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  躾(しつけ)
 最近、子供たちを犠牲にしたいろいろな事件が起っている。親が自分の子供を虐待したり殺人まで起している。まさに、子供受難の時代だ。こんなニュースを聞いていて、人間のそこまで知能の無い犬やネコなんかの動物がここまでやるだろうかと考えたりする。 動物は本能的に我が子をかばおうとするもんだ。
 犬を可愛がるということ、これは、ひとえに躾に始まる。
 ワンタの場合もそうだった。我が家に貰われて来て直ぐに、夜、枕もとで、小さな体つきでピッピッと小便をしたことがある。ほんの少しの量で可愛いもんだったが、躾ということで、瞬時に、ワンタの小さな背中をピシリと叩いた。ワンタはキヤインとばかり部屋の隅に逃げていったが、この時以来、死ぬまで、家の中で大小便をすることは無かった。木枯らしの吹く寒い日でも、何時でもトイレの時は、玄関口でチョコンと座って「外に出たい」と待っている。気分が悪くて、もどしそうになる時も、サンルームのガラス戸をガリガリやって開けてくれという。開けてやると、庭の隅で、背中を丸めてもどしている。そんな姿を窓越しに見ていると、「そこまでやるか」と感動まで覚える。そして、部屋に戻って来たワンタに対して、大丈夫?とばかり家族の皆んなから心配してもらえる。そして、優しくいたわられる。ワンタは生きている時、大変幸せだったと思う。そして、この幸せは、ワンタ自身が掴んだ幸せだと思う。それは、また゛何もわからない時の一つ一つの躾が身について、家族と犬との共同生活がうまくいったからだと思う。
 
 躾(しつけ)・・・人間の場合、最近出来ている? ふと、そう考えたりもする。 :
最後のワンタの思い出
この籐のソファの隙間や座布団の下に、ワンタはよく、自慢していた食べ物を隠していたっけ・・・。
  ワンタの自慢ぐせ
 ワンタと永いこと一緒に生活していると、この犬のいろいろな性格とか癖なんかがよく見えてくる。今でもよく覚えていてて、懐かしくその表情を覚えているひとつにこんなことがあった。
 どんな動物でも同じようなことだと思うのだが、食べ物を与えて、それが満腹なんかでその時食べたくない時など、コソッとその食べ物をどこかに隠してしまうことがある。ワンタも同じで、籐のソファの背もたれと座る所との間やサンルームの片隅にそっと忍ばせて隠してある。ソファに座っていて、ふと手を座布団の端にやるとビスケットやらジャーキーやらいろいろ出てくることがあった。そんな時、野生本能の残る犬知恵をほほえましく思って、また元通りにしておいてやったものだ。

 畳の上に寝そべって、新聞やら読書を静かにしていると、相手にされていないからなのか、ワンタがやって来る。そして、広げて読んでいるところの新聞紙の上にデーンと横たわって、隠していた食べ物のひとつを持って来て食べ出す。その時の表情は、じっと観察しているとこれまた微笑ましい。まるで「,自分は、こんなおいしいものを持っているぞ、お前にはやらんど」という自信満万の仕草なのだ。食べながら、チラッ、チラッとこちらの様子を伺っている。取ろうとすると本気でウーと怒る。「取られていやなんだったら、目の前までおいしいものをもってこなければいいのにー」とみんながこれを体験している。新聞が読めなくなったものだから、ついワンタをからかう、そして、あっという間に自慢のものを取り上げて隠す。
 すると「どこいった、どこいった」とうろうろ探しまくる。可愛そうなのでしばらくして出してやると、今度は黙々と食べ出す。決してワンタは、目上の飼い主に、自分のものを差し出すことはなかった。中野孝次の「ハラスがいた日々」の動物随想物語には、ものを分け与える犬も登場していたけど。

 ワンタがいなくなって1年半が経過する。もうだいぶ、家族のみんなの記憶から忘れられようとされている今日この頃、かってワンタが後から食べようとして隠していて硬くなったビスケットがソファの隅から出て来た。ワンタの思い出が、懐かしく脳裏をよぎったものだ。