新しいパートナーとの出会いの話をしたいと思います。
彼女と私には、いくつか二人の共通点がありました。
2006年7月に私の妻が広島市民病院に入院し、彼女の夫も 同年10月に同じ病院に入院しました。
「顔を見せるだけでもいいから毎日病院に行きなさい」と、Aさんの忠告を守り入院している間は実行しました。
彼女も同じように、病院通いとなり、余命何か月と知りながら、
二人とも配偶者との別れを本人に告げることなく日々を送りました。
私の妻は一年後に帰らぬ人となり、彼女の夫は3年半後に亡くなりました。
二人とも同じような病に侵された配偶者をもち、失い そして時間が過ぎました。
彼女の夫 49日頃におまいりに行った時と思いますが、彼女が
「もう○○を止めて、孫を育てながら自宅にいます」と、言ったので、
「それではワシの眼が狂ってきたのかわからないが、6と8が同じように見えパソコンの入力が出来ないので、
薬の入力を手伝ってもらえませんか」と、聞くと
「時間があるのでお手伝いします。」と答えてくれました。
それからメールのやり取りがはじまりました。
薬の印刷を届けてもらっているうちに、
「今度同じ境遇にあったBさんと彼女と一緒にを食事しませんか」と、聞くと
彼女が「孫を連れっていってもいいですか?」と、言ったので
「いいですよ」と、言って食事会をしました。
これまで一人寂しく夕食をしていたのが4人で一緒にいれば、楽しく会話が出来、
にこにこ笑いながらの食事ができたのに感動しました。
「今度、また食事会をしよう」と、提案すると4人とも呼吸があい、2か月に一回程度の食事会をすることになりました。
本来なら彼女は 子育ては終わり、自由気ままに生活できるのに
今でも小学生の孫を必死に支え、守り続け、期待をかけエアロビックスに挑戦させています。
孫は上位を狙い、勉強と習いごとに集中しています。孫と孫を支える彼女を見て、
「へーこんな環境になってよくもできるのう?」
妻が先たち未来を見失っていたワシは、二人の行動を見ていて、Cさんが生前よく言っていた言葉を思い出しました。
「少ない人生だけど、自分はつまらん体になったが人に役に立つことをしたい」と。
彼女と孫の生き方に元気つけられ、よしワシも「まだまだ若いし生きんと…」
それから毎日一万歩 歩くことにしました。彼女の夫の一周忌が終わってから、
選挙活動に参加したいと申し出があったが、3月11日に東北で大地震が起き、最後の決起大会にだけ参加してもらうことにしました。
選挙も無事おわり、人生半ばになった私は海だけでなく、青い草や花が無性に見たくなり車に
カーナビを取り付けました。
彼女をドライブに誘ったら、「いいですよ」と、返事をもらいました。
ワシは水曜日をドライブの日、日曜日は海の日に決めました。
ドライブ中に、「実は○○さんに夕食を5年間も作ってもらっているが、子供達にも他の人にも、それはよくないことだね」と、注意をうけていました。
「もし時間があったら昼食を作ってもらえませんか?」と、聞くと。
快く、「食事ぐらいなら」と、引き受けてもらいました。
以前は、認認介護、老々介護は避けたいと思っていましたが、一万歩 歩いているうちに
「自分がしっかりしていれば、エエじゃないか」と、気づきました。
お陰で、彼女に会うたびに心が穏やかになり、見失いかけた人生を、彼女との出会いで、
心豊かいに過ごせるようになりました。
これからは精神誠意一緒に生きて行くのだから、もし私に万一のことが起きても彼女にはなんらかの、
償いのものを残してあげたいと思っています。
最後になりましたが、二人の関係ですが、彼女の孫が巣立ちをした時には、
二人でなかむつましく、楽しい晩年を一緒に過ごしたいと思っています。
二人は若輩ものと、言いたいですが、熟年です。
これからもヨロシクお願いします。