2006年版
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06,11,22(大野) 

今回の休み、ノロウイルスに感染した孫が、嘔吐と下痢で悩まされたちゅうんで、まず見舞いに行きやした。うつらんようにマスクをしてご対め〜〜ん。しかし、回復度は70%くらいとみたんで、よしよししてから一人で大野に出かけやした。大野に着いたんが11時過ぎ。ロープ規制もなく(おそらく、来年の合同自主トレまでこのままじゃろ)、気温も上がって快適にすごせやした。

まず屋内練習場をのぞく。暖かいんじゃけど、今日は窓が締めてある。これじゃとカメラに収めるんが辛いんですじゃ。推定距離を計ってピントを固定してから写すんじゃけど、これがなかなか上手くいかんのです。あきらめて入り口のほうへ。ここからじゃ衝立(ついたて)で観察し辛いんじゃけど、ちょうど東洋さんが鞘師に、相変わらずの熱血指導をしよりました。

その後、グランドに。後ろから足音がするんで振り返ったら、そこには熊澤コーチが。「お元気そうで」と声をかけたら「あ〜久しぶりですね〜。元気ですか。相変わらず熱心ですねえ」と返事をいただきやした。どうやら顔を覚えておられたようで、ちと胸がルンルン(笑)

ブルペンをみると、幹英さんが捕手になっとる。投げるんは誰かとみると、仁部くんでした。様子をうかがうと、左バッターの攻略方法をコーチしよるみたいですじゃ。

その後、井生くんがキャッチャーの支度で出てきやした。幹英さんが投げる役で、先の熊澤さんが審判役をしながら井生くんにコーチを。見とるとキャッチングより、打者やカウントを想定してどういうサインをだすかちゅうのがテーマじゃったような。

熊澤さんは、井生くんにボールの握り方などを細かく指導されとりやした。余談じゃけど、熊澤さんは、由宇練習場をつくる時、多大な貢献をされとりやす。 井生くん相手に投げとったんが幹英さん。現役時代と変わらぬフォームじゃったです。さすがにスピードは落ちとりやしたが、変化球はまだまだいけそうですじゃ。

面白かったんが、外角低めに構えたのに、幹英さんがインハイへ。投げたとたん幹英さん「浮いた〜」と叫び声。井生くんはちゃんと捕球したんですが、後ろの熊澤さんは、びっくりしたんかあとすざりしてとうとうひっくり返っておりやした。その直後の幹英さん「ワザとよ」とぼそっ。(照れ隠しみたいじゃったが・笑)。幹英さんの名誉回復のために書きやすが、外角低めに落ちる切れ味鋭いスラーダーもありやした。あれだけ見たら、今でも現役でいけそう。

ふとグランドをみたら甲斐くんがリハビリウオークをしよりました。まだ右足をひきずりかげんです。久しぶりのナマ甲斐くん。ちゃんとカメラに収めやした。数回あっしの前を通たんですが、いつもならチョコンをお辞儀をするのに、し〜〜〜らん顔。「おかしいのう」と思うたら、構えたカメラで顔がわからんかったみとうで^^;

右足のリハビリに励む甲斐くん。幹英さんの前を「はい、ごめんなさいよ」と(言ったかどうかわからんですが・笑)歩いておりやした。 ヒマさえあればシャドウピッチングをしとる斎藤くん。幹英コーチのそばでも臆することなくひょいひょいと行っておりやす。ええ心臓しとりやす。

甲斐くん、いったん寮に帰って着替えてトレーニングルームに行きやした。器具を使うて脚を鍛えたり、最後は軽くじゃけどバットスイングをしよったんで、安心しやした。

そのトレーニングルームにいたんが末ちゃん。彼は器具は使わず、主にストレッチでした。床に薄いマットを敷いて、急に「だんご虫」みとうになってゴロンゴロンとやったのにはびっくりしやした。他にも言葉では言い表せんのですが、今まで見たことがないような動きをしとりやした。だれかトレーナーさんが、新しいことを取り入れたんじゃ思いやす。

この末ちゃん。出て来たときにパチリとさせていただきやした。その後、いろいろと話をしたんですが、これはプライバシーに関わるんでここまで(笑)

例年ならあんまり選手がおらんのですが、けっこう来とりやしたね。大雑把に言うと、湯布院組がおらん程度かな。それと道原さんや阿部コーチも体力作りかエアロバイクをこいどりやした。ふむふむ、コーチもたいへんなんじゃ。