松山城

                    松山城の築城に着手したのは西国大名であった加藤嘉明公ですが、広大な平山城の完成直前に会津藩へ
                    転封となりその後蒲生忠知公が完成させました。その後松平定行公により1642年に天守は五重から三重に
                    改修され、残念なことに1784年の落雷で焼失しました。
                    現在の大天守は黒船来航の翌年1854年完成した江戸時代最後の完全な城郭建築です。




松山城は標高132mの勝山山頂に本丸がある広大な平山城です


加藤嘉明公築城時は5層の天守。今は3層に縮小された。残念!


梅の花がきれいに咲いていました。


我が国の代表的な連立式城郭と言われている。


天守広場より伊予灘を望む。素晴らしい眺めです。