矛盾だらけの社保庁

       

結婚してからワシは幸恵に二回ほど怒られた。一回目は寮で女性職員三人とウイスキーを飲んだとき。二回目は流れ川で飲んで家に帰るまでに吐きそうなので「牛田の実家に泊まる」と言ったときだった。いずれにしてもワシが悪かった、幸恵は盆、正月も実家に泊まることは一度もなかった。理由は「あなたが私の料理しかたべないから」と言った。海外旅行に行ったときも冷蔵庫の扉に献立表をはり、明日はこれ、何日はこれと冷蔵庫の中には小皿が一杯入っていた。ワシの性格を知り尽くし体の心配をして料理して行ったのだろう。

       

ホームに勤める時、「施設の中に診療所があるから」と言うと、「血を見るのが嫌いだから看護師は無理だけど医療事務はできんといけんネ」と言って専門学校に通い、介護保険制度がはじまると「介護福祉士は経験がないから無理だけどヘルパーぐらいの資格がないといけんネ」と言いながら資格をとっていた。少しでも役に立ちたい気持ちだったのだろう。

閑静なところだからバスは勿論、車も一日数台しか通らない場所に建てられた施設の新入職員には、祭りの時期になるとマッタケを使ったおいしい料理をつくり振る舞い勇気づけていた。職員から、いつも「幸恵さんみたいなお嫁さんになりたい」と言われていた。お世辞かもしれないが家族から遠くはなれ寂しい山里の施設に就職をした職員に親心で接していた。懐かしい郷土の料理を食べて、幸恵にたいして心が感謝のことばとして自然にでたのだろう。 山のつつじやつくしをつみとり家の中でも四季折々の飾りをして春夏秋冬を感じさせる幸恵だった。

       

幸恵は一言多いワシと違って余計なことは何も言わなかった。親兄弟の愚痴も聞いたことが一度もなかったし職員の態度に対しても批判することがなかった。ワシが職場からかえって職員の悪口を言うと、「私も思うけどあんまり人を悪く言うもんではないよ。」といつも言っていた。魚を釣ってかえると「二人が食べるだけ釣って帰ればええのに。卵があるヨ、可哀想に産卵するまでに待てばいいのに」独り言をいいながら料理していたヨ。ワシもそう思うヨ、魚が減るわけよ。産卵時期は捕獲禁止にすればエエがのう。

毎日、深夜は外回りを気にしながらなにか異常があればワシを起こし、そのたびにワシはバットをもって見回りした。猪の親子が稲を食べにきているのを知らずにワシが道路のそばを通ると猪に威嚇され急いでバットを取りに帰ったこともあった。「バスのエンジンの音がしたヨ」と起こし、盗難にあったバスを捜すため職員とワシに連絡したり、パトカーに連絡したりして犯人を捕まえるアマチア無線の基地になり活躍してくれた。度々、緊急呼び出しの内線が鳴ったら酔っているワシを起きるまで起こし不服等は一切言わなかった。使命感にもえ施設を守り続けたかったのだろう。ワシが腹膜炎で手術するとき誓約書を書かされたとき涙をながしていたが、ワシの許可なしにサインするとは、許せなかったがワシは担架の上で呻いているのでしょうがなかった。

       

正月に名古屋と東京の孫二人が広島にきた。幸代の長男は二歳九ヶ月で善悪の区別がつくらしいが智の長男は一歳七ヶ月で自分の思ったとおりに行動をおこすやんちゃ坊主だった。あまり面識のない二人だけど、すぐにオモチャの取りやいこをするが、時がたつとオモチャの交換をしたりして仲良く遊んでいた。可愛い孫だけど、もしワシが面倒をみるのならば、これから先どうやって育てたらいいんだろうか。こんな小さな孫達を育てるなんて、気が遠くなりそうだった。しかし、思い出せば幸恵は東京の江東区塩浜で年子の子供をかかえながら育て、天と地の違いの広島の田舎に転勤しても愚痴ひとことも言わずワシについてきてくれた。幼い二人が二キロ先の小学校に通うとき「ランドセルが大きすぎて小さな子供達の姿がみえない。大きなランドセルを背負ってチャント帰れるかしら」と、幸恵は暑い夏の日も北風が吹き抜ける寒い冬でも、いつも子供達が帰るまで外で待っていた。我が子を思いやる気持ちは人一倍だったのだろう。

子供が名古屋、東京に帰るときは強がって「元気でね」といいながら涙を流しながら見送っていたが、けしてワシには涙をみせなかった。しかし、いつまでたっても心配なのだろう。心配していても「どうせワシらは、早く死ぬから子供達は自立せにゃ困るで。そのために一生懸命に躾や教育をしたんだから」ワシは「おーい、ビールを飲むぜ」とごまかして飲んでいた。思い起こせば幸恵は礼儀作法にはこだわって甘えは許さなかった。ワシは放任主義だったよ。無責任もんよ。

       

子供が車にはねられたとき、幸恵は勿論なにもできないワシにかわって職員が交互に夜間付き添いしてくれたときや、幸恵が闘病生活のときみんなのお陰で毎日病院に行けたことや、子供達のメールのお陰でかけがいのない日々を送らせてやることが出来て嬉しかった。感謝の言葉もでない。それにしてもワシにとって幸恵は偉大な人物でよき妻だった。

よく考えてみたら独り片足をコタツにつこみながビールを飲んでいる場所は、33年前は段々の水田地帯で草がボウボウ茂っていた。施設を建てるためには宅地造成をしなければいけないので造成の許可を得るために、地形図をつくるのに幸恵と二人しかいないのでスタジア測量にした。幸恵は草の中を長靴を履いてスタッフを持って駆け回った。位置の確認するためワシが指示する手を一生懸命に見て歩くからアゼにつまずいてこけたりしていたが泥なので怪我などしなかった。無事に測量が終わり、暑いさなかであったので冷えた麦茶が美味しかった。後で地主が「マムシに噛まれなかってよかったね。あそこはマムシの巣だから」と言われた。ゾーットしたが無心に働いていたら怖いものはないよ。それにしても「クワバラ、クワバラ」

       

しかし時間が経てば幸恵がこの世に存在しないことがわかり、亡くなった親族や友人や親しかった先輩や同僚、お世話になった人などの顔が脳裏に浮かぶ毎日だ。しかしいつまでも悔やんでばかりいても死んだ人がうかぶわけではないので、ワシも何のために生きていけば良いのか分からないが少しでもこの世の中に役に立ちたいと思うがワシ自身も自由に生きたいと思う。

       

一番、後悔しているのが○○さんの年金のことで、あの時ワシが遺族年金制度の知識があればいい相談相手になったのに悔やんでも悔やみきれない。○○さんの奥さんは50歳で亡くなり本人は60歳で亡くなった。二人とも年金が受け取れず又、奥さんの死後知り合った○○さんの彼女も籍を入れていなかったので遺族年金を受け取れず、勿論、子供達は受け取る資格がない。誰ひとりも受け取れなかった年金は社保庁の埋蔵金か、懐にいれられて説明責任は皆貝のように口をふさいでいる。

受給者数が増えるのは年金制度が発足したときからわかっていたはずだ無駄な物づくりをしたり、懐にいれ、失った年金のお金の責任を取らずに受給対象者の年齢を引き上げたり、受取金額を半額にして年金制度を維持すると言う発想は昔の封建制度の引き続きヨ「みのもんたの年金テレビ」怒っているのが正しいと思う。

       

ワシが「強制的に天引きされた年金の遺族年金」は幸恵に渡しかったが今はいない、老いたら誰かにお世話をしてもらわなければ生きていけない。ワシは「施設を利用せず在宅介護を望んでいる。そこで誠心誠意のある人と生活保障と介護保障の交換を望んでいる。

これから先何年生きるか、わからないが冷たい暗闇の家に帰り一人でビールを飲むのも寂しいものだ。ワシが飼っているコロは心があり喜怒哀楽もある。ワシも伴走者となってくれそうな女性との出会いがあればまだ若いのだから一緒に人生を愉しみたいと思う。

       

嘘とは、知識がないことを隠したり、忘れていたことを恥と思ったり又自分の行動を肯定するための嘘をつくものだと思っていたが、自分の都合にいいように嘘をついたり、人を蹴落とすために嘘をつくとは戦国時代が終わった日本なのに、こんな嘘があるなんて恥ずかしながら今までこの年になるまで知らなかった。まるで今の日本列島みたいだ。

「老後は年金生活ができると誰が言ったのか」現実はたった七万円で施設を利用できる人は一人りもおるまい。それでも「国民は最低生活の文化生活を営むことができる」日本国憲法も虫の声ヨ。騙されたカラ船にのって死ぬよりカチカチ山の狸ではないが、まだ形ある泥船に乗って死んだほうがマシヨ。死んで花実が咲くもんかい。

       

「手の届かない痒いところを掻いてくれた人、又こんな人に出会ってよかったと言ってもらうようになろう」職員には口癖のように言っているが、生きとるうちに温かい生活保障をせにゃあ、死んだら「ありがとう」と言う感謝の言葉もでないよ。


 

今のミノモンタの報道を考えると社会保険庁に対する怒りは頂点に達した。

        社保庁にワシの年金と幸恵の年金をやりたくない

        幸恵は年金を約40年間あまり掛け続けても一度も貰えなかった

        配偶者のみしか貰えない遺族年金制度

        遺族年金は子供たちにはもらえない

        ワシのやりたいことは個人的に85%やりとげたと思うし、老後を考え始末しながら貯めた預金が相続税に取られるより生きがいを感じる生活に使い果たしたい

        ワシは嘘をつくのは嫌いだ。正直者は見栄もないし、恥もないと思う。一つのパンを独り占めするのでなく皆で分けて食べたい、そんな人と出会いたい。

        ワシのホームページを読んで共感してくれる人がおればエエがのう

        熟年離婚がはやっている昨今だが、割り切った話しかもしれないが癒しの生活保障と介護保障の交換した生活がしてみたい

  こんな理由で配偶者には籍を入れることを望んでいる

 

今、皿を洗っているときが一番虚しいよ。無意識で呼吸をしている不随運動は寂しさを感じないが、好き嫌いを意識しながら独り無言で食べるのは静かで寂しいもんヨ。

元気なときはエエがワシのこれからの生活の送り方はワシが決めんと後悔するようになるけえのう。

幸恵と二人で築きあげたすべてのことは個人的には85%完成したと思うが、しかし幸恵は亡くなってしまった。

集団生活は嫌いだ。今日もある施設で誰でもが、やっている行動を手間がかかると、言って精神病院に強制入院させたらしい。「可愛そうにのう」馬鹿らしい話であるが、市場原理の福祉を理解しない素人集団が利益を追求するあまり行動をおこしているのじゃろうが「相手の心に目線をあわせ、人の心を思いやる福祉を優先する」ワシらにはとても考えつかない話ヨ。小さな家でもワシのこれからの生活は良き女性にめぐり会い、新しい伴走者と二人でビールを飲みかわし安心して暮らしたい。

 

ツバメ夫婦が泥とワラを混ぜ合わせた巣作りをし、卵も夫婦で交互に抱き、卵が孵ったときはパンダの赤ちゃんのように小さな5羽の雛が傷つかないようにしながら夫婦が交互に餌を与え、一番先に孵った雛はあとから雛にはエサをとられようとするが、親ツバメは方向を変えるなど工夫しエサを平等に与えていたが、いったん巣立ちをすると不思議に親夫婦は古巣には二度と子供たちを近寄せないが、南国に帰るときは仲良く親子で集団をつくり南国に帰っている。これが自然の法則であり、ワシの二人の子供の智と幸代にはツバメ親子と同じように親の力をかりずに社会に通じるまでの能力をつけたし、少々の物も譲ったし、墓も作ったし・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 


これから先、一人で残された人生を生きることは辛くて、寂しすぎる。

妻になってくれる人がいれば、そばにいて愚痴でも聞いてもらい話がしたい。一緒にビールを飲み食事をしたい。

「ワシがやらなきゃあ誰がする」強気に言っていたが、幸恵がいなくなって何もかも止まりそのままよ。

二度と訪れてくることがない大切な時間だからお互いに心ゆたかに楽しく過ごしたい。   

 

 

 

 もしかして配偶者になられる方がいる場合への希望

        素朴で女らしさがあり、今まで苦労した人がエエのう

        健康で運転が出来、タバコを吸わない人

        年齢は55歳以下で介護が必要になっても怒らないで、接してくれる人。相手の気持ちにおきかえたらすぐにわかるように、認知症が理解できる優しい心の持ち主ならええ。

        もし残された財産があるのなら配偶者と智と幸代で相続してもらいたい

        配偶者が亡くなったら○○の家はワシの子供の智か幸代の名義にしてもらいたい

 

 

 今後の二人の生活

        何かわからないが共通の夢をもつこと

        共通のカスガイが必要

        趣味 何でもエエが好きなものがあればエエ

        動物を飼ってもいいし、エビなら業がないがのう

 

 

 

 

 

 


今からの世の中は「癒しの生活保障」と「介護保障」の交換時代になろうてい

 

        親の面倒は嫁でなく娘でなくては成り立たないことは○○勤めで十分わかっているからのう。しかし、娘は嫁にだしたんだし幸恵がなくなった今ワシがしっかりしていれば、もしかしてよき伴奏者に出会ったらその時は自分の願いをかなえたい。

        夫婦は健康な方が相手の世話をするのがあたりまえだが、渡辺が言うように老ろう介護、認認介護は不可能と思うので、年齢は55歳以下の人を望みたい。訪問介護・訪問看護・訪問リハ・訪問入浴などの介護保険を利用した在宅介護生活を望むので、どちらかが介護が必要になったら二人が協力して二人の夢を一緒に目指しながら介護生活が楽しい環境にして、お互いに二度と訪れない人生を幸福に過ごしたいと思う。

        今更、苦労しなくても「子供に面倒を見てもらえばエエが」という人もいるが今まで自立していなかったワシが恥ずかしい思いがいっぱいじゃが、色々な家族を見てきたがやっぱり妻(伴走者)には勝てんよ。

 

        みんなが「定年がないからいいネ」と言われるがワシは一度も思ったことがなかった。むしろ「早くやめて第二の人生を歩み楽になりんさい」と幸恵のお母さんが葬儀の時に言われたときびっくりしたが「今それどころじゃないよ」と思ったヨ。

         

        結婚式も仲人がいなくなり内々で披露宴をする世の中になり家族葬もはやってきた。

        健康なときはエエが年をとったら、伴走者が必要なのに、いない年寄りは可愛そうなもんよ。○○施設の老人が二人(男女)でトランプの神経衰弱を楽しんでいたよ。惚け防止だと笑っていた。

        気がつけば老おいたシーズー犬のコロが、唯一ワシの心の癒しになっている。

 


 

生活資金の条件

 配偶者の受け取り年金よりもワシの遺族年金が高くないと話にならんはなしである

 

   身勝手な条件を、理解する人は少ないじゃろうてえのぅ・・・。

   やっぱり、ワシを信じて黙ってついてきてもらえる人がエエ・・・。

       

金をばら撒いてもいい花が咲くもんかい。そりぁそうじゃ、土地を改良して肥料をやり、水をまき、太陽の光があって初めて植物が成長するのに、そんな自然の法則を知らずに政治、経済がなりたつもんかい。自然の法則を知っていれば高齢社会がおとずれることは明確であったのに、必要でない厚生年金会館やグリンピアや後継者も確保できない農村地帯を高速道路並みに作り、利用もしないバイバスをつくる道路等の発想はただ当選したい政治屋が考えたことであるが、反省もしないで今日も総理大臣が何兆も補正予算をつけると言っているが埋蔵金か何かわからないが、倒産企業が増えているから税収入も少なくなるじゃろうに。新しい産業に力を注がなければいけんじゃろのう。金庫が空にならにやぁエエがのう。



☆☆☆お前、何考えておるのか「介護は心よ」誰が言ったのか覚えているのか?「お前自身じゃろが、そんなケッチな中途半端な条件でいい人がくるもんかい、お前の人柄をみている知り合いが、いい人をお世話をしてくれるよ」と今日言われたよ。「そりやぁそうじや」、ワシもそう思うヨ。
「2008年12月12日」

☆☆☆二次会にいったら、よく人の話を聞き感じのいい人がいた。後悔しないように自分が出来る限界まで長年親の介護をして婚期を逃したらしいが、それでも明るく前むきに生きていく姿は可愛く、やさしくて信頼できる人のようだった。看護経験があり、ワシのことも十分知り尽くしているから「この人ならイイな」と思って年齢を聞くと〇〇歳の若さだった。もしかして、くると言われても年齢が離れすぎているので断念したほうがエエかものう。
「2008年12月16日」

☆☆☆30年ぶりに出会ったので焼肉屋で食事会をしたがお客がいなかった。今までこんな殺風景は一度も見たことがなかった。なんでや規制緩和のあおりがこんな小さなところまで押し寄せているとは信じられなかった。30年前に離婚した彼女は、誰の助けもうけず子供三人を成人に育てあげ、長男は産業界で厳しいエエエ電気の店長をしているらしい。その長男は「毎日従業員の30名に声をかけ「ご苦労さん」の一言を言って又次の日には違う従業員の30名に「ご苦労さん」と言って従業員全員に声を掛けている精か、仕事場の雰囲気が活気ついて安定しているらしい。
「そりやぁそうじや」、ワシもそう思うヨ。
「行動範囲半径25メートル以内にワシの将来の伴走者がいるらしいから、今日から長男と同じように社内の職員を毎日褒めて歩かなければ業界に取り残されるし、配偶者候補の出会いもないヨ」と言われたよ。五人で先週のスタンドに行った「メールは読んだかね」と聞いたら「読んでいない」と答える。やっぱりネ、ワシばかりが先ばしり世の中には色々な考えの違いの人がいると知らにゃあのう。しょうがないワシも再会した彼女の長男の行動を真似をせんと明日に繋がらんけえのう。
「2008年12月19日」

☆☆☆二日続けての忘年会で少々肝臓も弱ってきたかも。初めてあった仲間の奥さんは人間関係の豊富な人で人生相談に応じているらしく口調もきびしく、はっきりして「物じゃあないのよ。人間愛はあれこれの条件で成り立つもんではないのよ、捜すような考え方はやめなさい。これからも長い人生を送るのは独りでは寂しいと思うし楽しく生きなきゃあネ。嘘もつかず自分の思ったことを素直に行動していればいい。もし、いい人に巡り会ったら一緒になりんさい」と言われたよ。「そりやぁそうじや」、ワシもそう思うヨ。まるで細木かず子に似た気性な彼女はカラオケが好きでセミプロらしいが、歌手の天童よしみ、みたいな容貌だったヨ
「2008年12月20日」

☆☆☆今日は生憎の雨だったが風ないので釣りを決行した。霧が深くレイダーを頼りに魚場に着いた。小さいメバルを天高く逃がすとカモメと鳶が捕りあいしているうちにメバルは海深く逃げていった。お互いに譲りあって食べればエエのにのう。自然がワシに教えてくれるヨ。昨日、天童よしみか細木かず子みたいなおばさんが「もし、いい人に巡り会ったら一緒になりんさい」と言われたよ、と言ったら「ものの言い方があるもんじゃのう偉いのう、人生は偉い奴と付き合わにゃあ損するのう」と笑っていた。「そりやぁそうじや」、ワシもそう思うヨ。
「2008年12月21日」


☆☆☆アルコール中毒の息子をもつワシの幼なじみの悪友から二、三日頻繁に朝晩と電話が掛かってくる。「どうしたんかい」と聞くと「利用している事業所から、これ以上あなたの息子のことは関知できませんし、利用されるのも自由で利用されなくても結構です」と言われたらしい。 真実を聞くため事業所のケアマネジャーに電話した。「特定疾病でない限り介護保険の対象にならないのでホットけばエエ」と言うと、「配食サービスの弁当を息子に食べさせている姿は黙ってみておれません。何もできない要介護4の奥さんが我が子を思う気持ちがよく理解できるし、奥さんが栄養失調にならないようにしてあげたいです」と涙声で訴えてきた。「そりやぁそうじや」、ワシもそう思うヨ。
しかし、「これは行政のやることじゃし、知れば知るほど狂っている社会保険庁の仕組みは「今だに改善されない国だから」へたに手を出して事件が起きたら、「なぜ区役所に相談しなかったのか」報告義務責任を追求されるだけで、優しさがあだになるけえ、やめていた方がエエじゃろうてい」と言うと、「そこをなんとかしたい、事件が起こるのが怖いのです、助けてあげたいのです」と言われたよ。この世の中はまだまだ捨てたもんじゃないのう。こんなせちがない世の中に、人生の思いやりをもつ女性がいるとはのう・・・・・ 今日はクリスマスだが線香の香りをつまみに飲みながら独りでギターを弾き、彼女の健闘を祈りたいものよ。
「2008年12月24日」

株も百年に一度あるかないかの暴落になり年末には数々の企業倒産で日本の社会保障も危なくなるだろうのう

        株が下がり、今日○○と話をしたとき「種を撒いて花が咲くまで待たんと駄目じゃのう」と言うと「ワシには後がない」と言う

        ワシの金じゃのにペイオフ制度をつくるような、がんじがらめの法律社会より人に迷惑かけなければ「自由な社会」で心豊かに生きたいもんよ。海はエエのう信号がないけえ

        よう考えればボートは株で買い、最後のボートは○○○○のアルバイトの報酬で買った。

        お上を信じてきたのに適当に改ざんし、税金はバンバンとるが生活保障は大丈夫か

        定額給付金を出すと言っているが毎年でるのかねぇ、所得税はどうなるんやぁ

        介護保険料を二十代に引き下げて取ると言っているが、少子高齢化社会で介護者がおるのか

        勝手に思うのは自由じゃが約束はチャント守らなければ、介護保険料は掛け損にせんでくれよ。


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2008/12/21