4.神功皇后(1)
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峰起の鼻工房

海を渡る神功皇后(古事記のあらすじ)

  

 第十四代仲哀天皇は倭建命の皇子である。

  

仲哀天皇がオキナガタラシヒメノミコト(後の神功皇后)と結婚して生まれた御子はオオトモワケノミコトといい、後の第十五代応神天皇である。オオトモワケノミコ


トは生まれた時、腕に弓具の鞆の形がついていたのでこの名前がつけられたといわれ、生まれながらの武人であった。

  

その昔。仲哀天皇が筑紫の香椎宮で政務をとっておられた時に熊曾征伐を思い立った。そこで、神功皇后が武運を占うことになり、仲哀天皇は暗闇で琴を弾じて神を


招き下ろし、忠臣建内宿禰は御神託を授かるために待機していた。

  

やがて、神功皇后は神が乗り移って神がかりとなって神の言葉を発した。

  

 「西の海の向こうに金銀財宝に恵まれた国がある。その国をそなたのものにしてあげよう」

  

 ところが、この神の言葉を信じなかった仲哀天皇は、「偽りを言う神め」と言って琴を弾くことをやめてしまった。

  

 建内宿禰が気づいたときには、神の怒りをかった仲哀天皇はすでに亡かった。

  

 神の怒りを恐れた建内宿禰は神に捧げ物をして大祓を執り行い、再びご神託を問うと神功皇后の口を通じて神の言葉が発せられた。

  

 「皇后よ。そなたの胎内にあるは男子である。その御子がかの国を治めるであろう」

  

 「この御神託はどなたのお告げですか」と建内宿禰が問うと、

  

「御神託は天照大御神の御意思であり、また住吉三神の意思でもある。かの国を欲するならば、すべての神に供物を捧げ、わが魂を船に祀って船出するがよい」とお


しゃった。

  

 神のお告げに従って、神功皇后は新羅征伐を決意し、軍勢を集めて西海に乗り出した。大海に出ると魚たちが集まってきて船を背負って泳ぎ、船は追い風に乗って


たちまちのうちに新羅国に達した。皇后の軍団が半島に近づくと大波が起こり、新羅国を水浸しにしてしまった。神功皇后の威勢を恐れた新羅の国王は降参して神功


皇后の臣下になることを誓った。こうして、新羅遠征に勝利した神功皇后は、住吉三神の荒御魂を新羅国の守護神とし、百済国を日本の領土とした。

  

新羅国を征討して帰路についた神功皇后は、船中でにわかに産気づき、筑紫の宇美に着いて御子を産んだ。この御子がオオトモワケノミコト(後の応神天皇)である。



   「古事記」を歩く:佐藤 高 から

   

H22.08.23