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問い合わせなどは ku-maita@fch.ne.jp (@は半角)

  (2024.5/25)
 今回の遺体収容業務での警察の対応は過去の経験が生かされていない。

前著で私は条件が揃うと【第二次 十和利山クマ襲撃事件】が起こると言った。
大暖冬とか山菜採りの買い取り価格の上昇などだ。
 ヘリでクマを威圧して捜索、遺体収容しようとすると、加害グマのみならず、食害に参加したクマも周囲に拡散する。
 八幡平、玉川地区での遭難者収容時には警官個々の防備、拳銃の使用、あるはハンターの同行も考慮すべきだった。
遺体の収容が遅れると関係するクマが増えるのが特徴だ。
 今回と同じ事故が13年5月に福島県会津美里町で起こった。
警官2名、親戚2名で遺体収容に入り全員重軽傷を負っている。 警官は無防備、無腰だった。
警官の拳銃使用については異論が必ず出るが、1979年5月阿仁町で遺体に抱き着いているクマを警官が3発撃って回収に成功した。 山口県でも麻酔処理中のクマが立ち上がって5発で射殺した。岩手でも2発撃った例がある。 ただ120キロ級のクマだと31発撃って射殺しているなど、クマの状況によることは間違いない。 クマは脂肪が厚いから無理だという向きがあるが、イノシシの射殺は各地である。
 今回の現場は【大平】とつく過去は開墾地域だ。ユンボで道を開削するより8トンぐらいのクローラダンプの方が速攻性があったろう。
 大平には大豆畑は無いので今回、関係したクマは熊取平か、あるいは5月4日に釣り人が襲われた十和田山根方面に移動するかもしれない。
  (2024.5/21)
2024年5月 鹿角市十和田大湯大平 警察官遭難事故

 遭難者遺体収容時に警察官が襲われた事故での、遺体はクマに襲われて死亡したものだと
まだ確定していない。
2016年に発生した十和利山クマ襲撃事件での加害グマ、食害参加グマは 3年前までに駆除されたと私は判断している。
同事件に関係したクマが、まだ残存していて今回の事故を起こしたとは考えにくい。
 タケノコ採りが多数入りやすい状況、例えばインバンド需要でタケノコの値段が 上がっていることが考えられる。
鹿角市八幡平から田沢湖町玉川にかけては1970年代以降、現代まで クマによる死亡、特異事故が多発しており「攻撃的なクマ」の系統が存在すると考えられている。
 一方、山菜を採るという人の営みを安易に禁止するのではなく行政は人々を守る制度と、クマ研究者は 被害を防ぐ安価な機材を開発するべきである。
  (2024.1/2)
  2023年のクマ大出没は、なぜ起こったのだろう。後には6人の死者と200人を越える重軽傷者と共に、冬と言う外力の下に収束しつつ越年した。
  2016年初夏に秋田県鹿角市の十和利山の麓で発生したクマ襲撃事件地域での母子グマの数を継続して見てきて後年の出没予測してきた。
2016年  3組(子の数 3,2,2) 十和利山クマ襲撃事件が発生。
2017年  0               反動で前年秋から大駆除が継続した。
2018年  5組(2,2,2,1,1)    2020年の出没を予測
2019年  2組(2,1)
2020年  2組(2,1)  大出没年
2021年  6組(3、2、2、1、1、1) 2023年の大出没を予測。
2022年  4組(2、2、1、1)
2023年  7組(2、2、2、1、1、1、1)
  昨年は駆除が進んだが、23年生まれが1㍍に成長する2025年に最大出没するだろう。 ツキノワグマ研究者は事故数と重傷者を減らす努力を怠っている。
  (2024.4/1)
 3月のクマの出没についての発信に異論がある。クマが別荘で越冬する例は昔からにあった。高度成長期に各地に建てられた古い別荘地で、 人知れずに越冬していたのだ。
 昨初冬に多数見られた50㌢グマは母グマを駆除されたかして、はぐれた当歳子で【赤ん坊グマは母グマを澪失ったところで母グマを待つ】のだ。
 5月になって多数のクマが姿を現すと移動を始めるものだ。
 それから【暖かいから別荘で越冬する】ではなく、他のオスグマに襲われない安全を考えるのだろう。
 クマは高標高で越冬したものほど体を動かさずに安定し、低標高のものほど体を動かしている。
 昨年の初冬に集落の小屋、別荘に越冬したものは多数あったろう。
今後の【集落依存型のクマ】になりやすい。
 昨年のような出没年の低栄養の状態だと平野部に積雪があると奥地に向かい、取り残された50㌢グマ、高齢・疾病グマは氷点下になると、うつらうつらと行動が鈍る。
 2019年12月に新潟県南魚沼市の診療所に入った親子グマや昨12月2日に岩手県北上市の住宅の小屋で発見されたクマは冬眠状態であったろう。 そのあと東北各地で局所的に多数回目撃され続けたクマも、半冬眠、半覚醒を気温に準じて繰り返していたと思われる。北秋田市早口あたりで何回も見られたクマのことだ。
 それから巷間述べられているツキノワグマでの【威嚇】について、私の三回の経験と他の研究者は違う状態を言っているようだ。
 両前足を揃えて、弓なりに数回跳びながら数メートル先で両前足を地面に打ち付けると反転しもどり、一分ほど混乱したように回り、また同じ動作で向かって来る。
 これを2~3回、繰り返して去って行く。最後に片足を上げて立ち木に小便を、引っ掛けて消えることもある。あくまでもクマ側が私に近寄るなと、お願いしているのだ。
 どうも環境省版にある【威嚇】は近寄る、逃げるを繰り返すのは若く、弱いクマが攻撃しきれずに、それを繰り返している、こちらの対応が悪いと怪我をする状態のようだ。
 我々世代が心血を注いだ特定管理獣時代は終わって、
諸君が創生した【指定管理獣】時代が始まった。

 今一度、山を歩いてクマを見よ、と言いたい。

今年は集落の近くで越冬するクマが多くなりそうだ  (2023.12/12)
 秋田県の人たちも、やっと息がつけそうだ。
これからは巣穴事故・狩猟事故の時期に入る。
  大館早口の若い母子グマは小屋、物置で越冬しているかもしれない。踏み込むと事故になる。 若い母子グマ、単独の当歳子などは山に帰り遅れて集落の中、里の山で越冬するものが多数出るだろう。 そういうクマは翌春も早く出る。【集落依存型】の始まりだ。
  「クマは土穴を掘らない」というニュースを見たが、それは間違い。掘るし古い敷き藁も出して、新しく掻き入れる。

 暦年に渡って使用されて来た越冬穴が集中する【越冬土穴団地】も有った。
  下の写真が、その全景。左端の赤丸が、この越冬中の母子がいる穴。他に古い穴が4か所見える。

  全部が、この母グマの一統が使って来たのかは分らない。メスグマの一生では極めて近い場所に越冬していた。
 それからブナ科堅果類が越冬・繁殖に必要だという発言もあったが、そうでもない所もある。
広島島根県境には、ミズキを9月から12月まで食べて出産に至るグループがある。 「柿グマ」は柿ばかり食べて【肛門脱】になりながらも出産していた。クマは多量にあるものに居つき、無くなれば移動する。 下の写真は肛門脱になったクマ。【辛子明太子状肛門】になった気の毒なクマも見る。

  クマが泳ぐことがニュースになったが普通に泳ぐ。
▲080823日大船渡市三陸町越喜来湾沖、一㌔でクマが泳いでいるのを漁船が発見、二隻で挟んで陸まで誘導した。
▲090706日大船渡市沖、四百㍍にある青島にクマが泳ぎ渡たり営巣中のウミネコの雛を採食、「百羽ぐれえは食った」と目撃者が証言している。
  今年は暖冬傾向であることからクマがいつ冬眠にはいるか不安の向きがあるが、前後の差はあるけれど必ず入る。新潟、北陸から近畿中国までは16日ころか。 関東から近畿までの太平洋岸は、ながびきそうだ。心配なのは岩手県の沿岸部だ。
  大注目は6月から男鹿市北浦真山で目撃されて来たクマは、そこで越冬するだろう。 男鹿半島へのクマ定着の始まりで【クマの若きパイオニア】は歴史を作る。

  (2023.12/5)
秋田県は、あと数日が山だ。
 ここ数日、暖かい日が続き、最後の食い込みをするクマが現れる恐れがある。
今、出ている50㌢グマは今年、産まれの母グマが駆除されたか、はぐれたもので【逃げ回り訓練】しか受けておらず、 各所で目撃され最後は集落周辺で越冬する将来の【集落依存型】のクマになりやすいだろう。
 秋田市で、もっとも市街地侵入経路になりやすい平和公園、手形山、一ツ森公園、下浜では小屋、別荘、空家で越冬する恐れがある。
 12月2日、岩手県北上市和賀町の小屋で男性が襲われた事故は冬眠中だったと思われるが、 こういう場合は瞬時に覚醒して襲われる。
  歩いているクマについては大オスグマが既に山に入ったので、緊張状態にはないだろう。最後に動くクマに疾病グマ、高齢グマがあり、 従前どおりの警戒が必要だ。
  1月から5月上旬にクマの越冬穴に接近して襲われた事故は130例ほどしか集めなかったが、多くは山林労働者で昭和時代に多かった。 冬季の巣穴事故と狩猟事故は業務上であり別の考察が必要だ。
  自然な遭遇での1月事故は、ここ70年間に2例しかない。雪中を歩いているクマに襲われることは極めて稀で、 暖冬で【山を歩くクマ】を恐れる必要はないでしょう。

  (2023.12/2)
今の山は荒れている、との発言の間違い。
 私は昭和43年(1968年)の春に秋田に来た。ちょうど国有林野の戦後伐採のピークの頃だった。 秋田市の太平山を見て、びっくり。 有名な秋田杉と、その上部のブナとの混交林は残ったスギの木が三本・・・そこは山の神の祠があった。
 明るい斜面はカモシカの天下で、日本国中でカモシカによる植林への食害が問題になっていた。
  私は県庁に奉職し、この問題に関わり、クマへと進んだ。がクマは少なかった。
  そのころまで山間地住民は山地資源に依存し、徹底的に利用していた。クマが食えるものは人間が食えるのは当たり前。 結果として競合するクマのエサ資源を少なくするとともに、活動によってクマをより奥山に追い戻す効果があった。
  この写真は1972年の仁別国有林のもの。12頭のカモシカがいる。
  今では植林杉が鬱閉し、尾根筋、沢筋には広葉樹が密生している。 写真左手から続く民有林も広葉樹が繁茂してクマ観察場所になっている。
  これ以上、【熊の森造り】【クマための植林】は必要ない。



初積雪と事故の収束    (2023.12/1)
 北日本でのクマ事故が、いつ収束するかだが。
  新潟県の2020年12月4日、17日に発生して17日の新潟市初積雪1mm以降、発生しなかった。
  秋田県、広島県での出没年には海岸部まで雪に覆われると出没が収まっている。
  岩手・山形県の海岸部はまだ。福島県は、もう少し。北陸新潟は、まだと見ている。  
 この秋田市での雪で県内の出没は収束すると思う。ただ6、7日の気温が高くなると新屋、下浜方面に出ていたクマは高尾山に行くところを高速道近くで寝る事はあるだろう。
  広島県で80年代からあった【集落依存型】同様に【下浜の柿グマ】かもしれない。
  今年の秋田県は山グリ、栽培グリ、柿が豊作で、昔からある渋柿は冬の間も実が残りやすい。それが食い尽くされるまで年を越してまでも出没し続けることはないだろう。 
  未曽有の大出没だっただけに、これからも警戒は必要だが、冬眠しないクマは秋田にはいなかった。
  追跡グマでは2月に島根県浜田市で歩いていたクマ、この一頭だけ。観察グマでは斜面にあるススキ原の窪地で寝ながら出産したクマもいた。
  こんなクマを島根県で3例、見たが地元に駆除された。
  越冬地点は生活の中で事前に決めてあるようで雪上の足跡は直線的に越冬地点に続いている。
 この越冬穴観察はクマ追い人生の中で最も面白い瞬間だ。
  広島では古い炭焼き釜、廃村の土蔵、別荘に冬眠するクマがいた。別荘グマは、なぜかベットの下で、荒く喉を鳴らして寝ていて春に戻って来た別荘民を怖がらせた。
 85年ころ、秋田市太平八田の田の法面にある土穴で越冬しているクマがいて、凍傷を負ったのか尻から背にかけて毛が抜けていた。
  広島でも抜け毛グマがいたが一か月後には綺麗に生え揃っていた。

尻毛抜けクマ
       (2023.11/26)
 越冬地へ移動と遅い事故と
 2019年12月8日、新潟県の診療所内で冬眠状態の親子3頭のクマが発見された。
6日の最高気温が 1、7度、最低が0、5度で、この日に入ったようだ。
 そうなると秋田市での出没は11月30日前後三日間の降雪で山に帰ると思われるが、12月5日前後の気温が高くて山際の集落では騒動があるかもしれない。
 今日、26日、工業高校付近で撮影されたクマは十分に肥っており【富栄養の穴持たず】+【暖冬】では、不測の事態が起こり得る。
 2010年12月9日北秋田市森吉で林業調査中。17日秋田市太平で除雪中から家の中で襲われた。
 2011年12月は県内で3件、発生している。 高標高に越冬したクマは安定して動かず、穴の入り口を塞ぐ時間は10分ほどあった。 一方、低標高に越冬したクマは瞬時に覚醒して、オスグマと出産しなかったメスグマは襲ってきた。

       (2023.11/24)
 クマは越冬中に死ぬとするのは間違い  
クマ研究者は山中を歩いていると本能的にクマが越冬したらしい樹洞、土穴を覗き込んでいるものだ。
  私も数千の穴を覗いた。百ものクマの入っている穴の中も覗いた。が、しかし穴の中にはクマの死体、骨は見たことが無い。
  クマの死体は山野では極く極く稀だ。私が見たのは川沿いで銃撃されたらしいクマの死体が激流の中州に引っかかっていた。
  他は栗駒の温泉ガスにやられたと思われる若いクマと、駆除グマを解剖したら胃内からクマの毛皮が出て来たもの。 
  写真は根元が膨らんで、そこにクマが寝ているのを塞いだところ。

etto

       (2023.11/19)
11月21、22日は注意。高齢グマ、疾病グマの侵入。
ハタハタ漬、飼料(魚粉を好む)、果樹倉庫、家庭廃油、ペット餌、粉物、犬そのもの。
 ●2011年12月17日 17時 秋田県鹿角市八幡平旗本で民家侵入。
 男女三人が軽傷。1㍍のクマ。ハタハタ漬中の米糠を食った。

       (2023.11/17)
 クマは普段、ソバは食わない、とするのは間違い
  クマはソバの若葉、花芽、子実、製粉後に棄てた殻まで好食する。
鹿角のソバ園では9月上旬、降霜の前に収穫するものだが、今年は生育が悪かったのか、 収穫を諦めたようで、現在も放置されている。近年国道285号線沿いや鹿角でソバ畑が拡大している。
  つまり上小阿仁村から旧比内町、続く鹿角地方だ。
  昨年、鹿角の西の森で三軒の酪農家が相次いで廃業した。
クマに飼料や小牛を食われて力尽きたようで心が痛む。
 一方で優良酪農家にクマの視線が向かっている。
  被害対策はA地区で推進すると隣のB地区で被害が倍増する宿命を持っている。
  同じように廃業すると残存農家に向かう。
  大規模なソバ、大豆栽培業者は、このような廃業酪農家の牧草地を借り上げて施業している。 農業会社は牧草地が荒れて「クマの巣」になるより畑にしたい、と言っており、私は昨今の食糧安保の懸念からも畑作化に賛意を示して来た。
高標高農業は困難を極めたようで連作障害、低温、鳥獣害で収穫しない年もあり、苦労しているようだ。



       (2023.11/10)
クマのヤングママ現象
 老練な母グマほど捕獲罠を避け、危険なオスグマから子を逃がすので残存しやすい。
今年、秋田では1㍍グマの事故が多発した。
1mグマは概略、オスでは2歳、メスでは3歳だ。
 美郷町で畳屋の倉庫に閉じこもった母子3頭の母グマは体長が1㍍だった。
昔のクマ牧場のようにクマを密に押し込めて飼うと、メスはオスに交尾を迫られ多数を受け入れる。  
山野の状態で飼うとメスは、そのオスを好ましく思わないと短い尻尾で膣口を閉じて受け付けない。
  鹿角では駆除圧が高く120㎏を越えるような大グマは滅多におらず、 それでいて若いクマの密度は高く4、5歳のオスグマが幅を利かせていてメスを7月末まで追い回している。  
体長1㍍ほどで3頭もの子グマを連れた母グマを見ることがある。いつも周囲を警戒し、 行動範囲は狭く、人間が耕作している近くで暮らしている。
  年々、母子グマが増え、若グマだらけだ。

母子クマ4頭 

       (2023.11/4)
 大出没年のクマは何でも食べる。
  それで【出没に痩せグマなし】だが、生大豆を食っているとなると心配になる。  
鹿角では、それが四年前から始まった。ただし積雪下で年を越した豆は春には食べている。
 この10月末、少雨とかクマの葉食いのために鹿角では収穫されずに残った大豆の完熟した生大豆が多数のクマによって食われて駐在さんが、爆竹を鳴らして追い払っていた。大規模なソバ畑でも10数頭の クマが目撃されている。  
 クマは防腐剤を塗った道標を好むし、ガソリン、ペンキ、グリースも好む悪食ではある。  
そこで専門家のご意見を、お伺いしたい。生大豆は毒成分が多いが影響がないものでしょうか。 ネット情報は不要です。

       (2023.11/3)
 いつ越冬地へクマは帰るか。
これからは越冬モードを数度繰り返す。寒冷前線、急な気温の低下の前の晴天日には活動性が高まるだろう。
 五日は気温下がる予想なので三日の晴れは注意。河川公園、田畑、残り果樹。
13日の気温低下に対する数日前の晴天日。民家への突入。
 端的に言えば初冠雪ではなく、その県の県庁所在地に初雪が降れば、クマは山に帰ると思われる。
1986年の秋田大出没では10月17日の初雪で、クマたちは太平山中へ一斉に帰った。  
 ところで一斗缶グマは多数ある。林野の伐採が盛んな頃、集材用のワイヤーに粘性の強いグリースを塗るが、 その一斗缶を凵の字形に切れ込みを入れてグリース取り出して放置すると、クマは油を舐めるため首を入れて抜けなくなる。
取れないまま「世の中、まっ暗じゃー」と歩き回って、一斗缶ごと撃ち抜かれて最後をとげる。
  ヒグマを刺殺した消防士は超人だ。逃げる、隠れる、闘わない私は彼を、どう評価すれば良いのだろう。 昔、ある動物施設でヒグマを処分するために散弾銃で30発、撃ち込んだが30分も死ななかったそうだ。
 私もヒグマをテレメトリー追跡調査を行ったことがあるが、ツキノワグマとは性格が違うことを最初から知っておくべきだ。   

       (2023.10/31)
 今後の事故発生予測。
東北は徐々に収束していくだろう。11月に出没した年は北陸、近畿で多くなる。
06年、10年は12月まで、14年、最大は20年の18件などだ。
 近畿でのクマ問題は電凸が多発する。捕獲移動時には速やかな麻酔処理が必要。
晩秋のクマが麻酔が効きにくいのは皮下脂肪が厚いからで薄い脛、腕に打つ。クマの麻酔死は多数ある。
  今秋に人を襲ったクマは「恐ろしいアーバンベア」とするのは不適。里山と市街地のクリの豊作地へ移動した普通のクマ。  こんなクマは人間との間合いを取る経験をしていないので、本性が出やすい。  その時代の若い研究者が変なクマと感じると今世紀は新世紀グマ、2010年代は新世代グマ、 近年はアーバンベアと呼ばれるが、 夏にクマの集団に押し出されて新天地に進出する若いクマが、それだ。   山に帰る能力も高い。秋田県のように駆除圧が強い地域では残存しにくく、保護傾向の強い県、過疎地で現れる。  広島には80年代から見られ、1990年には家の周りを徘徊し、一年の暮らしを集落に依存して、役場の裏で冬眠する【集落依存型グマ】がいた。
 この頃から中国地方はクマ保護に邁進し、駆除は避けた。集落の中心部を、ゆうゆうと徘徊するようになる。しかし人身事故は起こさない。
 現代では人間側がクマを森に押し返す力が落て、こうなる。  甘やかすと増長もする。写真のクマは二年間、我家の前を通り役場方面に出勤し、97年【ノラグマ】として駆除された。
  暖冬予想なので12月まで警戒が必要だ。

       (2023.10/04)

クマ対策実験(項目をクリックすると動画へ飛びます)


※貸し出した映像が「クマは怖い」というイメージ造りに 編集されているので貸し出しは中止しました。

 

 

 

  クマ対策実験 撮影時期 2018年夏
撮影場所 秋田県鹿角市                
No 素材内容 ファイル名
1 ロケット花火への反応1 ロケット花火への反応1.mp4
2 ロケット花火への2 ロケット花火への反応2.mp4
3 爆竹への反応1 爆竹への反応1.mp4
4 爆竹への反応2 爆竹への反応2.mp4
5 ホイッスルへの反応 ホイッスルへの反応.mp4
6 口笛と絶叫への反応 口笛と絶叫への反応.mp4
7 指笛への反応 指笛への反応.mp4
8 笛、鈴、ラジオ、アメパト 笛、鈴、ラジオ、アメパト Aパターン.mp4
9 自動車の接近への反応 自動車の接近への反応.mp4
10 アメパトサイレン アメパトサイレン.mp4
11 山際を通るクマ 山際を通るクマ A.mp4
12 私の眼前でUターンするクマ 私の眼前でUターンするクマ A.mp4
13 クマは鼻で異常を識別する クマは鼻で異常を識別する A.mp4
14 タイヤの中で寝る若グマ タイヤの中で寝る若グマ A.mp4
15 クマの警戒行動 クマの警戒行動A.mp4
16 臭いをかぐ行動 臭いをかぐ行動 A.mp4
17 風が強い日のクマ 風が強い日のクマA.mp4
18 クマと接触した時 クマと接触した時 A.mp4
19 風力発電鉄塔下で行動する 風力発電鉄塔下で行動する A.mp4
20 トラクター音は気にしない1 トラクター音は気にしない1A.mp4
21 トラクター音は気にしない2 トラクター音は気にしない2 A.mp4
22 ドローンによるクマの発見から撃退へ ドローンによるクマの発見から撃退へ A.mp4

 

 

23 親来グマのアップ 4K

24 大オスグマのアップ 4K

25 親子遊ぶ1

26 親子遊ぶ2

27 毛が赤い大メスグマ

28 親子アップ1

29 親子アップ2

30 三歳オスアップ

31 ソバを食うクマアップ

 
       (2021.10/3)
photo20211003

 

クマは8頭も、7頭も集まっている。

今7月、広大な畑の森に近い側の30㍍四方に母子3頭、母子2頭、3歳の姉妹が集まっている中へオスグマが吠えながら母子3頭の子グマを食おうと突入して、戻って姉妹に割り込んだところ。

 

photo20211003_2

 

 8月、左奥に母子2頭、若オスが5頭の計7頭が薄暮の採食から眠る態勢に入って頭しか見えない。

 互いに危険な大オスグマ感知装置としての役割を期待しているようで、右奥の立っていたクマが私を見て逃げ、直後に全てが別々の方向に逃げた。一番、手前のクマは最後まで私に気がつかなかった。

 現代の里山は、このような状態なのだ。

 

 

      クマと会ったら2  (2020.12/8)
襲われるのが確実の場合、首、頭部に爪の打撃を受けないようにする。 女性の多くは顔を守るため意識的、無意識的に伏せて状況を良くしている。

救命

      11月17日の浜田市でのクマ事故は多くの示唆を含む  (2020.11/26)
 10時頃、島根県浜田市の山中で男性(65)がイノシシわなの下方、約30㍍に着いたら鳴き声がし、 見たらクマがイノシシに覆いかぶさっていて、同時にクマが駆け下りてきて自分に覆いかぶさった。
男性は持っていた木の棒(長さ80㌢、直径4㌢)でクマの頭を打撃した後、自分の頭を両手でかばって、しゃがんだ。
クマは後ろから腕などを爪で掻いた。男性が大声で耐えているとクマは逃げた。
  クマは体長約1㍍。猟銃は持参せず、わなの道具を入れたリュックを背負っていた。
 「リュックを背負っていたので大けがにならなかった」と話した。

①首を両手でガードして地面に伏せるか、丸くなる。その時、ザックを背負っていると怪我を軽減させる。
   昭和期、背中に負っていた籠、リュックを咬み、爪でザクザクにした10数例ある。

 ②クマがイノシシを抱きこんでいたのは獲物の守護。数人で接近すると全員が襲われた可能性あり。  2013年5月27日、福島県会津美里町明神ケ岳で男性77がクマに襲われて死亡、
  翌日、遺体収容に入った警察官を含む親族など四人が遺体傍に蟠踞していたクマに襲われて全員が重軽傷を負った。   

③クマが入山者を殺害し遺体を抱きこんでいた例がある。また遺体がクマの毛だらけだった例もある。

      ドローンによるクマの捜索と撃退 (2020.11/10)
 当所では16年秋からドローンによるクマの捜索を継続している。
十和利山クマ襲撃事件現場のように 広大な農地では短時間で広域に捜索が可能だった。
ドローンには各種音種の警報サイレンが搭載されクマの頭上から威嚇している。
 クマへの接近は極めて容易で7㍍上空に近寄っても反応がなかった。
 
 画像はドローンの4K映像から切り出し。

ドローン写真



      クマと会ったら (2020.11/02)
 初撃を頭頸部に受けない。
受傷程度を重篤→重傷→軽傷のように《一段下げる》思考をする。
遭っただけなら手足を動かさない。動くと人(クマ)のような移動体と認識されてしまう。
山林中では半身を木の後ろに隠して片眼でクマを行動を監視する。
市街地では電柱の裏側に隠れる。攻撃してきたら側溝に腹部、頭部を隠す。 塀の下部の三角に倒れて腹部、頭部を守る。住居の縁の下に頭腹部を入れる。

隠れる


      2年前のベビーラッシュ (2020.10/26)
 秋田県鹿角市十和田大湯地区の十和利山クマ襲撃事件現場では

2016年  3組(子の数 3,2,2)
2017年  0
2018年  5組(2,2,2,1,1)
2019年  2組(2,1)
2020年  2組(2,1)
18年に例年の2倍の出産があった。
今年、初夏から全国で1㍍グマの目撃、事故が多発したが、これは2歳になる18年生まれだろう。
特異なのは岩手県で《親子連れ》の事故が多発している。
 0歳子あるいは1歳子だったのかは不明だが母グマが一歳子を連れているのは全国で普通。
 ところが十和利山クマ襲撃事件現場では16年から一例も無い。これは一歳子になった5月の交尾期に子別れさせていることを意味している。
 ここでは早く独り立ちさせていて野生化訓練が短い。
奇妙な一歳子が出てくる。今年の夏、この現場では幹線道路から離れない幼オスグマがいて観光客を賑わし、トラックの廃タイヤの中で眠ていた。 頭の先、2㍍を通る大型トラックに守られているのだ。
 
タイヤクマ

    1メートル熊とは   (2020.10/12)
 2018年夏の鹿角での追跡調査で空前の出産を見た。(同年11月のHP参照)
前年17年はブナの大凶作とされたがブナは7年ほどの長周期で凶作でクマの繁殖には、ほとんど寄与しない。
この年もコナラ、クリ、ミズキ、シウリザクラなどが豊作の場所に移動して採食、翌年18年に出産に至ったようだ。
【豊作地への移動も出没】となり広島県ではミズキの大量採食で1994年に出産を多く見た。
 この18年組みが今年前半の出没の主役になっている。体の特徴は痩せ形で手足が長く見える。
頭胴長(尾の付け根から鼻先)は110㌢ほどだが、真横から見ると、ちょうど1㍍ほどだ。大グマを恐れて、ここでは幹線道路沿いにいて大型車両の往来に守られている図式だ。
里山と集落の際に居場所を見つける。母グマの野生化訓練を終えたばかりでタフ、怖いもの知らずで多所で目撃され、小さな被害を撒き散らす。
 なおクマは歩く時、爪が地面に着かない。

1メートルクマ

    宙に浮く兄弟グマ   (2020.9/30)
 ここから先は現地の3酪農家、市役所だけが分かる言葉で述べます。状況を詳らかにして事を荒立てるのは良しとはしないからです。
 『この状況を視認したのは7月12日だった。この沈下速度で行くと8月中には地中に没し、牛舎に浸入するのはお盆過ぎと予想され、食害事故が2件、発生した。  駆除が行われ14年生まれの兄弟、16年生まれの兄弟、他に2頭、計6頭駆除された。食害事故と駆除個体との因果関係は…』
 このような沈下が起る場所を無くしたいものだ。  過去百年ほどで全国でツキノワグマによる人身事故(自然遭遇のみ)は2300件ほど発生している。この中に数十件の《成獣2頭に襲われた》とする事故がある。 長期間、兄弟で一緒に守り合いながら生きていることが知れる。《クマの敵は大グマ》で弱ったクマを放獣すると、すぐに食われます。  これまで、この地域で3組みの兄弟を長期に追って来たが今回のことで田代平に、もう一組の兄弟が残存するのみとなった。

kyudai



    原生林の中の新農業モデル   (2020.9/11)

 十和利山クマ襲撃事件地域の酪農地帯は、主に戦後入植者で第二世代が多く、第三世代の世帯は少ない。第二世代は、もう数年で多数が離農すると言われている。
 その時、各戸が所有する広大な牧草地は、どうなるのだろう。
 それを見越したように、今から十年ほど前に、ある農業会社が離農者から牧草地を借り上げて
大豆、ソバ、大根を植え始めた。増収策に苦労したようだが現在は大豆、大根については順調のようだ。この会社代表は《クマの巣》になるから、やっていると経営理念を言う。
 農業経営者には似つかわしくない言い方だが、収量が上がらない経営当初、人々を魅きつけるために編み出した言葉だったかもしれない。 しかし、この営農モデルはクマにも酪農家にとっても有為に作用している。ここのクマは7月、8月に大豆の若葉を多食し、8月9月はソバの子実を採食し、晩秋と早春には小粒で放棄した大豆、収穫されなかかった大豆も食べ、秋のドングリ類食へ容易に移行できる。これで繁殖が進むことになる。
大豆の若葉をクマに多食されても大豆の収穫量には影響しないと経営者は言っている。
 《クマの巣》発言は当を得ていると私は思う。

◎放棄された牧草地は荒廃し、その森は若いオスグマ、若いメスグマの安住の場になり
 クマを管理できない《危険な森》が出現する。

◎大豆畑にでるクマを酪農家は目撃しているが、畑にでて可視化したクマへの恐怖心は少ない。
 平坦地に姿を現すのが嫌いなクマには対策が採り易く、各種実験を行って効果を映像的に確かめている。ここのクマ問題は、今後、どのように推移していくのだろうか。
 
 駆除により大きなオスグマが除去されると周辺から若いクマが補填される。
 目撃数の推移からみると駆除数(16年以降、かなり過大な)より増加しているが、その中で特に18年に大繁殖があり。その2歳子が20年度の秋に出没するだろう。
 もう数年で酪農家の多くは離農するだろう。その時、牧草地を、この会社に借り上げてもらえるなら、いくらかの年金になるだろう。
その頃、残った第三世代のいる数軒の優良酪農家のところへクマが集中し、今、以上に飼料の食害、牛舎への侵入がおこるだろう。
 私たちはクマ問題の先の先を見据えておかなくてはならない。
 なお私は農業会社より《入境許可証》を得て、時には畑に入ってクマの観察を行っている。
 このあくの強い経営者は大音量のサイレンを鳴らして従業員たちを守っている。健気な方だ。

豆畑のクマ



    クマ 手踊り   (2020.9/4)
 クマは食が満ちると地に背を着け、両手足を天に向けて振り、くねらして手踊りをしている。
今日も食べ物をありがとう、と言っているように思える。

手踊り熊



    十和田市市街地の中央にある中央公園にクマが出た件   (2020.5/20)
 このようなクマは包囲してはならない。
夜間は西側の警備陣を解いて山に帰ってもらうのがよい。
発砲もできない。以前、伝授した方法を取るのがよい。
コロナ禍で市街地の喧噪が少なくて侵入しやすくなっているようだ。
赤沼方面から赤松防風林を伝って侵入したかもしれない。


    新潟県魚沼市での多重事故について   (2019.10/20)
 人身事故を起こしたクマは鋭意、駆除が必要です。
 今回の件で問題は四人を襲った後にクマを見失っていることで、更に襲撃が続くと考えるべきでした。
翌日の事故を防ぐ次善の策は、同夜、包囲網の山側の方を開けて置くことでした。
駆除したい、事故を防ぎたい当局の気持ちは分かりますが、それでは『極めて危険状態になったクマ』
を地域で抱え込むことになります。こういう状態のクマは『動いている人がいる間、攻撃しつづける』 習性があります。
地域が静まりかえると落ち着きを取り戻して山の方角を探るようになります。
完全に包囲して警戒しつづけると昂奮が継続します。 市街地での事故を防ぐ基本は完全包囲しないことです。
 秋の出没末期に平野部、市街地にクマが出たときは多重事故、重傷、重篤事故になりやすいものです。
市街地での事故への対応は過去、どの事案でも難しかった経緯があります。
四人事故は稀としても『突発的な事故の、その後ありうるべきこと』は関係者は地域の状況を鑑みて対策を考えておく必要が有るでしょう。
現在、秋田県鹿角市で行っている「地域総点検」が参考になります。
 台風19号による堅果類の落下を考えると事故は当初、想定したより増える恐れがあります。
特に東北地方、関東北部は危険かもしれません。

   鹿角のクマに異変   (2019.08/15)
 7月下旬、農道を歩いているとクマが立ちあがり、続いて2頭の子グマが立ちあがった。
私はオオイタドリの茂みに潜んで観察をした。
十和利山クマ襲撃事件現場ではクマの数が激減しており、今、個体識別作業を行っている。
地元では今年はクマの目撃が少ないと言っていた。
秋田県が7月に『17年はブナが大凶作、18年は並作で19年の春には中程度の繁殖が進み、この秋にはブナが大凶作で出没する』と公表している
 18年には、この地域に親子グマが5組もいたし多くのクマを見た。(親子グマの集中  18.11/05)
県庁の発表と私の観察を合体すると『ブナが大凶作だと大繁殖する』という話になるが????。
それは置いておくとして昨年、沢山いて、今年はいないという理由を探さなくてはならない。

①昨年の秋に大駆除したか
②この夏は大豆畑に依存する必要がないほど、他に餌資源があるのか、のいずれかだ。
 今年は大豆、ソバの経営で画期的な手法が行われており、『大豆の開花、ソバの開花と結実を同期させた』。
大豆の遅植え、ソバの早植えが行われて、餌が飽和状態になり被害が軽減していた。
経営上の偶然だったのか、誰か知恵者がいたものらしい。

(・(ェ)・)


   親子グマの集中 (2018.11/05)
 2018年の7~8月にかけて十和利山クマ襲撃事件地域で撮影した325GBの静止画、129GBの動画(Eのみ動画)から個体識別した結果、次の五組の母子グマが見られ8頭の子グマを連れていた。単独グマも18頭以上いた。
A  親子3頭  月の輪形状はC赤毛グマの特徴と酷似 顎の右から中央にかけて広がる白斑  90㎏級
B  親子3頭   月の輪が細く両肩にかかる 月の輪の形状が派手で赤っぽい 顎の右端に白斑 100㎏級
C  親子2頭  顎の左側に白斑 120㎏級の大型 背中の赤毛 
D  親子2頭  月の輪の左側が短い 100㎏級 顎に白斑無し 左口唇に大きな異常あり
E  親子3頭  母グマは若い70㎏級 月の輪の両端が短い 顎の左側に白斑   
この地域に5組もの母子グマがいたことは
●前年17年はドングリ類が充分に有って繁殖が進んだか。
●大豆、ソバ畑共に耕作面積が倍に増えたからか。
●大駆除が進み、相対的に秋の餌量が豊富となり周辺地域から移入して繁殖が進んだ、かだ。
 今年はドングリ類が豊作で来年2月には繁殖が進み、この母子グマたちと競合して危険を予感させる。
以前より青井俊樹岩手大学名誉教授が言っているように、クマを駆除しても被害は減らない。ゾーニング、追い払いをして棲み分けることが大事だろう。
ツキノワグマはナワバリを持たず、母子グマ達は互いに干渉しないように距離を取って行動していると思っていたが、
BとCが5分ほどの間隔を開けて眼の前を通った時には非常に驚いた。
この地域は赤っぽい毛のクマが多いように思う。以前よりCを赤毛グマと呼んでいるがBは、それより赤い。
射殺されたメスグマの月の輪は右側が短かったが、その子グマ2頭も形状が同じで残存している。
事件に関係したクマたちは引き続き残存していた。昨年の大駆除を免れた特異なクマたちだ。


 
   今年、秋のツキノワグマの出没 (2018.10/15)
  秋田県では早い段階で「今年の秋はブナが凶作予測、出没の恐れ」と言われたが秋になったらクマの出没が、ぱたりと止まったと言われている。今年の秋田県ではオニグルミは豊作、クリ大豊作、ミズナラとコナラは平年作、ブナは皆無状況になっている。この組み合わせは「ブナ凶作クマ出没説」を考える上で興味深い。今世紀、こういう組み合わせになったことがなかったからだ。全国的に今年の事故数も少ない。初夏には騒ぎが多かったが秋になってから本州では平穏だ。4年に一回の事故が増えると言われた長野県でも平穏だ。
 この秋はクマの栄養状態は良いだろう。一方、今年は暖冬傾向になる、と言われている。
クマは栄養状態が良いと寒さに耐えられるので穴入りが遅れる(豊栄養の穴持たず)。雪が少ない。活動が活発で行動期間が延びる。注意する点は関東圏にある山間地の温泉街での脂ぎった換気扇、全国の残った果樹、残飯、漬物などの保存食、伐採地でのガソリンや植物性チェーンオイル。
 秋田県では少なくても鹿角市では18年2月に出産が進んでいた。この点から考えると17年の大駆除の原因はドングリ類の凶作ではなく過剰駆除であったろう。19年2月にも出産が多いだろう。2年続きの繁殖は新たな問題を起こすだろう。

 
    更新(2018.9/28)
 7月、8月、鹿角は雨降り、大風が続いた。そんな中、8月23日は暑かった。
暑がりのクマは水を飲む。しかし台地には水は無く、深い沢、谷の流れに降りなくてはならない。
 雨上がりには農道に水溜まりができる。クマたちは、そこで水を飲む。15分も立ちつくして咽喉の渇きを癒す。
溜まり水は澄んでいるが、この水には除草剤、肥料、土壌改良材の薬成分が含まれているだろう。
 近年、この地での酪農は搾乳より牧草販売に力を入れてるようだ。牧草が育つように除草剤が多用される。大豆、ソバ畑も同様だ。
老獣医から手紙があり、そんな現状と懐古の間に氏は夢のように当時を振りかっているそうだ。
  太平洋戦争中に軍馬育成のため熊取平のブナの森に農林省国営牧場として開墾された1800町歩の牧野は昭和22年、マッカーサー司令部の命令によって閉鎖されたが、昭和22年から24年まで、そこに勤務した若い獣医の記録によれば、人跡未踏の大原生林であったようだ。獣害もあり「村田18年式」銃で獲っては食料にも供していた。
 それにしてもクマの首は伸びるものだ。
 

 
    秋の報告(2018.9/20)
 例えば江戸っ子がバソを手繰るように、あるいは奥州人が、わんこそばを啜るように秋田のクマは蕎麦を楽しんでいる。
蕎麦の穂先を、しゃくって食うときクマの唇は震えてフレーメン状態に見える。美味しいのだろう。
しかしクマによるソバ食いは経営者にとっては非常に影響がある。ソバを食われるより歩かれ、子グマに遊び回られると蕎麦は倒伏してコンバインで収穫ができなくなる。
 クマが大豆の葉を食うことには鷹揚に構えていた経営者も、ソバの収穫が近くなると市役所へ駆け込むことになる。
 大豆は連作障害を避けるため、ほぼ3年ごとにソバー大豆と転作していく。大規模であるだけに被害対策も難しい。

 
    夏の報告(2018.8/31)
 7月、8月、事件現場でクマたちの追跡を続け、ビデオ撮影による確認に努めた。この夏、強風と大雨に悩まされた。自身も三脚も倒れそうになりながら面白い映像が90GBほど撮れ、外付けのHDDを買いに走った。
 事件現場の十和利山南麓で7月、8月、延べ24日間に、約150頭を目撃し、現地の友人、知人たちから情報がよせられた。

① 鹿角市や十和田市のホームセンターで「対クマグッズコーナー」として市販されている爆竹、ホイッスル、大型ロケット花火、がらがら鈴、梵鐘型鈴、農耕ラジオの他に自分の大声、拡声器を用い、ビデオカメラを回しながら40㍍から120㍍先にいるクマに向けて発射しクマの反応を撮影した。延べ8頭のクマに試して意外な結果を得た。
機材の音圧の違いから同列には比較できないが、7例が風上側から試したのに鈴類、ホイッスル、ラジオ、大声には反応しなかった。しかし花火、拡声器の音に慌てて逃げるクマたちは撮影された。


② 4年間も、つるんで行動する兄弟クマがいた。また2年過ぎても、つるんでいる兄弟もいた。
 前者は射殺されたメスグマの子グマたちで、月の輪の形が母グマと全く同じだ。後者は昨年にも赤毛メスグマの周辺で過ごし、3頭の内、残存した兄弟だ。3頭の内、一頭は16年の越冬前までに死亡したようだ。赤毛グマは今年、1頭の当歳子を連れており他のクマに警戒感が強いはずだが、この4頭は畑で、互いに完全に見える30㍍の距離で地面に伏せて夕方から夜を過ごした。ビデオカメラをパンして、この状況を記録したが写真では一枚で証言できないので割愛する。
 2年子による人身事故は、いくつも見えるが交尾期でもない8月に4年子が、つるんでいる状況は餌が十分に確保されるためとしか考えられない。秋になると小さなクリ園に数頭のクマが集まっていることがあるが、これは餌の問題だ。



③ この地では夏までは、クマたちは、いつも同じ所にいる。この親子3頭も同じ場所にいたが8月中頃から1Kmほどの短距離で、数日、置きの移動が起った。この親子がいる場所は、16年、17年も多くのクマを、ま近で観察できた。
 この日も100㍍先のオスグマを観察していると左手、20㍍に親子3頭が座っていた。望遠を引いて同一視野に3頭、入るようにする。母グマは、こちらを見るが子グマは無邪気に遊んでいる。この場合、子グマの悲鳴が親グマを攻撃を誘発するので、じっと立木か電柱のように動かずシャッターを押し続けた。私は丘を背にしており背景に姿が溶け込んで、母グマには人間と認識されていないようだ。16年夏、全く、この場所でスーパーKを撮影している。
 20分も撮影して疲れたので、私は中腰で正対しながら10㍍さがり、続いて背を向け、ゆっくりと立ち去った。
丘の影になるまで70㍍、更に車まで100㍍、良い一日だった。



④ 立ったクマ。山林内でツキノワグマが立つときは、多くは立ち木に方手を付けて立つが平坦地では人間のように完全、直立して望視する。この日は強風にレンズが叩かれて微振動が起り画像がシャープではない。月の輪模様が両肩まで伸び豪華で派手だ。顎の左側にも白斑があり識別点だ。この立った母子2頭は8月20日には2Km南下し国道沿いで岩手大学生たちに目撃された。


 これらのクマたちは8月15日ころには集合状態が崩れ、少しずつ離れ、場所替えして行き、めっきりと目撃数が減っていった。一部は十和田湖岸方面に移動したようだ。田代平から湖岸の宇樽部まで4Kmほどで8月20日の段階で「ここ一カ月間に7頭、駆除した、忙しかった」と同級生のハンターが言った。
 6月、交尾期に若いオスグマが突発的に大移動する例がある。それに母子グマは6月下旬になり、ヤマザクラの実が熟れるる頃には子グマの活動性が高まると母グマの反撃性も高まり、他のクマと同様に移動できるようになる。
 だが餌量が多い当地では8月中頃までは定住性が強く「クマたちは、いつもそこにいる」状態で観察しやすい。この地のクマたちは拡散が始まるとデントコーン地帯へ移動し、駆除されて情報が途絶える。翌年、春から、再度、確認作業を行うのだが、駆除個体の部分は私には、どうにもならない。{生存}の前提で追い続けている。

 
    (2018.7/29)
田代平の県道は時間当たり50台の超大型車両が爆走しています。
それに沿線には駐停車のスペースはありません。車を流して観察すると
目撃できます。くれぐれも車外へ出ないように。広い畑に出たクマは、すぐに
逃げます。

 
   大豆栽培会社の事業に声援を送りたい (2018.7/27)
 この会社(青森県つがる市)は秋田県鹿角市大湯地区で7年ほど前から放棄草地、耕作地を借り上げて大規模に大豆、大根、ソバ、ムギを耕作してきた。
その過程で16年の5~6月に4人がクマに襲われて死亡する十和利山クマ襲撃事件が発生した。突然、高原、原生林中に、大規模な耕作地が出現した状況の推移を私は見ていた。
事件発生当初は地元の人たちは「畑は雑草だらけで、補助金農業だろう」と言い、私も、そうみていた。
 しかし17年夏には除草農機の導入が進み劇的に生育状況が改善したので経営者に聞いた。
「クマが大豆、ソバ、ムギを食うのは知っている。
ムギの収穫量だけに補助金がでるので増収に努力している」と、それだけだった。
 クマは餌量の多い場所に集まるし、栄養価の高い、これらを採食し続けたら繁殖するだろうと危惧していた。
 だが、秋田県、鹿角市は、この事業に期待しているだろう。両立はどうするべきか。
 仰天、今月、この地区で10日間で延べ80頭のクマ(当歳子を含む)を見、道路で遭遇した。
 このクマによる大豆葉食は経営者と軋轢が生ずるだろうと思い、今後の対策を考えるために私は青井俊樹岩手大学名誉教授ら4人も同行していただき観察を続け、行政に現状を知ってもらう方法を話し合った。
 その過程で同経営者に面会した。同氏の談。
①放棄牧草地を借り上げて栽培している。放棄しているとクマの巣になる。
②俺らがクマをここに引きつけている。
③大豆の被害は僅少だ。むしろソバが大変だ
④高冷地で気象が厳しく、試行錯誤してやっている。
大型のクマなら一日に7~8㎏を食べるので、被害は僅少だだという言葉には驚いた。
放棄地はクマの巣になる、という同氏の発言は私が2000年代に里山保全をおこなっていた頃の考え方と同じだ。
 ここは同氏の懐の深さに頼って、鹿角市の観光客誘致に貢献していただきたい。
 田代平には20㌶ほどの大豆畑が出現し、クマたちが冷紅な夕日の下に、のんびりと葉を食べている姿はSNS時代の題材になる光景だ。
既に日曜日、田代平の県道上で車が3台、クマを見つけてスマホで(たぶんクマナウ、とかSNS)をやっていた。是非、全国のクマフアンは田代平に集まってください。
ホテルは「ホテル鹿角」が高級だが割安だ。老舗の温泉旅館が多数ある。食事所は、ちょっと寂しく道の駅しんごう 食堂「とちの木荘」の牧場定食が栄養満点、
ホテル鹿角、中華の喜楽食堂(最近名称が変わったか)、新設された道の駅大湯がある。
 ここに新しい農業に挑戦する、アクが強いが生き物に優しい企業家がいる。

 
   三沢市中央部で出没しているクマ (2018.7/18)
 進入ルートは十和田市立洞内小学校から姉沼に向かう、12㎞もある細長い水田地帯を伝って来ているだろう。
クマは間もなく安定期に入り攻撃性が低下してくる。
留まっているいるらしい公園、林地を包囲せず、北側方面を開けて、元の方向に帰ってもらうのがよい。
 16日、鹿角のオスグマは「ごわごわ」と吠えながら子連れのメスグマを追いかけていたが、
メスグマは巨大でオスグマの攻撃に動じなかった。
十和利山クマ襲撃事件に参加したクマで極端に痩せているクマを鋭意、追跡中。
現在、クマたちは桑の実クワを多食中だ。まもなく目撃多発状況は収まってくるだろう。
もっとも問題は夏以降だが
 
    (2018.7/5)
 玉川叫沢周辺は、これからも事故が発生し続けるだろう。
この現地に、一本、笹を刈って500㍍ほど作業道を造成してはどうか。
入山禁止を維持しつつ、タケノコ採り期間中の見回り、指導を行える。
この作業道開削によって現在、行方不明者の収容を図り、来年度にも起りうる事故でも利用に供する。
施設の閉鎖問題。 
近年、全国で公園施設、キャンプ場、行楽地にクマが出没すると「通行禁止」「閉鎖」の措置が採られることが多くなった。
昨年の北秋田市の伊勢堂岱遺跡で事故が発生したときにも、その措置が採られたが、
人や車の賑わい、臭いが無くなった瞬間に、そこは【クマの巣】になる。
かえって対策を立てた上で人や車の通行を賑やかしてクマを追い払うのが良いと思う。
怯えた対策を採り続けるとクマの巣が広がるばかりだ。
人の入らなくなった熊取平の閉鎖区間はススキで覆われて原始の姿になり、クマの巣になっている。
 
    (2018.7/3)
三陸海岸ではニワトリ食、列車との衝突事故、つり人の事故が多い。
▲940714日 釜石市尾崎半島で海釣り中の男性が軽傷、「親子グマ六頭」と遭遇したと証言。 
▲080823日 大船渡市三陸町越喜来湾沖、一㌔でクマが泳いでいるのを漁船が発見、二隻で挟んで陸まで誘導した
▲090706日 大船渡市沖、四百㍍にある青島にクマが泳ぎ渡たり営巣中のウミネコの雛を採食、ウミネコの雛を「百羽ぐれえは食った」と目撃者が証言
以前より岩手県沿岸部市町村ではクマによる事故が多発しており、海鳥のウミネコ食(卵、鄙)の影響があると見て
7年前から海岸部と内陸の間の移動の観察を続けていた。
  しかし2011年3月11日に発生した東日本大震災による大津波で営巣地が破壊され、半島基部での巨大工事が進められるようになり、クマが海岸部への移動が困難になったようで、漁民や海釣りの人を襲う例が無くなっていたが、また進出を始めたようだ。ニワトリ、飼鳩が襲われるようになったら注意が必要だ。
 
   今回の事故の考察等2 (2018.6/30)
玉川の件は蜂蜜系を使うなら7月10日ころまで、肉系を使うなら8月20日ころまでの決着が必要だ。
確実に捕獲するにはヒグマ系の研究者の助言を聞くべきだ。
捕獲用の誘餌に生の豚肉、鶏肉を使用するなら捕獲効果は期待できない。
失敗すると思いつつ、見守り続けるのは辛いことだ。確実な方法はある。
捕獲は夏の行楽シーズン前に決着をつけたい。
行方不明者の捜索を打ち切ったのは将来に禍根を残した。
 
   今回の事故の考察等 (2018.6/27)
秋田県仙北市田沢湖町玉川では次の連続事故が発生している。
09年6月6日、男性(58)が1㍍のクマに襲われて顔腕に重傷。
09年6月9日、女性(61)が80㌢のクマに襲われて腕足に重傷。
09年6月22日、男性(61)が50㌢のクマに襲われ額に重傷。
3番目の事故ではクマの大きさを被害者は「肥った柴犬ぐらい」と言い、木から下りて来て被害者の顔まで飛び上がって引っ掻いた。
この連続事故から前著「熊が人を襲うとき 82㌻」で私は将来、この地で起りうる連続死亡事故を憂慮していたが現実味を増してきた。
 今回の死亡事故と、ほぼ同じ場所で17年5月27日にも女性(61)がクマに襲われて死亡している。
 16年6月23日、奇妙な遭遇事故(無傷)が起っていた。
後 生掛温泉から入り玉川叫沢源流部でタケノコを採っていた姉妹(78、70)が体長1㍍ほどのクマと遭遇、背負っていたソーセージやアンパンの入ったザックを「置いてケー」と追跡され、棒でクマの顔を何回も叩いたが意に介さず、口から大量の泡を吹きながらザックを引き裂いた。


 
   事故続報 (2018.6/26)
『遺体の手足や腹部に爪痕やかみ傷が多く』
という情報では致命傷が被害者の、どこの部位への初撃であったかは分からない。
事故約2000例の内、腹部への初撃例は数例だ。小いさなクマなら下半身へしがみ着いて離れない例は多いが、致命傷になったクマの爪が入った部位、咬みついた部位の致命傷の情報が必要だ。
 現在のところ外傷性ショック死が確実であればクマによる初撃が腹部ではなく、下半身の加害が重大であったろう。
 そうするとクマの大きさや、雌雄の別が想像つく
過去にあった被害者の後ろから、しがみついて脇腹を咬み下腿動脈に爪を入れた例に似ている。
そして出血の多い腹部から食害したろう。
 今後、もう一人の行方不明者の捜索が重要だ。この方も死亡し食害を受ける事態になっているとすれば食害したクマが多数、でたと思われる点で、秋になると広範に拡散する。
 秋田県のクマの主要な生息地であり、檻での捕獲は「無罪捕獲」の濫獲になりやすい。
昨年も同所で殺害グマを取り逃がし、通りすがりのクマを3頭捕殺している。
こういう場合の確実な捕獲方法を検討すべきだ。
以前より指摘しているが助言制度が機能しているのだろうか。

 
   旧田沢湖町玉川でのタケノコ採り期の重大事故 (2018.6/25)
 6月24日、熊取平、田代平には、まだタケノコ採りが入っていたが、ほとんどは八甲田山、八幡平方面の標高の高い地域に移っている。買い取り業者も賑わっている。この地区では連綿と重大事故が続いてきていて、
以前から注意を呼び掛けている。
 現地を見れば分かる。国道341号線の最高地点であり残雪で覆われているが温泉地帯の地温の高さから、
この付近だけ雪解けが早く、越冬終了直後のクマが最初に食べる「タムシバ」の白い花が溢れている。
タケノコも萌えクマたちも多く集まっている。
襲撃されて食害されたのか、自然死して食害されたのか、いずれにしても多数のクマが食害に関わっているだろう。もう一人も行方不明らしい。
「遺体の傍に蟠踞しているクマは即射殺、あるいは銃撃して打撃をあたえる」必要がある。
昨年の死亡事故との関連性も検討しなくてはならない。昨年の殺害グマは獲り逃している。
過去約100年間のタケノコ採りでの事故は、負傷の最終日が7月9日、死亡は6月24日。


 
米田一彦・青井俊樹 講演会参加者募集 (2018.6/23)(終了しました)
 青井俊樹 岩手大学名誉教授          70分
 クマを緻密に追跡した軌跡
 米田一彦 NPO日本ツキノワグマ研究所所長  70分
 都会の人もクマの保護に参加できる

◎主催:(株)つり人社
◎日時 2018年7月14日(土)
◎参加費:無料(抽選100名様 予約制)
◎場所:モンベル御徒町店4F(モンベルサロン)
(東京都台東区上野3-22-6 コムテラス御徒町/TEL03-5817-7891)
アクセス
・ JR山手線 / 京浜東北線「御徒町駅」南口下車すぐ
・ 東京メトロ日比谷線「仲御徒町駅」徒歩5分
・ 東京メトロ銀座線「上野広小路駅」徒歩5分
・ 都営大江戸線「上野御徒町駅」徒歩5分
◎開催時間:13時~16時
◎受付開始:12時00分より
◎応募方法:先着100名
◎問合先 (株)つり人社(TEL03・3294・0781)

 
   野犬が集落へのクマの侵入を防いでいた (2018.6/17)
 昭和33年夏の新聞に【野犬狩り 毎月、四、五十人咬まれる、宇都宮市】とある。
 年間、4~500人が咬まれていたとは恐ろしい時代だった。
 昭和20年代から30年代にかけて各県の地元紙面には数日置きに野犬、未登録犬、飼い犬に咬まれて重傷、死亡した記事が続いている。
 この時代、里山には群れなす野犬がクマ、イノシシの集落、田畑への進出を阻んでいた。
犬に寄る人的被害は多かったが獣害は防がれていたのだ。
 クマ対策として最近、集落周辺で犬の放し飼いを薦めるコメントを見かけたが、野犬の群れはクマより怖い。
 戦前の朝鮮総督府の統計では野獣による死亡事故はオオカミによるものが筆頭で、野犬も含まれていたろう。
 黒竜江省の小興安嶺で私と地元政府研究員の二人で、公安から借りた上下二連銃を持ってクマを追っていたら20頭ばかりの野犬の群れと遭遇し狂犬病汚染地帯なので震え上がった。
 その瞬間、思い出した。この銃は開拓団のもので銃弾は、この研究員の手製で発火が覚束ないものだった。
 数日前に溶けた鉛を、ぼとぼとと油の上に落として散弾を造ったと彼は言った。
 「メシャ 大丈夫」と彼は言うが、そんな弾、4発に命を託したくなく私はクマスプレーを抜いた。
 新品のスラッグ弾を買えと200元を渡してあったのに!。

 
   十和利山クマ襲撃事件 新情報 (2018.6/3)
2018年5月下旬、事件関係者の発見を行った。

① 2016年5月22日7時50分第二死亡事故発生、8時に110番通報(県警直通)したが
 警察、捜索隊は来なかった。犠牲者夫人と通りがかりの4人のタケノコ採りが捜索し、何度も救助要請した。
苛立った彼らは10時30分ころ直接、鹿角署に電話した。
鹿角署は「県警から、その件は本署に入電していない」と返事があった。
11時パト2台来るも捜索せず。13時に5人が遺体を発見、パトに通報、警察無線により消防団が7~8人が来て遺体を収容した。
 これにより、なぜ公設捜索隊、警察が来なかったのかが判明した。
同日、朝に近くで発生した女性2件(内83歳は自然死)の行方不明案件と、このクマ襲撃死亡事故が混同されて把握されていた可能性がある。県警内に重大な連絡ミス、状況判断ミスがあった。

② 射殺されたメスグマの右肩をナガサで切った人物が判明。
 2016年5月21日11時5分、第一死亡事故の発生、遺体収容を知らず、第一現場近くの沢に入った二人組がクマに襲われ、口から泡を吹き木に抱きついて直立したクマの背丈は、闘った男性(54)より低かった。
直立と同時にナガサで右肩に切りつけたら白い脂肪層が割れ、血がにじみ出た。
クマは背を向けるたびに襲って来るので正対しながら、後ずさりして2時間で車に着いた。

③ 2016年5月21日11時ころ八戸から来た男性(71)が翌日発生する第二殺人現場から150㌢の
 大グマと遭遇、クマは第一現場方向に向かった。

④ 襲ったクマを直近で目撃した第二犠牲者夫人は両手を頭上に挙げて輪を作り「クマの頭は、こんなに大きかった」と言った。

▲ ②と③は同時刻で約300㍍離れた別々のクマで、150㌢はスーパーKとみられ、第一現場の遺体収容
  業務が終わり、静穏となったため戻ったようだ。

 
   前橋市で出没しているクマへの対処法 。(2018.4/30)
 16年1月生まれで、オスグマの可能性の方が大きい。山系全体で雪解けが速かったりして
クマたちの活動が盛んで繁殖・交尾活動も早まっているのではないか。侵入したルートだが
北東方向の赤城山方面から川伝い、残存する防風林、屋敷森を伝ったのだろう。
ここまで侵入すると、本来の生息地にまで帰るのは困難で、民家への進入、事故が危惧される。
 またクマは昂奮していて檻による捕獲も困難になる。田畑で遭遇すると「広い空間に出た恐怖」で強く反撃するので農作業も要注意だ。
 クマを発見しても包囲して対処してはならず、山側、河川敷、社寺林側を開けて移動させたほうがよい。
市民生活では朝夕の、特に犬を連れての散歩は注意が必要だ。
残飯、ゴミの屋外での保管は注意。飲食業者から発散される臭いに誘引されることもある。

 
  青森県南東部に住む皆さんへ お知らせ。(2018.2/14)
 初夏の入山期へ向けて下記の講師陣で学習会を行います。
参加対象は鳥獣・農林行政担当者、山菜採り、猟友会員です。
農林水産省「特用林産物需給表」によると、つい最近と言える97年度でのネマガリダケの生産量は5265㌧で
他のウド、フキ、ワラビなどの山菜も共に数千トン単位で採っています。
 70年代なら全国の多種多様の山菜の年間総生産量は十万㌧近かったでしょう。
農村部が貧しくて人口が多かった50、60年代は統計に表れる生産量に自家消費を含めたら
全国の年間採取量は数十万トンもあったでしょう。
 70年代の北東北でのツキノワグマ、カモシカの分布を見ると八甲田山系、北八幡平では生息域が、
今よりずっと狭くなっていて人々の営みが、これらの動物の生息にまで影響を与えていたと思われます。
高齢者でも女性でも一日、働いて日銭13000円が得られる自然からの恵みをクマに気をつけて採りましょう。
 青井俊樹先生は北大でヒグマを30年間、岩手大でツキノワグマを20年間、追跡した稀有な方です。
 今回、白神山系でシカの駆除が始まること、イノシシの生息域の拡大が顕著で急遽、京大の高柳敦先生にもお願いしました。

  日 程
  日 時    平成30年3月10日(土) 午後1時〜4時
  場 所    十和田市文化センター・生涯学習ホール
  主 催    NPO日本ツキノワグマ研究所
  後 援    十和田市役所  (一社)青森県猟友会十和田市支部
         東奥日報社    NHK青森放送局
  入場料   無料  申し込み不要  先着200名
   講 師
  青井俊樹  岩手大学名誉教授      日本のクマに何が起こっているのか
  高柳敦   京都大学大学院講師     増えてきた野生動物とどうつき合うか 
  米田一彦  ツキノワグマ研究所     人身事故2255人から読む


 
  ついに壮麗なドラマの幕が切って落とされた。(2018.1/24)
  今回、実にタイミング良く(実に悪く)、予算編成期に愛護的な告発で秋田県庁は鼻血も出なくなり「もう手は無い」とクマの「指定管理鳥獣」への繰り入れに突き進むだろう。
 秋田県は一昨年末の予算編成期に県選出の国会議員団との意見交換会の席上、強力な駆除が行え、交付金も得られる「指定管理鳥獣」への繰り入れるべく協力を要請している。(16年11月25日共同通信・秋田魁新報)
 ニホンツキノワグマは環境省のレッドリストにて絶滅危惧Ⅱ類に指定されている点、IUCN(国際自然保護連合)の分類では東アジア全体のツキノワグマが危急種(VU)」に位置付けられていることから、保護に留意すべき獣類ということで断念したようだ。
 昨年5月にも死亡事故が発生しており、昨年末の予算編成期に秋田県は再び動きだしたろう。
事故多発県の近畿地方、福島、岐阜県などが追随してくるだろう。
 各県で大規模な生息数調査が始まった時が、そのサインだ。
 行政が一旦、決めたら20年間は動かず愛護も保護も関係なく駆除は進むだろう。
 70年代、カモシカの保護管理が、どのように進行して行ったのか見ると分かる。
  行政に手段が無くなってゾーニングして奥地に生息するカモシカは保護するが、里山で被害を与えるカモシカは駆除できるようになった。ただしカモシカ研究者たちが営々と築いた実務的な方策が効いて無制限な駆除が行われず、ほぼ年間1000頭の駆除に推移してきて安定している。
 カモシカは特別天然記念物でありながら容易に駆除ができるようになった。クマはRDBに分類されているのは何の威力を持たず、シカ、イノシシのように国の補助金付きで駆除できるようになるのだ。
 いずれ、そうなったかもしれない。だが早すぎる。過去46年間、クマ問題に携わって来て納得していることは、今の法律体系がクマにとって最も安定している、ということだ。クマの狩猟解禁、過剰駆除は大きな枠組みの中では小事なのだ。
「兵庫県で20年ぶりにクマの狩猟解禁」神戸新聞(16年11月15日)
「秋田県で9年ぶり」秋田魁新報(17年11月15日)
「岡山県で17年ぶり」山陽新聞(17年11月15日)
 京都府、広島県もクマの狩猟解禁を目指しているとされる
 十和利山クマ襲撃事件以降、秋田県では過剰捕獲が起ることは端から予想済みだ。
3年間ほどの過剰駆除の山を越えたら鎮静化すると見ていた。
 前世紀の理不尽な法体系の改正に心血を注いだ我々世代は、この曲がり角を静かに超えたいと思っていた。
 秋田県の発信の仕方もお粗末だ。「対応に悩んでいる」「最近、生息数が増えたのでは」などと、
素朴ではあるが付け入られるばかりだ。
ここは官署の常套句「県民の生命財産を守る」「現に生息数の調査中」だと言えなかったのか。
 クマの狩猟解禁は兵庫県から始まり、「指定管理鳥獣」化は秋田県から始まる。
 そしてクマの大駆除時代の幕が開くのだ。

 今回の秋田県でのクマの過剰駆除騒動は「枝葉にかかずらわって、肝心な根本をそこなおうとする」典型だ。


 
  八戸駐屯地への再度のクマ出没(2018.1/9)
 1月9日、2頭のクマが八戸駐屯地近くで目撃されたようですが、組み合わせとしては先の3人が襲われた事件のオスグマとは類縁性が無く、親子グマであろう。
ただし大きさが同じだと稀な兄弟での3冬目を迎えていることがある。
 もう栄養状態が固定しているので、これ以上、食い込みはしないと思われ食べ物を求めて小屋、
民家、倉庫への侵入はないだろうが警戒は必要だ。
退路を断つと民家へ侵入することは考えられる。
 これだけ活動していると昨年のドングリ類の凶作で出没という図式とは異なり、栄養状態が良くて越冬に入らない「富栄養の穴持たず」グマと考えられる。
八戸駐屯地への侵入経路は今年も要注意だ。連続したリンゴ園など採食地点があるようだ。

この動画は12月6日14時45分ごろ八甲田谷地温泉付近で現地の方がスマホで撮影したそうです。
クマは状況によっては時々、穴替えもします。
山岳地帯では急な豪雪で雪崩が起きて越冬穴が破壊されて走り出ることがあるようだ。
  秋田県の駆除数の増加 今後の対策法は取材(2018.1/9)
 クマによる大事件の発生、大出没直後から数年間、過剰捕獲が起ることは各県で40年前からあった。だが何も変わらず、むしろ個体数が増加して現在に至っている。
東日本、北日本では一体連続して生息が安定しているので問題は無かったのだ。
駆除されると、そこを穴埋めするように次に強いクマが補充していく習性がある。
 ただ前世紀は数年に一度の出没であったが、今世紀は、ほぼ一年おきの大出没になっている点は考慮の必要はある。
だが駆除数以上に生息域の拡大、生息数の増加が起っていることは間違いが無いだろう。
 大駆除が起ると一時的に相対的な餌量が増加し、繁殖が進み若いクマが増加して、
また被害が増えるものだ。
 隣接する岩手、青森、山形県方面から移動が起るだろう。
 ここでは野生動物の生命の尊厳のことは、まず置くとして出没年に里山で駆除が進むだけでは将来に大きな禍根となることはなく、推定生息数の60%も駆除したというのも慌てることは無いだろう。
県庁が世論に小心翼々となり矮小な対策に陥る方が心配だ。
 自然保護課が「近年出産が進んで推定生息数が、もっと多かったろう」などと言うのは聞き苦しい。
推定生息数、そのものが調査を開始した1980年当初から「過小評価」しやすい宿命を持っていた。
秋田県、山形県で行われた「春グマ狩り便乗法」は当時としては画期的なものだった。しかし越冬終了直後のクマの数を残雪上で数えるもので、どうしても早く穴から出る若いオスグマを数えやすく、
遅く出る子連れや、メスグマが漏れて過小把握に陥りやすかった。
 そして現代の「里山の奥山化」によって里山にも生息域が広がると、そこに生息するクマの数を数えるのは非常に困難だ。
ヘヤートラップ方によるDNA分析は当所も鳥取県の扇ノ山山系で実施し、40頭近くを把握したが経費、人的負担が大きく北日本での手法としては現実的ではない。
 自然保護課が行っているカメラ撮影によって「月の輪模様の比較」する方法が最も簡便であろう。月の輪模様はクマによって異なり犯罪捜査での指紋と同じぐらい識別が容易だ。
さて99年の法律改正のときから、次の2点は既定方針だった
●生息の安定している東日本、北日本では個体数を把握して捕獲上限数を定める「個体数管理」。
●孤立個体群である西中国、東中国地方(若干近畿北部と交流がある)、紀伊半島では「奥山放獣」などの非捕殺管理方の導入、被害対策費の投入を行い保護管理を行う。
 絶滅の恐れのある西日本であっても山系が持つ包容力よりクマの個体数が増えた場合は 制限事項であった「狩猟禁止」の解除もあることも既定方針で
 一昨年、兵庫県が解除しているし他の数県も検討中と言われる。
2点、秋田県に提案がある。
① ブナ凶作による出没警報の発令を数年、中止しては、どうだろうか
② 遺伝子は大きなオスグマが広域に運んでいるものであり、狩猟は解禁したのであるから奥羽山系での「春グマ狩り」を見合わせて隣県とのクマの交流を促しては、どうだろうか。

写真説明 ①月の輪の形状の呼称
       ②顕著な月の輪模様 三段切れ


暑ぃ~

 

 

 ・・・2016~2017  ・・・過去の記事     

●更新履歴●

 

~共生への理念~

 クマを、この日本から駆逐するのか残すのか。西日本では駆除が進行して危険な状況になってきました。
クマに存在理由を与える必要はありません。私は次の理念により共生すべきものと考えます。
『クマと「自然の森」と「そこに住むあらゆる野生生物の豊かな生態系」は同義語です。即ち、クマを守るためには森全体の保全が必要なので、従って、クマが 守られれば全てが守れるではないか』単なる除去論は21世紀の地球人が目指そうとする野生動物との共存理念に逆行するものです。
欧米人は日本を「公害まみれの工業国」と思っているだろう。イギリスには移入された鹿とアナグマしかいない。仙台、広島、札幌。百万都市にクマがいる国は 日本だけだ。世界に冠たる日本の自然環境を誇るならクマと共存するべきだ。「クマは世界に誇る日本の宝」だと、われわれ日本人だけが、その事に気がついて いないのではないだろうか。クマ(森)との共生という思想は、縄文以来の日本古来の伝統文化、そのものではなかったか。
日本が21世紀、世界に尊敬される国になるためには、クマ、森、自然との共生が全ての出発点・転換点になる。森を殺してクマを殺して、それで日本の素晴ら しい伝統である自然と共生する文化を訴えられるはずがありましょうか。

◆活動履歴◆
1948年 青森県生まれ。秋田大学教育学部卒。
秋田県立鳥獣保護センター奉職後、秋田県生活環境部自然保護課勤務。
1986年以降、ツキノワグマの研究に専念し、1989年広島県にて日本ツキノワグマ研究所を設立。
2001年に特定非営利活動法人認可。
「野生の王国」「宇宙船地球号」など数々のテレビ出演や「クマ追い犬タロ」「ツキノワグマのいる森へ」など多くの著書を出版。

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アウトバック クマ撃退スプレー販売会社


 
   
 

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