津波災害支援事業

スマトラ島沖地震津波の被災者支援について

警察の船 2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震による大津波が、インド洋沿岸各国を襲い甚大な被害を及ぼしたことは記憶にまだ新しい災害です。被災3周年を迎えるに当たり2007年12月16日現地を視察しましたので、当協会関連の内容につきましてご報告を申し上げます。訪問者は、当協会常任理事多田チャニントーン、理事の岸根博文、そして事務局長の鈴木章純です。
(写真は、海岸線からずっと離れた高台に打ち上げられた警察の船。)

ゴム干し ゴムの木 視察に訪問したパンガー県はプーケット島の隣で海に面し、風光明媚な観光地としても有名です。また、漁業やゴム栽培も盛んなところです。
(写真は、ゴム農園と前日採れたゴムを干している風景です)

当日は、提携団体のタイ王国国王管理社会福祉国民会議の役員もバンコクから同行して下さいました。また、プーケット県知事カラヤナミット氏(チャニントーンの従弟)の配慮で、県の公用車を使用させていただきました。

表敬訪問 初めにパンガー県の県知事を表敬訪問し、その後タグアパー市の市長と教育長の案内で被災地を訪問しました。道中いくつかの寺院は当時遺体安置場所となり、長らく死臭に満ちていたとの説明を受けました。この津波による被害はタイ国内だけでも、死者・行方不明者が8千人を超すと言われています。

広島日タイ友好協会は、南観音公民館活動振興協力会・南観音学区町内会・山陽高等学校生徒自治会、その他の団体や個人から寄託された義援金に独自の義援金を加え、2007年2月にタイ国を訪問し国民会議に20万バーツ(約55万円)を寄付しました。

この義援金は、パンガー県タグアパー市クッカック町の家を失った2世帯に配分され、住居復旧資金となりました。一軒目のブンルー・ノパリット夫妻は、以前から洋裁店経営でしたが津波で建物は完全になくなり、丁度ホア・ヒンの大学から帰省していた大学一年生の娘さんを亡くしておられます。行方不明になった娘さんをずっと探し回られたそうですが、結局遺体はかなり後になって遠い地区で見付かり、DNA鑑定で確認できたそうです。ご主人は未だにパニック症候群で精神科の治療を受けておられるそうです。

娘の写真を見ながら この町では多くの人が精神的ショックから立ち直れていないそうで、アメリカ在住のタイ人精神科医が帰国し、この町での治療に当たっておられました。亡くなった娘さんの写真を見ながら、往時を思い出しては涙ながらに語るお母さん(向かって右)が気の毒でした。

棟続き この建物は親戚からの経済的支援もあり、他の親戚と共に棟続きの二階建てを建築し再び洋裁店を続けておられます。青く見える右半分がブンルーさんの家です。

平屋 もう一軒はカンチット・チュンチャイさんの家です。(写真の一番奥)
彼は元々単身で生活をされていましたので家族の死者はないそうですが、姪が亡くなられました。この家は当会の寄付だけで建てられたそうで、平屋造りでした。
(写真向かって左がカンチットさん、中央は町長さん、右は多田です。)