2006年版
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06,10,03(惜別!天野浩一投手) 

10月1日、戦力外発表がありやした。その中に天野君の名前が。ある程度覚悟はしとったんですが、こうして正式発表がなされると、さみしいのはもちろんですが、改めて厳しい世界じゃと実感しやす。

今回は天野投手への惜別の思いをかいてみたいと思いやす。

初めて天野くんを見たのが、ルーキーイヤーの由宇。ケガで一足遅れての二軍合流でした。ブルペンでの彼の投球を見て、プレート付近での球の伸びにすばらしいもの感じほれ込んでしまいやした。夏には昇格、やがて中継ぎエースとまで呼ばれるようになり・・・と、これ以上の説明はみなさんには不要ですな。省略いたしやす。

入団2年目の頃の写真。
49試合に登板、防御率3.00を残す。
いちばん輝いとった年かなァ。
天野くんは、手が先に動いて、あとから足を上げていく独特のフォームをしとりやす。
その彼の左手には、いつもこのグローブがあった

去年の春のキャンプ、彼は日南組に名前を連ねとりやす。「おかしい」と感じ、由宇に戻ってのキャンプに行ってみやした。ブルペンでの投球を見てビックリ。山なりのボールしか投げられず、「どうなっとるんじゃ」と思い清川コーチに聞くと「肩をやったんです」との答が。愕然としやした。肘ならまだしも肩とは。投手にとって肘は回復しやすが、肩はいけません。黒木投手(ロッテ)、与田投手(元中日)などでわかるように復活は至難の業でありやす。それでもシーズン中に上に上がりやしたが、やはり結果はさんざん。

その年の秋のキャンプも由宇組に。この組の多くは故障をかかえとりやす。ある日、思い切って彼に聞いたところ「まだダメです。」ちゅうことでした。投球練習はひかえてもっぱら体力作りのキャンプじゃったです。練習最後の外周ランニング、ヘロヘロになりながら走り、最後は倒れこむようにして頑張った姿を見ておりやす。

復活をかけた去年の秋の由宇キャンプ。練習最後の外周ランニングで、ヘロヘロになるまで体をいじめ抜いてゴールした直後ですじゃ。
秘蔵写真じゃったんですが、今回初公開。
サブグランドでストレッチをする間はグラブ、帽子、スパイクなど、こうしてきちんとコンパクトに置きやす。
天野くんの几帳面さがあらわれておりやすね。

時はめぐって今年の春のキャンプに。やはり由宇組じゃったんで、またまた聞いてみたところ「肩はもう大丈夫です。投げられます。」とのこと。「今年は期待していいね。」と声をかけたもんですじゃ。たしかに投げられるようにはなったんですが、見ていると球に伸びがない。しかし夏にかけて調子をあげてくるに違いないと、この時点では楽観しとりやした。

それがそれが、夏、暑うなってきても、いっこうに球に伸びがでてこんのんですじゃ。仲間には口に出さんかったですが、とっても寂しい気になったです。由宇の観戦仲間の方は気がついておられたと思いやすが、夏以降、あっしが天野くんの投球練習を見に行く姿を見とらんと思いやす。白状すると、見るのが辛かったんですじゃ。

実はこの時、ひそかにこの日がくることを予測しとりやした。できれば、もう1年先送りしてくれんかと思いながらですが、それは・・・ムリな願いでした。調子が戻ったら着ると決め込んで、大事にしていた天野くんのオリジナル(ハルイチ)Tシャツ。とうとう着れずじまいに終わったんが心残りですじゃ。

天野くん。カープ在籍の5年間、いい夢みさせてもらいやした。最後の2年間は、復活へ必死で取り組む姿ばかりじゃったですが、君とのことは忘れない!こっそりもらったサインボール。快く応じてくれた二男とのツーショット。試合中にかかわらず、ネット越しの話しに応じてくれたこと。攻めの投球についていろいろ話したこと。最後に、ペタジーニをインコースのナックルで三振にとったシーン、みんな一生忘れない!