寿司を買いに行こうと思ったら昼飯は、かく寿司だったのでそれを持って病院に置いてある電子レンジで温めたら、幸恵は美味しいと二コ食べた。病室に入るのに予防着やマスクやゴム手袋や帽子のネットをかぶって入いらなければならなかった。看護師が足もとに空気洗浄機をセットしたが電気コードが点滴のコロにあたって移動ができないため、延長コードを買いに行ったら洗浄機を頭の位置に移動していた。最初から頭の位置にすればエエのに知恵がたりないのだろうよ。明日で第2クールの治療が終わるが気力でカバーすればエエがのう。明日から二日間研修会があるので夕方しか病院に行けません。
娘から父へのメール127
昨日から、ハイハイでリビングをすごいスピードでクルクルクルクル回ってます。ハイハイがおもしろいのかなぁ?
狭っちいところで遊んでいたり…。
二月二十日
父から娘へのメール124
幸恵の病状報告
今日は認知症対応型サービス事業者開設者研修を受けたが、人を馬鹿にした研修会だった。参十年も経験している施設長に受けさすとは、市長はおお馬鹿たれよ。介護者の苦しさを訴えた講習内容であり、それ以上介護の苦しさを知っている専門家なのに、明日はグループホームの実習がありレポートをだして終わりらしい。病院に午後5時頃ついた。抗がん剤の点滴は終わっていたが後は解毒剤の点滴のみで7時ごろには点滴から開放されるらしい。幸恵は空気洗浄機の音で不愉快になり又副作用で食事がすすまず手は痩せていたよ。まあ、明日から回復に向かうばっかりだからひと安心よ。夕食にはかく寿司を持っていくよ。
娘から父へのメール128
天佑(左)、幸代9ヵ月(右)です。似てない?
二月二十一日
父から娘へのメール125
幸恵の病状報告
今日もグループホームの実習で経営者が2人きていた。
昼、N先生がきて「白血球は1,100で2〜3日クリーンルームにいなければならないでしょう」と言われたらしい。ワシは研修が終わって午後六時過ぎに病室に着いた。カク寿司がなかったのでバラ寿司を電子レンジで温めてやったら半分食べたが、幸恵の眼はうつろになり病人の顔になっている。まあ抗がん剤の注射がないから日ましに元気になるだろう。明日の昼食にまにあうようにカク寿司と野菜ジュースと幸代の手紙を持っていくつもりよ。今日の治療は採血と白血球の注射のみでした。
娘から父へのメール129
天佑のわるさ
エピソード1.お昼ご飯にスティックパンにして、少し持たせたけど、にぎりつぶし、粉々に。口には一回もっていったけど食べませんでした。
エピソード2.洗濯物をたたんでいたら、予想どおりはしからちらかしてまわり、もう一度たたみなおしさ!
エピソード3.わるさするものがなくなったのでおもちゃ散らかしに…。
エピソード4.パソコンしていたらまとわりついてじゃましほうだい。机上にのぼってまで触ろうとするんだよね。
父から娘へのメール(続き)
しょうがないのう。そろそろ天佑にも善悪の区別を教えんと
父より
二月二十二日
父から娘へのメール126
幸恵の病状報告
幸恵から電話がかかりびっくりした「N先生がこれからの治療方針や意見を延べたいと思いますが今日、ご主人は病院にこられますか」とのこと。兄のところに行き相談したら「白血球も下がっているし体力が回復するまで2週間ぐらいして考えると言えばエエ、最終的には二人が決める問題だが」ワシもその通りだと思い昼飯に間に合うように急いでフジにかく寿司を買いに行ったがなかったのでイナリ寿司を買って病室に午後12時過ぎに着いた。
電子レンジで温めたイナリ寿司3個全部食べた。食欲が徐々にあがってきているようだ。
1時半にN先生が説明にきた。「今の治療は順調に進んでいますが選択肢の1つとして最初に述べたと思いますが大学病院でのスマイル治療は副作用がひどく治療は中止されていましたが再度スマイル治療がはじまりましたので、来週あたり体力が回復されていると思いますので紹介状を書きますので大学病院に聞きに行かれたらと思いまして又骨髄移植も選択肢の中にあり、細胞を取り出し冷凍して再度体内にもどすのも選択肢の中に含まれますがいずれも完治する保障はありませんが…」とのこと。
「ワシは現在の治療方針が幸恵の体調が入院する前よりも良くなっているのでこのまま治療を続けて、その後考えさせて下さい」と言った。幸恵は「これ以上の副作用がひどくなるのはいやよ」と言った。「先生も色々な選択肢があり情報を提供したと、思いたいのだろう」「あとからこんな治療もあったのに。の声が聞きたくなかったのだろうよ」患者が治療方法を選ぶ時代になったけぇのう。
娘から父へのメール130
今日は新聞を読もうと広げたら、新聞上をぐるぐると回り新聞はぐちゃぐちゃです。ε=( ̄。 ̄ )
父から娘へのメール(続き)
天佑あごあたりが幸代によう似とるよ。
父より
二月二十三日
父から娘へのメール127
幸恵の病状報告
いつもの時間に電話をしなかったら幸恵から電話がかかってくるようになった。今朝採血した結果の白血球は1,200だったらしい。回復に時間がかかりだしたのう。
研修医のT先生はグラフ表でもつけているのだろう幸恵の白血球の回復奇跡は横ばいから急に上がる傾向だから明日も採血して調べますとのこと。
明日の幼稚園の落成式と30周記念の準備に行ったらこれでよいのか、これで間に合うのか、誰が何をして良いのか分からない状態であった。それで会場作りをしたり放送設備の応援を頼んだり、まさ土の手配をしたりしていて幸恵の夕食時間に間に合うことができなかったが、フジで買って行ったバラ寿司を半分食べた。腰が痛いので湿布を貼ったらしいがこの前は、それから白血球があがったらしい。来週の月曜日に元の病室に部屋替えになるとのこと。午後7時15分頃N先生がきて昨日の結論を聞いたので「今の治療を続けて下さい」と言うと「CTを撮って治療方針を決め治療しましょう」と言われた。今日の治療は採血と白血球の注射でした。
娘から父へのメール131
天佑は頭つかってわるさしてます。
智の結婚式のDVDを送りました。明日午前中に届きます。パソコンで見れると思います。
父から娘へのメール(続き)
天佑の髪の毛がのびたが幸恵ものびているよ。
父より
二月二十四日
父から娘へのメール128
幸恵の病状報告
幼稚園の落成式が終わりそうな頃、幸恵から電話がかかってきて「白血球が9,000になったので外泊してもよい」とN先生が言いにきたらしい。「帰っても、貴方は明日はいないし一人でおるのもネ」「帰りゃあええよ」と言ったが来週月曜日に部屋を変わって帰るらしい。夕食まで時間があるのでコロの散歩をすまし、フジに買い物に行って幸恵の好きそうな竹の子ごはんを買い深川に帰り、ワシのつまみを冷蔵庫に入れ病院に向かった。工事中で道路が混んでイライラしながら駐車場についたが幸恵の弁当を持ってくるのを忘れていた。仕方なくコンビニにむすび2個買いに行き、幸恵に出したら病院の食事はとらずむすびを食べた。
体重は食べていないにもかかわらず41キロでたいして痩せていなかった。今日の治療は採血と白血球の注射のみで空気洗浄器に解放されて売店で買い物したらしんどかったそうな。
娘から父へのメール132
体重測ったら、8.7sでした。すくすくと大きくなってます。長袖の服の袖も折らなくてよくなったし。
DVDのラベル見た?キューピッドと赤ちゃんをかけて・・・・・キューピちゃんにしてみました。
父から娘へのメール(続き)
天佑はスクスク育つのう。幸恵が体重を量ったのはメールのおかげじゃのう。
父より
二月二十五日
父から娘へのメール129
幸恵の病状報告
幸恵に電話したらおばあちゃんが午前中に千羽鶴と食べ物を持って来たらしく「何もいらないがイチゴを3個持ってきて」と言う。病室についたのは午後4時頃だった。ばあちゃんの話しでは幸恵は智の結婚式の時よりも元気そうに見えたそうな。晩御飯の配膳車がきたのでお膳をもっていくとなにも見ずに「吐き気がするからいらない」チラットと見て「お粥だけ食べるから」と言いながら、から嘔吐していた。まあジュースを飲んだりして栄養を考えるじゃろうてえ。前回のときも食べていなかったけぇ。ヤット智の結婚式にまにあったけえ。今日の治療はありませんでした。
娘から父へのメール133
功くんの上に立って机に上がろうとしてます。寝てて起きないよ。
父から娘へのメール(続き)
今日の天佑の顔は可愛いのう。だんだん幸代に似てくるのう。DVDは幸恵と一緒に見ることにしました。
父より
二月二十六日
父から娘へのメール130
幸恵の病状報告
朝、採血して午前9時頃、元の部屋に戻ったらトイレと風呂が綺麗になっていたらしい。二番目の兄が卒業写真をとりにくるので、昼に行くことにした。売店でワシの昼飯とコヒー牛乳とペットボトルの水を3本と1,200円の花を買って持って行った。幸恵がはじめて「あなたの顔を見ると元気がでるねえ」といいながら買ってきた花の位置をいろいろ変えていた。「そりゃあそうじゃろうて、いつも一人でおるけぇのう。まあ夫婦じゃけぇ当たり前の話よ」
N先生がきて「白血球は1,200あり他も正常値なので水曜日にCTをとりその結果みて治療をはじめます。この調子なら来週から始めたいと思っています。」とのこと。幸恵は素直に「ハイ」と応えていたが広島城をみながら「もみじの紅葉をみて桜の花を見るなんていやよネ、もう退院したいよ」「抗がん剤の効果があらわれているから」「そりあそうよ、副作用がひどいのに効果がなかったら、せんよ。はよう審査せにゃあ」審査で会話がとだえたら幸恵は眠りに入った。幸代からのメールの音で目を覚まして携帯を見ていたがワシには内容など喋らなかった。今日の治療は採血のみでした。
娘から父へのメール134
天佑が、パキラ(観葉植物)(3m)を揺すぶっていたらロフトのてすりと植物のトップを留めてた紐がはずれてかなり傾いたんだよね。(いつも揺すぶるから根がくずれてきてるかも)
だから「あーあ、天佑が木を倒した」って言ったら、泣いたよ。悪いことしたと思ったみたい。ずーっと揺すぶってわるさしてたのにそれから触らない。しばらくは触らないかな(笑)。また2歩歩きました。今回はちゃんと1歩1歩踏み締めて。そうしたら、またまた2歩横歩きました。独歩ももうすぐかな?
父から娘へのメール(続き)
とうとう天佑も自立しそうじゃのう。天佑は世間知らずで白紙の心に色をつけるのは、夫婦じゃけえのう。躾も大事じゃが天佑の頭のレベルについても考えにゃあのう。認知症と共同生活をするのもむつかしいがのう。
父より
二月二十七日
父から娘へのメール131
幸恵の病状報告
今朝電話すると元気な声だった。「よく眠れるし嘔吐もないし、部屋が広くなったからかネ」と言っていた。点滴から解放され日当たりのよい温室効果があった部屋から暑がりの幸恵が北側に面した部屋に替わったからじゃろうてい。今日は行事があったので3時に着いた。食欲がないのでゼリーを持って行った。顔付きが普通になっていた。いままで睡眠不足だったのかのう、審査をしている時も眠っていたよ。今日の治療はありませんでしたが吐き止めの薬と胃薬をもらったそうな。
娘から父へのメール135
朝、また木をさわろうとしたから、「木が痛い痛い」って言ったらさわるのやめた。まだ木が倒れたの覚えてるみたい。
父から娘へのメール(続き)
天佑は頭もエエのう。
父より
二月二十八日
父から娘へのメール132
幸恵の病状報告
審査員が一人いなかったので審査会が早く終わり病室についたのは午後二時半だった。「CTを11時にとるし朝から何も食べていないのに、今日は寝ていても起きていてもしんどいし何も欲しくない」「寿司でも買ってこうか」「食べるかどうかわからないからええよ」と言ったがそごうに行ってパンとかく寿司を買ってかえったら「美味しいそうなパンだね」と小さいパンを食べた。夜はかく寿司を2個食べる予定らしい。CTの結果はわかりませんでした。
今日は株がおお下がりでした。また上がるまで待たなければならないでしょう。
娘から父へのメール136
梅が満開でした。
最近、天佑はとても早起きです。6時すぎには起きてゴソゴソしてるから、ベットから落ちないか心配です。だから私まで早起きしてリビングに移動です。そのため早寝!
父から娘へのメール(続き)
ベットの柵を乗り越えにゃあエエがのう。写真を見たらはしごの2段まで上がっていたのう。梅の紅白も綺麗じゃのう。
父より
三月一日
父から娘へのメール133
幸恵の病状報告
昨日なかったCTの結果が今朝T先生から「腫瘍は小さくなっているので、この治療方針で来週から始める予定ですが血液の検査があるのではっきり言えません」とのこと。「外泊は結構です」とのこと。まあ幸恵が痛みはないし腫れも小指の大きさになっているし自覚症状がよかったので、抗がん剤治療はよかったと思っていたが、まあひと安心よ。夕食はたき込みご飯がいいと云うので、ほかほか亭で「竹のこご飯」を買っておかずだけとり、ご飯だけ持って行った。明日の午前中に外泊する予定にしていたが喜んでいる様子ではなく、また入院生活が始まるのをいやがっていた様子だった。今回の副作用はかなりしんどかったらしい。東京の桜の開花が過去一番早かったのが3月16日だったがそれを更新して13日になるらしいのう。温暖化がすすみ日本の四季もなくなるかもしれんのう。いまだに瀬戸内海はアジやタイが釣れるらしいよ。
娘から父へのメール137
もう3月だね。はやいもうすぐ1歳だよ。
父から娘へのメール(続き)
イヒヒ、ハハハハハ。天佑も悪い顔をするときもあるのじゃのう。いきとる証拠よ。ええのう。
父より
三月二日
父から娘へのメール134
幸恵の病状報告
「外泊の準備ができているのに、どうしている?」幸恵から電話があった。病院の帰りに二人でフレスタに寄って昼飯を買った。幸恵がつくったシジミ味噌汁がうまかった。午後1時から会議があるので慌てて家をでた。
途中で帰る予定だったがおもしろかったので最後まで聞いた。講義中Nさんから「キジを放すがいらないか」との電話があったらしいが会議中なのででることができなかった。欲しいと思ったが、つがいではないと分かったときは欲しくなくなった。夜は久し振りに会話があり明るくなった我が家だが、幸恵が病人であることなどカケラも思わず「ビールを持って来い」など言ったら、足音は聞こえるが見るとベットに横になり又チョコチョコ起きては風呂の湯を入れにいっている。昼食も夕食も十分食べたようだ。姉から「幸恵さんの声がはずんで、よくなったね」と電話がかかってきた。明日点摘のチューブの消毒にいき日曜日に病院に帰り、月曜日は外泊し木曜日から第三回の抗がん剤治療を始めるらしい。
娘から父へのメール138
天佑は最近、ママ〜ってかけよってきます。(ママとは言わないけど)それを見て功くんもおいで!ってやるけど私がいるとなかなかきません。くやしがってるよ!(笑)
父から娘へのメール(続き)
天佑も不細工な顔になるのう。豊かな顔がいっぱいあってエエのう。幸恵が天佑の誕生日にはなにか送りたいそうなが明日送りたいと言っていますよ。電話してやってください。
父より
幸恵外泊(3月2日~4日)
三月三日
父から娘へのメール135
幸恵の病状報告
今日はひなまつりじゃのう。幸恵も少し食べるようになって元気になったが病院に行ってチューブの消毒してもらいフジで買い物して帰ってきたが夕食後はベットに横たわることが多く足も腫れているようだ。本人は筋肉痛だっと言って湿布を貼っていたが。
娘から父へのメール139
掃除機は直った?
今日また体重測ったら、8.8sあり、0.1s増えてました。成長は順調だけど、身長は低いからプクプクに見えるよね。
父から娘へのメール(続き)
掃除機は幸恵が入院してから修理にだすよ。幸恵も帰ってきて1キロ増えたらしいよ。
父より
三月四日
父から娘へのメール136
幸恵の病状報告
今日は後援会活動で40名で動いたが後援会のしおりは20枚程度しか加入してもらえなかった。お願いするときは低姿勢でのぞまないと誰も相手にしてくれんよ。誠実で人柄の好い人は加入申し込み用紙の枚数を多くとってくるけえのう。
合同懇親会が午後6時にあるので、幸恵が病室についたのは、5時半だった。足がむくんでいたが、ゴソゴソしていたからむくんでいたのだろう。と言うがきになるが・・・・家に帰りよく食べていたよ。
明日10時半に迎えにいき月曜日は深川に泊まり火曜日の夜、病院に帰り木曜日から抗がん剤治療の開始となる予定です。
娘から父へのメール140
今日は陽気がよく、散歩中に桜が咲いているのを見つけました。まだ、数個しか咲いてないけど…。
天佑は昨夜、功くんの顔叩いていて、「ごめんなさいは!」って言ったら、手を合わせてました。これはごめんなさいなのか?
父から娘へのメール(続き)
天佑の写真をみると心が癒されるのう。幸代も写真を通じて赤ちゃんの育てかたの本を書いたらどうか。
父より
三月五日
父から娘へのメール137
幸恵の病状報告
今日外泊予定だったが朝一番に採血した結果を見て外泊することになった。
「白血球が3,000だけど外泊には支障がないと言われたから」と午前十時過ぎに電話があり迎えに行った。帰る途中、寺に行き優芽の命日のお参りした。昼飯は、ほかほか亭のカレーを食べたが美味いと言って全部たべた。両足が昨日より浮腫んでいたが食事は色々な間食をし、夕食も食べた。明日の夕方病院に戻ります。
娘から父へのメール141
昨日の名古屋22度まで上がったそうです。桜も咲くはずだよ。
天佑の遊び場をリビングに作りました。気に入って遊んでます。今日、初めて音の鳴る絵本のボタンを、人差し指でちゃんと押して音を鳴らしてました。おもしろいみたいで何回もやってたよ。あとつまみを回したりと指先を器用に動かすようになりました。
父から娘へのメール(続き)
天佑は両手をつかず手が左右にふれるようになって顔も1人前になったのう。
父より
幸恵外泊(5日~6日)
三月六日
父から娘へのメール138
幸恵の病状報告
朝、起きて今日は何を食べようかと考える日々を送っていたが、幸恵が起きてきて、パンを焼いてくれてリンゴまで出してくれた。朝から果物を食べるのは久し振りだった。幸恵の両足が腫れていたが足を高くすれば腫れがひくらしいが、栄養失調で腫れているのならエエがのう。病室に着いたとき午後7時だった。花瓶の花が寂しかったので明日持って行かんとのう。今日の治療は消毒のみだろう。東証6営業日ぶり反発してやれやれよ。上がれば下がるのが世の常識で上がるのが待てない投資家はするべきではないよ。しかし、いつ倒産するかわからない会社は手を出すべきではないよ。
娘から父へのメール142
今日はよくこけて泣いてます。机上に上がって机とローボードの間に落ちてました。行けないようにいろいろするんだけど、その上を天佑がいくから知恵比べです。まぁ痛い思いするとしばらくはそこには行かないだろうけどね。
父から娘へのメール(続き)
大変じゃのう。よう見ていてやれよ。今日の写真は「天佑は、もう誰にも世話にならんぞ」の顔じゃのう。一才にもならんのに。
父より
三月七日
父から娘へのメール139
幸恵の病状報告
朝、電話すると採血されたらしい。審査会があり午後3時頃病室についたが部屋の中に入っても気がつかずよく眠っていた。看護師がきたのも知らなかったらしい。
今日は栄養師がきて「食欲がないときは寿司か炊込みご飯を出すようにします」と言われ昼飯は小さい茶わんに寿司がでて美味しかったそうな。
「言ってみるもんだね」と満足そうにしていたが足首が腫れていたが血液検査では「貧血気味だけど後は支障がないので明日から抗がん剤治療おこないます」とN先生に言われたそうな。
娘から父へのメール143
ベビーカー、最初は嫌がって抱っこばかりだったけど、やっと慣れてきました。今じゃあ足上げてお殿様だよ。
父から娘へのメール(続き)
やっぱりベビーカーがエエのう。やっと赤ちゃんらしくなったのう。これで乳離れしそうなのう。
父より
三月八日
父から娘へのメール140
幸恵の病状報告
午前は介護認定の第二次判定のやり方を職員に伝授した。六年半前に新幹線で幸恵と二人で功くんに「整容とは何か?」を教えてもらいに行き、新幹線の中で要介護認定の手引きを読んで理解ができた。もし往復の四時間の時間がなかったら審査員になれなかったろうてい。この一日は集中して考えたけえのう。
午後から病院に行った。元気そうで食事は赤ちゃん用の茶わんに少しずつもられて品数が多く食欲がわくらしい。両足の足くびがパンパンに腫れており少し青色に感じたが何も言わなかった。昼から抗がん剤の治療が始まったので遅くなるじゃろう。研修生の先生は「午後10時頃になるでしょう」と言っていたがのう。今日から抗がん剤治療が始まりました。
昨日メールを送ったのに着いていなかったらしいのう。幸恵が「誕生日は13日だから何か送ってやりたい」と言っていたが「そごう」に行って自分の目で探して送りたいのじゃろうてい。2週間後に送るよ。
娘から父へのメール144
今日は、広島で例えるとフジぐらいの距離で規模のスーパーにバス(10分)で買い物に行って来ました。バスで会ったおばあちゃんに行きはママにそっくり!って。帰りは目が大きくてかわいい女の子だね。だって(笑)。
父から娘へのメール(続き)
天佑も世の中がわかってきたのう。褒めてもらえばやさしいおばあちやんに見えるが、くさされたらこのババと思うけえのう。
父より
三月九日
父から娘へのメール141
幸恵の病状報告
レポートを提出したら気持ちが楽になった。病室に入ったら幸恵は元気そうだった。今日も昼から抗がん剤の治療が始まった。N先生の回診があった、その時「ご主人、なにかありますか?」と聞かれたので「両足が腫れていますが…。」と言うと「気が付かなかったですね。腎臓は悪くないし、中年になられると夕方になるとよく足が腫れます。」と言われたら幸恵が「失礼なまだ五十代じゃのに」と言ってたよ。今日の治療は採血と抗がん剤治療でした。白血球は4,500で普通で少しヘモグロミンが下がっているが異常ないとのこと。
娘から父へのメール145
チラシで折鶴作ったけど、鶴より切れ端の紙のほうがいいみたい。鶴は最初だけで、あとは切れ端の紙をずっーと持って遊んでるよ。机の上にあがって怒られ、泣いてます。
父から娘へのメール(続き)
天佑の躾も大変じゃのう。パソコンのおかげで「しつけ」が身の美しさにつながるとはのう。
父より
三月十日
父から娘へのメール142
幸恵の病状報告
今日は市場が休みなので一喜一憂できず単純な日だった。今日は買い物はなく洗濯した物だけを持っていっただけだった。元気そうだが両足の浮腫はパンパンになっていたが、朝起きたときは腫れがひいていたらしい。N先生は何も言わなかったらしい「点滴をしているし中年の人は腫れると言っていたし、ガンなら治療しているから治ると思っているのじゃないの」と言ってあまり気にしていない様子だった。食欲もあるようで今日の治療は抗がん剤のみでした。
娘から父へのメール145
伝い歩きも上手くなりました。片手で少しの支えだけで歩けます。床からの立ち上がりもやるようになりました。
父から娘へのメール(続き)
天佑も成長するのう。足もとをしっかり見て歩くようにせんとのう。転んだとき頭から落ちるようじゃあいけんけい。
父より
三月十一日
父から娘へのメール143
幸恵の病状報告
同じ地区2回目の後援会継続のお願いに40人でまわったが回収はまあまあだった。整理して病院に行った時は4時半だった。機嫌がわるく「点滴がはじまり元気がなくなった」と言っていたが相変わらず両足の浮腫がひどかったよ。今日の治療は午後2時からはじまり24四時間続くらしい。駐車場の精算をし駐車券をとるのを忘れてワシも呆けてきたよ。
娘から父へのメール146
5,6歩歩いたよ。この写真も!こけるとこだけど。もう歩けるかぁ?今日は何回か5,6歩歩いてるからあと少しだね。
父から娘へのメール(続き)
天佑が歩いたかチンパンジーの歩き方じゃのう足元をチャント見ているから大丈夫じゃのう。二枚目の写真もチンパンジーに似てるのう。
父より
三月十二日
父から娘へのメール144
幸恵の病状報告
午後2時半病室につくと壁に向かってベットに坐っていた。「窓の方に坐ればえーのに心が暗くなろうが」「点滴がこっちにあり起きやすいから又点滴の色と尿の色が同じなので気持が悪くなり少し吐いたよ」そこへN先生がきた。「今日昼に採血した結果、白血球が1,000だがこれ以上下がればクリーンルームにします。」とのこと。その後幸恵が洗面所にいき吐いていた。昼食で食べたものを全部吐いたらしい。看護師が来たので吐き止めの注射を頼み午後5時になるのでコロの散歩の時間になるので帰った。今日の抗がん剤治療は午後7時に終わりあとは解毒作用の点滴を明日の朝まで続けるらしい。
娘から父へのメール147
おやつのボーロを入れた器にハンカチをつっこんで自分では食べません。つまんでも、器の外に出して並べるか、たとえ口にもっていっても歯でカリッてやるだけ。お茶もストローをカミカミして遊んでいるだけ。自分で食べて飲める日は遠いね。
父から娘へのメール(続き)
今に食べるようになるヨあせらないで天佑ペースでいけばエエ、天佑はよう見とるけえ。今日の天佑の顔は生きとるのう。
父より
三月十三日
父から娘へのメール145
幸恵の病状報告
朝、電話すると明るい声だった。市の駐車場が一週間前に駐車場から市民病院がつながりエレベーターしだいであるが、うまくいけば3分で幸恵の病室にいける。エレベーターにのり6階にいき入院患者にときどき会うが普通の人にみえる精神内科病棟の廊下を20メートル歩き通路のドアをあけたらすぐに幸恵の病室だ。
昨日の夜は嘔吐が激しく「一番苦しい時に夕飯のサバが美味かったと電話してから」と怒っていたよ。今日は吐き止めの点滴をしていたが、その後浄化作用の点滴を明日の朝までするらしい。点滴の合間に幸恵がシヤワーを浴びて顔にクリームをつけているとき帽子をとっていた頭を見たら地肌はみえずタンコブも半分かくれるぐらいに髪の毛が延びていた。「そろそろ帽子もいらんのう」と言ったら「放射線で髪の毛が抜けたのよ」と言っていたよ。一番きつい抗がん剤点滴が終わったよ。後は白血球と食欲の戦いじゃろうてい。
娘から父へのメール148
元気に1歳をむかえることができました。
( ^^)Y☆Y(^^ )
みんなに感謝です。ありがとう!Thank youです。
父から娘へのメール(続き)
天佑誕生日おめでとう。幸恵も何回も言っていたよ。何事も感謝の気持ちが大切だから、天佑も分けがわからずとも食事するとき手を合わせ食べるように躾せんとのう。天佑が大きくなったとき、まわりの人は「手を合わせるのはどうして」と言うだろう。ワシも頂きますとは言わんがのう。「魚も動物も命を犠牲にして、人間の血と肉にかわってくれて、人は生きているのだから感謝して残さずに食べよ」と、ばあちゃんがよう言い寄った。
父より
三月十四日
父から娘へのメール146
幸恵の病状報告
朝、電話すると元気がなかった。審査が終わって病院に行った。「昨日は最悪で嘔吐するし下痢もするし」入院して今まで一番ひどかったらしい。夕方になると腹が痛くなり嘔吐がはじまり下痢になるらしい。幸恵が「ストレスから下痢になるから」と言っていたが本当だった。「今日の夕刊で下痢の原因はストレスから起こる」と載っていた。
1・薬だけでは治せず。
2・患者と医師の信頼関係ストレスで起きていることを理解する。
3・規則正しい生活と運動。
4・リラックスする。
5・散歩や半身入浴する。自分に合った方法を見つける。
明日夕刊を持っていくよ。
今日の治療は解毒作用の点滴のみでした。
今からビールを飲むよ。
娘から父へのメール149
今日、麻疹・風疹の予防接種を受けに行きました。そうしたら小児科が今月でなくなると掲示してありました。この病院は天佑を生んだところで看護師も慣れてよかったし、徒歩で10分で近くて便利だったのにね。残念だよ。近くていい小児科探さなきゃ…。
天佑は検温のときから注射が終わるまで泣いてました。
父から娘へのメール(続き)
天佑は、はっきりしている顔しとるのう。小児科もなくなり、大変じゃのう。
父より
三月十五日
父から娘へのメール147
幸恵の病状報告
雨が降り寒い日々が続く広島だが朝、電話すると今日も元気のない声だった。午後2時に病院に着いた。ベットに横になってチャンコを着てテレビを観ていた。足の浮腫が少しひいていた「朝は普通の足になり立って動いているとだんだんと腫れてくるのよ、下痢でもないが3回もトイレにいき点滴のモーター電池切れの警報がなるので困ったよ」「電気のコードも持っていきトイレのそばのソケットに差したらエエのに」「それぐらいは分かっているが」朝と昼は少々食べるらしいよ。今日の治療は解毒作用の点滴で明日から抗がん剤の点滴が4日間続きます。深川に帰ったら雪をつけた車が走っていたよ。
娘から父へのメール150
大学院合格しました。
父から娘へのメール(続き)
天佑は2歳児の顔しとるのう、今日の夕刊で同じような顔していた2歳児の赤ちゃんが掲載されていたが、天佑のほうが賢い顔しているよ。
合格おめでとう。功くんは、やっぱり元気な教師じゃのう生徒の模範になるよ。
父より
三月十六日
父から娘へのメール148
幸恵の病状報告
広島で始めて民間が運営する原爆養護老人ホーム落成式に、日曜日は後援会活動の運動をするので出席出来ない。それで今日ホームに挨拶に行くことを知っているのに幸恵から電話が掛かってきた。「大変な体になっているようでクリーンルームに入り輸血もしなければならないようで」ワシはびっくりした。早く病院に行かなければならないのに銀行にお金をおろしにいったら「印鑑が違う」と言われるので、幸恵に電話かけても通じないしワシはイライラしてきた。やっと電話が通じ印鑑のありかが分かったので再度銀行にいき用件をすまし飯も食べずに病院に着いたら午後2時半だった。クリーンルーム{空気清浄機}の中にいたが輸血はしていなかった。腕から輸血をするはずだったが針がうまく入らなかったので点滴をしている首から輸血することになったらしい。研修医の先生が輸血をした「輸血の色を見て気持ちが悪いから」と言ったら看護師が輸血袋を銀紙でかくした。すぐに幸恵が嘔吐を訴えその後頭痛を訴えたらT先生がきて「頭痛薬をだします」それを飲んだら頭痛が治ったが「輸血が終わるまでおって欲しい」と言うのでいることにした。幸恵が言った通り輸血袋を見るとワシも気持ちが悪くなった、他人の血が入るのは気分が悪くなるのは当たり前だ。ヘモグロビンが少なくなって肝機能も悪く白血球も悪いらしいが両足の浮腫はなくなっていた。今日の抗がん剤は膵臓が悪くなるらしいが後3日間、頑張ればエエがのう。
娘から父へのメール151
天佑は床からの立ち上がりがうまくなりました。今日はよく歩きました。といっても3歩ぐらいだけど。むらがあるよね。よく歩く日もあれば歩かない日もある。
もしもしのつもり
父から娘へのメール(続き)
天佑がうまくできたら頭をなでて「よくできました」と言って褒めてやれよ。
父より
三月十七日
父から娘へのメール149
幸恵の病状報告
朝、電話すると爽やかな声だった。昨日の出来事はなんじゃったんだろう。今日の午前中は幼稚園の卒園式で、午後から会議があり病院に着いた時は3時半だった。点滴はしていなかった。「午前中に抗がん剤の点滴を一本して後普通の点滴を一本しただけよ。明日も同じようにするらしいよ。N先生が来た時は異常なかったが帰った後、嘔吐したよ」とのこと。クリーンルームだから予防着をきて頭にネットかぶりマスクをして入らなければいけないしワシの服には、コロの毛がいっぱいついとるけえ1時間いて帰ったが、まだおって欲しかったらしいよ。
娘から父へのメール152
洗濯バサミが今お気に入りのおもちゃになってます。鼻に入れて喜んでます。おバカちゃんでしょ。ごちそうさましてるところ。でもお気に入りの洗濯バサミは食事中も持ってました。
父から娘へのメール(続き)
天佑も色々な物がおもちゃになるのう。口に入れるようになるけえ気をつけよ。
父より
三月十八日
父から娘へのメール150
幸恵の病状報告
今日で最後の後援会活動のローラー作戦は40人あまりで歩いた。少ないしおりを整理して、病院に着いたのは4時だった。点滴はしていなかったがクリーンルームで寝ていた。食欲はあまりないが少々食べているらしい。ワシが黙っていると点滴から解放されたせいかもしれないがすぐに眠っていた。
今日の治療は抗がん剤1本と吐き止めの点滴1本でした。明日で第3クールの治療が終わります。
娘から父へのメール153
今日は智にあげる赤ちゃんグッズを整理してました。服肌着にアイロンかけたり、洗濯したり。1年で、身長20cm、体重6s大きくなるからすごいよね。
哺乳瓶からコップになるし。天佑は今だおっぱいだけど。
父から娘へのメール(続き)
智の赤ちゃんもスクスク成長しているみたいじゃのう。天佑も勇ましい顔になるのう。将来楽しみが増えるのう。
父より
三月十九日
父から娘へのメール151
幸恵の病状報告
朝採血した結果、ヘモグロビンは正常値になったが白血球は800しかなくクリーンルームにいなければならず幸恵も覚悟したのか病室に着いた時もクリーンルームの中のベットに坐ってた。ワシも今朝5時半に目がさめ、ウトウトしていたら応接セットの椅子で少し眠ったらしい。「今日は暇なんね」「審査も水曜日は休日でないし、後援会のまわる地図の色塗りもないし、何もすることがなくなったよ」「呆けにゃあエエがね」「そうよ呆けようてい、酔って、できる仕事がなくなったけのう」「酔って出きる仕事があるよ。またホームページでも書いたら、天佑と智の生まれる子のために」「そりぁそうじゃのう気分がむいたら書いてみるか」病院には3時間もいました。今日で第3クールの抗がん剤治療が終わり、後は体の回復が進むだけです。
娘から父へのメール154
今日はプリンを食べました。大好きみたい。わざと入れて楽しんでる。おバカでしょ。ロフト掃除してたら天佑は大泣きで、けっきょくできませんでした。功くんはお母さんがトイレに行っても泣いてたそうです(岩手のお母さんより)。天佑はまだそこまでではないかな。でも功くん似かも!
父から娘へのメール(続き)
天佑もだんだんと好きなものができるのう。自分で食べたかいのう。
父より
三月二十日
父から娘へのメール152
幸恵の病状報告
血液検査するはずがないのに朝、採血したらしい。気になって昼、電話したら白血球が200におちていたらしい。ワシの担当の行事が終わってサイダーが飲みたいと言っていたので、コンビニで2本買って病院に着いた時は午後3時半だった。
3時ごろから栄養剤の点滴をしたらしく「モーターが付いていないから点滴台も軽いから移動が楽じゃけど、明日も白血球と栄養剤の点滴をするらしいよ」「今まで嘔吐して、ろくに食事もしていないのに栄養剤の点滴をしなかったのがおかしかったヨ」今までで白血球の数値が最低なので感染症になったらいけないので、ワシは面会時間は最低限度にしようと思ったが、1時間もいたヨ。今日の治療は以上でした。
娘から父へのメール155
昨夜は大変でした。22時ごろ授乳中に嘔吐、それから計3回嘔吐しました。吐くだけなら様子見しようとしたら、熱が38.4度。これはやばいと夜間救急で病院に行きました。功くんに連絡したらすぐ帰るということで、功くんに病院に連れていってもらいました。病院に着いた頃は38.8度まであがっていて…。胃腸風邪と診察され薬をもらって帰宅。帰ってからは嘔吐もなく、高熱ながらも元気に遊んでました。薬は服用せず、夜中は乳を1時間おきに少しずつ飲み、朝には36.6度まで下がり、ヨーグルトもぺろりとたいらげ、昨夜のことはうそのように元気になりました。1歳すぎると病気するっていわれるけど本当みたい。昼間はじーっとおとなしく寝ていてくれないので、今夜も熱でないといいけどね。
父から娘へのメール(続き)
天佑も大変じゃったのう。病院が近いからよかったのう、しかし家庭できる応急処置ができるように勉強は勿論、緊急薬箱をおいておけよ。
車から出さなかったからコロもストレスを感じて嘔吐したよ。できるだけストレスのない生き方をしたいもんだが、ワシがワシがの世界じゃけえのう。人に迷惑をかけずに生きることができたらエエがのう。お互いに助けあって社会が成り立っているのだから、それが理解できればエエがのう。
父より
三月二一日
父から娘へのメール153
幸恵の病状報告
今日は二番目兄が来るので急いで家を出て、ポスター貼りの位置の確認や選挙カーの誘導コースを確認して、久し振りに港に行った。商工センターから港まで旧国道を通らずいけるようになっていたり、駐車場も桟橋の近くになり便利になっていた。1時間ほどエンジンをかけて、帰るつもりだったが隣の船長が「走ったほうがエエよ」と言うので船をだした。やっぱり海はエエのう信号もないし自由気ままに走れるから。宮島で一人で弁当を食べながら他の船が釣っているのを見ていたら釣り上げていなかったよ。一回釣れたらいつまでも、その時のことを言って「よく釣れた」と言っているのは認知症のはじまりよ。
病院についたら午後1時半だった。N先生がきて「感染症に気をつけてください」とのこと。
幸恵は比較的元気だったがクリーンルームの音で携帯電話の音が聞こえないの音量を上げてやった。長居は無用と思っていたが朝早く目がさめるので眠りながら2時間たって病室をでたよ。今日の治療は白血球のみでした。
娘から父へのメール156
最近、変顔多いよね。おもしろい子だよ。
買い物から帰ったら二人とも寝てました。天佑はあえんぼうちゃんの寝かたでしょ。
父から娘へのメール(続き)
天佑もお父さんの側にいると安心するのじゃろうていのう。それだけ信頼される人間になりたいものよ。コロも5時すぎるとワシから離れんてえ、どこにいくにもついてくると吠えるけえのう。
父より
三月二十二日
父から娘へのメール154
幸恵の病状報告
午前4時ごろ目がさめ6時ごろまでウトウトして、コロが起したときは8時半だった。飯も食わずに朝礼にでた。コロのお陰で馬鹿にされずにすんだよ。予想もしなかった後援会の号外ができたので主任級を呼び号外を配る打ち合わせを終わった後、午前10時前に幸恵から電話があった。「N先生がきて血小板が少なくなっているので輸血します。白血球は1,000になっているのでクリーンルームは止めます」と言われたらしい。「輸血の色は黄色だから気分も悪くならないと思うから遅く来てもエエよ」「怪我は絶対せんように、転ぶなよ」と言って電話を切った。病院に着いたときは午後3時半だった。クリーンルームの囲いは取り除かれ広々とした部屋になっていた。幸恵が「副作用で血小板が少なくなったので病気でなったわけでないので治るよネ」「そりあそうよ、今からはよくなるばかりよ」5時まで帰らなければいけないので帰ると言ったら、まだ話しがしたかったらしい。N先生は血液内科の専門だから数値が下がればすぐに対応するが血のない幸恵から血液ばかり採集するのも疑問じゃが、早期発見早期治療が大切じゃけえのう。今日の治療は血小板の輸血と白血球の注射でした。
娘から父へのメール157
天佑は賢くなってきて、ふすまも開けれるようになりました。布でおおって隠すと解らなかったのが、めくって探すようになったし…。どうやったら悪さできないようにするか智恵比べだよ。今は天佑のほうが一枚上手かな(笑)。
父から娘へのメール(続き)
天佑は学習して知恵がいっぱいふえるが、コロは今までの経験だけで活動するが新しいものにはついてはいけんけど心は、ついていけるみたいよ。
父より
三月二十三日
父から娘へのメール155
幸恵の病状報告
朝、電話するとあまり元気がなさそうだった。午前中、後援会活動はじめて号外びらを50軒ほど配ったが足がもつれていたよ。昼からの会議が終わり、団地でビラを配っている運転手に用事があって行ったらいなかった。病院に着いたのは午後3時45分だった。「来るのが遅いね、外の空気が吸いたいけれど排気ガスで気持ち悪いしネ」と言っていた。「屋上庭園に行ってみるか?」「まだ白血球が上がっていないしいけんよ、チョット腰が痛くなったから上がったかも」幸恵の場合白血球が上がるとき腰が痛くなるらしい。まあ採血の結果を見て屋上庭園に行くことにした。今日の治療は白血球の注射のみでした。
娘から父へのメール158
お風呂からでたら洗面所に天佑がいてびっくり!
(☆o☆)今までドアは押すしかできなかったのに、引いて開けれるようになっちゃいました。いつも泣き声が聞こえるように、リビングのドア少し開けて、洗面所は全開。ドアを少し開けていても押すだけなら閉まるからリビングから出れなかったのに、ほんと最近いろいろできるようになったよ。この前のはチエ熱かもね。
歩くのも伝い歩きして、つかまるものがなくなると独歩を少しするからね。
父から娘へのメール(続き)
天佑の動きも信じられないことを起すから注意せんと。ヤケドだけは注意せいよ。幸恵が外出するとき、天佑の誕生日祝いにそごうに行くと言っていたよ。
父より
三月二十四日
父から娘へのメール156
幸恵の病状報告
朝、6時半に採血されたらしい。10時過ぎに「白血球が13,000になったとヨ」幸恵から電話があったがよっぽど嬉しかったじゃろうてい。まあ上がると思っていたがのう。しかし、、少しずつ食べているらしいが段々と造血できない体になっているみたいだから、しっかり食べてくれんとのう。ザルソバが食べたいと言うのでコンビニで買って持っていったら半分は食べたらしい。今日の治療はありませんでした。
娘から父へのメール159
新聞読んでるみたい?
父から娘へのメール(続き)
天佑も面白いのう。一歳児は腹がすいたら乳欲しさに泣き、排便したら気持ちが悪いから泣いて親に知らせるだけしかの能力しかないと思っていたが色々な学習しているのじゃのう。
父より
三月二十五日
父から娘へのメール157
幸恵の病状報告
今日から市長選の選挙が始まったが近所は静かなもんよ。選挙カーなど一台も通らんけえのう、しかし、うちには不在者投票の票が50票あるけえ、うちの地区全部合わせても票より多いいけえのう、通った者が票につながるよ。告示後は後援活動ができないので選挙のポスター貼りの掲示板の確認をして午後3時ごろ病室についた。元気そうでワシが持って行った花が、半ば咲きで部屋の雰囲気はよかった。最後の介護認定審査を1時間半して5時頃帰った。今朝、N先生がきて「廊下の散歩は、いいですよ」と言われたらしいが明日の血液検査の結果を見て決めるらしい。外泊許可がでたらそごうに行って天佑の誕生日祝いを買うらしい。今日の治療はありませんでした。
娘から父へのメール160
昨夜は同窓会でした。みんな抱っこさせて〜でしたが、その度に泣いてました。まだまだ人見知りみたいです。何時間すると慣れるみたいだけどね。でもその前に帰っちゃったけど…。泊まったふたりには完全に慣れました。
「もしもし」って電話持つ真似します。
父から娘へのメール(続き)
天佑も大変じゃのう。危害加えないと分かったら安心するんじゃろうが、初対面者は危害を加える人と思って、自己防衛で母親に助けを求めているんじゃろうのう。「エエ話しはろくなもんではない。」と昔から言っているから気をつけよ。
父より
三月二十六日
父から娘へのメール158
幸恵の病状報告
朝、採血したらしく、選挙カーの誘導コースをバスの運転手のSさんと確認中に電話がかかってきた。「白血球は3,300になり他の数値も下がっていないから研修医の先生から外泊してもエエよ」と言われた。「明日消毒にくれば2泊の外泊許可がおりたよ」とまた電話がかかってきた。「午後2時半に病院に行くから」と言って電話を切った。病室に着いたとき選抜野球甲子園出場の広稜の高校野球を見ていた。「どうせ負けるのに見てもしょうがないのに。」と思っていたが勝ったらしいのう。家に帰ってフレスタで買ったうどんを食べ、かく寿司を食べ食欲旺盛だった。夜もタコの刺身を食べたよ。環境が左右するのう。
明日は通院のみです。
娘から父へのメール161
体重計を持ち運ぼうとしてるけど、重たくて引きずってます。洗面所からリビングまで運んじゃったよ。
父から娘へのメール(続き)
天佑も好奇心が強くなって、なんでも自分のものになると勘違いされたら将来困るけえ注意せいよ。
父より
幸恵外泊(3月26日~28日)
三月二十七日
父から娘へのメール159
幸恵の病状報告
消毒の為に市民病院通院後、そごうに行き天佑のおもちゃを買って10階の寿司屋にいきました。1人前2,950円の寿司を食べたが幸恵はイクラを1個残してあとは全部食べた。夕食は、うどん入りのお好みと施設で作ったブッロコリーを食べた。明日、夕方病院に帰ります。
娘から父へのメール162
ポッポーって言いながら遊んでます。(教えたんだけどね)
父から娘へのメール(続き)
天佑もオモチャであそべようになって、よかったのう。写真では遊園地で遊んでいるようなのう。
父より
三月二十八日
父から娘へのメール160
幸恵の病状報告
午前中は会議にいき、昼飯はもらってきた折ずめ寿司を2人で食べ、昼からは最後の審査会にいき審査して帰ったら午後3時頃だった。幸恵が布団を干したりしていて元気そうだったが足が少し浮腫んでいた。夕飯はソバを自分のぶんだけ湯がいて食べていた。車の中で今後の治療はどうなるのか心配していたが「明日、血液検査してCTを撮って方針を決めると思うが抗がん剤の治療は来週の木曜日になるから今度の土曜日は、また帰れるよ」と言っていたら病室に着いた。午後7時だった。
今日の治療は消毒のみでした。
娘から父へのメール163
よく泣くよ!思いどおりにならないと泣く。訴えがあると泣く。思いどおりにならないときは、ほっておくとあきらめるけど、訴えがあるときはしばらくは泣いてます。とくに私を呼んでいるときは…。いないのがわかるとすぐあきらめるみたいだけど、お風呂とか入っているなど、いるのに行かないときはずーっと泣いてるよ。まぁ誰かが抱っことかすればいいけど、いつもはふたりっきりだからね。手をつないで歩くのが好きみたいです。
父から娘へのメール(続き)
天佑はコロに似取るのう。しかしコロは散歩の時間になると訴えるが、天佑は時間に関係なく訴えるけえエライのう。泣く子は育つとよう言いよったがのう。
父より
三月二十九日
父から娘へのメール161
幸恵の病状報告
午前中は明日のポスター貼りの打ち合わせをして午後3時から仏事に参加して病院に行った。研修医の先生が「血液検査の結果、白血球は2,900で後はこの前と同じ数値なので外泊は、してもいいですが通院はして下さい。月曜日にはCTを撮って2〜3日して抗がん剤治療をはじめます」とのこと。「今日はばあちゃんが酔心の弁当を持ってきて食べたら美味しかったが、色々話していたら疲れたよ。」と言ったものの幸恵は嬉そうだった。「明日、市議選の告示で神事が終わって出陣式に参加してポスターを貼って選挙カーの誘導して来たら、病院には午後5時頃になるけえ」「遅くなるのネ。エエヨそれから外出するから」幸いわいに31日と1日は選挙カーが来ないのでワシはポスターが、はがれているかどうかの見回りだけの仕事だけでよかったヨ。
今日の治療は消毒と血液検査のみでした。
娘から父へのメール164
ありがとう。届きました。タイヤがついているのはちゃんと転がして遊びます。教えてないのに、わかるんだね。
父から娘へのメール(続き)
天佑はたいしたもんじゃのう。できるだけ自然のものを見せてやれよ。つくしが生えて時々車を止めて取っているよ。
父より
三月三十日
父から娘へのメール162
幸恵の病状報告
今日は朝6時に起きた。神事には兄が来ていた。九時半に出陣式があり、過去最低の300人ぐらい集まった。終わり次第、ポスターをはり、選挙カーの誘導をして病院に着いたら午後4時だった。着いたら「遅いからタクシーで帰ろうと思ったが、薬がこないのでいた」「N先生がリンパ腫が腫れているかどうか念入りに調べたらしいが外部には見当たらないが内部が分からないから月曜日にCTを撮って今後の治療方針を決めます」と言われたらしい。帰ってきたらすぐにソバをゆでて食べていた。帰れば食欲がわくのだろう。市長選や県議や市議選があるにもかかわらず相変わらず選挙には興味がない市民じゃがテレビを観ていても、いい顔している立候補者は誰もいなかったヨ。
選挙は水もので終わってみんと分からんけえのう、まさかの坂があるけえのう。気をつけよ。
娘から父へのメール165
ヨチヨチというよりヨタヨタというかんじで歩いてます。
扉、ドアとどんな種類のものも開けちゃいます。対策すると私が開けるの面倒くさいんだよね。だけどいろんなものが入っているから開かないようにしないといけない…。
父から娘へのメール(続き)
天佑も歩きだしたのう。無理せずに慌てずに育てよ。
父より
三月三十一日
父から娘へのメール163
幸恵の病状報告
午前中は通院し消毒したのみでした
娘から父へのメール166
お昼寝のとき、必ずそばによってきてくっついて寝ます。私がうとうとしてて気付いたらとなりで寝てたり。とかわいい子だ。でも寝たら寝相はかなり悪く、すごく移動します。さっきまで隣で寝ていたはずが…。
父から娘へのメール(続き)
天佑は可愛いのう。布団の中を一周してもとの位置になって寝ているよ。元気な証拠で寝ていながら運動して体力をつけているのじゃろうヨ。
父より
四月一日
父から娘へのメール164
幸恵の病状報告
幼稚園のサクラも満開になった。今日の昼飯は美味いものを食べようと幸恵と話していたら釣り友達から電話があった。家に着いたら午後1時だった。それから酔心の釜飯を食べに行った。
メニューに1匹1,600円のメバルの煮付けがあったので注文すると、「ない」とのこと。病院に戻るまえに幸恵にメバルを食べさせかったので、Sさんに今日釣ってきたメバルをもらって幸恵が料理した。「臭みがなく美味しかった」と食べて病院に午後6時に向かった。今日の治療は消毒のみでした。
娘から父へのメール167
今日は智への荷物を送ったり、ベビーカーで軽量でコンパクトなのを買いに行きました。広島に帰ったりするのに便利だからね。メールするの遅くなりました。
父から娘へのメール(続き)
今日は天佑の報告がなかったのう。
父より
四月二日
父から娘へのメール165
幸恵の病状報告
朝採血して九時半にCTを撮ったらしい。選挙カーの誘導をすませ病室に着いたのは午後4時だった。白血球が2,600でヘモグロビンも下がっていたらしくショックをうけたのか、幸恵は元気がなかった。飯もろくに食べていないから血もできなかったのだろう「今は食べられるから、抗がん剤治療まで2〜3日あるから元にもどるヨ」と言っていた。数値は下がっているが治療はしなくてもいいらしい。CTの結果の報告はありませんでした。
娘から父へのメール168
友達とそのファミリーでお花見に行きました。最初は、人見知りし、慣れたらお話したりといい子でした。少し芝の上歩いていたら、突然大泣きさ!抱っこしてもずーっと泣いてて…。抱っこしてそこら辺を散歩したらやっと泣き止んで。何か気に入らないことがあったみたい。で、帰ろうかということになったら、帰りはグースカピー。いいねぇ、気ままで。でうちに着いたら、私のかばんあさってるよ。
4月末に広島に帰ろうと思います。結婚式の着物の下着とか小物もいるし。ずっと日中はふたりだし。お母さんの外泊?に合わせてその前後あたりに帰ろうかと…。
父から娘へのメール(続き)
天佑も知恵がついてきているのだろうよ。同じ目線で見てやったら理解できるじゃろうてい。幸恵も治療が終わって食欲がない時だから料理でもしてやって、元気になったら智の子供が生まれてから東京に連れてってくれや。
父より
四月三日
父から娘へのメール166
幸恵の病状報告
今日は午前中、幼稚園の入園式だったがワシは関係ないので一人で選挙カーの回るコースを考えた。午後1時半から選挙カーの誘導をして病室に着いた時は午後4時だった。幸恵はきげんがよかった。昼、ばあちゃんと昼食していたら4月から勤務医になったT先生がきて「CTの結果、ガン細胞が縮小しているし、新たなガン細胞が発生していないので今までの治療方法で木曜日から開始します」とのこと。T先生は足のつけねに発生し腫瘍の大きさが8pに大きくなったのも知っている先生だから幸恵の状態を一番よく把握しているから安心よ。外泊してもいいと言われたらしいが「また明日くるのも面倒くさいし、家に帰らないよ」可愛くない言葉だけど早く治したいのだろう。
今日の治療は報告と消毒のみでした。
娘から父へのメール169
20日から1週間ぐらい広島に帰ろうと思います。3月の経過をみると外泊?は23日すぎぐらいからできそうだから。
天佑も室内はよく歩けるようになりました。積木を立てて遊んでます。1歳で、偉い!?親バカ?
父から娘へのメール(続き)
天佑はものが言えるようになったか。日ましに成長するのう。幸恵の状態も良くなっているから広島に帰ったら幸恵と一緒に天佑のいるものを買って楽しめばエエよ。
四月四日
父から娘へのメール167
幸恵の病状報告
今日は選挙カーが来ないので、午前中は電話作戦の票読みをしたが、昼間だけしか電話しないのでルスの数が多いいのに困ったヨ。午後から不在者投票があったので病院についたのは午後4時だった。「今は抗がん剤の治療をしていないから食事もできるし、朝9時ごろN先生がきて「若干腫瘍も小さくなっているので明日から抗がん治療を始めます」と言われたが、もうこれで終わりにしてもらいたいよ」「新たなガンが発生していなし、ガンの進行がなかったら治療は終わりよ」今日の治療は消毒のみでした。
娘から父へのメール170
ふすまを開けるのに、片一方(右側)からしか開けれなかったのが、反対(左側)からも開けれるようになりました。片一方なら開けれない対策しても、私たちが開けることできるけど、両側開けれないようにすると私たちも開けるのが面倒になるんだよね。日に日に頭良くなってる。というか、よく見てる。この前もゴミ箱の位置がズレていたから足で直したら、天佑が即座に足でゴミ箱蹴ったよ。変なことはできないね。
父から娘へのメール(続き)
天佑もよう見取るのう。子供は親父の背中を見て育つと言われとるけえ。
父より
四月五日
父から娘へのメール168
幸恵の病状報告
昼から選挙カーが3時間くるし、午後7時に地区でミニ懇談会を開くので今日は、午前中に病院に行った。するともう抗がん剤の治療を受けていたが、幸恵は元気だった。「明日から食欲がなくなるだろうよ」と言っていたよ。今夜遅くまで続くらしい。無事に2周間の治療に耐えてくれればエエがのう。
娘から父へのメール171
新しいベビーカーが来ました。これで広島に帰ります。もう長時間抱っこは重たいからね。
父から娘へのメール(続き)
ベビーカーで帰ったら広島に着いたときは、天佑は一人で歩いているよ。
父より
四月六日
父から娘へのメール169
幸恵の病状報告
午前中は選挙カーの誘導する道の下見をして、昼飯は売店で買った弁当を病室で食べて昼から選挙カーの誘導があり、夜は総決起大会があるのですぐに帰った。大会が終わり他候補の事務所前を通り午後9時に帰ってきてビールを飲んでいるところです。幸恵は顔が浮腫んでいたが朝起きたときは普通で点滴する前に動いていると浮腫むらしい。
今日の治療は抗がん剤治療で午後12時に終わる予定です。
娘から父へのメール172
最近のおやつはマンゴープリンがマイブームです。天佑も好きで、1つをふたりで分けて食べるけどほとんど天佑に食べられてしまいます。
いろいろ食べれるようになったけど、固形物がうまく嚥下できず、ムセることがあります。まだまだ離乳食だね。
父から娘へのメール(続き)
焦らず天佑ペースで育てよ。躾も大切じゃがのう。
父より
四月七日
父から娘へのメール170
幸恵の病状報告
今日で最後の選挙活動です。午後1時半から選挙カーの誘導を済ませて、洗濯物を持って行こうとしたら洗濯機の中にあった。しょうがないから乾くのを待って病院に着いた時は午後7時頃だった。幸恵は元気そうで「病院のまわりは、最後のお願いで選挙カーの声がうるさくてしょうがなかったよ」と言っていたよ。今日の治療は抗がん剤で食欲も普通でした。今まで電話作戦の票読みをしていました。
娘から父へのメール173
功くんは明日入学式で、泊まりで大学に行きました。天佑とふたりで留守番です。
天佑はあっちへは行って悪さ、こっちへ行って…。であきたら私の上に乗って遊んでます。ひとり忙しそうです。
父から娘へのメール(続き)
天佑は日増しに成長するのう。会うのが楽しみじゃのう。
父より
四月八日
父から娘へのメール171
幸恵の病状報告
今日はお釈迦様の誕生日です。幸恵の衣類を病院に持って行こうとしたら又洗濯機の中だった。これで3回目になるよ。幸恵は元気だったが、少し鼻声だったが。風邪をひかにゃあエエがのう。今日の治療は解毒の点滴のみで午後7時に終わる予定です。8時から選挙事務所に行き100日間の選挙運動も終わり後は明朗な情報を待つのみです。
娘から父へのメール174
今朝、お姉ちゃんにおはようは?って言ったら、手を合わせました。たまにしかやらないんだけどね。
父から娘へのメール(続き)
天佑の顔がしっかりしてきたのう。大声で怒ったりしていたら脳の容積が小さくなり、大人になっても障害が残るそうだから穏やかに育てんとのう。
父より
四月九日
父から娘へのメール172
幸恵の病状報告
午前1時に当選が決まりました。コロが隣の部屋を覗いているので「中に入ったらいけんよ」と言って、見たらなんとムカデがワシに向かって来るではないか、ハエ叩きで叩きあげたら死んだヨ。コロのお陰で刺されんでよかったヨ。病院に着いたとき幸恵は抗がん剤と解毒作用の液を混ぜて点滴をしていた。今日も元気そうだったが食欲がないらしい。24時間点滴が始まった。
娘から父へのメール175
ゴムで髪くくるとすぐ取られるから、天佑の髪にやってみました。そうしたら、すぐ取った(^O^)
父から娘へのメール(続き)
天佑が来るので畳を新しくしたが、幸恵が「天佑が転んでもいいように角があるものはチャントせにゃあ。優芽のときは亀崎だったからよかったがネ」よう見ると、つついたらいけん物ばかりあるからのう。パソコンもそうじゃしのう。
父より
四月十日
父から娘へのメール173
幸恵の病状報告
作った仮設事務所の間仕切りを解体したり、事務書類を片付けたりして病室についたら午後2時半だった。N先生と入れ違いになったらしい。今朝の採血結果は白血球が1,000だったらしい、これより下がるとクリーンルームに入るらしい。幸恵の足の浮腫が消えていた点滴で栄養失調がなくなったのかのう。
今日は採血と解毒剤の点滴と白血球の上がる注射でした。
娘から父へのメール176
いろいろ対策しても、天佑のほうがひとつ上手です。だからうちでは危ないもの以外は開放してます。よく机で顔ぶつけてるよ。
父から娘へのメール(続き)
天佑が来て対策を考えたほうがエエらしいのう。そのほうが現場にあった躾になるかものう。外にでれば車も走っているし、猪がでたりしたら防御する知恵をあたえんとのう。
父より
四月十一日
父から娘へのメール174
幸恵の病状報告
運転手が原因不明の膝の痛みで、もう一週間も休んでいる。今日は五日市にある造幣局の花見で仕方なくワシがバスに年寄りを乗せて山陽高速を走り、桜を見に行った。病室には午後4時に着いた。幸恵はベットに横になり料理番組を見ていたが24時間点滴で疲れている様子だった。今日の治療は白血球が上がる注射と解毒作用の点滴でした。
娘から父へのメール177
よく歩くからか、夜よく寝るようになりました。前、ちょこちょこ起きてたのは体力が余っていたからみたいです。
父から娘へのメール(続き)
よく寝る子は育つと昔から言っておるけえ、タタミが新しくなりコタツ布団はクリーニングにだし、徐々に天佑の受け入れ対策が進んでおるが、コロが今日も吐いていたので明日、動物医院に連れて行く予定です。
父より
四月十二日
父から娘へのメール175
幸恵の病状報告
プレハブの選挙事務所を撤去した。今朝、採血した結果をN先生がきて報告するには、「白血球が6,000になったが肝臓と赤血球の数値が低くなっているので、週末にはクリーンルームに入らなければいけないと思うので準備します」とのこと。廊下にはクリーンルームの装置が置いてあったが幸恵には言わなかった。T先生は数値が下がれば輸血も考えますとのことでした。今日の治療は解毒剤の点滴と肝臓の注射でした。明日から4日間の抗がん剤治療が始まりますが、副作用を気にするN先生だからまかせるしかあるまい。
娘から父へのメール178
スーパーに行ったら、アーアーとおしゃべりです。家でもそうなんだけどね。見てるとおもしろいよ。
父から娘へのメール(続き)
天佑も社会に飛び出したのう。
父より
四月十三日
父から娘へのメール176
幸恵の病状報告
病室についたら午後2時だった。今日も血液検査したらしいが白血球は3,200だったので週末に下がる予想でクリーンルームがセットされていたが使用していなかった。
抗がん剤の治療が終わったら解毒剤の点滴を24時間するらしいが、幸恵の顔は病人の顔だった。環境が顔を変えるみたいで保護色に変化する生物みたいじゃのう。
夕方は友人Wの次女がアメリカの男性と結婚するのが10月に決まったので当選祝いをかねて藤家でワシとWの家族4人で食事会をした。そのときお見舞いに幸恵のパジャマを預かったので明日持っていくことにしています。
娘から父へのメール179
小走りができるようになりました。だけど、勢いあまってこけてるけどね。
父から娘へのメール(続き)
どうしたんや、天佑の顔は凄いのう。しっかりして。どうも功くんに似ているのう。
父より
四月十四日
父から娘へのメール177
幸恵の病状報告
昨日、Iさんが幸恵の為に作ったバラ寿司とメバルのから揚げを昼飯に間に合うように12時に病院に持って行った。「美味しい」と言って食べていたよ。今朝も採血したらしく白血球が2,200に下がっていたので上がる注射をして抗癌剤の治療と解毒剤の点滴をして午後3時に終わった。クリーンルームはワシが行ったときだけ使い、後は音がうるさいのでスイッチを切っているヨ。「明日は友人Wと釣りに行く予定だから病院に行くのは夕方になる」ことを告げて帰ったよ。吐き気もあまりなく調子がいいので退院できるかも。
コロがまた吐いたので白熊に受診したら4月は温度が上がってよくある症状で風通しがよくなければいけないらしいが、ワシが寒いのが嫌いだから暖房をつけぱなしにして仕事に行っているからよくなかったのかもしれんのう。
娘から父へのメール180
ふすまを閉めることができるようになりました。開けることしかできなかったんだけどね。開けたり閉めたりするのがおもしろいみたいです。
父から娘へのメール(続き)
天佑も身近にあるもので遊ぶようになったのう。いよいよ善悪の区別を教えんといけんのう。
父より
四月十五日
父から娘へのメール178
幸恵の病状報告
久し振りに友人Wと2人で海に出たが瀬戸内海はまるで湖のようで波もないし、風もないし、エンジンは一発でかかるし、速いし、ワシの船はエエ船よ。いうことはないよ。メバルがなんぼうでも釣れるが、ワシはいらないからWの家族が食べるぶんだけ20匹釣り、後はイカダに上がって水中鉄砲で魚をついている漁業師が何を突くかを見て、病院には午後6時頃に着いた。
夕食にでてきた献立を見るとワシの好きな天ぷらやシャケで茶碗は小さく量も多くなく食べやすい感じだった。
幸恵は半分しか食べなかったが第3クールの時よりも吐き気もなくよく食べているほうだ。そのせいか分からんが今日、体重を計ったら1キロ増えたらしい。今日の治療は抗がん剤と解毒作用の点滴と白血球の上がる注射をし、血圧も正常で熱もありませんでした。どうもクリーンルーム装置は不必要だったかもしれんのう。「備え有れば憂いなし」と言うけえ、まあエエか。
娘から父へのメール181
今日は留め袖とモーニングをかりに行きました。けっこうするね。広島とは違うみたい。天佑はずーっといい子でした。
カブトとこいのぼりだしました。
父から娘へのメール(続き)
仲人も大変じゃのう。人が喜んでくれることは積極的にせにゃのう。幸恵は天佑のことばかり心配しているが、智の子供のことも考え「一緒に東京に行こう。一人では不安だから付いてきて欲しい。」と言っているよ。
父より
四月十六日
父から娘へのメール179
幸恵の病状報告
病院に行こうと思って乾燥機を開けたらなにもなかった。4回目の失敗で洗濯物は洗濯機に入れたままだった。病院に着いた時は午後2時半だったが幸恵はベットに横になっていた。採血の結果白血球が1,500に下がり赤血球の数値も下がりこれ以上下がるとクリーンルームに入らなければならない状態らしい。体がだるいのかのう。
今日の治療は採血と抗がん剤と解毒剤と白血球の上がる注射でした。これで第4クールが終わったがN先生がきて「この度は思ったより数値が下がらなかったが、今後下がる傾向がみられるので2日後に採血して様子をみます」とのことでした。1キロ増えたらしいのは間違いで朝、体重を計ったら治療前と同じだったらしい。コロがうるさいので2〜3日前にオープンした複合ショッピングセンターにいった。お客がいないのですぐに閉鎖においこまれようてい。職員の人にあった。ワシはカップラーメンばかりなのにその職員はビニール袋2つにいっぱい買っている。
「今から料理して1日でなくなります」と言ったので感動した。野菜や肉を調理して家族で食べる光景を思い出すとオフクロを思い出した。手作りの料理はもはやワシにとっては化石の時代に入っているのだから、その職員の家族は活火山でたくましいと思った。手作りで食べられる家族は心が生きている家族でエエのう。
娘から父へのメール182
写真を金曜日に送ったから今日あたり届いていると思うのでよろしく。
テレビで、電話をかけているシーンを見て、携帯電話を取りに行ってもしもしってやってました。電話だと理解してるんだね。
父から娘へのメール(続き)
子供は親に褒めてもらいたいから一生懸命考え、親に報告している。天佑も同じ行動をとっているから、褒めてやれよ。何故こうなるのか、トンボが飛ぶのはなぜか、チョウチョが飛ぶのはなぜか、カブトムシが飛ぶのはなぜか
蚊が飛ぶのはなぜか疑問を持つ子供が少なくなったから気をつけよ。親は知っていても天佑に答えさせ、できたら褒めてやれよ。
父より
四月十七日
父から娘へのメール180
幸恵の病状報告
NHKの歌謡コンサートを見ていたら長崎県の市長立候補の伊藤一長が撃たれ情けないのう。まるでアメリカのレーガン大統領が撃たれた事件を再現しているような、前代未聞の事件が起きたのう。ワシが生きている間に刺された事件はあったが発砲するような事件はなかったが、広島市長選のとき正田守立候補者の関係者が荒木市長の選挙カーに車をぶうつけた事件があったがのう。これの事件は現在のアメリカ番を縮小した日本番だろう。
T先生が「今回クリーンルームは使用しなくてもいいかもしれませんネ、数値がよかったら外泊してもいいですヨ」と、言われたらしい。今日の治療は白血球とガーゼ交換で来週の月曜日にCTをとり今後の方針を決めるそうです。
娘から父へのメール183
今日は夕飯も食べずに寝てます。この前の日曜日もそうで、11時に起きて夜食食べてまたすぐ寝ました。お出かけすると疲れるみたいです。昨日は保健所に歩いて行ったからね。
やっと起きました。今、夕飯食べたところです。寝ないんだろうなぁ。
父から娘へのメール(続き)
天佑は一人で歩いたのか、自分で歩けることがわかったら褒めてやらんとのう。
父より
四月十八日
父から娘へのメール181
幸恵の病状報告
朝10時に幸恵から電話がかかってきた「白血球が300で血小板の数値もひくく輸血するようで、今クリーンルームに入っているから」と言うので、びっくりした。思い出せば昨日の幸恵の顔は病人の顔だったが前回と比べて食べていたからよいと思ったのだが、ワシの予測が間違っていた。病院に午後2時にいったがいらん病気を移したらいけんので用事だけ済ませて1時間いて帰った。ビバの隣にできた集合スーパーに寄ったら携帯電話を落したらしい。ガードマンが見つけて事務所に預けていた。運よくワシの携帯にTさんが電話をかけて、落し主が分かった。取りに行ったら待ち受け画面を見て「本人ですね、可愛いい孫ですね」と言われ、落しても他人に自分の物である証拠があったから良かったよ。携帯電話に住所と連絡先を書いて貼っとくよ。今日の治療は採血と白血球の注射と輸血でしたが、幸恵は元気そうだった。
娘から父へのメール184
わざと足あげて、私が下ろすのが楽しいみたいです。
父から娘へのメール(続き)
天佑が幸代を遊んでやっている気持ちだろうよ。天佑に感謝せにゃあのう。
父より
四月十九日
父から娘へのメール182
幸恵の病状報告
竹の子を料理する幸恵がいないので竹の子は猪の食べ放題です。30年間食べ続けたのだからこの年ぐらいは竹薮の解放をせんと、バチがあたろうていのう。
病院に着いたら午後2時だった。昨日はベットから動こうとしなかったのに今日はサッサと起きてきて、洗濯物を片付けてクリーンルームに入った。調子がエエのだろう。腰の痛みを訴えていたが白血球が元に戻るときの痛みならエエがのう。今日の治療は白血球の注射のみで食欲はワシが食べるだけの量で、ワシのバイキンが散ったらいけないので1時間いて帰りました。
娘から父へのメール185
鼻水がくしゃみをするとでます。風邪かなぁ?微熱もあるし。突発性湿疹かも。
父から娘へのメール(続き)
天佑の顔を見ると病気でないようながのう。まあ気を付けたほうがえかろうてい。後悔して悔やんでもしょうがいないけえのう。
父より
四月二十日
父から娘へのメール183
幸恵の病状報告
今朝、採血された結果報告の電話が幸恵からあった。「白血球が11,000に上がったと看護師が知らせにきたよ」嬉しそうな声だった。「会議があるが途中で抜けて病院にいくよ」と言って電話を切った。会議中に携帯電話が鳴ったので会議室から出て、幸恵に電話したら「N先生がきて月曜日にCTを取り退院して5月の連休明けに再入院して第5クールと第6クールの治療を始めます」とのこと。すぐに病院にむかったらクリーンルームの装置は取り除かれIVHのチューブもはずされていて幸恵はよっぽどうれしかったのだろう。退院するまで3日間あるのに不必要な荷物をまとめていたり、花を持って行ったのに「何故買ってきたのか、もう帰るのに」と言っていた。今日の治療は採血と血管に入れているチューブの撤去でした。
最近入ったばかりなのに、いままで続いてきた方針を変えたりするので本部に勤務している職員を長々と怒りとばしてやった。「よう理事長が怒らんのう」と言ったら「事務系統は見ておられませんので」「このおお馬鹿たれが、お前がおらんでも70年間やってきているのに勝手にしてくれたら困るわい、この馬鹿たれが」誰がみても残業をさせるような指示をだしていたから、怒ったのよ。緊急の場合は無理を言うかもしらんがのう。幸恵に言ったら「半世紀前のことを言っても駄目よ、フリーターやニートの時代だから」そりぁそうじゃろうていのう、文明は川の側で発達してできた社会なのに、自然の中で共存されて社会が生まれてきたことを知っているものがいなくなっているけえのう。海まで変になって1年中アジが釣れるよ。日曜日にはアジを釣って月曜日には幸恵が料理して退院祝いするよ。
娘から父へのメール186
昨夜は37.7度あったけど今朝は37度まで下がりました。薬は解熱剤と抗生剤処方してもらっているけど、38度になったら飲むようにと言われてるから、今は鼻水止めの薬だけのんでます。容易に菌を殺すのではなく、天佑自身に戦わさないといけないみたいです。まぁ元気がなかったら飲むみたいだけど、天佑は鼻水だけで元気です。
昼寝後は静かにしていたからか、平熱に下がりました。
父から娘へのメール(続き)
天佑は誰に似たのかエエ顔してるのう。しっかり病気を治して帰ればエエよ。何回も退院祝いするけえ。
父より
四月二十一日
父から娘へのメール184
幸恵の病状報告
午後3時から短期利用者を送り、4時からデイサービス利用者の送りがあるので、兄に幸恵の経過報告をして病院には午前11時半に着き、幸恵は病院の食事を、ワシは売店で買ってきた弁当で一緒に昼飯を食べた。
幸恵は何にも変化はないが、明日雨が降らなかったらばあちゃんがくる予定になっているらしい。今日の治療はなく、伺いのみでした。
娘から父へのメール187
今日は熱も平熱で鼻水もなく元気です。この調子なら月曜日に帰りたいと思います。広島駅に11時ごろに着きます。
父から娘へのメール(続き)
子供の病気は早く治るのう。CTは11時に予約しているから昼飯を食べて退院予定だから、直に深川にタクシーできて、昼ご飯は巻き寿司を買って準備しているから天佑の昼ご飯だけ用意すればエエよ。幸恵を迎えにいっている間にワシが用意しているから花でも生けておけばエエがのう。
父より
四月二十二日
父から娘へのメール185
幸恵の病状報告
朝、電話すると昨日と変わりがないとのこと。「今からTさんと釣りに行き帰りに病院によるから、何か持っていくものはないか」と聞くと、明日一時退院するから何もないとのこと。今日の瀬戸内海は雨が降り、霧もかかって湾から宮島は見えなかったが、高いレーダーを付けたがあまり役に立たないのでワシの感をたよりに、午前11時半に大黒に着いた。
風がきつく風の方向に船をつけるしかなかったから1時間でメバルが1匹しか釣れず、Sさんに電話して「どこが釣れるか」と聞いたら「一本前のイカダの中央に船をつけ、イカダがクの字になつたら必ず釣れるから」その通りに船をつけた。潮が変わりイカダがクの字に曲がったとき型のいいメバルの入れ食いがはじまった。面倒くさいので1匹釣れてもそのままおいていたらトリプルに釣れた60匹ぐらい釣れた時イカダが一直線になったら、釣れなくなった。午後2時半に釣りをやめて午後4時前にTさんと幸恵の病室にいった。
幸恵が痩せたような気がしたが海から帰ったときの印象と家から来たときの印象が違うのかのう。晩飯のおかずをスーパーに買いに行ってついでにメバルの値段を見ると一匹200円だった。今日の治療はありませんでした。
明日血液検査とCTを撮って退院予定です。
娘から父へのメール188
元気あまって歩きまわりこけて机でぶつけたよ。左目の上赤くなってます。明日は青タンになってるかも。明日からよろしくお願いします(^人^)。
父から娘へのメール(続き)
天佑は深川より亀崎のほうがエエかのう。いちおう花を買ってきて明日巻き寿司を買って幸恵と一緒に昼食をする予定にしています。
父より
幸恵退院(4月23日~5月7日)
幸代・天佑広島滞在(4月23日~5月1日)
5月1日
娘から父へのメール189
お世話になりました。ありがとう。肩痛かったのにいろいろありがとうございます。お母さんも天佑がいたから気が張って、帰ってからどっと疲れたんじゃないかなぁ?ごはん毎食作ってもらったし…。今度帰るとき、天佑はもう少し甘ちゃんじゃないともっと動けるんだけどね。
五月七日
父から娘へのメール190
幸恵の病状報告
午前9時20予約したタクシーに乗って病院に幸恵一人で向かった。出る前にコロに挨拶したが知らん顔していたらしい。11時に電話したら、「狭い部屋だけど、そごうや紙屋町の交差点も見え、シャワーも着いていて南向きで良い部屋だ。」と喜んでいたが「いっぱい血をとられた」と不満を言っていた。
病室を見ると色々な設備が整い、よく考えた良い部屋だった。ワシが食べる弁当と花と水を売店で買い戻ったときに、以前入院していた南病棟の看護師のSさんが来て「今回も私がお世話をさせていただきます。入院生活が安心してできるように背一杯頑張りますのでよろしくお願いいたします」と言われた。
知っている看護師が多いからひと安心よ。昼から心電図と胸のレントンゲンをとりT先生が来て前回と同じ治療を5クール・6クールを行いますとのこと。CTの結果、ガンは進行していない証拠だろう。その後、N先生が回診して「血液検査ではガン治療に支障のない数値で継続治療をして終わったら、中電のペットCTを撮って異常がなかったら治療は終わりです。」と言われたらしい。
ガンは根性と気力とストレスの戦いで、一つひとつ目標をたてて治療に挑戦した幸恵の根性は素晴らしいものだ。次の目標は智の赤ちゃんを見ること。還暦までは頑張って次は天佑の徒競走で一番になるのを見て孫の嫁さんを見にゃあのう。
今日の治療は血液検査と心電図とレントゲンで明日は心臓のエコーをとり、明後日はチュウブを血管にいれ10日からガン治療に入る予定です。
娘から父へのメール190
ゼリー食べさすのに、天佑がお茶をつごうとするからあげにくーい!
食事に興味をもつようになりました。食事のときは自分でスプーンを持って茶碗をつついています。
父から娘へのメール(続き)
天佑が冷蔵庫からビールをとってきて注いでもらって幸恵と乾杯せんとのう。
父より
五月八日
父から娘へのメール191
幸恵の病状報告
朝、ハトと鶏にエサをやらなければいけないので9時過ぎに電話をかけるつもりだったが、「8時半に心臓のエコーを撮りにいっていたら、電話をかけていたら悪いから」と言って幸恵から電話が掛かってきた。病院に着いたら2時過ぎだった。昼頃ばあちゃんがきて1時間ぐらいいて一緒に飯を食べたらしいが「机がないので困ったじゃろう。椅子を利用した折りたたみ式の机を作ってきたのに、明日くればよかったのに」「もよりの駅まできたからついでに来たと言っていたが、病室が綺麗だっと言ったから好奇心できたんじゃない」
ワシが作った簡易机に幸恵は感心していた。邪魔にはならないのでそのまま折りたたまず置くことにした。生きているうちに知恵を使わんと損をするよ。
今日の治療はエコーのみでした。T先生の報告では「白血球は3,500で赤血球は標準よりさがってコレステロールの数値が悪いが全体をみたら良いでしょう」とのこと。明日、チューブを血管にいれることに強い不安をもっているようです。部分麻酔をかけるから大丈夫だと思うがネ。
娘から父へのメール191
家ではひとりでよく遊んでます。あっちに行ったり来たりと、うとうとしてたら、いつの間にかおもちゃが散乱してます。全部箱から出してひっくり返してます。
父から娘へのメール(続き)
とうとう自分の意志で自由に動けるようになったか、後は善悪の区別をつけるのが大変だから天佑の目線で善悪の区別をつけんとのう。胎内で生きていたことはワシも忘れたが、幸恵の腹を元気よく蹴って足の形が見えたとき喜んだもんよ。
父より
五月九日
父から娘へのメール192
幸恵の病状報告
朝電話するが出てこなかった。しばらくして「トイレに行っていたから電話に出られなかったが、便秘は解消され静脈チユーブは朝か昼行うか分からない。」とのこと。病院に行く前に電話したらもう「IVHは終わったよ、T先生で痛くなくすぐすんだヨ」と言っていた。やれやれ第1関門が通り過ぎたよ。
3日前の朝日新聞に静脈カテーテルしたら肺まで突きぬけ出血多量で死んだ記事があり、研修医の先生がやらなければエエが、2回目のときは研修医がして、失敗して1時間半かかってもできずN先生が首のところにしてヤット2時間かかってチユーブの挿入ができたのを思い出したら幸恵も最大限の不安だったろう。
病院についたらいつもの時間午後2時過ぎだった。ワシが作った椅子を利用した机が婦長をはじめ看護師に評判がよかった。一時間ぐらいタイヨーでウロウロして代替になるものはないか捜した甲斐があったよ。ばあちゃんが来るまえにセットしたかったんじゃがのう。
N先生と話しをしたが、「奥さんがおとなしく、なにも言われないのでわかりませんが自宅では変化ありませんでしたか。何か気になることがあったら教えてください」「痛みなどは訴えることはなかったけど、足の浮腫が気になりますが」「どうかわかりませんが、腎臓付近のものでしょうが…。明日から抗がん剤の治療を始めます」
今日の治療は静脈カテーテルだけでした。
娘から父へのメール192
ティッシュを見つけたら、裂いて裂いてばらまきます。楽しいんだろうね。
父から娘へのメール(続き)
いつまで続くやら最後まで確認したいのだろうよ。知恵がついたら同じ物が出てくるだけで、変わったものが出ないと認識したら止めるだろうよ。
父より
五月十日
父から娘へのメール193
幸恵の病状報告
昨日まで五月晴れでよかったのに今日に限り雨が降りその上風がきつく気温も下がったので急きょ、ガーデンパーティー会場を5階に移した。外でやれば紙コップも紙皿も飛んで食べるどころではなかったろうてい。室内は窓を閉めればそのような事件がおこらないからよかったかもしれない。
病院に着いたときはいつもの時間の午後2時すぎだった。抗がん剤の2本目の途中だった。午後7時から3本目をしてあとは解毒作用と吐き止めの点滴をするらしい。3時半頃2本目の抗がん剤の点滴が終わり、解毒作用の点滴を始めポンプに7時に終わるようにコンピーターのセットをした看護師は挨拶しょうと思っていたのに、ワシの顔を見ずに病室を出て行った。その後違う看護師がきて、ワシに挨拶してポンプのコンピーターのセットを直して出ていった。情けないのう、遅くなるようにセットしていたから良かったものの早く血液に入るようにセットされていたら大変だったよ。その後また違う看護師がきて点滴をみてポンプのセットはいじらず、記録して出ていった。
挨拶もろくにできない看護師は気を付けないと駄目だということがわかったよ。
今日から治療は第5クールにはいりました。
娘から父へのメール193
相変わらず、飲まずに遊んで、お茶をばらまいてます。ボーロ(お菓子)はひとりで袋からつまんで食べるようになったのにね。
父から娘へのメール(続き)
天佑は悪い奴じゃのう。植木に水をやっている心境かお母さんが喜んでくれるからそのような行動を起しとるんじゃろうていのう、けして意地悪でしているのではないと理解してやらんと「床が泣いているよ、植木は喜んでいるよ」そのような躾をせんとのう。
父より
五月十一日
父から娘へのメール194
幸恵の病状報告
朝、電話すると「まだ1本目だからかわりがないけど、だんだんと食欲がなくなるよ」「意識してそんなことを考えるな」と言って電話を切った。病院に着いた時は午後2時前だった。幸恵はベットに横たわっていた。ワシがいても鼾をかいて寝るので屋上の庭園に行って見た。体育館の周りは新緑でいっぱいで「広島も捨てたもんじゃないのう」と感じた。そのことを言ったら「お母さんと行ったときは桜が綺麗で広島城の方は桜が寂びしかったよ。」と言ってすぐにベットに横になった。市民病院も綺麗になり幸恵が入院していた古い病棟は、ほとんど壊されて新しい市民病院が完成しつつあります。
今日の治療は抗がん剤3本と吐き止めと解毒作用の点滴でした。
娘から父へのメール194
優芽の絵本を出してきました。普通のだから、紙が薄いから破かないか心配だけど…。今のところ大丈夫です。
父から娘へのメール(続き)
大変じやのう。破ったらセロテープで貼るしかなかろうてい。
父より
五月十二日
父から娘へのメール195
幸恵の病状報告
朝電話すると昨日午後5時頃気分が悪くなり、戻したらしい。夕食は食べられなかったらしいが今日の朝食は食べたそうな。ワシの携帯に智から電話がかかり、赤ちゃんの命名式があり「海莉」と名前をつけたらしい。おめでとう。
午前中に右肩が痛くて布団を折ることができなくなったから、寝室の押し入れの2枚フスマを3枚フスマにした。これで蹴ってでも布団は押し入れに入るだろうよ。困ったとき知恵をつかわんと人生損をするよ。
午後2時頃病院についたら駐車場があいていたので久し振りにいれた。病室についたら幸恵は昨日と違ってて元気そうだった。昼飯も食べたらしい。やれやれよ、海莉の名前が決まって嬉しかったのだろう。今から藤家に行って飲みます。「コロがおるから早く帰れ」との幸恵のことずけがありました。
今日の治療は昨日と同じ治療で追加の点滴はありませんでした。
娘から父へのメール195
本はみんな「バァー」みたいです。いないいないばぁが印象深いみたいです。
今日、美容院で髪を切りにいきました。すごい坊ちゃんガリだよね。
父から娘へのメール(続き)
髪の毛を切ると悪そうなのう。男らしくなつたのう。
父より
五月十三日
父から娘へのメール196
幸恵の病状報告
今日の釣りはアイナメとチヌ狙いでかぶせ釣りしたが、3人で25cmのフグ1匹と25cmのアイナメ1匹とキス20cm級が2匹だった。ワシが全部釣ったよ。
病院に着いたら午後6時40分だった。幸恵は元気そうで「昼食のメニューはあなたの好きなものばかりで、巻き寿司と野菜のテンプラとシャケとイチゴでシャケのみ残したよ。なんで日曜日なのに巻き寿司がでたのかね」「今日は5月15日で母の日だからよ」と言ったら「私が女性だからかね」と言ってたよ。
今日の治療は解毒剤の点滴のみでした。
娘から父へのメール196
無事、結婚披露宴は終わりました。功くんの挨拶もよかったし、天佑もぐずぐずは言ってたけど、泣くことはなかったです。卒業生の男の子がよく面倒をみてくれました。みんなからは、かわいいー、おとなしいね。と言われてました。微笑まないのがねぇ。ところで、肩はどう?手がいるときはいつでも帰るからね。なんか用事がないと広島に帰りたくても、帰りにくいし・・・・・ね。
ちゃんと検査して医師に診てもらいんちゃいよ!
父から娘へのメール(続き)
天佑は結婚式が分かったのか、しっかりした顔付きしとるのう。外ではおとなしく家では怒るから、内弁慶かもしれんのう。それが正しい考え方かもしれんのう。外で間違いがあればトリカエシが、できなくなる場合が多いいが、家では゛「悪かった。」で、すむ場合が多いイけえのう。相変わらずタオルを持っているがよっぽど信頼しているタオルなんかのう。
幸代はチョツト痩せているから心配せんでもエエから、そろそろのんびりせいや。
父より
五月十四日
父から娘へのメール197
幸恵の病状報告
朝、亀崎の家に行き西側の倉庫をタンス置き場に改築するため、色々考えているうちに幸恵の鏡台置き場のことを、ワシはこれまで全く忘れていたことに気がついた。
病院に着いたとき午後2時だった。幸恵は元気そうだったが足が腫れていたのが気になった。高額医療費の件で事務所に行って4時に深川へ帰ったら、幸恵から電話がかかり「採血の結果白血球が1,500に下がっている」とのこと。感染症に注意するように言った。
今日の治療は血液検査とガン治療と白血球の注射で24時間連続の点滴が始まりました。
娘から父へのメール197
今日一日、昨日の疲れか、よく寝てます。昨夜は夕飯も食べずに、乳だけでした。ごはんはイヤダーってかんじで、泣いて食べず、乳飲むと泣き止むので、無理じいはせず、夜中、何回も授乳してました。昨日は私がいなかったから不安と寂しさがあったのかもね。
父から娘へのメール(続き)
天佑も可愛いのう。新しい世界を経験するうちに成長するのじゃろうてい。いやがるものに対して無理してやるなよ。しかし、悪いものには対して厳しくせんとのう。
父より
五月十五日
父から娘へのメール198
幸恵の病状報告
選挙後右肩が痛いのでマッーサージをしているが、いまだに痛くてしびれがあり、今日は病院が午前中で終わるので朝マッーサージしてもらいに行った。幸恵は食欲もあり体重も減っていないし平熱になり元気そうだった。幸代が送ったパジャマを着ていたがSサイズにもかかわらず裾を折って着ていたよ。明日針と糸を持っていかなければいけんじゃろうてい。ワシは散髪に行くため1時間いて帰った。
今までパソコンの側にいたら智から電話があり、宮参りは6月2日に行くらしいよ。
今日の治療は白血球の注射と24時間の解毒作用の点滴でした。明日、明後日まで続き金曜日から抗がん剤の治療が始まる予定です。
娘から父へのメール198
上に上がって布団干してるとき、ロフトにあがるハシゴにちょこんと座ってました。上らずに座っているとこが、恐れなんだよね。
父から娘へのメール(続き)
天佑はしっかりした男まえでエエ顔しとるのう。ワシに似たのかのう。油断するなよ、しかし冒険も大切じゃしのう。
落ちてもエエようにせにゃあのう。
父より
五月十六日
父から娘へのメール199
幸恵の病状報告
今日はコロに起され眼がさめたら8時15分だった。こりゃあ大変じゃ、朝礼に間に合うかどうかの瀬戸際の時間だったので慌てて歯を磨いたり、コロを庭にだしたりして大変な朝だった。
幸恵からも10時頃電話がかかり、採血の結果をN先生から「白血球が10,000になった」との報告を受け「「元気なときに行かなくては7月に元気かどうか保障もないし、海莉の宮参りに東京に行く」と言い出した。
兄に相談すると「看護師を連れて行かなければ無理だから、行かないほうがエエだろう」とのこと。
まあ、まだ時間があるから考えみるがのう。いつもの時間に病室に着いたが、幸恵は元気そうだった。
立っていると足がすぐに腫れ、足を上げると浮腫が直る状態だった。
今日の治療は血液検査で白血球が正常値以上になり解毒作用の点滴でした。
娘から父へのメール199
やはり、絵本破きました。窓みたいになって穴が開いているタイプでそこに手を突っ込んで!
父から娘へのメール(続き)
天佑が有頂天なって破くようになったのう。もう少し時間をおいて「可哀相に本が泣いているから。」と言って、
天佑と一緒になってセロテープで本を修復すればエエよ。
父より
五月十七日
父から娘へのメール200
幸恵の病状報告
いつも掛かってくるのに掛かってこないので幸恵から「水を持ってきてほしい」と電話が掛かってきた。病室に着いた時間はいつものとおりで、幸恵は元気そうだった。
ワシが面会に行っているいるのにシャワーを浴びた。明日から抗がん剤の治療が始まるから看護師に頼んだのだろうが「時間をずらしたらどうか」と言ったら「早く来たからからよ」と景気のエエ言葉がかえってきたよ。
病院の背もたれの椅子に坐っていたら肩も痛くなかった。肩をギブスで固定したら痛くなくなるのかもしれんが・・・。5時からマッサージの予約をしているので4時に帰った。マッサージしたらよけい痛くなるような気がしだしたがのう。
今日の治療は解毒剤の点滴でした。
娘から父へのメール200
ボーロはうまく食べれるけど、スティック形は手で持ってます。噛んで小さくするのがまだわからないみたい。
プラスチックケースにおしりがスッポリはまって泣いとる!(笑)
父から娘へのメール(続き)
天佑も色々な学習するのう。3歳までは脳に栄養をあたえんと将来、考える知恵や能力がなくなるそうな。
おふくろは食べんでも子供には食べさせていた記憶があるよ。
父より
五月十八日
父から娘へのメール201
幸恵の病状報告
亀崎のタンス置き場の図面をみて打ち合わせをしたが、単純な設計でワシがなんか考えないといけんじゃろうてい。将来、二階に上がるのにエレベーターが設置できるようにしたり、あがると宇宙展望台がなけにゃあ面白くないけえのう。
姉と福屋で買い物をして病院に着いたら午後3時だった。
ワシが着くなりN先生がきて「念のため日曜日は手がたりなくなるので今日クリーンルームのセットをする」とのこと。その後すぐに看護師がきてセットをするため幸恵と部屋を出ていったが、長く待たされた。
「あの顔じゃあエエ具合にできまあてい」と幸恵に言ったが黙っていた。セットがすんで病室に入ってみると点滴の移動もできないようになっていた。「少し移動してもいいですか」と聞くと「いいですヨ」とのこと。
看護師が出ていったら幸恵が横になりたいと言ってベットに横になったら、眼の動きが上をむいたり横になったりして、意識もうろうとした感じになった。すぐに吐き気がすると言って便所に行った。しばらくして出てきたが「体がだるい。」と訴えたので横になるように進めた。かなりきつそうで熱も38度ぐらいあった。心配しながら、しばらく様子をみて落ち着いたから点滴の移動ができやすいようにベットや食卓の位置をかえたりしていたら午後6時になった。
夕食の時間になり看護師が配膳してきた食事を見た、とたん「食べたくない。」と言うのでお膳を下げて帰ったら、冷蔵庫からゼリーをだして食べていた。
「もう吐き気もないから大丈夫、便秘だったから下剤を飲んでいたのでトイレに行きかったのに、部屋から出たので我慢していたから気分が悪くなったかも。」と言っていた。「コロがいるから早く帰れ」と言っていたが、とうとう6時半までいたよ。
今日の治療は肝臓の治療と抗がん剤と解毒作用の点滴でした。
娘から父へのメール201
天佑、赤い服着てると女の子に見えるけど、この顔は悪ガキだよね。
1時から6時30分まで昼寝てました。これで今夜も遅いんだろうね。変な習慣がつかないようにしないとね。2時30分ごろ1回起きたけど、寝足りなく大泣きで、しばらくほっといたけど泣き止まず、私のほうが根負けし抱っこしちゃいました。まだまだ甘いな…(>_<)
父から娘へのメール(続き)
2歳になるまで栄養を十分与えないと脳の発達がおくれるらしいから、「親は食べずとも子は食べさせないと」昔から言われているからのう。母乳じゃけえ天佑は大丈夫じゃのう。しっかり天佑のために食べよ。
父より
五月十九日
父から娘へのメール202
幸恵の病状報告
朝、電話したら朝食は食べたらしい。N先生の回診のとき「白血球が2,000以下なので月曜日あたりにクリーンルームに入るかもしれません」とのこと。施設見学しに来たのでそれに応対していたから病院には午後2時半になった。午後から点滴から解放された幸恵は、昨日の出来事が嘘のようで元気そうだった。数値に左右される体になっているのだろう。
「紅茶が飲みたい」と言うので百円持って、食堂にある自動販売機に買いに行った。「美味しい」と言って、飲んでいたよ。
今日の治療は採血と肝臓の点滴と抗がん剤の点滴でした。明日はタイを釣りに行くから遅くなることを言ったら、幸恵の還暦のお祝いを子供達からしてもらいたいそうな。
娘から父へのメール202
どこからか、ティッシュをだし、壁を拭いて掃除してる?
父から娘へのメール(続き)
朝、水をサンユアーズに買い物行ったら、「今日始めて買い物に来た」と言ってAちゃんの赤ちゃんとお母さんが来ていたよ。Aちゃんの顔が変わったのう。天佑も段々賢くなっていくのう。
父より
五月二十日
父から娘へのメール203
幸恵の病状報告
朝、電話すると朝食もとり吐き気もなく元気そうな声だった。「いまからタイを釣りにいくから病院に行くのは夕方になるから」と言って許可を得て釣りにでかけた。撒き餌をいっぱい買いタイを狙って釣ったが、たいぎがって撒く者がいなく、ワシも撒かなかった。そのためか1回もあたりがなく夕方になるので、タイ狙いは諦めた。晩ご飯のおかずがないので仕方なくメバル狙いで場所を変えた。Wの家族、4人分とN家族の2人分で12匹おればいいから食べるぶんだけ釣り、撒き餌を捨てて帰った。病院に着いたら午後6時半だった。幸恵は「1階の売店まで行ってお茶を買ってきたら、たいぎかった」と言うので、白血球が下がっていたらワシが一番の病原菌の持ち主なので急いで帰った。
今日の治療は肝臓と抗がん剤の点滴でしたが今回副作用があまりなく、明日採血して抗がん剤治療が終わります。
娘から父へのメール203
腹出して、かいて。誰に似たのやら…。
父から娘へのメール(続き)
天佑は、ひましに成長しているのう。ワシもしっかりせんとのう。
父より
五月二十一日
父から娘へのメール204
幸恵の病状報告
朝、電話すると副作用もなく昨日と変わりないし、「採血の結果は10時にはわかるだう」とのこと。昼電話すると、「まだ採血の結果の知らせがない」とのことなので悪かったら朝一番でクリーンルームに入っているじゃろうし「今更クリーンルームに入ることはない」と思いながら病院に午後2時頃着いた。点滴には調整ポンプもなく滝のように抗がん剤が入っていた。大丈夫かと心配していたら幸恵が言うのには「私が動いたからよ。それに、研修生の先生はまだクリーンルームにはまだ入らなくてもいいでしょうと言われたが、さっきN先生がきてクリーンルームに入ったほうがいいかもと言われたよ」それを聞いていたら看護師が飛んできてすぐに点滴量を調整したがワシは看護師にその旨を言った。
「そんな指示は聞いていませんから確認してみます」と慌てて病室を出て行ったかとおもうと、すぐに来て「ご主人は病室から出てください。部屋の掃除や準備しますから」今更らなにを言っているんだ。「この時間になって慌てて、ワシは昨日から心配しているのに、おお馬鹿タレが」と思ったよ。経験済みのワシとは思っていないのだろう。
幸恵に「これが最初のクリーンルームの経験だったら治る病気も治らんのう。看護師で勝負されるのう」と言ったら、
「あんまり人の悪口を言わんのよ」と言っていたよ。
今日の治療は午後から白血球の注射と最後の第5クールの抗がん剤の点滴でした。
娘から父へのメール204
今日は1時から5時半まで昼寝してました。寝過ぎー!
父から娘へのメール(続き)
そろそろ朝と昼と夜の違いを教えてやらんとうのう。太陽の位置から教えてやったらどうかのう。朝陽と夕日はそのマンションからはよう見えるけえ。太陽の大きさがわかればエエがのう。
父より
五月二十二日
父から娘へのメール205
幸恵の病状報告
朝電話するといつもと変わりないとのこと。病棟が変わるとクリーンルームの取り扱いかたも大きく違っていた。今の病棟には不満があるが「郷に入っては郷に従え」とばあちゃんが言っていたから、そうする以外になかろうてい。
幸恵は完全に隔離され水曜日までしょうがないよ。T先生の話しでは白血球が750だったらしい。
今日の治療はガーゼ交換と白血球の注射でしたが生物は一切食べることができません。
娘から父へのメール205
天佑が自分でものを落として、アーアと言って訴えてきます(拾って…と)。で拾うとわざとまた落とすんだよね。
父から娘へのメール(続き)
天佑も泣くことだけで会話をしていたが、行動で会話をしているようじゃのう。ビールでも持ってきたら褒めてやらんとうのう。褒めて育てよ。
父より
五月二十三日
父から娘へのメール206
朝、電話すると採血されたらしいが「結果は11時頃になるだろう」とのこと。
11時に電話したらN先生の回診で「白血球は変わりないが、血小板が少なくなっているので昼から輸血します」とのこと。亀崎のバラを造園の社長に植えかえてもらい、後日えば杉を3本植えてもらうことにした。
午後から会議があり今、ベストセラーになっている「女性の品格」の本について話をし、「介護にも品格がないと駄目だ」と言って病院に向かった。3時についたら、もう輸血は終わっていた。
看護師からの話しでは、白血球が1,200に戻っていたそうな。長いは無用なので1時間いて帰った。
今日の治療は白血球の注射と輸血で明日もクリーンルームで過ごすでしょう。
娘から父へのメール206
エチケットブラシを持って遊んでます。ちょっと落としたすきに拾われた。早い早い。
父から娘へのメール(続き)
天佑の凄いスピードで成長してるのう。成長する脳や心も三歳までで、あとは体が成長するだけじゃけのう。
褒めて育てケガをさせるなよ。
父より
五月二十四日
父から娘へのメール207
幸恵の病状報告
朝、電話すると幸恵は元気だった。いつものように施設のまわりを見まわりしていると、動物園近くの側溝にホタルの餌になるカワニナがいるじゃあないか。6月10日にはホタルが動物園まわりを飛んでいるかもしれんのう。
ハト小屋に着き覗いてみると可哀相に雛が、頭も銅も血もぐれになっていた。どうやら巣箱から落とされて他のハトの巣に近づいてやられたらしい。元の巣箱には大きな雛がいる。自分ばっかりエサを食べて大きくなったんだろうよ、落された雛は半分ぐらいの大きさだった。もとに返しても、また落される可能性があるので傷口をO看護師に手当てをしてもらい、箱にいれて育てることにした。
手を差し伸べるとエサを探すように手をつついてきた。可愛いもんじゃが同じように親からエサを食べていたら、このような事件がおこらなかったのに、根性のない雛だったんだろうが親のせいもある。平等にエサを与えていなかっけえのう。その点ツバメの親はしっかりしていて平等に夫婦してエサを運んでいたが、雛が4羽いたからかのう。
病院についたら午後2時頃だった。部屋のカーテンや床を拭き掃除してもらった後だった。今日もクリーンルームに入っているのでワシは1時間して帰った。
今日の治療は白血球の注射とチューブの消毒でした。明日採血され、結果が良かったらクリーンルームから開放されるでしょう。
娘から父へのメール207
朝、幼児番組「お母さんといっしょ」を懸命に見てます。お兄さんお姉さんが手を振ると、テレビに向かって、アーアー言いながら手を振ってます。
柔らかいよね。もう少しで、でんぐり返しができるか?
父から娘へのメール(続き)
会議があり9時過ぎに帰りました。天佑は眠たいのと違うか。コロのしぐさによう似取るのう。
父より
五月二十五日
父から娘へのメール208
幸恵の病状報告
朝、電話すると「体がだるい」と訴えた。「採血の結果は、午前11時ごろになるだろう」と言っていた。今までの経過なら白血球は上がっていると思ったら、逆に1,200から300に下がっていたとのこと。いままでのリズムが崩された感じで「大丈夫か?」と聞くと、T先生は「1週間前の抗がん剤の副作用であり、心配ないでしょう」と言われたらしい。午前中、いいかげんなリフォームの社長と亀崎の家にいき、2階にあるタンス置き場をどこにするか、トイレを物置の場所に移して今のトイレの場所をタンス置き場にするか、物置の場所にタンス置き場にするか、道路から向かって玄関の左側に増築しタンス置き場をつくるか、色々考えたすえ幸恵の想いであるタンスなので、寝室の側が良いと思ったり、化粧台も側が良いと思ったりした。そして、ここしかないと思ったから玄関の左側に増築してタンス置き場を作ることに決めました。
昼から病院に行ったら幸恵は元気そうだった。白血球の注射をしたらダルサがなくなったそうな。万全を期してワシは一時間しか留まることなく帰った。
今日の治療は白血球の注射とチューブの消毒でした。結果が悪いので月曜日までクリーンルームにいます。
娘から父へのメール208
最近、ようやく功くんが呼ぶと天佑が行くようになりました。なかなか功くんには自分からは寄って行かなかったけど、遊んでくれて楽しいのがわかったのかもね。功くんとはちゃんと認識はしてたけど…。少しはママっ子から脱したかな?
父から娘へのメール(続き)
むやみに自分の都合で怒ったりしていたら天佑はいかないよ。笑顔が好きな子よ。
父より
五月二十六日
父から娘へのメール209
幸恵の病状報告
朝8時に目がさめた。コロが起さないからよく眠ったが、朝礼にヤット間に合ってよかった。
幸恵に電話すると少し腰が痛かったらしいが、この兆候は白血球が上がるときおきるので、月曜日にはクリーンルームから開放されるだろう。N先生とT先生も同じことを言っていたらしい。
病院に着いたらすぐにS看護師がきて『ご主人まだおられますか、今から消毒しますので予防着を着て、頭にネットをかぶりマスクをして下さい。』と言うのでその通りにしたが、一時間あまりで帰った。
明日は兄の古希の祝いで兄弟だけが集まり食事することになった。所要で宮島に行き、その帰りに病院により深川に帰り、コロの散歩をして食事会にいきます。コロも難聴になりワシが大声を出しても聞こえないようだが、眼はまだ確かなようです。巣箱から落とされ、いじめられたハトの子供がワシの声を聞くと、ピーピーと鳴くのでクチバシを強引にあけエサを詰め込むが、喉に詰めるのか自分で水を飲むようになりました。腹がいっぱいになるとワシの手から離れていきます。
今日の治療は白血球と消毒のみでした。
娘から父へのメール209
タオル持ってきてと言うと、タオルを持って来るようになりました。少しずつことば理解してるかも。
父から娘へのメール(続き)
天佑は賢いのう。できたら褒めてやれよ。間違ったら違うと言ってやらんとのう。
父より
五月二十七日
父から娘へのメール210
幸恵の病状報告
朝、電話すると腰が痛かったらしいので白血球は正常値になっているだろう。宮島で紅葉饅頭を7個買って病院に行った。幸恵が2個とり、あとはワシが持って帰った。
6時から兄弟が集まり、義姉が兄の古希を迎え「これからも、兄弟仲良くして暮したい」と挨拶し食事会が始まった。今年は姉の提案で、家系を小冊子にすることにして午後9時に閉会した。
今日の治療は消毒と白血球の注射でした。
娘から父へのメール210
気が向いたら、お片付けするようになりました。私がすぐ片付けるからマネしてるんだろうね。
父から娘へのメール(続き)
すぐに片付けんでもゆっくり片付ければエエよ。作業場の雛を見に行ったらピーピー鳴いて電気の側から離れ寄ってきたよ。エサをやったら喜んで食べたよ。言葉は通じなくても気持ちがわかるのだろうてい。
父より
五月二十八日
父から娘へのメール211
幸恵の病状報告
朝、電話すると採血され結果は11時頃になるだろう、とのこと。11時過ぎに幸恵から電話がかかってきた「クリーンルームから解放され部屋がひろくなって白血球も16,000になったよ」「そりあよかった日曜日に検査してくれていたら兄の古希の祝いに参加できたのにのう」病院も人の心を考えずに裁判に勝てるように、規則ばかりつくり運営してから、「本当は明日だけど、食事会があるので例外だけど検査してあげるよ」と言えなくなり、人間らしさがなくなっているよ。
「失敗は成功のもと」と昔から言われているのにのう。午後2時すぎに病室へついたらN先生の説明を幸恵が聞いていた。ワシも参加して聞いたら馬鹿タレが「今後の治療方針で骨髄移植の選択肢があり紹介状を書きますから元気なうちに大学病院で説明を受けたらどうですか?」と言った。「せっかく白血球があがり喜んでいる最中で、しかも治療中なのに、おお馬鹿タレが」と思ったが、「考えさせてもらいます」と言ったよ。幸恵もワシも「7月に受ける中電のぺットCTの結果を見て次の治療方針を考える」との意見が一致した。
今日の治療は血液検査と消毒でした。木曜日に市民病院のCTを撮る予定です。幸恵は痛みなど訴えていないが良くなっておればエエがのう。
娘から父へのメール211
昨夜、写真を送ったので、明日には着くと思います。昨夜は、私がお風呂に入ろうと部屋を出たら、今までぐっすり寝ていた天佑が起きた。よく分かるよ。功くんがいたからいいと思っていたら、タバコ吸いに行っていなかった…。
父から娘へのメール(続き)
天佑はしっかりしているのう。海莉となかよくできるかのう。天と海で腐敗された日本土壌が浄化され、住み良い日本ができればエエがのう。
父より
五月二十九日
父から娘へのメール212
幸恵の病状報告
朝、兄と骨髄移植の話しをしたら「勉強するのも良いことだ」と言っていた。午前11時半から2時間、ばあちゃんが病院に来ていた。行事があったので病院に着いたら午後3時10分だった。「ばあちゃんと2時間坐って話しをしたから」と言って幸恵はベットに横たわっていた。久し振りなので話しに花が咲いてオマケに天佑事件もあり、疲れたのだろう。
「今度の工事はリフーム会社に頼むから、いいタンス置き場ができまぁてい。安くたたくし、良い職人がいないし、おとうさんに任すから大丈夫と言っておったが、親父も昔は宮大工でも80歳じゃけえ、つまらんじゃろうてい。屋根から落ちにャアエエがのう」と増築の話しをして帰った。
今日の治療は消毒のみでした。木曜日には外泊する予定です。
娘から父へのメール212
今日は最悪でした。お母さんから聞いたと思うけど、ベランダに閉め出されました。いつかやられると思っていたけど、まさか現実になるとは…。ベランダに出るときは、隣の畳の部屋の鍵開けとかないとね。工事現場のお兄さんはやさしかったよ。感謝感謝。ちゃんとすぐにお礼に菓子を持って功くんと3人で行きました。功くんもすぐ家に戻って来てくれたからよかったです。だから閉め出されたのは小一時間で天佑も泣かずいい子でした。
父から娘へのメール(続き)
天佑は意地の悪そうな顔しているが可愛いのう。天佑の目線で色々と考えんとのう。ベランダの手摺に気を付けにャアのう。階段を見て分かるように横棒は登っていくが、縦棒なら足がかからんけえ登ることができんけえ。柴犬コロも1メートルのフェンスをよじ登って外にでたけえ。天佑の頭なら茶番劇よ。
父より
五月三十日
父から娘へのメール213
幸恵の病状報告
コロがクンクンとなき起すので、外を見たら薄暗く小雨が降り午前6時だった。「もう少し寝かせよ」と言って水を飲んで寝たら、またクンクンと泣くので無視して寝ていたら、内線の音で目がさめた。朝礼の時間だった。30年間朝礼に遅れたことはなかったのに、S職員もびっくりして「大丈夫ですか?」と言っていた。コロが2度めに起したとき起きとれば恥をかかなかったのに。
幸恵に電話したら、朝採血されたと言うので「なんでや。」「知らんよ、結果は夕方T先生が報告しにくるから」
いつものとおりの時間に病室に着いた「N先生が朝こられて今後の方針について聞かれたので、治療が終わって結果を見て骨髄移植のことを考えると言ったよ」「そうよ、まだわかりもせんのに先へ先へと考えるのは馬鹿しかいないよ」「治療しているのは治ることを信じてうけているのに、もし駄目だったら次の治療をと考えるのなら、最初から今度受けさせたい予定の治療を薦めればエエのに」
おお馬鹿タレが。その治療は市民病院ではできなく大学病院しか設備をもっていないらしいがのう。それにしても、一日一日を大切に暮しているのがわからんのじゃろうてい。
今日の治療は採血と消毒で採血の結果、白血球6,000で他の数値はよくなり、ただヘモグロビンが少ないので「急に立ちあがりなどすると目まいがするから注意するように」と忠告を受けました。
娘から父へのメール213
うちのマンションで空き巣が入ったそうです。これで2回目で、それも狙われたのは同じ階の5階です。6階のバルコニーから入るみたいで…。ここは端から端まで往来きでき、いったん上がるとどこの部屋もいけちゃうんです。怖いね。
父から娘へのメール(続き)
大変じゃのう。天佑も心配している顔じゃが。犯人は同じ人物だろうよ、建物の構造を知っている人物だろう。デオデオなので安く売っている無線の音がでる探知があるから、3箇所ぐらいセットしておいた方がえかろうてい。音は犯人が聞こえるようにせんといけんで、捕まえるのが目的でなく進入を防ぐ目的だから。
父より
五月三十一日
父から娘へのメール214
幸恵の病状報告
今日外泊しました。午前中、幼稚園の創立記念日に参加して病院に行き帰りにサンユアーズで買い物して帰りました。O看護師が畑になっているイチゴを取って「奥さんに」と言って持ってきた。有り難いもんよ。
ワシは亀崎のタンス置き場の増築で打ち合わせしたが、やっぱりみじめなもんで、ガッカリはしないが屋根が落ちなければエエがのう。信頼できない工事屋に頼むのもおかしなもんよのう。
久し振りにワシの好きなものが、お膳されたのでビールを飲みながらいままで幸恵と喋っていたよ。
今日の治療は市民病院のCTと消毒のみで、あとは日曜日に病院に帰り、通院して消毒をして火曜日に病院に帰り7日から抗がん剤の治療の開始の予定です。
娘から父へのメール214
ごはんを準備してたら、やられました。トイレットペーパービリビリで散乱。手が届かないところにあったのに。上手く出してました。日に日に智恵がつくね。
父から娘へのメール(続き)
大変じゃのう。幼稚園にも悪い奴がいて階段から突き落としたらしいよ。「何故か?」と聞くと、「早く行きたいのに遅いから押した」そうな。倒れた子供は顔にケガをして保護者からの連絡ノートには「こんな事件がおこると思っていましたが、気をつけて下さい」と書いてあったらしい。善悪の区別も地震・雷・火事・親父の恐ろしさもなくなり喜怒哀楽もなくなった昨今じゃけえのう。
父より
幸恵外泊(5月31日~6月3日)
六月一日
父から娘へのメール215
幸恵の病状報告
幸恵は静かに深川にいました。
天佑も大変じゃのう。何もないのに吠えるので、うるさいから吠えたら首に電気が走る首輪をしたら、一週間したら効果ありで、吠えなくなり安心していたら、空き巣が入ったらしい。
「馬鹿犬が、泥棒が入っても吠えない犬は番犬じゃあない」と言って何度も頭を殴ったらし。「これは大変」と思い首輪を外したが、躾は怖いもので死ぬまで吠えなかったらしい。
娘から父へのメール215
駄々っ子みたいに寝転がって足をバタバタさせて泣きます。放っておいてもしばらく泣いてるから…。頑固な性格かもね。
父から娘へのメール(続き)
天佑も寝転がって足をバタバタさせて泣いても駄目じゃと、いうこと教え、チャント立って訴えるように教育せんとのう。テレビで品川のホテルの水族館が放映されていたがワシには真似ができんよ。
毎日22トンの水族館の水を変えているらしい。イルカの教育をして素晴らしい演技をしていたが、イルカの躾はどうしたらエエのか想像もできんよ。偉い奴がいっぱいおるのう。
父より
六月二日
父から娘へのメール216
幸恵の病状報告
午前中、市民病院に通院して消毒のみして深川に帰ったが、市民病院の駐車場が空いていたので止めた。しかし病室に行くまでの距離が200メートルあったので歩くのが、かなりキツカッタらしい。帰りにフジで買い物した。看護師にクッキーをあげるために買ったらしい。ワシは7時から始まったK会の作業場でバザーの打ち合わせに参加し、ビールを飲み焼肉を食べ、時々小便しに家にかえったとき、幸恵に参加するように進めるが拒否していた。11時に終わって飲み足りないので帰ってビールを一本飲み風呂に入った。風呂に入っておお歌を歌い、しばらくして歌がやみ静かになったらしく心配した幸恵が、外から声をかけたらコロもワンと吠えるじゃないか。いままで風呂に入っていて吠えられたのは始めてでコロまで心配するとは恐れ参りました。そこまで覚えていたがあとは記憶になし。
娘から父へのメール216
今日は、よく泣いてます。訴えが多く、機嫌が悪いと泣く。抱っこしてもらって高いところにある物が欲しいみたいで。もう天佑の背丈で届くものはあきたのかもね。
六月三日
父から娘へのメール217
幸恵の病状報告
昨日、飲み過ぎて2日酔いだったが、朝幸恵が作った味噌ラーメンが美味かった。
「釣りに行って6時までに帰ればエ」と言ったが、今日は包みガ浦のイカダで珍しくメバルが入れ食いだったので途中でやめて3時に帰ったら、幸恵が「はよう帰らんでもエエのに邪魔になってしょうがないのでコロの散歩でも、しときんさい」と言うのでその通りにした。6時になったので市民病院に向かったら車中で「もし今回の治療で治らなかったらどうなるの?」「これ以上化学治療を続けても副作用で体力がもたないのでN先生がすすめている骨髄移植治療になるじゃろうてい。まあその時に考えることにして先ざき考えんでもエエよ」と言った。昨日、幸恵が買ったクッキーを看護師に渡したら断られました。施設は介護保険が始まって以来、寄付金は勿論御菓子も頂かないようにしていますが。両足がむくみ、とくに右足が浮腫んでいたよ。
娘から父へのメール217
今日はこの前、媒酌人をした二人が挨拶に来ました。天佑は遠目で、上から下まで見てじっと観察してました。1時間ぐらいしたら少し慣れてそばに寄ってたけど、何回か会ってるけど忘れちゃうのかね?
父から娘へのメール(続き)
天佑もしっかりしてきたのう。不振人物には近づかずエライのう。声をだして教えてくれればエエがのう。
父より
六月四日
父から娘へのメール218
幸恵の病状報告
巣箱から落とされたハトの雛は人になれたのか飼育箱に近づくとピーピーうるさいぐらい泣くので、仕方なくエサをやり、その後に幸恵に電話した。
「もう採血も終わり消毒も終わったから帰ってもいいと言われたから」「10時半に迎えに行くよ」と言って電話切ったら、また幸恵から電話が掛かってきて「昼ご飯をたくから早く迎えに来て欲しい」と言うので予定より早く迎えに行った。
相変わらず両足が浮腫んでいた。昼飯を作ってくれ味噌汁が美味かった。それからフジに買い物に行き夕食も作ってくれた。電子針の効果があったのか5時にマサージをしたが肩の痛みも軽減したので、明日からマサージを休むことにした。
娘から父へのメール218
タオルとミッキー持ってきてと言うと、ちゃんと持ってきます。ことば理解してるかな?功くん連れて来てと言うと、くまのプーさんのぬいぐるみ持ってきたよ(笑)
父から娘へのメール(続き)
天佑も言って言葉に判断ができたのかのう。天佑の目線で理解してやらんと。
父より
幸恵外泊(6月4日~5日)
六月五日
父から娘へのメール219
幸恵の病状報告
昨日の幸恵は午後7時からワシが寝るときに寝て、ワシが目をさました時は今日の7時だった。「どうしたんか?」と聞くと「疲れがでて」家だから安心したのだろうよ。「午前2時に起きてシャワーを浴びてそのまま寝たのよ」病気が原因じゃあなかったらエエがのう。
施設の玄関に巣から顔をだしたツバメの雛を数得たら7羽もいたが、多くても4羽じゃのにおかしいのう。
巣を作る暇もなく蛍光灯の中の卵を産んだ雛が成長し顔をだしたが、数得ることができなかった。
そう言えばここ2〜3年ツバメの巣作りがなくなったよ。昔、電線に多数のツバメがとまり「今から南に帰るよ」と言っていたのに、そんな光景が見られなくなっておかしいのう。
昼から会議があり、その後の歓送迎会があったが欠席して幸恵を病院に連れて行った。看護師が愛想良く挨拶してくれるが、病室は病室でやっぱり家がエエのう。
今日の治療はおそらくなにもないでしょう。
娘から父へのメール219
タイヤをクルクル回すのが好きみたいで、いつもやってます。
父から娘へのメール(続き)
天佑はひましに大きくなるのう。夕焼は空が赤いね、どうしてかネと言いながら、できるだけ自然を見せる習慣をつけんとのう。
父より
六月六日
父から娘へのメール220
幸恵の病状報告
朝、電話したら1番に採血され9時頃T先生の回診で、「明日からの抗がん剤治療は緊急で申し込んだMRIの結果を見て決めます」とのこと。昼前にN先生の回診で「CTの結果頭部にかげりがみられるのでMRIの結果をみて治療方針をきめますが、明日からの治療はやめて来週になります」とのこと。
今月で抗がん剤の治療がおわり幸恵も「どこも痛みがない」と、言っていたから奇跡の回復だと思っていたがのう。
しかし幸恵が「第3クールまでの治療は副作用が激しく腫瘍も小さくなってきたが抗がん剤の薬が体になれて効かなくなるのかね」今日は1時間おきに電話した。花とペットボトルの水を3本持って行った。
今日の治療は採血とMRIでした。明日結論がでると思います。
娘から父へのメール220
バルコニーに出て遊びました。最初は怖がって私から離れなかったけど、しばらくして離れて遊びだしました。あちこち触ったりして、手真っ黒!靴は底が布性のを履いてたけど、真っ黒になるから、運動靴を出しました。これで、外歩きに慣れるかな?
父から娘へのメール(続き)
天佑がたくましくなっていくのう。デジカメができて便利になり携帯のカメラもでき智が言っていたように携帯電話で何でもできる世の中になったがマニアル・マニアルで個性豊かな人間が育つまあてい。エジソンの時代が懐かしいのう。
父より
追伸
今、市民病院のT先生から電話があり「明日の夕方、幸恵の容態を説明したいから来て欲しい」の連絡があったよ。
六月七日
父から娘へのメール221
幸恵の病状報告
ばあちゃんが朝8時半に電話してきて「幸恵は家にいるのか、昨日MRIの話しをしていたので心配で電話したが通じないので」と言われたので、昨日の夜T先生から呼び出しの電話があったことを伝えたら「それでは幸恵が落ちこんでいたらいけないので、病院にいってみる」とのこと。
兄と話しをしたら「脳にも転移したと言うことだからのう、気をつけにゃあ」ワシはN病院の帰りにサンユアーズで昼飯と晩御飯のオカズを買ったら、「午前11時から12時までにお買い上げた方は1割引きです」とカウンターに書いてあった。いつも少ない客なのにどおりで多いと思ったよ。
幸恵に午後の電話で昨日T先生から電話の件を言ったら「聞けば、ええじゃないの」と言ったので午後四時に病院に行った。5時過ぎにN先生とT先生と研修医の先生と説明を聞いた。簡単に言うと「これ以上治療方法はありません。多機能の腫瘍も増幅し、自覚症状がないことをどの先生も不思議がっています」
「明日、脳にある細胞検査をするため骨髄液を抜き取り、その針で骨髄液を通して抗がん剤を注入します。勿論本人の同意が必要ですが」と言われた。
「1年前に入院した時、幸恵の寿命は、「余命6ヶ月から11ケ月」と言われましたが、幸恵の思っていた行事には殆ど参加でき有難うこざいました。あと3ヶ月後、長男の子供のお喰初と幸恵の誕生日を目指していますが」と言うと「うーん、誕生日ですね」とN先生が言った。
幸恵には治療方法しか教えず後は何も話してはおりません。明日骨髄液をとり抗がん剤の注射をします。幸恵は脊髄で神経が壊されたら下半身不随になるからいやだと言っていましたが「たった一本の針でそんなことはないよ」と言いました。夕食が出て「こんなの食べたくない」と言うのでそごうの地下で弁当買ってきたら全部食べたよ。複雑な心境になっているのだろう。
今日の治療は消毒と明日の説明でした。
人生は諦めるもんじゃないよ、その日その日の積み重ねが今日あるのを忘れたらいけんよ。一日を大切に過ごし、何事もなかったら感謝の気持ちを忘れないようにしたいもんよ。しかし辛いけど、最後には別れが誰にでもあるもので、認められないが認めざるをえないけいのう。いつも朝礼で言っているが「この施設に来てよかった。こんな人にめぐり合えてよかった」この2点を言うが職員は人のあらばかり探しておるけえのう。今日も幸恵が言っていたが「できた人は常識があり質が違うのよ」そのとおりじゃのう。
娘から父へのメール221
毎日、ストローでお茶を飲めれるように練習してるけど、一口二口しか飲まないね。いつになったら乳離れするのかなぁ?まぁ1才半から2才ぐらいまでには乳離れするみたいだけどね。今日からあさってまで、功くんは東京に行ってます。で、智宅に泊まらせてもらう予定です。海莉がいるけど、いいよ!って言ってくれたから甘えさせてもらいました。
次の治療が終わるころ、広島に帰ろうかなぁ…。
父から娘へのメール(続き)
天佑も自分の主張を訴えようになったのう。認めてやらんと。
父より
六月八日
父から娘へのメール222
幸恵の病状報告
朝、電話すると「いつもと変わりないよ、昼からの骨髄液をとるのが不安だが看護師が痛みはないようですよ。と言われるが心配だ」と言っていた。
午後3時から治療をはじめると幸恵から電話があったので、ワシは午後4時ころ病院に着いたら骨髄液からの抗がん剤治療は終わっていたが消毒等の処置をしていた。幸恵は汗びっしゃりになっていた。緊張していたのだろうが、「全身にゴムマットをかけられ暑かった」と言っていた。「今から3時間頭を上げてはいけないと言われているから、トイレも行けないよ。しかし、全身に汗がでたから大丈夫だ」と言っていた。今晩は高校時代の友達が中国電力の副社長になったので10人たらずで祝いの飲み会をします。
今日の治療は消毒と骨髄液の治療でした。
おばあちゃんから電話がありました。どうだったの?って。良くないことと、脊髄のところから抗がん剤入れることだけ伝えました。おばあちゃんも昨日、お昼ごはん買って行ったら食欲もあり食べたから、調子良さそうと言ってたけどね。実弟のときはは見るからに辛いと。
娘から父へのメール222
天佑はお昼寝から起きたら大泣きで…。最近毎日です。寝足りないのかな?でも自分から起きて泣くから恐い夢見たのかな?
父から娘へのメール(続き)
天佑もだんだんと知恵がつくのう。
父より
六月九日
父から娘へのメール223
幸恵の病状報告
朝、電話すると骨髄液からの抗がん剤注入の副作用もなく、いつもと変わりないとのこと。Kさんから電話があり「この前の山の件どうなりましたか?」と言われるので、「ワシも死んでも形になるものを残したいので園児が安心して山登りができ、森林に入り縄橋や縄を引っ張りながら登っていく、自然の遊園地を作りたかった」
今度のバザーは7月で暑いのがかさなったが、決心していたので「まず山に入り、作業道を山の頂上までつくりたい」と言ったら、すぐに草刈機を持ってきて下刈りをしたが「こりぁ大変じゃNさんを呼んでチエンソーを持ってきて松食い虫で倒れた大木を切ってもらわんと」と電話したら、Kさんが昼からチエンソーを持ってきて大木を切りはじめたら応援にかけつけた延原さんも下刈りをしてくれた。月曜日から大木を片付けるためSさんに電話してショベルカーの手配をした。ワシは肩が痛かったが、作業していたら痛くなくなった。目安がついたので午後3時半に下刈りをやめて病院に行った。
幸恵は元気そうだったが5時頃、急に吐いた。その後すぐに落ち着いたが「何かあったら看護師に伝えてくれ」と言うので伝えに行っていたりしていたら、帰る時間が遅くなりカープの試合が終わった時間が、かさなり駐車場がパニックになり、帰ろうにも帰れず病室と駐車場を3回も行き来したら看護師も不思議そうな顔をしていたよ。
娘から父へのメール223
昨日はメールがなかったけど…。
お父さん大丈夫?広島に帰ろうか?私は何も予定ないしいつでもいいので。
天佑は小さいゴミを持って遊んでいたから、口に入れたらいけないから取り上げたら、ずーっと大泣きです。根負けしてしかたないから渡すとけろりと泣き止みニコニコ(^-^)になりました。手に持っていて、取り上げるとダメだね。何か取ってと言って駄々っ子のときはあげなくても泣かないけど。
ものを「あい!」といってくれます。ありがとうって言うと、微妙なおじぎしたよ。わかってるのかどうかは定かでないけど。
父から娘へのメール(続き)
天佑と知恵くらべで心豊かに育てよ。
ワシのことは心配せんでもエエ。何か仕事を作って形になるもの残したいと思っておるがのう。
木が一番子孫に残す思い出になりそうなと思うがのう。
父より
六月十日
父から娘へのメール224
幸恵の病状報告
朝、電話すると「脊髄からの注入した抗がん剤の副作用かどうか分からないが、38.5度の高熱がでたが解熱剤の薬がきいて少しさがった」と言っていた。このまま様子をみることになったらしいので「夕方病院に行く」と伝えた。ワシは友人WとMさんと包みガ浦にメバルを釣りに行く途中で、暴走族のようにエンジン全開にして急カーブをきったりしたら暴走族の気持ちがわかった。、ワシの場合は誰もいない海の上だから人に迷惑かけることなく、カレイが怒るぐらいよ。
晩御飯のオカズだけ釣って帰る途中にWが「遠くまで行ってガソリンを使うのは、もったいないでえ、近くで釣れるじゃあないか」「タイを釣るため船を買うたのに。まあ船を買い換えて満足しておるよ」「船でタイが釣れればええがのう」
コロの散歩をすませて病院に行ったら午後5時だった。熱も上がらず足の浮腫もないが元気なさそうだった。デジカメの海莉の写真を見せ「智に似取るかねえ」「おお赤ちゃんらしくなり智に似とるよ」そうしているうちに夕食が配膳されてきた。
幸恵は見ただけで嘔吐しそうになった。「無理して食べんでもエエ」ワシも見ただけでも食べたくなくなったがシュウマイは美味そうだつた。そごうにカク寿司を買いに行った。市民病院の横にエレベーターがあったので乗って下りたらシャレドの通路であった。一番にN病院のパネルがあったのでびっくりした。案内板に従いそごうに着いた。始めてシャレドに行ったが広島はつまらんのう。活気がなく誰も歩くまあてい、トイレもないしのう。ワシだったら通路は平和都市を訴えるような画廊にしたり、カープの生い立ちを飾ったりして面白い通路にするがのう。
カク寿司を買って幸恵に渡したら2個食べた。ガリを美味しそうに食べていたよ。
今日の治療は消毒と解熱剤の薬を飲んだそうだ。
娘から父へのメール224
最近の天佑は賢くなってきました。「パパ起こして」と言うと、功くんを叩いて起こそうとするし、私が布団を掛けて寝ていると布団をはいで起こそうとする。テレビで、「バイバイ」と聞こえると手を振る。エライね。
父から娘へのメール(続き)
天佑も海莉も凄いスピードで成長しておるのう。ボッートして見れば、なんでもない月の動きだけど望遠鏡で拡大した月はすぐに望遠鏡の画面から消えるけえのう。地球の自転のスピードで二人とも地球の自転と同じ速さで成長しておるのじゃろうてい。
自然の力を知らない人間や観察力のない人間や常識を知らない人間が増えたけのう。気をつけにゃあ。そうそう今日はワシの誕生日で十年たったら七十二になるが同じスピードで転回しておるのう。
赤ちゃんも心ゆたかに優しく育てよ。
父より
六月十一日
父から娘へのメール225
幸恵の病状報告
朝、電話すると元気そうだった。採血されたらしいが結果は昼頃になるだろう。
ショベルカーがきたので早速、山に入りSさんと大木を集めたり道を作ったりしているうちにNさんがチェンソーで邪魔になる木を伐採し「森林の中で出きる子供達の自然の冒険森」が30%できあがったよ。
この森の山頂にできる山小屋から大木の穴を覗くと、北極星が見えるようにしたいと思っているよ。
人間が見える宇宙の範囲で1年中不動なのは太陽中心にまわっている地球や金星や月などの惑星などでなく、宇宙中心は北極星だからのう。カシオペラと北斗七星の交わったところが北極星で星座の面白さを教えたいからのう。
昼、幸恵に電話したら「N先生がきて肝臓の数値が悪いから明日から予定していた抗がん剤は中止し肝臓の治療し明日肝臓のエコーを撮って:結果を見て決める」そうだが、幸恵には自覚症状がないそうな。
昼からも子供がケガをしたらいけないので木の根等を掘り起ししていたら4時になったので病院に行った。
幸恵は元気そうだった。自覚症状がないので良いのやら、どうやら。
今日の治療は採血と肝臓の注射と白血球の注射でした。
娘から父へのメール225
見てるて天佑の行動は素直でかわいいです。テレビ見て踊ったり。踊りもかなりぎこちなく、スムーズじゃないし、なんか癒されるね。
父から娘へのメール(続き)
天佑も役者じゃのう。幸代が天佑に観察されているのだろうよ。しっかりせんと。
六月十二日
父から娘へのメール226
幸恵の病状報告
朝、電話すると「腹が減っているだけで変わりない」とのこと。今日はエコーの検査があるので朝食は絶食らしい。
午前中、Nさんの知人が木を掴むショベルカーを持ってきて、山の中の伐採した木や倒木などを次から次へと山の中から掴み出した。ワシは山積みにされた木をグランドの真中にショベルカーで移動させた。山はきれいになり後は切り取った残りの竹や木が危ないので、草刈り機で短くすることだ。鳥小屋の移動が大仕事になりそうだ。午前中で作業が終わったが、昼食を取った時は午後1時半だった。
病院には午後3時に着いたが幸恵は「エコー診断のとき待たされて疲れたし、念入りに何回もみていたが心配だと」言っていた。
帰ってコロの散歩しているとき幸恵から電話があり「T先生からエコーの結果、肝臓は大丈夫で抗がん剤の副作用で数値が下がったのでしょうと言われた」と言ってきた。まあよかったよ、先々のことを考えずやっぱり一日一日力いっぱい生きていきたいもんよ。
今日の治療はエコーとガーゼ交換と肝臓と白血球の注射でしたが「注射された腕が痛い」と訴えていたよ。
グランドに山積みにした伐採した木を燃やすかどうか考えN造園と相談していたら午後8時になったよ。
娘から父へのメール226
今朝、功くんに、「もー」って言ってたら、後ろで天佑がマネして「もー、もー」って言ってた。やれやれ。下手なことは言えないね。
父から娘へのメール(続き)
天佑は聞く耳をもち、言葉も喋るようになったのう。エエのう。
父より
六月十三日
父から娘へのメール227
幸恵の病状報告
朝、電話すると採血され結果は10時過ぎになるだろうとのこと。
N造園の社長が独りで伐採した木っ端を4トン車クレーンで3回運んでグランドが灰にそまることなく無事に済んだが6万円の請求がこうてい。NさんとSさんがショベルカーで吊り上げ鳥小屋の移設をしたが素人なので危険がともなったが、ワシが指示した通りにしたので無事に完了した。産まれて2周間めの5匹の子ウサギも、脅えていたが移設して1時間後には元の巣に戻った。急斜面の木の根っこを取るためにショベルカーを運転して取ったが2トンなので力がなくて苦労したよ。昼から竹が5cmぐらい残っているので草刈で刈ることにした。Nさんが近所に進入してきたニュートリアをチャンで捕まえ今度のバザーで園児に見せるそうな。
今度の土曜日に、K会が来るので、森の囲いのフェンスを注文したり西村ジョイで支柱の鋼管を買ってきたりして、仕事が出来るように段取りして病院に着いたら午後4時半だった。
T先生と廊下で会い幸恵のことを言われた。「癌の疑いでエコーをとりましたが肝臓も腎臓も大丈夫で抗がん剤の副作用で数値が下がったのでしょう。月曜日から治療を開始します」とのこと。N先生も幸恵に同じことを言ったらしいが「退屈でしょうが月曜日から開始します」と言われたらしい。土曜日の外泊は駄目だということよ。
今日の治療は採血と肝臓の注射でした。
娘から父へのメール227
なかなかかわいいショット撮らしてもらえないね。カメラ向けると変な顔する!前髪切りました。だいぶん印象変わるよね。
父から娘へのメール(続き)
天佑は賢い顔をしとるのう。教養のある顔をしとるのう。
父より
六月十四日
父から娘へのメール228
幸恵の病状報告
朝,電話すると熱が38度あり氷枕で冷やしているらしい。今日から梅雨入りらしく小雨が降っている。下にあるグランドに幼稚園の新築のとき搬出すればエエものの、金がないからグランドにならせと契約したが、ワシがならしたらイケンと言ったためガラ混じりの残土の山が5ヶ月も放置されていた。それで、みてくれのよいようにショベルカーでならした。重機に乗っていたら気分がはつらつしてくるよ。ワシは土木工事が生に合っているのかのう。
病院に洗濯物を持って行こうとしたら洗濯物を乾燥機にいれるのを忘れて乾燥するまで待ったら午後2時になった。病院にいったら幸恵は少し熱が下がったがまた、採血されて機嫌が悪かったよ。
今日の治療は消毒と熱の原因の採血でした。
娘から父へのメール228
「ばー」って言いながら、プー(くまのぬいぐるみ)の股を開いてる(笑)。おもしろいね。
父から娘へのメール(続き)
天佑のことを褒めていたが時間がたつとAの赤ちゃんも可愛くなったのう。やっぱり笑顔が一番エエのう。
父より
六月十五日
父から娘へのメール229
幸恵の病状報告
朝、電話すると機嫌が悪かった。「熱があるので話をするのもしんどいんだから。どうしたん」と言うので、電話を切った。
朝礼が終わり、一職員が事務所に来て利用者のことを言うので「思うようにさせばエエ」と言うと、不満げにワシにむかって「好きなようにすればいい」と言ったがワシは黙っていた。上司に使う言葉を知らないよ。他の職員も聞いていて常識はずれで、あきれていたよ。
グランドの残土の土をならしていたらショベルカーが斜面に落ち、転倒しそうになったので河川工事をやっているM組の専務に助けをもとめに行った。専務は朝まで仕事の計算をしていたらしく昼休みでよく寝ていたので遠慮して部下の者に「どうにか、なるか?」と言ったら、「恐ろしくてできないよ」そのうち専務が起きてきた。簡単に元に戻してくれた。「経験がものをいうのよ」とワシの尻を軽く叩いて現場に行った。上には上がおるもんよ。
昼、幸恵に電話したら「採血の結果、白血球は4,500で肝臓の数値もよくなり外泊してもよい」とT先生に言われたが「微熱があるので外泊はしない」と言ったそうだ。
病院に行ったら幸恵は熱も下がり元気そうだった。「明日熱がなかったら外泊するかもしれないから」「いつでも迎えにくるから電話すればエエ」と言った。
帰って今度は慎重に残土の整地をしていたらバスから帰ったSさんは「山が低くなり感じよくなった」と言いながら作業を止めるまで見ていた。
今日の治療は血液検査の採血とガーゼ交換でした。検査の結果異常がなく咳をしているが胸も異常がありませんでした。ただ骨髄検査の結果を知らせてもらっていないと幸恵が心配していたよ。
娘から父へのメール229
天佑も私を引っ張ってこちらへ来てとかするようになりました。だけど、髪引っ張っていたけど、ようやく手を引っ張っるようになりました。よかった。
父から娘へのメール(続き)
天佑の言うことはできるだけ聞いてやらんとのう。褒めて育てよ。
父より
六月十六日
父から娘へのメール230
幸恵の病状報告
朝、電話すると「N先生がきて血小板の数値が変動しているので月曜日の採血の結果で決めます」と言われたらしいが、予定どおり午前中に深川に帰るので幼稚園の森の打ち合わせを済ませて午前中に迎えにいくことにした。
車の中でも幸恵は、弱よわしかったが夕方になると足が腫れていた。ワシは森の中の道作りでショベルカーに乗り、K会のメンバー6人で展望台をつくつたり、下刈りしたり、囲いの支柱の鋼管をペンキを塗ったりして、午後5時半に作業を止めた。肩も痛くなくショベルカーに乗れるのが不思議だ。好きなことなら痛みも忘れ、集中ができると言うことじゃろうてい。幸恵は寒いと言って鼾をかいて寝ているよ。朝からズート起きていたんじゃろうけいのう。
今日の治療はなにもありませんでしたが、血小板の輸血をすればエエのにのう。
娘から父へのメール230
扇風機つつきまくり!チャイルドロックと羽のところは指が入らないよう網かけてあるけど、操作するの面倒だよね。倒すし。
変な顔!(笑)
父から娘へのメール(続き)
天佑が扇風機つつきまくりのは当たり前じゃろうてい。まわるものに興味をみせるけえのう。対策してウチワがええじゃろうてい。ホームも朝から冷房のスイッチを入れワシは毛布のかかっていないコタツにスイッチを入れ暖をとっているよ。肉ばかり食べてカロリーがあまりきっている若い職員ばかりじゃけえのう。
父より
六月十七日
父から娘へのメール231
幸恵の病状報告
幸恵は朝飯も作らず寝ていた。微熱があるらしい。ワシはラーメンを食べてよいこの森作りに行った。昨日ビールを飲みながら森の構想ができた。ロープで溝渡りや、一本ロープを登ってタッチしたら音がでる木や縄橋などの位置を決めショベルカーで地盤を削ったりして一つずつ作った。
昼飯は田舎巻き寿司を買って食べた。巻き寿司を幸恵に持って帰ったら10時頃には起きていたらしいが顔を見ると腫れていた。
森の作業を午後4時に止め、帰ったら顔の腫れはなく足が腫れていた。「体がだるいし、夕食も食べたくない」と言うので、ぶっ掛けウドンを買いにいったがないので、ツケ麺を買うたら幸恵は全部食べた。
いつもならワシの夕食を作るのに、何もつくらず病院に戻った。体がだるいのだろう。血小板が増えとればエエがのう。明日採血し結果を見て考えるらしい。
娘から父へのメール231
タオルくわえたまま遊んでます。歯が生えてきてむずかゆいみたいです。歯磨きしっかりやらないとね。
帽子自分でかぶりました。
父から娘へのメール(続き)
天佑は日々一人前になるのう。チャント歩けるようになったかいのう。
父より
六月十八日
父から娘へのメール232
幸恵の病状報告
朝、電話すると出ないので何回もかけたが「呼び出しましたが電話に出れません」を繰り返す返事ばかりで、「どうしたんかいのう」と、心配しながら朝礼が終わり、また電話しても掛からなかった。しばらくして、幸恵から電話が掛かってきた。
「午後2時に骨盤から骨髄をとり血小板が少なくなっている原因を調べるらしいから、シャワーを浴びたらどうか。と看護師に言われてシャワーをあびていたから気がつかなかった」と言っていた。
ワシは体力の森に行き、Nさんが捕まえたヌートリアーの展示場所まで道作りをして病院に行った。
幸恵は元気そうだったが、「もう1年間も入院生活をしているので、家に帰りたい」と言い出した。N先生とT先生と廊下で会い「骨髄がおかされて血小板ができなくなっているのか検査しました」と報告があった。脊髄の結果も聞かされていないが、考えてもしょうがないけぇのう。
お互いに一日一日大切にして、幸恵の思うようにしてやりたい。数値では悪いのに、幸恵には自覚症状がなく不思議なのう。
今日の治療は採血と骨盤からの骨髄液の検査と消毒でした。食欲は半分あったそうです。
娘から父へのメール232
ほっぺに指あてるの教えたら、やったよ。最近、いろいろやるようになったから楽しいよ。犬見たら、わんわんって言うようになったし。でもキツネもわんわんって言ってたけどね。(笑)
父から娘へのメール(続き)
最近の天佑の写真は、はっきり写っているのう。
父より
六月十九日
父から娘へのメール233
幸恵の病状報告
朝、電話すると元気そうな声では、なかった。
「今日は何をするのか」「誰もこないので何をするか分からんヨ」と言っていた。元気な森の作業はフェンスのみでMさんがする仕事がなのでバス駐車場の残土の移動をするため、ショベルカーで道路を走っていたら園児達から「園長先生頑張れ。」と言って声援があった。車と違ってスピードが遅いので励ましてくれたのじゃろうて、ワシはショベルカーのバケットを上げたら「怪物だ。」と言って喜んでいたよ。
計画性のない残土を動かし病院に行ったら、幸恵はもの静かだった。明日から抗がん剤の治療の開始らしいが「肝臓が悪いのでたいぎいのかね」「そうじゃろうてい。今日、税金払えと手紙がきていたよ」「7月に帰れるだろうから私が振り込むけぇ」と言っていたよ。帰って又ショベルカーに乗って土を移動させていたら、方向性が決まり明日からワシの頭の計画にむかって残土を移動させるよ。
今日の治療は消毒と肝臓の注射でした。
娘から父へのメール233
わんわんって言いながら見てます。
今日、お茶を全部(50tだけど)飲んだみたいです!片付けしていて見てないから定かでないけど、こぼしたあとないし、むせてたし…。買い物行って、昼ご飯食べたあとだから、のど渇いたかも。これでのどが渇けば、飲むのがわかったよ。よかったよかった。小怪獣がいるみたい!さばくし、ひっくり返すし、はしゃぐし、わやです。
父から娘へのメール(続き)
天佑は成長するのう。あせらず天佑の目線で天佑のことを理解してやらんとのう。
父より
六月二十日
父から娘へのメール234
幸恵の病状報告
朝、電話すると「気分が悪いので話しかけるな」と言うので電話を切った。午後2時過ぎに病院に着いた。「半分は食べるが食欲がなく体がだるい」と訴えていた。
血糖値が悪いと言われたが抗がん剤の治療が11時頃から始まり24時間連続で点滴をし,明日は種類の違う抗がん剤の点滴らしい。いまでも体力がないのに副作用に耐えられるか心配になってきた。
廊下でT先生に会い話しをしたが「少し強い抗がん剤をしますが、副作用には十分に気を付けますが、奥さんはご主人に何か訴えておられますか」「気分がすぐれず、体がだるいと言っていました。よろしくお願いいたします」「何か気が付かれたらなんでも話してください」「有難うございます」との会話でした。
今日の治療は血糖値の注射と抗がん剤の点滴でした。
娘から父へのメール234
ハイハイハイって、うるさいです。何かくれ!やって!とか…訴えてきます。 ダメって言うと怒るし。少しはりりしくなったかな?
父から娘へのメール(続き)
天佑の成長が早くなったのう。今日もショベルカーに延べ3時間乗って残土を動かしたが、耳かきぐらいのバッケットだからどれだけ進んだのかワシには分からないが、Nさんは「大分進んでいるよ。」と言ってくれた。身近に見ているものは成長がわからないものだがのう。
父より
六月二十一日
父から娘へのメール235
幸恵の病状報告
朝、電話すると「昨日のことはあまり覚えていないが、気分が悪い」と言うので電話を切った。午後2時過ぎに病院に着いたので売店に行きコーヒーとゼリーを買って病室に行ったら、幸恵は元気そうで点滴も1本だったが右手首には血管を確保するため注射針が刺されていた。
「きのうから熱を下げる抗生物質の注射や肝臓や酸性かアルカリかわからんが利尿剤の薬も腕から入れたんよ。また午後7時から抗がん剤があり、明日も違う種類の点滴よ」「3日間すると言っていたからな」T先生とエレベターの前で会い「奥さんは、なにか言っていましたか、昨日は38,8度の熱があり、顔を見ると、かなりきつそうなのに何も言ってくださらないので」「今朝は、しんどいと言っていましたが、今は楽になったと言っていました」S看護師も「熱がさがってよかった。」と気を遣ってくれていたよ。
智が送ってきた海莉の写真集を見て「海莉は可愛いね、天佑に似ているよ」と言っていた。明日採血し、又考えるらしいが栄養失調で造血機能が薄れてきているような気がするのう。
今日も、いつ作業を止めてもいいようにショベルカーに乗って残土の移動をさせたが決心したよ。残土は角に移動することに。幼稚園園長の提案で「クジャクの森」と森の名前が決まりました。
今日の治療は抗がん剤と熱さましと肝臓と利尿剤と酸性かアルカリ性かわからないが中和の薬の投薬でした。
娘から父へのメール235
寝起きが悪く、大泣きさ!
父から娘へのメール(続き)
天佑を泣かすなよ。この写真は功くんによう似取るのう。
子供はわき目もふらず一直線にお母さんの所に進むから気を付けヨ。今日も事故があったからのう。
父より
六月二十二日
父から娘へのメール236
幸恵の病状報告
今日は朝から雨が降り始めて梅雨に入った気分になった。いままで大地をショベルで傷つけているので、土砂が流れていないか見回りしたが、昨日天気予報があたると思って養生していたのでこのくらいの雨では、なんともなかった。幸恵に電話すると「昼に会うから毎朝、電話せんでもエエ。」と言った。
病室についたら午後2時だった。点滴のパックを3本も吊り下げていた。「3時からは輸血しますから1本、1本済ませて頑張りましょう」と言って看護師が出て行った。
「なんの注射やらわからんよ。この抗がん剤が終わったら7時から別の抗がん剤がはじまるよ」と幸恵は言ったが、熱がないせいか元気そうな素振りだった。3時過ぎに輸血が始まったが幸恵は血管の痛みを訴えた。研修医の先生がきて、「もれはありませんが左手に替えましょう」と言って静脈注射をしたら、今度は痛みがなかったらしい。看護師が「輸血の温度が低いと最初は血管の痛みを生じる」と言っていたが、幸恵の判断が正しかった。順調に輸血が進みだしたのでワシは帰った。
明日、フラワークイーンの一日園長があるので、式場や園内を見てまわったが廊下が汚かった。もう遅いが廊下は専門業者にまかせ綺麗にせんとのう。人の通り道はたえず清潔にしておく習慣がないと駄目よのう。「玄関がその家の状態をものがつているので靴はそろえて脱げよ」お袋がよう言っていたヨ。
娘から父へのメール236
後ろポケットに入れた携帯取ろうとして手を伸ばしたところ。
父から娘へのメール(続き)
天佑に意地悪せず、躾しながら、褒めて育てよ。
父より
六月二十三日
父から娘へのメール237
幸恵の病状報告
朝電話すると「幸代が送ってきた服は半袖だから下着も半袖をチャントきんと、おかしいよ」「大丈夫よ、長袖の制服をきるから」「制服を脱がなかったらエエが」ワシには、なにを言っているのかわからなかった。時間がきたので家に着替えに帰った。下着は長袖だったので、半袖のシャツがどこにあるのか分からないのでワシは慌てた。幸恵がなにを言っているのか分からなかったが、脱いでみてヤットわかったよ。
それにくらべ一日園長のフラワークウインは24歳なのによく気が付く子だった。ワシも歳をとったもんよ。
病室についたら幸恵の点滴はなかった。顔の頬がいつも青いのに、桃色になっていた。腹も脹れたような気がした。両足も浮腫がひかずN先生に訴えたらしいが、わけのわからない返事だったらしい。
幸恵の機嫌がわるかったし、カープの試合が市民球場であるので駐車場が混むので30分早く帰った。
コロの散歩を後回しにして駐車場の残土の移動を7時までした。小さなショベルだが少しずつ作業すれば遅いけれども必ず到着することを信じていたら、今は一回転したら目的点の位置にショベルのバケットが届くようになったよ。
今日の治療は肝臓や利尿やなにをしたか、わからんらしい。詳しく聞くと怒るので止めた。明日は何をするのか分かりません。
娘から父へのメール237
洗濯物や布団干すのに上に上がっていると、天佑はいつも階段にちょこんと座ってテレビ見てます。まだ上ることしないからいいけど。ネジとか気になってつついているぐらいです。この写真見てお母さんから危ないよって電話かかってきたよ。
父から娘へのメール(続き)
天佑も恐ろしかった経験はよく覚えているのう。下に嫌いな出来事が起きたら階段を登るけえ気を付けにャのう。
父より
六月二十四日
父から娘へのメール238
幸恵の病状報告
今日は朝から雨が降っているのでクジャクの森の作業もできないしグランドの土の移動もできないので、久し振りに食欲のない幸恵と一緒に昼飯を食べようと思って病院に午前11時半に行ったら「もう来たの気分が悪いのに」「昼飯を一緒に食べようと思ってきたよ」「体がだるいし、食欲もないし、臭いがするから一緒にたべないで」と言うからすぐに帰った。
疲れたので夕食の買い物にフジに行く途中に幸恵に電話したら「なにもかも悪くなって気分が悪く、今日の治療は抗がん剤の注射を3回、肝臓の注射をして便秘で困っている。」と言っていた。フジに入ったら綺麗に、改装されていた。デパートのイメージになっていた。惣菜も一人分のがあり、久し振りに酢豚とから揚げを買ったて食べたらうまかった。ビールを飲みながら薬の入力をした。うちで作ったジャガイモと玉ねぎを送りました。明日には届くそうです。「輸送料のほうが高い」と幸恵が笑っていましたが値段ではなく、気持ちの問題よ。
今日の治療は以上でした。明日採血があります。
娘から父へのメール238
携帯電話を変えて、写真が一度に何枚か送れるようになりました。2枚送れてる?お母さんの携帯電話は容量が小さいから一度には無理だけど、パソコンになら大丈夫だと思うんだけど。
父から娘へのメール(続き)
天佑はできるだけ色々なところを見せれば発想が豊かになるから散歩につれていかんとのう。
写真は二枚とどいています。
父より
六月二十五日
父から娘へのメール239
幸恵の病状報告
朝、電話したら昨日のことを言っていた。「腹が脹れているのは内臓に変化があるのか腸閉塞か、疑わしい」とのこと。「今日は採血とCTで結果をみたい」とN先生が言っていた、そうな。
午後2時についたらN先生に会った。相談室で幸恵の容態の説明を聞いたが、N先生は悪い方向の説明を受けたがT先生は現状の説明をしていた。
幸恵は昨日と違って元気そうだった。朝、採血の結果白血球と血小板の数値が悪く、血小板の輸血をしたそうだ。ワシが行ってからクリーンルームのセットをされた。腹が腫れた原因は便秘だったそうだ。ヤレヤレよ、先々考えずに日々感謝しながら生きていかんとのう。
ニュースでミートホープのことを報じているが信じられないのう。まわりには社員がおるのにのう。「正直に生きよ、嘘をつくより騙されるほうがエエけえ」と、お袋が言いよったがのう。今の日本には月光仮面や鞍馬天狗が助けにこにゃあどうしもないのう。
今日の治療は採血、CT、輸血、白血球、抗がん剤、栄養剤の点滴でした。帰って土砂の移動を1時間した。毎日ショベルに乗っても飽きがこんよ。
娘から父へのメール239
持っているのは引き出しです。やれやれ(-_-;)自分でおもちゃケース明けてかぶりました。おバカだよね。
ジャガ芋玉ねぎありがとう。夕飯にジャガ芋蒸して天佑と食べました。おいしかったよ。
父から娘へのメール(続き)
天佑はなにをするかわからんから、気を付けヨ。
父より
六月二十六日
父から娘へのメール240
幸恵の病状報告
朝、電話すると元気そうな声だった。便秘が解消されたらしいが、下痢までいかないがチョコチョコとトイレに行きたいらしい。ワシは安心して土砂の移動を1時間して病院に着いたら午後2時だった。「サンダルが小さいので布のスリッパに履き替えてください」と医者に言われたから。両足を見るとパンパンに腫れてサンダルを無理して履いていたので、「血小板が少ないのに擦り傷でもしたら大変じゃ」ワシは急いで売店に買いに行ったらなかったので、そごうに買いに行こうと思って幸恵に電話したがでなかった。どんなスリッパがいいか電話してもでなかった。せっかくそごうに来たのだから、美味しいものでも買って帰ろうと思ったが電話が通じないので諦めて大きなスリッパだけ買って帰る途中に電話が掛かってきた。トイレに行っていたらしい。「可愛いスリッパじゃない」と機嫌よさそうだった。今日は落ち着いていたよ。クリーンルームには入っているけど。帰って又午後8時頃までショベルカーに乗って土砂を押していたよ。
今日の治療はガーゼ交換と白血球と肝臓と便秘の下剤の薬でした。
娘から父へのメール240
天佑のかわいいショットが撮れました。
お母さんの治療に合わせて広島に帰ろうと思うんだけど、外泊できるんかね?お母さんには言ってあるんだけど。
はまった!
父から娘へのメール(続き)
病院のエレベーターの中で入れ歯をした赤ちゃんがいた。気持ちが悪かったがのう、乳首のオモチャじゃろうが親の顔を見るとたいしたことはないのう。子が喜んでいるのならエエが外部が面白がっているのは、おかしいのう。幸恵は外泊できるときはあるけえ。その時帰ってくればエエよ。
父より
六月二十七日
父から娘へのメール241
幸恵の病状報告
朝、電話して「今日は会議があるかもしれないので遅くなるかもしれない」「あるかないかは、わかるでしよ」「事務所の黒板をはっきり見ていないので確認してまた電話するよ」うるさげな対応するので、電話を切った。
朝礼がすんだらすぐにショベルカーに乗った。土の移動がなく造形だから進捗具合が早く運転手のKさんが帰ってきて、びっくりしていた。
クジャクの森は、夫婦で旅行から昨日帰ってきたMさんが、一人で柵の安全対策の並みタルキを取り付けた。有り難いもんじゃのう。
会議が終わって病院に午後4時についた。足の腫れが少しひいていた。「クリーンルームにいるので、コロやハトと同居している貴方が一番のバイキンマンよ」と言うので、その通りだと思い又仕事のないMさんが放送設備をセットするため5時にくるからワシはさっさと帰った。
また便秘で腹が腫れているらしが、今日の治療は採血と血小板の数値がなく、すぐに輸血し、白血球と肝臓の注射でした。
娘から父へのメール241
テレビまで到達できないように、クッションなどやってもどうにか割って入ります。まぁ手はぎりぎり届かないように箱置いてるけど物でつつくんだよね。賢いね。
父から娘へのメール(続き)
今日の天佑の写真はよく映っているのう。赤ちゃんが病院によう来とるが気を付けヨ。
「テレビで認識不足でした」とミートホープの社長が言っていたが、ソーセジなんか肉の混合で作られており、なんら人体に影響するわけでもないのにのう。「消費者に安く売るため、味も臭いも変わりなく半値で買えますよ。」親切にしたつもりが、今の法律ではラベルの表示が誤っていたのが偽装になったらしいのう。文字の理解ができんと介護社会も外国労働者が入ってくるけえ大変じゃろうてい。会話が出来るようにならんとのう。
「嘘はつかれてもエエが人を騙すなよ。連帯保証人だけは、なるなよ」とじいちゃんが言いよったよ。
父より
六月二十八日
父から娘へのメール242
幸恵の病状報告
朝、電話するが電話口に出なかった。昼から雨が降る予報なので下のグランドの土の仕上げを急いでやった。少々斜めにショベルが傾こうが平気になっていた。これが転倒事故に繋がるのだろう。仕事が終わりかけた時、事故が多発しておるけえ。まあ無事にすみショベルカーをクジャクの森に移動させた。
Mさん一人で落ち葉を掃いている時、N夫婦が視察にきたので病院には行きづらかった。病院の駐車場についたら満車の表示があったが待っている車がいないので、待機するが、なんと30分も待った。秒単位で動くワシにはもったいない時間で待つことは今後止めることにした。
病室に着いたら午後4時半だった。足の腫れが目立たなかった。一日中寝ていたのだろう。マスクは猛毒ガスよけのマスクにしていた。人が入ってきたら着用するように言われたらしいがワシしか、いかんのにのう。ワシを警戒しとるのじゃろうてい。クリーンルームの時は早く帰ることにするヨ。
智からメールがきた海莉の写真をみて喜んでいたよ。海莉も成長すると可愛いのう。成長するときは可愛いもんじゃのう、成長が止まったときには顔にはしわや、耳が聞こえなくなったりするけえ「年寄りは金をだしてもエエが、口を出すな」と昔からゆうとるけえのう。せっせと金をださんとのう。
今日の治療は肝臓と白血球とガーゼ交換とクリーンルームの生活でした。
娘から父へのメール242
一昨日26日メールが届きませんでした。昨日27日は届いたよ。
今日、天佑は弟だけど、優芽より歳はお兄ちゃんになります。ここまで無事元気に育ってくれてありがとうです。お世話になったみんなにも感謝です。これからの子育ては未知の世界だよ。(>_<)
父から娘へのメール(続き)
天佑も兄ちゃんになったか、たくましい顔つきになったのう。メールを送ります。送ったつもりじゃがのう。
父より
六月二十九日
父から娘へのメール243
幸恵の病状報告
朝、電話するといつもと変わりがないとのこと。気象庁での天気予報では今日は雨が降る予定だったが、曇りだったのでクジャクの森の側溝まわりにマサ土を入れることにした。グールプホームの開所式が午前中にあるが欠席にすることにして、申し送りも欠席してマサ土の搬入の準備をした。2トンダンプの一台目が来たが次は何時頃来るのかと聞くと、2時間後になると言うので、開所式に参加することにした。帰ってマサ土を均し終わったとたん雨が降り出した。危機一発だった。「今日はこれで止めよう。ショベルの活躍もこれて終わったし、明日まで雨が降るから。」Mさんと別れたとたん雨が止んだ。日本列島も狂っているが予報まで狂い、幸恵のところに行くと機嫌が悪く「いちいち聞かなくてもエエじゃないの。クリーンルームにいるのだから」と言うので帰った。今日でショベルの仕事が終わりワシの仕事がなくなったヨ。明日から吊り橋をどのように作るかを考えんとのう。
今日の治療は採血した結果で血小板が少なく輸血し、白血球と肝臓の注射でした。腹が脹れているのが気になったが朝通じがあったそうだが。
娘から父へのメール243
お昼に久しぶりにフレンチトースト(天佑は初めて)を食べました。おいしかったみたいで、めずらしく、手でパクパク口に頬張ってたよ。入れすぎるとオェてなるのに。奥歯ないし。フレンチトーストとは、食パンを牛乳と卵液に浸してフライパンで焼いたものです。おいしく、めずらしいものは食欲がわくのかな?
父から娘へのメール(続き)
天佑が自分で食べるようになったのか。日本の土の上を一人で歩けるようになったかのう。天佑が逆立ちができたら、北極星から見たら、地球を持ち上げたことになるがのう。たくましいのう。
父より
六月三十日
父から娘へのメール244
幸恵の病状報告
今帰ったよ、午後10時には深川に帰ったが、クジャクの森の落ち葉を燃やしていたので水をかけていたらこんな時間になった。
朝、電話すると「容態が悪いのだから来るときだけ電話をしてくれ」と言って切った。K会の5人衆でクジャクの森の仕上げにはいった。午後3時になるので一足先に失礼して病院に行った。なんと市営駐車場が満車で10分待った。こんな経験ははじめてだった。市民球場の巨人戦か昨日馬鹿官民のボーナスが出たせいじゃろうてい。
病室についたら「クリーンルームにいるのだからうつ病になりそうだ」と言うので「早く帰るよ」と言ったら「この頃早く帰るのネ」「話しはするなと言うし、クリーンルームにいるのだから近寄るなと言うし、しょうがないじゃないか」「落ち葉を燃やしているので5時までに帰らなければいけないので帰るよ。」と言って洗濯物をもつて帰った。
吊り橋をMさんとTさんが作っていたがワシのイメージと違うので「もう少し考えさせて欲しい」と言うと、Mさんの機嫌が悪くなったが、Tさんはワシの意見に賛成でSさんが、早く「園長が帰ってくればいいのに」と遠くから見て思っていたらしい。
幸恵と別れたとき、後味が悪いので1時間ごとに電話するがでてこなかったが、午後8時29分にやっとつながった。「今死にかけているのだから電話しないで」と電話をすぐに切ったのでワシは幸恵に会うつもりはなかったが失礼にあたるので電話で確認するわけにはいかず、タクシーに乗って病院に行った。車窓の中から東の空を見ると満月だった。幸恵は子供が生まれるときは潮の満ちひきを考えていたからまさか、満月だから死を考えたのかと思いつつなぜかゆっくりと夜景を見ることができた。50年前は戸坂なんか明かりが灯っていなかったのに、なんでこんなになったのか人口が増えたためなのか、将来日本の人口が少なくなれば同じ風景が見られるのかと思いながら病院に向かった。午後9時過ぎに着いた。看護師の話しでは「午後6時頃腰の痛みを訴えられ薬を飲んだが午後8時30分にナスコールで腰の痛みを訴えられたのでT先生の指示待ちです」「幸恵には会いませんが、よろしくお願いします」と看護師に言ってタクシーで帰る途中にT先生から電話があった。「癌細胞の結果でなく、副作用の痛みで続くようであればMRIを月曜日にとろうと思っています」とのこと。よう面倒をみてもらえるのう。うちも利用者の面倒をチャントせにゃあのう。昔と違って今では利用者も自己負担しとるんじゃけえのう。
今日の治療は肝臓の注射はなく白血球の注射でした。白血球の注射の打ちすぎじゃろうてい。白血球が上がるときにはいつも腰の痛みを訴えるけえ。そうなればエエがのう。
娘から父へのメール244
功が電気剃刀でヒゲ剃っていたら、おもちゃの携帯でマネした!仕事行くときはカバンみたいなおもちゃ(キーボード)持って見送りするし。よく見てるね。
父から娘へのメール(続き)
天佑はよう見とるのう。子供は親の背中をみて育つというが、見ていないと思ってもチャント見とるのう。
父より
七月一日
父から娘へのメール245
幸恵の病状報告
朝電話を掛けるが出てこないので諦めて切った。釣りに行こうと思ったが当てにならない雷雨注意報の天気予報信じて船の就航を諦めてNさんと吊り橋のロープを船具屋に買いに行くと「今日は来ない。」と言っていたMさんとTさんがクジャクの森に来た。昨日Sさんと吊り橋を作業場に片付けていたのでびっくりしていた。来ないと思っていたのにのう。
午後3時頃病院についたが市民病院のまわりの駐車場は巨人戦とボーナスがでたおかげで満車で駐車できないので以前いつも利用していた八丁堀の駐車場に止めたら管理人が、今年は1回も利用していないのにワシの顔を覚えていて「ガンは大変ですね。」と言った。
病室に入ったらベットの上で幸恵が苦しそうにしていた。「昨日の午後6時ごろから、今まで経験したことのない激痛がありT先生が来てくれたが一晩中眠れなかった。今も痛いが昨日より痛みが軽くなったような気がする。」というので「腰でもさすったろうか」「いらんことをしんさんな」と言ったが、昨日と違って色々と話しかけてきたが、クリーンルームに入っているので長いは無用と思って帰った。
今日の治療は尿がでていないので利尿剤と食べていないので栄養剤の点滴をしたらしい。聞くと怒るので聞かないようにしている。
娘から父へのメール245
今日は、美容院に行ってきました。天佑は2時間ほど功くんと留守番でした。行くときは笑顔でバイバイと手を振ってたけど、大丈夫みたいでした。お昼寝してたみたいで…。
父から娘へのメール(続き)
今日の天佑の顔が違っているのう。カメラの角度で色々な顔に変化するみたいなのう。
父より
七月二日
父から娘へのメール246
幸恵の病状報告
朝、電話を掛けるが出てこないので今日も諦めて切った。午前11時58分T先生から幸恵の容態の知らせの電話があり「嘔吐され白血球が500で血小板も少なく輸血する予定です。色々と手をつくしますが急変されるかもしれません」と言われすぐに幸代と智に電話する。このことを職員の看護師のOに言うと「すぐに病院に行って下さい。奥さんが待っているから。あとMさんとなんとかしますから。」と言うのて゛何時もの時間の2時に病院に着いた。シーツは嘔吐した後があり汚れていた。「来たのね」起きようとするが起きることができなかった。洗濯ものは指を指してロッカーに収めるように指示するが、指さした所はロッカーがなく「後で着替えるから風呂場の洗濯物を持って帰って」と言う。幸恵は肩で息をしていたが、すぐに眠たがり目を閉じる。「眠たいのか?」と聞くと「眠たい」と訴える。傾眠状態で、呼吸状態が悪いので心配していたら、N先生が来て、すぐに相談室に行って幸恵の容態の説明を聞く。「胸のレントゲンを撮りレントゲンの結果を見て午後5時に結論を出しますから、やれなかったら、談話室で待って居て下さい」と言われた。今晩はもてないと思い、Mさんに電話して亀崎と深川の掃除を頼む。午後2時10分ぜいぜいと呼吸しだし看護師が痰を吸引機でとる。午後2時30分黒いものを吐いている。看護師に連絡する。呼吸は正常になるがT先生を呼ぶ。血小板の輸血を開始ししたが胃から黒っぽい血を吐き出すので吸引するが幸恵は苦しそうだった。「ゴメンナサイ」と言いながら輸血が終了するまで2人の医師が続ける。午後4時に輸血が終わったが看護師はいなかった。4時頃アゴで呼吸するようになった。昏睡状態になったが幸恵の顔は嘔吐物の中に埋まっているのでワシは点滴のついた幸恵の顔を持ち上げ、シーツの嘔吐物をふき取りタオルをひいていたら、婦長が来て「看護師にやらせます」と言って病室から出て行った。KとOが車の鍵をとりに病室に来る。嘔吐物を拭いたタオルや洗濯物や机を持って帰ってもらう。看護師が来た。ばあちゃんが来るし誰が見ても良ようにシーツ交換してもらう。
看護師が幸恵の昏睡状態で寝たきり対策にきた。廊下で待っていたら「導尿をしますが良いですか?」「よろしく頼みます」10分ぐらい試みるが管が入らなかった。カテーテルを諦めオシメに切りかえることになる。大きくアゴで呼吸する。午後5時ばあちゃんと実妹来る。呼吸が小さくなる。6時、看護師がくる6時2分呼吸停止。医師が死亡確認し6時5分死亡と言われる。もう少し痛みをやわげるモルヒネを利用してもらいたかった。幸恵の体重は3日間で4キロも増えていた。
6時30分
N先生より解剖の依頼があったが「ガン治療対策でお役にたちたいが、これだけは勘弁して欲しい。期待にそえなくて申し訳ありません」と断る。
午後6時半に二番目の兄がくる。葬儀屋の手配を頼む。
亀崎宅にK施設の職員が待機していたらしいがワシは断った。
午後7時40分、葬儀屋がくる。8時40分市民病院出棺。
途中、友人Wに電話して「今幸恵と亀崎に帰りよるよ」と報告した。
亀崎午後9時30分到着
Oさん、Mさん、二番目の兄夫婦とその長女が迎える。
幸代午後9時32分亀崎到着
智午後10時30分、功くん10時50分、亀崎着
ワシは看護疲れで、幸代と智に「今日は飲みたい。」と言って家族で7月3日午前2時までビールを飲み幸恵の側で寝たが、眼が覚めることはなかった。しかし不思議に午前6時には、すっきりした気分で眼が覚めた。
幸恵とクジャクの森
幸恵がお世話になりました。簡単に幸恵とクジャクの森について報告します。
幸恵は昨年5月頃から左目から涙がでてくるようになり涙腺が詰まったのだろうと思っていましたが耳鼻科の診察で蓄膿症だろうと診察され治療を続けていました。6月には顔の右横の腫れがひどくなり、ワシが「先生に腫れがひどくなったことを訴えたらどうか。」と幸恵に言ったら、「大きな病院で診察されたらどうか。」と言われて、紹介状をもって市民病院に行った。すると蓄膿症でなくリンパ腫の可能性があると言われ、幸恵が耳鼻科の先生に「悪性だったらガンですか、治りますか?」と聞いたらしい。6月8日の日でした。ワシはガンかどうか聞くもんではない。結果を聞くもんではない。」と言いましたが、「しょうがないじゃないの」と言っていました。
それからMRIや血液検査やレントゲンやCT、ペットCTの診断で7月3日に血液内科の診療で「NK悪性リンパ腫でステージWで余命6ヶ月から11ヶ月。」と言われ、「幸恵には余命の寿命は言わないでください。病名ははっきりと言ってください。」と先生に頼みました。化学療法が始まり3回目まではガンが撲滅する勢いで治療効果がありましたが12月のペットCTの診断では進行している結果が出ていました。今年の1月5日から化学療法は副作用の強いものでしたが6回で終わる予定でしたが5回までの化学治療は耐えてきました。6月2日に長男の智の子供が宮参りすることになり幸恵・・・・・・・・・・・・・・・・・・。