平成19年6月29日〜7月4日。わが娘とパリに旅行してきた。3日間のパリの街散策を楽しんで来ました。本当に行けた・・・今でも信じられない・・・とても充実した二人旅!! 2ヶ月間かけて計画を練り上げ、宿泊ホテルは街中の一番中心地にある(バスにも地下鉄にも乗らずに観光名所を歩いて回れる)「ルーブルモンタナ」というプチホテルに決める

11時50分、関西空港出発。
この度はツアーでもなく添乗員もいない。空港からホテルまで、送迎の現地の係員だけが頼りの二人旅なので、少し不安ではあったがパリ2度目の娘がいるしとにかく出発。
パリでは普通のパリジェンヌのように、スーパーで買い物をしたり、美術間巡りを楽しもうと娘と話す。
エールフランス航空のパリ直行便。パリのシャルルドゴール空港までは約12時間。気長にゆっくりと機内で過ごすことにする。まず驚いたのは、2回の機内食のほかに飲み物とカップヌードルはすべてセルフサービスで、自由に飲食出来ることだった。食いしん坊の私としてはラッキー。機内の中ほどに数種類の飲料水やワインのボトルと紙コップが置いてあり、皆自由についで席に持って行く。カップヌードルは乗務員がお湯を入れてくれた。「うどんですかい」という大阪のうどんのヌードルでスープがとてもおいしく、さすがヨーロッパは合理的と感心しきり。12時間の旅も楽しく過ごし、出発前の不安は吹き飛ぶ

機内スクリーンの地図では、ロシアが映り、モスクワ、そしてスカンジナビア半島が見えてきた。パリが見えるー。いよいよ到着。時差は8時間、夕方5時着。とうとう着いた。流れに沿って歩き荷物を取って、出口で待つ。少し遅れて現地の人が迎えに来てくれた時は一安心。乗用車でホテルまで走る。空港からホテル(街中)まで約1時間、運転手は50代の男性で案内は西田さんという30代の女性の人。車の中でフランスのことについて教えてもらう。「学校は水、土、日曜日が休み。試験の点が悪いと小学生も落第があるとのこと。日曜日はスーパーマーケット休み。コンビ二はない。治安もあるが5時過ぎは働かないという考えがあるらしい・・・。」やがてホテル到着。

西田さんに手続きをしてもらい、2階の2号室の鍵をもらう。フランスでは、階の数え方が日本と違い0階から始まる。日本の1階を0階として数えるので2階は日本では3階にあたる。また驚く。エレベーターがかわいくて中がピンクで、3人でいっぱいになるくらい小さい。鳥かごのよう。「このホテルは、とても足周りの良いホテルですよ。パリの3日間を楽しんで下さい。4日目の朝迎えに来ます」と言って西田さんが帰っていった後、さすがに二人だけ残り、少し不安になったが、さあ楽しむぞ。部屋は天井が高くとても広い。窓も縦長でとても大きい。パリの夜は、午後8時でもまだ明るいー。荷物を置いて少し街を散歩。教会やお土産屋、ジュンク堂書店もある。人通りも多い。
 サッポロラーメンという看板の店で塩ラーメンとチャーハンを食べる。とても庶民的な店で、隣の席では、黒人の姉と弟(10代)が器用に箸でラーメンと餃子を楽しそうに話ながら食べていた。少し楽しくなった。さあ、明日から楽しむぞ。

朝7時半にレストランで朝食をとるため、エレベーターに乗り、0階のボタンを押す。不思議な感じ。フロントの人に「ボンジュール」と挨拶をしてレストランに入る。窓際のテーブルに二人で座る。すぐに、背の高いシュッとした黒人の女性がニコニコして、コーヒーの注文を聞いてきた。「カフェ ウイズ ミルク?」と聞くので、「イエス」と答えると、すぐに、コーヒーと熱いミルクの二つのかわいいポットがきた。「会話が通じた」よかったー。あとはバイキングでパンやジュース、ヨーグルト、そしてクリームチーズも美味しかった。生の卵を小さい丸い金網に入れて、四角い電熱のお湯の中で15分つけてゆで卵を自分で作ったことは面白かった。

朝食後、8時半に「ベルサイユ宮殿半日観光」を申し込んでいたので、早速出掛ける。「マイバス社」と書いてある事務所に集合。ホテルから歩いて5分のところにある。日本人のスタッフが3人いるので、旅行中もし何かあったらここに駆け込めばいいなと思う。

 8時半、日本人の観光客20人位と一緒にバスに乗り込む。車は左側通行なのでバスの右側から乗る。変な感じ。パリの南西20キロのベルサイユという街に向けて出発。案内は50代の日本人の男性。早速説明をしてくれる。コンコルド広場の横を通る。この広場で7月14日に革命記念日の式典が開かれ、今回はサルコジ新大統領が初めて出席するとのこと。会場準備のためか机と椅子が重ねて置いてあった。式典ではサルコジ大統領が椅子に座って3秒後に音楽が鳴り出すそうだ。だから、楽団の指揮者は、大統領がいつ座るかと目を離さず、今か今かと見ているそうだ。

凱旋門の横を通る。門の側面にはナポレオン軍が闘っている大きな彫刻があり、びっくり。ここは車の通りが激しく事故が多いので、常時パトカーが待機しているそうだ。森の中を通過する。ブローニュの森だ。当時の貴族達が狐狩りを楽しんだらしい。軽井沢のような感じでとてもきれいな森を抜けるとベルサイユという街に着く。しばらく走って「さあ、ベルサイユ宮殿に到着です」と案内人のアナウンスがある。

「えっ」ここが。豪華な宮殿だからさぞかし外観も派手な建物だろうと想像していたが、パリの建物と同じベージュ色の壁にシンプルな窓の外観。屋根に十字架がある教会のような建物もある。団体の観光客も大勢来ていた。バスを降りて入り口まで100メートル位歩く。石畳だ。小さい四角い石が敷き詰めてあったがでこぼこしていて歩きにくい。相当古い歴史を感じる。入り口には太陽の彫刻がある。ルイ14世は自分を太陽王と言っていたらしい。順路に沿って中を見学する。部屋はどこも大きな絵がかけてあり、天井にも豪華な絵が描かれていた。修復したばかりの鏡の間を通る。左右に豪華な大きな鏡が並び、

とても高い天井には豪華なシャンデリアが下がっていた。ここでマリーアントワネット暮らしていたのか。と何度も納得する。窓の外にはたくさんの花が咲いている庭が見える。

出口のお土産店で、来年のベルサイユ宮殿のカレンダーを買う。バスに戻る途中、黒人の人達がお土産物を持って寄ってきた。対応に困り、急いでバスに戻る。

昼前にマイバス社に戻る。ホテルで一休み。正午の教会の鐘が聞こえてくる。ヨーロッパの雰囲気を感じる。ゴーンとは違う鐘の音。部屋でカップヌードルとパンを食べる。ホテルの部屋の窓から、コンコルド広場の大きな観覧車の半分が見える。写真をパチリ。コンコルド広場は、フランス革命の時に、ルイ16世やマリーアントワネット等大勢の人が断頭台で処刑された広場だ。今では平和を願って「調和」という意味のコンコルドという名前をつけたらしい。

いたるところに彫刻がおいてある。エジプトからオベリスク(鉛筆のような細長い塔)が贈られた。人通りも多く車もとても多い。

シンプルな昼食後、エッフェル塔見学に出掛ける。地図を持ってコンコルド広場を抜けてセーヌ川沿いに歩く。天気が良くとてもさわやかな風が吹いている。セーヌ川の川幅はそう広くはない。観光遊覧船が走っている。乗客が気持ち良さそうにデッキで手を振っていたのでこちらも手を振る。本当に今パリの街にいる。セーヌ川を渡っている。本当?何度も二人で確認する。信じられないが本当に来たんだなあーと何度も思う。20分程歩くとパッシーという地区に着く。見えてきた。見えた。よくガイドブックやテレビで見るパリのシンボル「エッフェル塔」だ。満面の笑みを浮かべ、さっそく二人で見上げながら近づいて行く。1889年パリ万国博覧会に革命100周年を記念して建立された。高さ324メートル。綿密に計算された何本もの鉄の線で構成されており、「鉄の刺繍」と呼ばれている。設計は鉄骨高架線技師のギュスターブ・エッフェル氏。死者を一人も出さずに2年2ヶ月という速さで完成させた。塔の足元にエッフェル氏の胸像が立っている。

ブロンズ色で下のアーチがとても優雅で綺麗だ。本当に細かい模様の刺繍のようだ。

しばらく見上げて感心する。塔の下には、土曜日の午後でもあるのか本当に大勢の人達が展望台のエレベーターを待って長い長い列を作っていた。塔の4本の足のうち北柱と東柱に乗り場があり、塔の足に沿って登っていくケーブルカーのような感じでかっこいい。

チケット売り場の二箇所の前にはすでに長蛇の列。せっかく来たのだから待っても展望台に登ろうと娘と相談。列の後ろに並び待つことにする。フリータイムなので時間はたっぷりある。1時間半位並ぶ。その間ゆっくりとじっくりと下から塔を見上げる。また並んでいる人達、家族連れ、カップル、いろんな人種の人達、各国の人を見る。子供達の表情も面白い。真ん中で一人の白人の20代の男性が「FREE HUG」と書いてある大きな紙を高く差し上げて立っている。何だろうと見ていると、すぐに人が寄って来て笑顔で抱き合って写真を撮ったりとても楽しそう。すると次々に彼によって来る。さすが、フランスだな。各国のあかの他人同士でもすぐに打ち解けて楽しそう。日本では考えられない光景だ。

さあ、やっとチケット売り場だ。娘に2枚買ってもらう。1階展望台(ファーストフロアというらしい。ワンフロアでは通じなかった。)しばらく待ってケーブルカーに乗って塔の足に沿って登って行く。着いた。セーヌ川や、町並み、公園がよく見える。国営のラジオ局ケネディラジオフランスも見える。売店もある。

しばらくしてまたケーブルカーで降りる。チケット売り場の前は相変わらず長蛇の列。ああ、少し疲れた。近くにクレープの屋台がある。娘がチョコクレープを買ってくれる。とても大きい。エッフェル塔をながめながら、セーヌ川の橋の上で二人でクレープを食べる。遊覧船ものんびり走っている。クレープのチョコもまろやかでとても甘い。時間がゆったりと流れている。

本当にパリにいるんだなあ、今更ながら随分遠くへ来たものだと思う。さあ、もう午後4時。ゆっくり歩いて戻ろう。セーヌ川沿いに歩く。何度も後のエッフェル塔を振り返りながら歩く。本当に綺麗な塔だ。ブロンズ色がとても優雅で美しい。エッフェル塔に別れを告げる。すると、娘が「凱旋門が見たい」と言う。地図を見ながら車の多い通りをしばらく歩き、やっと見つける。

ああ、本当に凱旋門だ。白くて堂々としている。表面に大きな彫刻がある。軍隊の勝利と栄光をたたえるための建造物。古代ローマ帝国の建築に由来するらしい。門の横の大きな道路では、車がすごいスピードで走って行く。確かにパトカー一台とポリスが数名待機していた。「フランスのパトカーだ」と二人で感動。門の上に人が見えた。上に登れるらしいが、入り口がわからないし、もう6時だからホテルに戻ろう。

とてもにぎやかな通りに出る。ここが有名な「シャンゼリゼ通り」だ。おおシャンゼリゼーと歌いながら歩く。いろいろな人種の人達が歩いている。そしてパリの店は今まさにバーゲンセールの最中だ。店をみたり、とても大きなCDショップで試聴したり、ウキウキ、ルンルン。

でも、通りの端に物乞いの人が座っているのを見て驚く。黒い服で黒いスカーフを頭に巻いている女性や、犬と一緒に座っている老人もいた。前には紙コップを置いて下を向いたままじっとしている。そして、犬だけがチョコンと座っていてやっぱり前に紙コップが置いてある。犬が可哀想と娘と話す。パリの「光と闇」を見てしまった。紙コップの中に入れて欲しいのはジュースではないだろう。

ああもう午後8時だ。でも、とても明るい。地図を見ながらコンコルド広場を目安に戻る。建物が同じ形、色で判りにくいが、前方にオベリスクが見えた。良かった。コンコルド広場もまだにぎやかだ。観覧車や公園も家族連れが多い。本当に白夜なのだ。初めて経験する。

さあ、ホテルに着いた。今日はとても充実していた。二人でなんとかなった。エッフェル塔に行けただけですごい。途中のスーパーで買ったサラダとパンと梅がゆのカップヌードルで夕食。食事は質素。ああ面白い一日だった。よる9時半、外はまだ明るい。夜11時でも夕方のような明るさ。ホテルの前の道路は両端に車がズラリと駐車していて真ん中が一方通行で車がどんどん走っている。パリの街中は車がすごいスピードで走り、警笛もよく聞こえてくる。車も、前後左右ぼこぼこになっているものもよく見かける。

今日は、かの有名な「ルーブル美術館」に行く。昨日「マイバス社」のスタッフの人に聞いたところ、「毎月第一日曜日は、パリの公営美術館は入場料が無料になる」とのこと。いいことを聞いた。

さすがフランスだ。太っ腹。市民に無料で開放して美術に親しむ機会を与えるのだろう。

朝食後、さっそく出掛ける。ホテルから歩いて10分位だ。車の多い通りを渡り、その建物が見えた。9時5分前。9時開館だが、もうすでにここも長蛇の列。無料だから多いはずだ。娘と列の後ろに並ぶ。たくさん見たい絵画があるぞ。人込み、混雑も覚悟する。

しばらく待つと列がどんどん進みだす。急いで走って前についていく。ガラスのピラミットの入り口から入る。持ち物を検査の機械に通すとも、もう入場できる。チケットを買わなくてもいいのでどんどん入れる。ぞろぞろと人々が入っていく。階段で下に降りる。ここから見学のスタート。上を見上げると何枚もの小さいガラスを貼り合わせた三角のピラミッドを通して青い空が見える。今日も晴れているので、ガラスを通して見る青空はととても綺麗。これがパリの空だ。感動。

ルーブル美術館」は、世界最大級の美術館のひとつ。12世紀にパリの要塞として建てられ、その後、何代もの国王の手を経て、19世紀ナポレオン3世の時代にルーブル宮殿として完成。1793年(革命後)王室のコレクションやナポレオン1世の戦利品等を展示する美術館として市民に開放。現在では、古代エジプト、ローマ、ギリシャ、ルネッサンスから19世紀ヨーロッパまでの、絵画、工芸、彫刻等の名品30万点以上が貯蔵されている。中庭ガラスのピラミットの地階に案内所があり、館内は3つのブロック。ドノン翼(どのんよく)彫刻、古代ギリシャ、ローマ美術、イタリア絵画等シュリー翼(しゅりーよく)古代オリエント、エジプト美術、14世紀〜17世紀のフランス絵画やルーブルの歴史、リシュリュー翼(りしゅりゅーよく)イスラムを中心とした東洋のアンティークや、中世から19世紀のフランス彫刻、オランダやドイツの絵画。

地階は広く、中央に各国の言葉のパンフレットが置いてあり、早速日本語のパンフをもらう。日本語版は端が紫色。国ごとに色分けしてあり、「見ているパンフの色でその人がどこの国のひとかがわかるね。」と娘が言う。

 さあ、見学、まずはモナリザを見るぞ。三つの翼入り口はとてもわかり易く大きく表示してあり、有名な作品、モナリザやミロのビーナスサモトラケのニケは大きな写真と矢印がついてありとても判りやすい。モナリザの矢印に沿ってドノン翼へとエスカレータを上がる。写真と矢印がところどころにあり、誘導してくれる。途中、大作の間に入る。とても大きな絵がある。ベロネーゼ作「カナの婚宴」だ。人物が等身大。聖書の一説の物語の絵でキリストが水をワインに変えた奇跡を描いている。衣装の絹も見事に現している。椅子にすわってしばらく鑑賞する。すごい。深い。さあ、次に進む。人だかりが見える。

モナリザの絵が見えた。ルーブルのコレクション第一号、最高人気の本物を見る。あまり大きくはないが本物の迫力、目の力を感じる。じっと見られている気がする。さあ、次々と名画を探して見て歩く。

ジェリコ作「メデュス号の筏」、ドラクロア作「民衆を導く自由の女神」等見たかった物ばかり。宗教画も多い。キリストが張りつけになったものや、軍記物等残酷で怖い絵もある。聖書の一説のような物語の場面の絵も多い。聖書を読んでみたい気になる。

一番みたかったのは「大工の聖ヨセフ」暗闇の中に幼いキリストが、ろうそくを持ち、大工仕事の父親ヨセフの手元を照らしながら二人で話をしている。ろうそくの薄明かりで二人のおだやかな顔が浮かび上がっている。とても感動的な絵。これが本物だ。ミロのビーナスや、サモトラケのニケももちろんしっかりと見る。ガラスのピラミッドの地下に降りれば、判りやすい。地下への通路もわかり易く案内が何箇所もが貼ってあるので、迷うことはなかった。地下に降りてまた3つの翼から見たいところへ行ける。作品にナンバーがついているのでパンフを見ながら探せる。ルーブルは世界中の観光客にとても親切だと感じた。地下には、お土産屋、レストランもある。庶民的なカフェで、チーズサンドとオレンジジュースを注文する。黒人の若い男性ウエィターがニコニコして注文を繰り返す。「チーズサンド ワン、オレンジーナ ワン、オッケー」と言って、しばらくして大きなフランスパンのサンドとオレンジジュースと紙コップを持ってくる。そこで支払いをする。

「通じた、注文出来た。うれしい」二人でゆっくり食べる。大きいサンドなので二人でちょうど良い量。ルーブルでランチをするなんて、信じられないけど、本当だ。お土産も買う。小さい画集とモナリザの絵の扇を記念に買う。レジの人が支払いの後「セシボン」と言って微笑んだ。さあ、午後も見て歩くぞ。

ルーブルには、朝9時から午後4時半までいた。出口は中央のらせん階段をぐるぐる上ってピラミッドの外に出る。ああ疲れた。絵画の放つオーラはすごい。作者の念のようなものを感じる。ホテルに戻り、娘は2時間ほど眠っていた。ああ疲れたけどすごい。質素な夕食後、夜8時半、コンコルド広場の観覧車に乗ろうと大通りを渡り、広場に行く。もう夜の9時前でも明るい。大勢の人や家族連れが楽しんでいる。並んでチケットを買っての乗り込む。何と簡素な物か。向かい合って座る丸い椅子と小さい丸い屋根がついているだけで、風がまともに当たる。かなりの高さまで上がり、ながめもとても良いが、最初は怖かったが風を受けて面白い。ゆっくりと二周する。次に、娘が高く回るブランコに乗ったので、写真を撮る。楽しそうに両手を挙げて回っている。さあ楽しんだ。夜の10時でもまだ明るく、大勢の人でにぎわっている。
 さあ、ホテルに戻って寝よう。今日は疲れたが、ルーブルを観てとてもおだやかな気持ちになる。

さあ、今日はパリ最後の日。パリジェンヌのように買い物や散歩にでかけよう。コンシェルジュリーに是非行ってみたかったので、朝食後セーヌ川沿いに歩く。20分程歩いて有名なボンヌフ橋を渡って到着。

セーヌ川沿いに建つゴシック様式の美しい建物。三角のとんがり帽子のような屋根の塔もあり、本当に中世のヨーロッパを感じる建物。元は王宮として建てられたが、フランス革命時に監獄として使われ、1200人以上の人が収容され、この場所からコンコルド広場の断頭台に送られた。マリーアントワネットもここで1793年8月〜10月の間76日間過ごし断頭台に送られた。中はとても広く天井も高い。でも、薄暗く当時の囚人の怨念のようなものを感じる。警備の間、衛兵の間、十字架がある祭壇もある。牢にはマネキンが何体か置いてあり、当時の囚人の様子がわかる。マリーアントワネットの独房には、後ろ向きで黒いベールを頭にかぶり、聖書を読んでいる彼女のロウ人形が置いてある。

その後に二人の兵隊の人形があり、解説によると二人の兵隊はマリーアントワネットの背後から、一日中ののしり、あざける言葉を浴びせ、彼女はただじっと耐え忍んでいたらしい。ベルサイユ宮殿での豪華絢爛たる暮らしから、なんと哀れな辛い日々になったことか。

ガイドブックで読んでいたので、是非見ておきたかった。本当に狭い部屋で過ごしていた。散歩は小さい中庭だけだったらしい。処刑の日はここから動物の死体を運ぶ馬車に乗せられ、市中引き回しにされ、処刑場のコンコルド広場へと連れて行かれたそうだ。マリーアントワネットの生涯にとても興味を持った。フランスの歴史も勉強してみたくなった。

さあ、次は地図を見ながら、フォーラム・デ・アールという若者向けのショップが集まっている所へ行く。20分位歩いて、見つける。地下に降りると多くの店が並んでいる。
 バーゲンもやっている。娘はピアノバッグ(のだめカンタービレに出てくる)や小物を買う。マクドもあり、柱がギリシャのパルテノン神殿のような白い柱でびくり。若い人が大勢並んでいた。

今日もとてもいい天気だが、時々にわか雨が降った。パリの人達はバッグから、しゃれた折りたたみ傘を出してさしている。通りを歩いてホテルに戻り、近くのチュイルリー公園でまたまた簡素な昼食。噴水が上がっている大きな池の周りの白いベンチに座り、ルーブル美術館のガラスのピラミッドを眺めながら、心地いい風に吹かれて、パンとジュース、ゆで卵、ヨーグルトを食べる。質素な食事だが、ちっとも辛くなかった。だって今、私達はパリの青い空の下でルーブルを見ているから。娘も、「ちっとも辛くない。刺激が多くて食べる物は何でもいいよ」と言う。本当は、レストランに入って高い食事代を請求されるのが怖いのだ。公園で現地の人達に「ニイハオ」とか「アニョハセヨ」と、声をかけられた。東洋人は皆同じように見えるのだろう。せっかく声をかけてくれたので、にっこり笑って手を振った。
 子供が二人、池に小さいヨットを浮かべて追いかけている。時間がゆっくりと流れていく。

さあ、次は有名なオペラ座に行こう

地図を見ながら再び歩き出す。車が多い

見えた。オペラ座の入り口の階段で娘の写真を撮った時、知らないおじさんも一緒に手を挙げて娘と写真に写ってくれた。建物に入って荷物を通し中に入る。音楽家の大きな銅像が三体置いてある。小さいお土産やで、記念のお土産を買う。さあ、今日もあっという間に終わった。

ホテルのそばのお土産屋でかわいいエッフェル塔のぬいぐるみを二人の旅行の記念に買う。家族へのお土産も買った。明日は日本に帰る。さようなら、パリ。又来るよ。

朝、10時に西野さんが迎えに来てくれ、車で空港へ向かう。

 天気は大雨で大荒れ。滞在中の3日間はとても良い天気に恵まれたのでよかったと思う。
 12時間の帰路の空の旅。機内に二組の赤ちゃんと母親が乗っていてびっくり。赤ちゃん用のゆりかごが座席の前にあるのにも、またびっくり。

8時半、関西新空港に到着。日本はもう夏、蒸し暑い。電車で新大阪へ。新幹線で広島へ、電車、車でやっと我が家へ到着する。

ただいま。我が家。6日間しか家を空けていなかったが、もう何日も過ぎた気がする。夏用の竹のカーペットが素足に冷たくてとても心地よい。

出発前日にはくちなしの花が1つし開いていなかったが、今日はたくさんのくちなしが満開で迎えてくれた。とてもよい香り。

途中で買ったコンビ二の弁当で昼ご飯を食べる。温かいご飯のなんと美味しいこと。

これが、本当の食事なんだ。感激、日本はなんと便利で住みやすい国か。再確認する。本当に充実した旅だった。

あれから、もう5ヶ月がたつ。今でも不思議に思う。本当にパリに行って来たのだろうか?テレビの上に置いてあるエッフェル塔のぬいぐるみ(3色上から赤、白、青)を見るたびに、ああ、本当に行ったのだなあ、と思い出す。また、いつの日か訪ねてみたい。飛行距離9、990キロの長い長い12時間の空の旅。体力と気力が必要。大変な労力。
 でも、そこまで出掛けないと見ることが出来ないものがたくさんある。これから、ヨーロッパの歴史、美術でも勉強しよう・・・。

パリ旅行記'07
パリ旅行記'07
パリへ出発!!・・・・・・・6月29日(金)
ベルサイユ宮殿半日観光・・・・・6月30日(土)
ルーブル博物館見学・・・・・7月1日(日)
コンシェルジュリーの見学・・・・7月2日(月)
帰国・・・・・・・・7月3日(火)
日本に到着・・・・・・・・7月4日(水)